投稿者「JMDS」のアーカイブ

「休養の日」日本リカバリー協会が休(9)養(8)の語呂合わせで制定。

「ハヤシの日」丸善ジュンク堂書店が丸善の創業者の早矢仕有的が考案したハヤシライスにちなんで早矢仕の誕生日を制定。

「桑の日」お茶村(福岡県八女市)が桑(98)の語呂合わせで制定。

毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

子どものときに親元を離れて母親の実家の浄土真宗の寺院で暮らしているとき、「なぜ他の寺よりも貧しいのか」との疑問をずっと抱いていました。子ども心にも寺院は裕福という印象があって、同じ地域の他宗派の寺院に行くと、明らかに立派な建物、立派な生活(?)でした。

ご先祖様は大聖寺藩(加賀藩の支藩)の藩主の一族の出家と聞くのに、どうして貧しいのかという疑問に答えてくれたのは住職の祖父でした。

浄土真宗には地獄が存在していないために、亡くなったら全員が漏れなく極楽浄土に行くことができます。そのため地獄に落ちないように善行を積む必要もありません。

即座に極楽に行けるので、一生懸命に祈る必要もない、行うのは信心だけで、苦行もなく、自分を磨くための坐禅も瞑想もありません。

魂は極楽に行っているので、魂が墓に入っていることもなくて、お盆に墓にも家にもご先祖様の魂が帰ってくることもありません。そのために迎え火も送り火もありません。寺では盂蘭盆会もなくて、お盆の期間には阿弥陀如来に感謝する歓喜会が行われるだけです。

となると墓は必要ないはずですが、故人を偲ぶ場、親族が集う場所として存在しているだけという考えです。墓があってもお骨を入れる必要もなく、家に置いていてもよくて、散骨をしてもよいということです。

地獄がないなら極楽行きか地獄行きかの閻魔大王の裁判も存在していないので、その裁判の日に当たる四十九日に「どうか極楽浄土へ導いて下さい」と一生懸命に祈る追善供養も本来ならいらないはずです。

浄土真宗では他の宗派のような四十九日の法要が行われず、亡くなった方に感謝をする機会となっています。さらに永代供養もないので、これでは寺は稼ぐこともできません。

本来なら仏壇もなくてもよくて、位牌もほしい人だけ、さらには亡くなってからつける戒名もありません。

浄土真宗では生きている間に信心の証として本山から法名(ほうめい)を授かります。その金額も、立派な戒名をつけることに比べたら少額です。法名もシンプルで、釋○○の3文字だけです。釋はお釈迦様のことで、弟子の名前となります。

他宗にある御朱印もお守りもお札もおみくじもなくて、参拝記念の無料のスタンプがあるくらいです。小銭を稼ぐものがないということが子ども心に貧しいと感じたきっかけです。

仏教では禁じられている肉食妻帯は、浄土真宗では禁じられていません。生きていくのに食べることは必要で、また生きていくのにある程度のお金も必要です。これを得ることに感謝して暮らすのは大事ではあっても、宴会のように贅沢をするのは違います。

そんな環境で育ったから、自分の胸に感じる通りの独創的な発想で、浄土真宗の“真”の部分を追求しようと考えたところがあります。同じように考える寺院で育った人たちと大学生のときに巡り合い、時間さえあれば情報交換をしていました。その交流は数年に一度ではあっても、今も続いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

どこか一つの地域の情報が数多く出されるとき、それも集中的に出されるときには、「なぜなのか?」と疑いの気持ちを持って、メディアの情報を見たほうがよいという危機感を抱くべき情報について書いていきます。

日本で最も南まで位置している自治体は東京都で、小笠原村(沖ノ鳥島)があるからですが、これではなくて一般的なイメージの自治体のことで、最西端の自治体を扱うテレビ番組の話です。

観光シーズンを前に、テレビに限らずメディア報道が増えるのは通常のことで、それ以外の時期は報道が大きく減るか、取り上げられない時期があるのは通常のことです。ところが、その自治体や関係者がタイアップ費用を支払って、ずっと情報を提供しているのではないか、と思われるほどに定期的に報道されています。

これは、その自治体にある巨大産業が不祥事を起こして、廃止論が湧き上がりそうになったときに、周辺国の危機感を煽って、廃止ではなく存続のムードを作り出すための日頃のタイアップ活動です。

詳しくは、直接に関わってきたことだけに、対面で個々にしか伝えられない事情もあるのですが、ムードを作り出して存続も“やむなし”という段階になると、また観光のタイアップに切り替えて、番組の枠を持ち続けるということがされてきました。

広告費の割合がテレビ広告からネット広告が逆転したのは2019年のことですが、それ以前からテレビ業界の広告は伸び悩み、時によっては下がっていくという中にあって、定期的にタイムCM、スポットCM以外にタイアップ費用を支払ってくれるところは重要度が増しています。
〔小林正人〕

「近江ちゃんぽんの日」ちゃんぽん亭総本家などを展開するドリームフーズ(滋賀県彦根市)がカレンダーで8月31日の野菜の日の真下にくる9月7日を制定。

「クリーナーの日」パール(東京都江東区)がク(9)リーナ(7)ーの語呂合わせで制定。

毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

母親の実家の寺院で暮らしていた3歳少し前からの3年間、住職の祖父から、よく言われていたのは「仏様の供物のお下がりで生きているので贅沢は言ってはいけない」ということでした。それは今も教訓のように身に染みついています。

そんな教訓めいたことを言われ続けたのは、親元を離れての暮らしであっても、寺で修行をするわけではなく、外孫だったので寺を継ぐ身ではないこともあったようです。母親は次女で、長女も嫁いで外にいましたが、実家の苗字であったので、養子をとったという形です。

母親の実家の新潟県出雲崎町の寺院は、今は従兄弟(次男)が継ぎ、その次は甥(従兄弟の次男)が継ぐことになっています。

仏様の供物のお下がりで生きているといっても、漁師町では檀家からは常に魚が届けられるので、食に困ることはありませんでした。寺院で暮らす前は山奥の川魚もよく獲れない地域にいたので、海の魚は、それ以前は求めても食べられない贅沢なものでした。

魚はほとんど食べたことがない状態で、今のように食べやすく加工されたものが流通している時代でもなかったので、子どもの食の難敵である魚の骨は私も苦手でした。

食べるものに贅沢は言ってはいけないという教えではあっても、祖母が小骨までを抜いたものを出してくれていたので、実際には苦労することなく楽に魚を食べていました。

肉を食べる習慣はなくて、それは宗教上のことではなく、町に肉屋はなくて、たまに都市部から誰から買って持ってくる、という状態でした。記憶として肉を食べたのは、寺院から離れて再び親元で暮らすようになった小学生になってからのことでした。

とは言っても、そこは新潟県の南の山奥で、都市部にはバスで1時間はかかるところだったので、魚屋さんが買い出しに行くときに注文して肉を買ってきてもらうという環境でした。

私の誕生日は4月8日で、お釈迦様と同じ誕生日であったのですが、寺院にいたときには、誕生日にお祝いに来てくれる人が多くて(?)、お菓子も食べ放題という特別な日でした。これは勘違いそのもので、4月8日はお釈迦様の誕生日を祝う花祭りで、小さな釈迦像に甘茶をかける儀式が行われていました。

昔は親の都合に合わせて誕生日として届けるのを前後させることがあったようで、そのことを父母に聞いたことがあります。しかし、私が生まれたのは昭和30年の4月8日の朝方で、寺の孫が寺で4月8日に生まれるという奇跡的なことと周りの人からよく言われていました。

寺院の儀式も、お客様のもてなしも、人によって出されるお茶とお菓子が違うことも、履き物の整えから室内の片付けも、すべて基本的なことは教わることもないまま身につけることができました。

どれも、その先に役立つことばかりでしたが、一つだけ困ったことを身につけてしまうことになりました。それは葬式のときの準備や片付けなどで、あまりに的確にこなすことから葬儀屋に間違われることで、それは何回もありました。また、葬儀会社からスカウトされたことも何度もありました。

その手際の良さは、大学1年生のときに地元出身の国会議員の東京の邸宅に出入りしていたときに発揮されました。国会議員と葬式はつきものということで、重宝がられていました。

自分が育った寺院の宗派だけでなく、大学の図書館には全宗派に関わる書籍があり、初めのうちは目先の葬式に関する書籍を読んで“付け焼き刃”で対応していました。

しかし、1年間に関わる葬式の数は尋常ではなく、いつの間にか各宗派の儀式に詳しくなっていました。そこで修行のように学んだことは、今につながる先々の他ではできない経験をするきっかけにもなっています。
(詳しいことは徐々に明らかにさせてもらいます)
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

連載コラムのテーマは「日本人の体質」ではなく、その前に「シン」をつけています。これはシン・ゴジラをきっかけに広まったものをなぞっていて、原点回帰の“真”、新たな展開の“新”、人間の想像を超える“神”など、さまざまな捉えられ方ができるように採用されたものです。

これに、“深”、“親”、“進”の意味も持たせたのが「シン・日本人の体質」で、“神”は言い過ぎかと思い、これだけは外して「真、新、深、親、進」をシンの意味として伝えるようにしています。

日本人の体質は、これまで言われてきたこと、研究されてきたこととは異なる結果が現れてきたことを受けて、これまでとは違うということを伝えたいとの思いから、あえて「シン・日本人の体質」とのタイトルとしました。

そもそも体質というのは、身体の性質や状態のことで、遺伝的要因と環境的要因が影響して、一定の地域に暮らす人の特徴とされるものです。その体質が健康面で好ましくない状態である場合には“体質改善”がすすめられます。

体質改善という用語は、個人の身体の状態の改善だけでなく、企業や団体などの悪しき体質の改善にも使われています。むしろ、そちらの使い方のほうが増えているような状況かもしれません。

体質の具体的な話は、これから徐々に説明していくことにしますが、その大前提になるのは日本人の定義です。これまでは、このような話は、あまり必要ないような状況だったのですが、日本人でありながら“日本人の体質”ではない人が増えてきたために、わざわざ定義の見直しが必要になってきました。

法律的には、日本人は日本国籍を持つ人を指しています。国籍は日本人であっても、見た目が異なる人も増えていて、これは帰化か後に日本国籍を取得した人です。それ以外の人は当人の父または母が日本人であることが必須とされる血統主義が採られています。

日本人は文化的には単一であったとしても、遺伝的には大和、琉球、アイヌに大きく分けられています。それでも体質的には、ほぼ同じと言ってよくて、大和民族に同化して、それだけ狭い地域で数多くの人が暮らしてきたことが表されています。

伝統的な日本人と同じような体型、顔立ちで、日本語を話すということが日本人の定義としてあげられることも多くなっています。これは他の地域からの移動があっても人種的にはモンゴロイドであるので、長い歴史(縄文時代、弥生時代)の中にあって、いつ日本に来たのかという違いであって、体質的にも変わらないと長く考えられてきました。

ところが、遺伝子や身体の代謝の違いなどの研究が進むにつれて、体質的な面で、これまでとは違った日本人の定義をしなければならない状況になってきました。
このことについては次回(シン・日本人の体質3)で説明させてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「科学的根拠」を紹介します。

〔科学的根拠〕
「筋トレを推奨する根拠」
国際的な身体活動ガイドラインの策定のために実施されたレビュー(主に介入研究)において、筋トレにより、筋力、身体機能、骨密度が改善し、高齢者では転倒や骨折のリスクが低減することが示されています。

また、18〜98歳を対象とした筋トレの実施と疾病及び死亡リスクに関するコホート研究の系統的レビューやメタ解析においても、筋トレを実施している群は、実施していない群と比較して、総死亡及び血管疾患、全がん、糖尿病、肺がんの発症リスクが、有酸素性の身体活動量に関わらず、10〜17%低いことが示されています。

さらに、筋トレの実施時間の影響について検討した調査では、全く実施していない群と比較すると、わずかな時間であっても実施していた群は、総死亡及び心血管疾患、全がん、糖尿病の発症リスクは低い値を示すことが報告されています。

このように、筋トレを実施することは、運動器障害だけでなく、生活習慣病の発症や死亡リスクの低減につながる可能性があります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「ポイントと具体例の説明」を紹介します。

〔ポイントと具体例の説明〕
筋力トレーニング(筋トレ)とは、負荷をかけて筋力を向上させるための運動であり、自分の体重を負荷として利用する自重トレーニング(例:腕立て伏せやスクワット)やウエイト(おもり)を負荷として利用するウエイトトレーニング(例:マシンやダンベルなどを使用する運動)があります。

特定の部位を重点的に鍛えるのではなく、胸、背中、上肢、腹、臀部、下肢などの大きな筋群に負荷がかかるような筋トレを全身まんべんなく行いましょう。しっかり筋肉に負荷をかけることで、筋肉はその負荷に適応していきます。

日常生活レベル以上の負荷で筋トレを行い、少しずつ負荷を高めていく(=漸進的過負荷の原則)ことが重要です。負荷は重さや回数で調整可能です。また、しっかりと筋肉を休める時間(休息日)をとることも同じく重要です。

筋肉は年齢に関係なく鍛えることができます。特に、高齢者は筋力が低下しやすいため、筋力の維持・向上に努めましょう。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「黒霧島の日」霧島酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒の日」大口酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒あめの日」春日井製菓販売が黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒酢の日」ミツカンが黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒豆の日」菊池食品工業(東京都板橋区)が黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒にんにくの日」青森県黒にんにく協会が黒の語呂合わせで制定。

「クロレッツの日」モンデリーズ・ジャパンがク(9)ロ(6)レッツの語呂合わせで制定。

「生クリームの日」中沢乳業がク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。

「浅田飴の日」浅田飴が固形浅田飴ク(9)ール(6)Sの語呂合わせで制定。

「甲斐の銘菓くろ玉の日」澤田屋(山梨県甲府市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロレラの日」サン・クロレラがク(9)ロ(6)レラの語呂合わせで制定。

「鹿児島黒牛・黒豚の日」鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が黒(96)の語呂合わせで制定。

「のどぐろ感謝の日」日本海(島根県出雲市)が9月はのどぐろ漁が始まる時期で、ぐ(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒舞茸の日」大平きのこ研究所(埼玉県飯能市)が黒舞茸のく(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「ブラックサンダーの日」有楽製菓(東京都小平市)がブラックサンダーにちなんで黒=く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロモジの日」養命酒製造のクロモジ研究会がク(9)ロ(6)モジの語呂合わせで制定。

「生クリームの日」中沢乳業(東京都港区)がク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。

「ぐるぐるグルコサミンの日」世田谷自然食品がグ(9)ル(6)の語呂合わせで制定。

「キョロちゃんの日(森永チョコボールの日)」森永製菓がキョ(9)ロ(6)の語呂合わせで制定。

「飴の日」松本飴プロジェクトが日本書紀の神武天皇記に9月6日に飴を作ったと推察される記載があることから制定。

「スポーツボランティアの日」日本スポーツボランティア・アソシエーションが福島・復興五輪:オリ・パラ後夜祭の開催予定日から制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

3歳を前に親元を離れて、母親の実家の寺院で暮らすことになった経緯は前回(日々修行6)書きましたが、その寺院は新潟県出雲崎町という漁師町にあり、近所の人も檀家もほぼ漁師というところでした。

江戸時代は天領として佐渡島から金を運び入れ、江戸まで運ぶ中継地のようなところで、江戸時代のほうが人口が多かったというところです。寺院は山の中腹にあって、石段を登るのに5分もかかるようなところで、遠方に佐渡島が見えました。

出雲崎町は良寛和尚(江戸時代後期の曹洞宗の僧侶)の生まれ在所で、名主の息子として生まれましたが、人付き合いが苦手で、18歳のときに出家して、その後は30年にもわたって全国を旅しながら修行を続けました。その後は故郷の近くの山寺の五合庵で暮らしています。

寺院に住むようになって初めて祖父の住職から渡された絵本には、良寛和尚の手まり歌やかくれんぼ、竹の子の逸話が描かれていました。

竹の子の逸話というのは、五合庵の縁側の床を竹の子が押し上げていることを知って、納屋からノコギリを持ってきたのですが、竹の子を切るのではなく、床を切り抜いて竹の子を伸ばしてやったという話です。

これには続きがあって、それは絵本ではなくて、後に書物で知ったことですが、竹は成長を続けて天井まで届き、今度は竹を切るのかと周りが見ていたら、天井を切り抜いてあげたということです。

雨が降ると水浸しになってしまうのですが、「雨で濡れた床は拭けばよい、竹が雨を浴びて喜んでいる」と言ったといいます。

幼いときに良寛和尚の諸国行脚の話を聞いて、最も長く(約12年)修行したのは備中玉島の円通寺で、そこまで歩いて行ったということを祖父から聞いて感心したものです。

よくよく考えれば当時は歩くしかなかったわけですが、出雲崎町から倉敷市玉島までの700km以上の道のりは子ども心には驚きの移動であり、歩くだけでも厳しい修行だと映りました。

曹洞宗の開祖の道元禅師の教えでは、修行に終わりはなく、生涯続けなければならないということを後々に知り、母親の実家が浄土真宗でよかったと感じたのですが、その考えを改める時期が私にも訪れました。

それは東洋大学で学んだ4年間で、インド哲学の書籍が山のようにあった図書館に毎日のように通って、余った時間のほとんどを書籍と格闘する中で、各宗派の違いを知ったときのことでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕