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1日に1万歩を歩くためには自分の歩数を知ることが必要ということで、“万歩計”が人気となりました。一般には万歩計と呼ばれていますが、万歩計は山佐時計計器の商標で、それ以外の会社のものは“歩数計”と呼ばれています。

1日1万歩が推奨される時代は長らく続きましたが、それが見直されるきっかけになったのは2000年から始まった中之条研究の成果が発表されてからです。

これは群馬県中之条町に住む65歳以上の住民約5000人を対象にして、1日の歩数と病気の関係を15年以上にわたって調査した研究です。

その結果として発表されたのは、「1日に8000歩、そのうち中強度の早歩きを20分」が最も健康度が高いという結果でした。また、医療費削減効果があることも発表されました。

この結果が“独り歩き”する形で、誰もが8000歩を目標にしたほうがよいというようなことが広まっていきました。

しかし、これは75歳以上の場合で、75歳未満では1日に1万歩、そのうち早歩きは30分に健康効果が高めることが報告されています。

健康づくりのウォーキングとして「1日8000歩」を新常識としてメディアで伝えられたとすると、それは何歳の人を対象にしてのことなのかを明らかにしないと、間違いを伝えていることになります。それは“新常識”ではなく“非常識”にもなりかねません。

また、「1日8000歩」の健康効果を伝えるときには、エビデンス(科学的な裏付け)として「そのうち中強度の早歩きを20分」を付け加えるのは必須条件です。

そうでないと、“新常識”として広めているつもりのことが、思いに反して間違いを伝えたことになってしまいます。

歩数を稼ごうとしたら、歩幅を狭くして足の回転数を増やせばよいわけですが、それでは“新常識”で伝えられた健康効果は期待できなくなります。理想的な歩行は「大股で勢いよく」が大原則です。

歩数と距離と同時に、どんな歩き方をした結果なのかということも、新常識と言うときには重要な要件となります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

花粉症に悩まされる人の数と花粉症の症状の悪化状態は、花粉の飛散量が影響しているのは間違いがないことです。しかし、それだけが花粉症の状態を悪くさせているわけではありません。

私たちの身体が受ける花粉は、一定期間に飛散した花粉だけではありません。1日を例にすると、その日に一定の地域に降り注いだ花粉の量と、その地域に残っている花粉の量をプラスしたものが影響を与える花粉量となります。

地面が土であれば、地面に落ちた花粉は舞い上がりにくくなっています。ところが、地面が舗装された状態だと地面の花粉は風が吹いたりすると舞い上がります。舗装されたところであっても、周囲に土が多いと、そこに移動した花粉は舞い上がりにくくなります。

大都市部は地域全体が舗装された状態で、しかも自動車が通過するたびに花粉が繰り返し舞い上がります。

花粉は低いところに流れていくので、地下街があるところでは地上よりも花粉が多くなり、この花粉は掃除をしない限りは滞って、溜まり続けていきます。

地下街よりも低いところに地下鉄が通っているところもあります。地下鉄の駅のホームは、列車が通過するたびに勢いよく花粉が浴びせられるようになります。

都市部で花粉症の症状が悪化しやすいのは、自動車の排気ガスの影響を指摘する人もいて、それを実証する研究も行われていますが、そこでも前提条件となっているのは花粉の飛散量だけです。

花粉の飛散量が少ないからといっても、花粉の残っている量と、それが繰り返し浴びせられる状態を加味しないと実際の影響を推定することはできないわけです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害の特性がある子どもに対する支援活動は、さまざまなことがある中で、私たちが実践しているのは、これまで制度として実施されなかったことです。

制度が確立されていることに比べたら、規模も小さく、速度も遅いのは仕方がないことですが、これを手掛けることで、従来の発達支援の成果を高めることができると考えてのことです。

その考えの一つとして構築しているのが児童発達サポーターです。発達障害児の改善に取り組んでいる支援施設や、発達障害児の保護者から、よく聞かれることに、周囲の理解の不足があります。

認知症について理解して優しく接する、できるところから支援する認知症サポーターは、厚生労働省が主導して全国で1500万人を超えています。認知症と、その予備群とされる軽度認知障害は合計で1000万人とされています。

これに対して、発達障害は子どもの10人に1人の割合であることがわかり、その特性は生涯にわたって続くことから1000万人に達すると推定されています。ところが、認知症サポーターと比較されるような発達障害のサポーターは1人も存在していません。

全国希望での展開は今は望みようもないことで、大人の発達障害も同時に始めることは大変なことであり、このことに関心がある地域で児童発達サポーターを構築しています。

その実現には支援する人を支援するための仕組みが必要で、発達障害児と保護者を支援するサポーターを養成するためには講習を担当する認定講師が必要になります。

認定講師は発達障害に関わってきた方々を期待していますが、実際の改善には栄養指導での取り組みも必要になることから、日本メディカルダイエット支援機構が養成している発達栄養アドバイザーに初期段階では担当してもらいます。

発達栄養アドバイザー養成講習を担当するのは発達栄養アドバイザー認定講師で、その講師を養成する講習を担当しているのは日本メディカルダイエット支援機構の本部講師です。

この流れの全員が揃っていて初めて希望がかなえられるわけで、その仕組みづくりと運営の支援は日本メディカルダイエット支援機構の役割と認識しています。
〔特定非営利活動法人日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「オメガ3の日」日本製粉が必須脂肪酸のオメガ3脂肪酸の普及のため1、2、3とステップアップで健康になってほしいとして制定。

「アーモンドの日」カリフォルニア・アーモンド協会がアーモンド23粒で1日に必要なビタミンEが摂取できるとして1日23粒から制定。

「一無、二少、三多の日」日本生活習慣病予防協会が提唱する一無(禁煙)、二少(少食、少酒)、三多(多動、多休、多接)から制定。

「花粉対策の日」花粉問題対策事業者協議会が春の花粉対策は1月、2月、3月がポイントであることから制定。

毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)

携帯電話の小型化が進むのと歩調を合わせるように携帯電話の販売数が増えて、従来の10桁の番号では不足することが指摘されて、11桁の番号になったのは1999年のことでした。

携帯電話は090、PHSは070と区分けされましたが、その3年後の2002年には080も使われるようになりました。

2008年には日本でスマートフォンのiPhoneが販売され、2009年にはAndroidが登場しました。その人気のために、さらに電話番号が不足することが懸念されて、2013年には070が携帯電話にも使われるようになりました。

そのおかげで、これまで選択できなかった番号が取得されるようになり、私は「070−1000」で始まる携帯番号を手に入れることができました。

ところが、いまだに070はPHSの番号だと思われているところがあって、先にMailやmessengerなどで電話番号を知らせておかないと、怪しい電話と思われて無視されることもありました。

そして、2026年の7月からは060が追加されます。その検討が始まったときには、2024年末にも追加されると言われていましたが、まだ先のことになりました。

2026年3月末でNTTドコモのガラケーのサービスが終了して、すべての通信会社でガラケーは使えなくなります。

私は今でもガラケーを使っていますが、2010年にiPadが登場してから、ガラケーとの組み合わせで、ずっと通してきました。

2026年3月末で終了するのは3G対応で、4Gは使用可能と伝えられていますが、ここが替え時かと思っていて、移行の準備を進めているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

1日の歩数の新常識とされるのは「8000歩」で、これまでは1万歩が推奨されてきたので、2000歩も少なくてよいということになります。

これは新たな発表ではなくて、何を今さらと思うこともあるのですが、テレビ番組で「新常識」として放送されることは今もあって、これには驚きを感じさせられます。

初めに1日8000歩についての研究成果が発表されたのは2015年のことであったので、もう20年も前のことです。

1万歩が言われ出したのは“万歩運動”が始まった1964年のことで、その年には東京オリンピックが開催されました。

オリンピックを機会に国民的に健康志向が高まったことからウォーキングが盛んに行われるようになり、目標値として掲げられたのが1日に1万歩でした。

その当時の日本人の平均歩数は7000歩ほどでしたが、高度経済成長が始まってから10年が経過して、運動不足と食べ過ぎによって、1日のエネルギーバランスの差が300kcal過剰になっていました。

その当時は生活習慣病が増えているといっても今ほど患者は多くはなくて、食事を減らすのではなく、運動量を増やすことが求められ、簡単な運動として歩く距離を増やすことがすすめられました。

1000歩が100kcalに相当するというように大雑把な計算をして、300kcalを消費するために3000歩を増やせばよいと考えられるようになりました。その結果として発表されたのが1万歩という目標が示されました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

合いの手は、元々は歌や踊りに合わせた手拍子を指しているので、「合いの手を打つ」で正しいような感じがしますが、合いの手は手拍子だけではありません。手拍子(てびょうし)は手を叩いて(正確には打ち鳴らして)拍子(リズム)を取ることを指しています。

合いの手では、歌の途中で入れられる間奏や掛け声なども指しています。カラオケで1番の歌詞が終わって、2番が始まるまでの間に拍手(はくしゅ)をするのは合いの手となるかもしれませんが、これは“お約束”の付き合いのようなものです。

上手な人には拍手が多くなり、その数と長さ、音量で勝敗を決めるようなことがあったとしたら、そして拍手による反響に応えて、歌い手が力量を発揮することになるなら、拍手も合いの手になる可能性があります。

合いの手という言葉が古くから使われてきたのは邦楽の世界です。この場合の邦楽は、「邦楽か洋楽か」といった分類の一つの邦楽(洋楽ではない日本の音楽)ではなくて、日本古来の伝統芸能としての音楽を指しています。

能や義太夫、長歌などで三味線、箏(こと)、琵琶、尺八といった唄や台詞の間に入れられる、いわば間奏のようなものです。それが時代とともに歌の間に入れられる手拍子や掛け声のことを言うようになり、さらに広がって「相手の話の間に挟む言葉や動作」を意味するようになりました。

さて、お題の「合いの手を打つ」は、挟むということから考えると、これは誤用であって、正しい言葉の使い方は「合いの手を入れる」です。

合いの手は言葉だけでなく、態度も含まれています。話をしている人を盛り上げようと“よいしょ”をする(おだてたり、お世辞を言う)ことはなくても、頷いたり、目を合わせたり、微笑むということも「合いの手を入れる」行為となります。

この行為は“好意”を伝える手段でもあるわけですが、より好意を伝えるためにはタイミングが重要です。タイミングのズレは盛り上がりに水を差すことにもなりますが、ジャストタイミングの合いの手は、盛り上がりには欠かせないものです。

その一つの例が、歌舞伎で大向こう(舞台から最も遠い席)からかけられる「成田屋」「音羽屋」といった屋号で、この声も“大向こう”と呼ばれています。

素晴らしいタイミングで大向こうとしての合いの手を入れることができるのは、大向こうの席で見ている常連です。間違っても、初めて歌舞伎を見にいった人が、他の人を真似て声掛けをしてはいけない、舞台を台無しにしかねないと言われるくらい「合いの手を入れる」のは重要な常連の役割なのです。

その役割をする人がいると会議などもスムーズに進行して、よい結果が導き出されるということになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

100kcalあたりのPFCエネルギーバランスで食品を評価する方法は、1896年(明治29年)に、アメリカ・エール大学のフィッシャー教授が『アメリカ生物学雑誌』に「食物標示の新しい方法」として発表しています。

PFCエネルギーバランスのPFCは、P(たんぱく質:protein)、F(脂質:fat)、C(糖質:carbohydrate)のエネルギー源を指しています。摂取すべき栄養素としては、たんぱく質、脂質、糖質のほかにビタミン、ミネラル、食物繊維があげられます。

このうちエネルギー源になるのは、たんぱく質、脂質、糖質だけで、これらは三大エネルギー源もしくは三大栄養素と呼ばれています。

PFCエネルギーバランスは100kcalの各食品に含まれる三大栄養素をエネルギー量として、「1枚=100kcal」の三角錐(三角形)を用いて、この面積からPFCエネルギーを表す方法です。三角錐が2枚なら200kcal、3枚なら300kcalというわかりやすい方法となります。

このPFCエネルギーを表す方法は、栄養学教育の祖である佐伯矩(ただす)医学博士によって日本に紹介されました。佐伯博士は、医学から栄養学を独立させたことが知られ、大根の消化酵素ジアスターゼを発見した功績も知られていることです。

大正2年(1913年)に、佐伯博士の勧めによって『大日本私立衛生会誌』にPFCエネルギーを表す方法は「簡易栄養価器」として紹介されています。これを用いることによって、三角形の枚数で熱量とPFCエネルギーを把握することが可能となりました。

大正13年(1924年)には、日本最初の栄養士養成学校である「栄養学校」(後の佐伯栄養専門学校)が佐伯博士によって創立され、大正15年(1926年)には同校の教科書『栄養』にフィッシャーの「簡易栄養価表示器」が取り上げられました。

これによって、食品を「100kcal食品とPFCエネルギー」で示し、三大栄養素を「三色(赤青黄)」で表現する栄養指導法が初めて教育されました。

三色は赤色がたんぱく源、青色がビタミン・ミネラル、黄色がエネルギー源ですが、現在は青色のビタミン・ミネラルは植物に多いこともあって緑色で表現されるようになっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「カレーの日」全日本カレー工業協同組合が1982年1月22日に全国学校栄養士協議会が統一メニューとしてカレーを提供したことにちなんで制定。

毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

気づいたときにはスマートフォンがあったという世代には、過去の通信手段が、どのようであったのかということは、あまり関係がないことかもしれません。興味もないという人がいるであろうことも承知しています。

大学を卒業して仕事を始めたばかりのときには、「仕事=事務所=電話機」というのは当たり前のことで、初めて職場の固定電話の契約をしたときのことは今も忘れることはできません。

当時は、電話番号はあてがわれたものを受け入れるしかない時代でした。その当時に言われていた絶対に引き当ててはいけない下4桁の電話番号は3396、つまり「散々苦労する」と読める番号でした。

そんな番号をダイヤルしたくないという人もいて、商売にならない悪魔(地獄!)の電話番号と言われていました。その番号を私が引き当ててしまい、御神籤の大凶の確率を超えたと言われたものです。ちなみに神社の大凶の確率は2%以下とされています。

事務所に固定電話を設置しても、出歩いている時間のほうが長くて、あまり使うことはなくて、持ち歩きができる電話の登場を願ったのですが、「そんな夢物語」と言われたのは1977年のことでした。

ところが、1979年に自動車に設置することができる、その名も自動車電話が登場しました。1985年には持ち運びができるショルダーフォンが登場しました。その名の通り、バッグのように肩にかけて運ぶもので、重量は3kgもありました。

重さもさることながら20万円もしましたが、それよりも驚きだったのは月額使用料が2万円、通話料金が1分間で100円だったことです。当時の公衆電話は3分間で10円だったので、その30倍の料金でした。

携帯電話という現在の名称が使われるようになったのは1987年のことでしたが、当時は1.5kgもあって、たとえるならペットボトル(500ml)1本半分でした。それでも随分と使いやすくなったという感覚があって、すぐに契約しました。

これに比べたら雲泥の差と言われる小型携帯電話が使えるようになったのは1991年のことで、その重さは240g前後でした。これは小型のペットボトル(250ml)の重量と、ほぼ同じです。これをポケットに入れて歩くのは、かなりの負担でしたが、これ以上に楽になることは想像がつかない時代でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕