投稿者「JMDS」のアーカイブ

「必要なものさえあれば生きていける」という感覚がある一方で、「便利なものがなくなる寂しさ」という感覚があるのは普通のことなのでしょうが、私の場合は「必要なものがなくても生きていける」「便利なものはなくなるのが当たり前」という感覚があり、これは子どものときから今までの生活環境が影響しているようです。

情報収集、情報分析、情報発信を生業にしてきた身からすると、情報が山のようにある書店は、ありがたい存在でした。物心がついてから小学3年生になるまでに住んだ3か所には書店はなく、3年生のときに洋品店に雑誌が少し並ぶという程度でした。

今のようにコンビニに雑誌や書籍が置かれている時代に、行動範囲に紙媒体の情報が手に入らないという地域はほとんどなくなったと思いますが、書籍や雑誌に触れる機会は都市部に出たときくらいでした。

情報格差という言葉を知らないときから、都市部で暮らしている従兄弟(父方も母方も)の家に行くと書籍や雑誌があり、その中に書かれている事柄が話題にのぼると“何を話しているのかわからない”という疎外感がありました。

父親は警察官で、家には仕事関係だけでなく辞書や百科事典もあったのですが、幼い時だったので、読めるような状態ではありませんでした。3歳になる前に親元を離れて母親の実家の寺院で暮らした3年ほどの間には、書籍といえば仏教関係のもので、子どもが読める絵本も1種類だけだったので情報はないに等しい状態でした。

4年生のときに1年だけ暮らした都市部には書店が2軒あり、歩いて20分以上はかかるのに、時間さえあれば通っていました。そこには1年間だけしかいなくて、その後の3年半を暮らした町には書店はなくて、新刊は手に入らないので、父親の百科事典(全20冊以上の全集)を愛読書としていました。

学校の教科書に載っていないことが多く書かれていたので、全ページを端から読んでは、疑問などがあったら父親と母親に質問をするという日々だったのを覚えています。忙しい父母にしたら、やかましい存在だったのでしょうが、「好奇心を途絶えさせてはいけない」という父母の考えのおかげで、百科事典にも書かれていないことを知ることができました。

百科事典と父母の知識がなかったら、情報を得る便利なものがなくなった不安感に押しつぶされていたのではないかと今にして感じているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本人の体質は欧米人だけでなく、東アジアの各国とも異なっていることを前回(シン・日本人の体質3)説明しました。東アジアの中国、韓国、モンゴルなどは外見も顔立ちも日本人に近いことから、体質も同じと考えられがちですが、身体の中は大きく違っているところがあります。

身体の構造と機能は同じであっても、その働きや調整能力には違いがあり、同じ生活パターンで、同じものを食べていても、身体の反応には違いがあります。反応の違いは、健康づくりの方法による結果も違ってきます。

東洋医学は、西洋医学が中心の日本にあっても人気が高く、体質に対する考え方も広く支持されているところがあります。東洋医学では「証」によって個人の状態を判定して、それに合致した方法で改善を図っています。

病気や体調の不良を検査によって発見したら、それを治す薬を出すというのは西洋医学的な発想で、東洋医学では治療のための薬と証に合わせた改善法を組み合わせて対処しています。

証は、自覚症状と他覚的所見から得られた状態(体質、体力、抵抗力、症状の現れ方などの個人差)を表す東洋医学特有の用語です。健康状態を保つために良いとされることであっても、体質に合わないと状態を悪化させて、かえって健康を害することになるという考え方が基本となっています。

証は複数に分類されていますが、その根本として使われているのは3つの分類です。
身体が温かいか冷えるか、体内の水分が多いか少ないか、体力があるかないかといったことで、温冷でいうと温かいか冷えるか、どちらでもない中庸かという大きな分けられ方がされています。この3種類の分類で3つの判定をすると全部で27パターンとなります。

最も良い状態は、すべてが中庸ということです。

検査によって病気が発見されて、医薬品を使う場合には、西洋医学では最も効果があるものが選択されますが、東洋医学では体質に合ったものの選択が優先されます。薬効があっても、体質に合わないものは結果が出にくく、場合によっては悪化させることにもなります。

身体を温めるのは健康によいとされているものの、身体が温まりやすい体質の人には体温が高まりすぎて、かえって状態を悪くすることにもなります。

この考えとは異なる、体質を踏まえていない日本の治療については、次回(シン・日本人の体質5)、明らかにしていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「初心にかえる」は漢字では帰るも返るも使われます。これは使い間違えや記憶違いということではなくて、主体(意味合い)が違っています。どちらも辞書に載ってはいるのですが、帰るは主体が人の場合に使われていて、返るの主体は心のあり方です。

初心を忘れてはいけないという意味で使われる「初心忘るべからず」は、“返る”が正しいことになるところですが、根源となるところに戻るのは“還る”が使われます。

このような用語の違いを納得して使うためには、自分にとっての初心とは何か、「初心忘るべからず」と再認識したことを思い起こすことが重要との考え方をしています。自分にとって、これまでやり続けてきたことを、そのまま続けるのか、それとも止めるのかを考えたときのことを例として書かせてもらいました。

自分の健康のアイデンティティ(自我同一性)として、ずっと追い求めてきたのは「日本人の体質」でした。ここまで研究すれば、もう新たなことに挑戦しなくても大丈夫だろうというところまで進んだときに、「初心に還るしかない」と決断させることになったのは、これまで日本人の体質として掲げてきたこと、文章化したことが通じない人が増えてきたことでした。

これまで行ってきたことが正しかったという前提での研究の継続を続けるのか、それとも間違っていたところがあるとの考えで見直しをするのかの決断を迫られたときに、考えついたのは両方を組み合わせることでした。

“日本人”というのは、数千年前に日本に訪れた渡来人まで遡ることはしないとしても、少なくとも3世代(曽祖父)前の時代まで日本人同士で結婚した人という前提をとっています。

途中で東アジア出身の人の血が混ざったとしても、外見が変わらないのは普通に考えられることで、体質も同じように考えられがちです。見た目が同じようだと体質も同じというのは、体質研究をしてきた立場からは言うことはできません。

というのは、中国、韓国、モンゴルなどの東アジアの方々は北方系であって、全身の細胞のエネルギー代謝からして日本人とは違っています。そこを考えると、血管の状態、免疫、コレステロールの代謝、腸内細菌の種類などの違いがあるのは当然のことで、これまで常識とされてきた健康づくりの手法が通じない人が増えてきているのは仕方がないことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「初心忘るべからず」の最後の教えは、「老後の初心忘るべからず」で、室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』の「是非とも初心忘るべからず」、「時々の初心忘るべからず」に続く言葉です。

「時々の初心忘るべからず」では、それぞれの段階の初心について記されていて、その段階には老後も含まれています。家元制度のような伝統芸の世界では、身体が動き限りは、たとえ体力の衰えで表立った芸事が続けられなくなっても、指導する立場は延々に続きます。

「いつまでが現役か」と問われれば、「死ぬ直前まで」と答えるのが当然と考えられるような世界です。だから、「時々の初心」と老後も含まれているので、最後の「老後の初心」は必要がないように思われることもあります。そのような解説もされがちです。

ところが、あえて「老後の初心忘るべからず」と重ねて記しているのは、「時々の初心」を超える重要な「老後の初心」の意味合いがあるからです。それは、年をとっで初めて行うことがあることを指してのことです。

例えば、家元制度で言えば、トップは宗家(家元)であって、そこを目指そうとしても宗家は、その家に生まれた者だけが許されるゴールです。会社社会のように社長、会長になるチャンスは誰にもある、可能性はゼロではないという世界とは違っているのです。

組織のトップを目指すのでなければ何を目指すのかということですが、はっきりとしているのは「年をとったから、もういい」ということがない世界だということです。

幾つになっても初めて遭遇する局面はあり、それに対しては新たな気持ちで向き合わなければなりません。また、年齢を重ねて技術を高め、周りから尊敬されるようになっても油断をすることなく、さらに自分を磨き上げなければならないと言う深い意味合いがあります。

一つの世界にいた人は、芸事でも技術職でも、その内容だけで評価されるわけではなくて、人間性という世間の評価がついて回ります。それだけに自分が、どう感じているかではなく、周りの人に任せるしかないことです。

“老後”という用語には、その年齢に達した身には抵抗感を感じることもあるのですが、常に学び続ける姿勢は忘れてはいけないことです。それを的確に表す用語として、メンターン(mentern)という造語を掲げています。

これは指導者、助言者を意味するメンター(mentor)と、経験を積む立場を意味するインターン(intern)を合わせたもので、常にメンターンの気持ちをもって学び続けることは、今のように変化が激しく、これまで想像もしていなかったことが起こりかねない時代には大切な姿勢だということを伝えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』に残した言葉には、「是非とも初心忘るべからず」に続いて、「時々の初心忘るべからず」と書かれています。

年盛りから老後に至るまでの、それぞれの段階で年相応の芸を学び、それぞれの初めての境地を覚えていることによって、幅広い芸が可能になると説明されています。

年齢に相応しい芸と技能があり、それぞれの段階を経験して、それぞれの試練を乗り越えていくことを指しています。

本当の意味の初心者だけでなく、段階を重ねて、すでに初心者と呼ばれることがないようになっても、それぞれの段階で初心者の心構えで励むことの重要性を述べている言葉です。

今の自分は一足飛びに初心者から、技術や経験を重ねた状態になったわけではなくて、すべての段階で初心を大切にして歩んできたからこそ、技術と経験に裏付けられた現在の地位があるという考えです。

これは本当の意味の“初心”を忘れないように常に振り返るだけでなく、それぞれの段階に達したときに得た“初心”を抱くことによって、さらに次の段階にステップアップしていくことができます。

この初心の境地は、能などの芸事だけでなく、あらゆる仕事にも通じるところではあるものの、単に売り上げが伸びた、地位(役職や責任など)が高まったということでは、達成しにくいことかもしれません。

芸事の世界には家元制度があるところが多く、一つずつ高まっていくという目標が明らかにされていて、地位は信頼と収益が着実についてくる仕組みになっています。これは家元制度の中にいれば、着実に質と地位が保証される伝統的な世界であるからです。

これに対して、現在の転職が当たり前、組織を離れることこそステップアップという感覚が当然と考えられるような時代には、「時々の初心」の意味合いが違ってきます。新しい職場、新しい取り組みが、それぞれ初心となり、これを克服することこそが「時々の初心忘るべからず」ということになるようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

一般に「初心忘るべからず」の意味として使われているのは、室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』に残した言葉のうちの「是非とも初心忘るべからず」の意味するところです。

是非は舞が良くても悪くてもという意味で、初心者のもつ緊張感とひたむきさには人を引き込む力があり、勢いと緊張感は忘れてはならないということを示しています。
未熟だったときに励んだこと、困難に向き合ったときに乗り越えてきた新鮮で謙虚な気持ちを忘れてはならないということです。

『花鏡』には、「是非とも初心忘るべからず」に続いて、「時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず」と書かれています。

是非の初心は重要なことではあっても、それだけでは充分ではなくて、時々の初心も老後の初心も忘れてはいけないということは3つの言葉を並べてみるとわかることです。

「時々の初心忘るべからず」と「老後の初心忘るべからず」については次回以降に例を挙げて紹介していきますが、それを踏まえて「是非とも初心忘るべからず」を読み直してみると、ただ初心を忘れないようにすればよいということではありません。

「常に新人の気持ちでいること」を重視して、それを営業の心得などに掲げている経営者もいます。時代は常に変化していて、今のように急激な変化があり、それに的確に対応していかなければ生き残れないような状況です。

昔のことを思い出して、それを繰り返していればよいということではなく、成功例をなぞっているとしても時代に即したアレンジが必要になります。平成の時代に「昭和の時代の成功談を語られても」という声を聞くことがありましたが、平成の30年を経た令和の時代に「昭和の時代の成功談を語られても」と言いたくなるようなことは多々あります。

そのようなことに言われないように、今の時代の「初心忘るべからず」を考えていくべきだと認識しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

9月21日
「ガトーショコラの日」1998年9月21日にガトーショコラ専門店からガトーショコラが販売されたことを記念して制定。
毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)

9月22日
「フィットネスの日」日本フィットネス協会が設立日にちなんで制定。
毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

9月23日
「網膜の日」日本網膜色素変性症協会が網膜色素変性症の普及のために制定。
「長野県ぶどうの日」全国農業協同組合連合会長野県本部(JA全農長野)が9月下旬が長野県産のぶどうの出荷ピーク時期で、房=ふさ(23)の語呂合わせで制定。
「おいしい小麦粉の日」富澤商店が小麦を使用するパンが日本に伝来した1543年9月23日の鉄砲伝来の時だとの説から制定。
毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)

9月24日
「海藻サラダの日」カネリョウ海藻(熊本県宇土市)が海藻サラダを初めて作った会長の誕生日(1930年9月24日)に合わせて制定。
毎月24日:「ブルボン・プチの日」(ブルボン)、「削り節の日」(東京削節類卸協同組合)

9月25日
「主婦休みの日」サンケイリビング新聞社が1月25日、5月25日、9月25日を主婦が忙しい日の後の日ということで制定。
毎月25日:「プリンの日」(オハヨー乳業)、「歯茎の日」(佐藤製薬)

9月26日
「大腸を考える日」森永乳業が9が大腸の形に似ていて、腸内フロ(26)ーラの語呂合わせで制定。
「くつろぎの日」コメダ(愛知県名古屋市)がコメダ珈琲店創業50周年を迎えた2018年に、く(9)つ(2)ろ(6)ぎの語呂合わせで制定。
毎月26日:「風呂の日」(東京ガス)、「プルーンの日」(サンスウィート・インターナショナル日本支社)

9月27日
「お菓子のみやきん駒饅頭誕生日」お菓子のみやきん(青森県七戸町)が献上銘菓・駒饅頭を1908年9月27日に皇太子(大正天皇)が牧場を訪問したときに酒饅頭を駒饅頭と命名したことを記念して制定。
毎月27日:「ツナの日」

9月28日
「くつやの日」サロンドグレー(大阪府大阪市)が、く(9)つ(2)や(8)の語呂合わせで制定。
「まけんグミの日」杉本屋製菓(愛知県豊橋市)がグー・チョキ・パーの形のまけんグミの普及でグー(9)チョキ(2)パー(8)の語呂合わせで制定。
毎月28日:「にわとりの日」(日本養鶏協会)、「ニワトリの日」(都道府県食肉消費者対策協議会)

9月29日
「とっとり0929(和牛肉)の日」鳥取県牛肉販売協議会が、わ(0)ぎゅう(9)に(2)く(9)の語呂合わせで制定。
「招き猫の日」日本招猫倶楽部が来る(9)福(29)の語呂合わせで制定。
毎月29日:「ふくの日」(日本アクセス)、「クレープの日」(モンテール)、「Piknikの日」(森永乳業)、「肉の日」(都道府県食肉消費者対策協議会)

9月30日
「クミンを使ったスパイスだけでカレーを作る日」(略して「クミンの日」)ハウス食品がク(9)ミン(30)の語呂合わせから制定。
「宅配ピザの日」ドミノ・ピザジャパンが初めて宅配ピザを行った1985年9月30日にちなんで制定。
毎月30日:「EPAの日」(日本水産)、「サワーの日」(宝酒造)、「みその日」(全国味噌工業協同組合連合会)

「子どもの成長啓発デー」子どもの成長啓発デー実行委員会が国際組織の設立された2013年9月20日にちなんで制定。

毎月20日:「ワインの日」(日本ソムリエ協会)、「信州ワインブレッドの日」(信州ワインブレッド研究会)、「シチューライスの日」(ハウス食品)、「発芽野菜の日」(村上農園)

現在の環境は、それが好ましいことであれば、ずっと続くことを願うのが通常の感覚で、願うところまでいかないとしても、現状が継続されることを前提として暮らすのが普通のことです。

しかし、私の場合は、父親が警察官で転勤によって住むと地域が変わるのが当たり前のことだったので、ずっと同じところにいるという感覚はありませんでした。

だからといって親元から離れた後も住まいを転々と変えるということは普通ではないのかもしれませんが、移動した先には新たな出会いがあって、新たな経験ができるという感覚はあります。移動することを避ける、嫌うということはなくて、他の人なら躊躇することであっても平気なところがありました。

住処や仕事場を移動するときに、今よりもよい環境、もっとよい結果を求めるのは、よくある感覚で、これは「自分の居場所は、ここではない」と常に新たなことを求めて浮遊し続けている人と通じることがあるようです。

私の場合は、父親の転勤に従って転校するという生活だったことから、与えられた環境に住むのが当たり前でした。それは住まいだけでなくて、地域の環境も住人の感覚や行動が違っていても受け入れるしかなくて、前よりも環境が悪化するのも普通のことでした。

3歳になる前から未就学の期間、親元を離れて母親の実家の寺院で暮らしていたときは、近所の子どもたちは遊びにくるものの、それは保育園や幼稚園の帰りに目当てがあって(お菓子をもらえるというのが多かったようで)寄っていくということでした。

私は保育園にも幼稚園にも行かず、最後の半年間だけ同年代の子どもとの交流を経験させようとして(これは後に祖母から聞いたこと)他の寺院が経営している保育園に通っただけでした。

これも祖母から聞いたことですが、未就学の期間しか寺院にはいないので、地域の子どもたちと離れることに寂しさを感じることがあってはいけないというのが、保育園にも幼稚園にも通わせなかった理由とのことでした。

小学4年生のときに1年だけいた地域には映画館があって、初めて映画を映画館で観れるということで、月に2回は怪獣映画を見に行っていました。それまでに見た映画は、小学校の体育館での上映会で、その頃は映画館という存在は知りませんでした。

その後の転校先には映画館もなく、本屋も小さなところが1軒だけで、そのときになって本や雑誌が大切なものだという感覚になりました。それもあって中学2年生の途中で転校したところは書店が2軒あり、学校の帰りには毎日のように通っていました。

高校時代は父親の実家の近くの高校に通うため、親元を離れていました。これは叔母(父親の姉)から後に聞いたことですが、高校の3年間だけは同じところで学ばせたいという考えだったようです。

大学を卒業したら故郷に戻るという選択肢もあったのですが、大学生のときに私の父親の実家、母親の実家がある地域が選挙区の政治家の私邸に出入りしていたときに、柏崎刈羽原子力発電所の着工が決まり、実家は弟に任せることにしました。

移動が多かったこともあって小学校から高校までの友人は、ほぼいない状況で、大学時代の知人は合唱団のOBと浄土真宗について学び合う同年代の方々だけです。それもあって、新たなところで、新たな出会いを求めて、そこで知り合った人を大切にしていくという“一期一会”の感覚となり、常に「これが最後かもしれない」との考え方につながっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

全身の働きの関係に着目して、統合的に健康づくりをすることは「integrative health」と呼ばれています。これを日本語で検索すると「統合的な健康」となって、表現的に少し違和感がある訳語が出てきます。

このほかに「統合医療」という用語も出てくることがありますが、これは「health」ではなくて「medicine」が相応しいので、本来なら「integrative medicine」の訳として表示されるべきです。

英語のまま表現するほうが、しっくりとすることもあるとしても、まだ「integrative health」は浸透しにくいところがあります。中には「統合健康」という訳が示されることがあるのですが、「統合的な健康」よりも、もっと違和感があります。

英語表記は使っているうちに馴染んでくることもあり、「メタボ」といえば今では多くの人が内臓脂肪が多く蓄積された肥満を想像できるようになっています。メタボはメタボリックシンドローム(metabolic syndrome)を略したもので、内臓脂肪症候群と訳されています。

metabolicは代謝のことで、そのsyndrome(症候群)なので、正確には代謝低下症候群、代謝異常症候群と訳されるべきです。しかし、メタボ、メタボ症候群と呼ばれるのがほとんどで、使っているうちに違和感がなくなった代表のようなものです。

ロコモも同じような感じで、これはロコモティブシンドローム(locomotive syndrome)を略したものです。ロコモティブは移動する能力を表しているので、移動する能力の不足、衰えを示しています。

integrative healthは統合的な健康という状態を示すよりも、行動を示す「統合的な健康づくり」のほうが、まだ浸透しやすい感じがします。この答えを出すのは、自分が納得できる状態になるまで待つ“我が胸に問う”ということで、もっと先でもよいかもしれません。

ただ待つのではなく、判断する自分を高めていくことが大切であり、そのためのインプットは続けていかなければなりません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕