これまで京都の対人関係のことを書いてきたのは、京都人のように、ある意味で定番化された(京都人らしい?)感情があればわかりやすいのに対して、心の中が読みにくい人が実は全国的に存在しているからで、それに対する私自身の反省の意味もあったからです。
長らくお付き合いをしてきた京都の知識人や出版、研究などの人脈は、それこそ知識が豊富で、それも本人の努力に加えて、地域的・歴史的な背景などもあって、そう簡単には「知識豊富」と認めてもらえないところがあります。
私の縁戚関係では京都大学で学んで、医学・科学・工学などで活躍している人は3人だけですが、京都大学に勝るとも劣らない大学で学んだ京都出身者は7人います。
この10人だけでもデータベースが構築できるのではないかと思うくらい(実は、ずっと思っていた)で、彼ら・彼女らから「知識豊富」と評価されようと思ったら、「これだけは誰にも負けない」(国内だけでなく世界に目を向けても)、「私がつなげば想像を超える成果が得られる」と本気で言ってくれるような特性と特徴が必要です。
1回や2回なら評価されるのは簡単でも、ずっと評価が続くようなこととなると、まだ本気で言ってもらえる(もらえた)と胸を張っては言いにくいところがあります。
そのようなことを考えて、文に残しているのは、評価してくれる方がプロ中のプロで、しかも1つや2つの分野だけの専門家(スペシャリスト)ではなくて、“マルチな才能”を持っている方と付き合ってきた経緯があるからです。
私が「知識豊富」とか「動くデータベース」と言われたとしても、全部の情報を自分で開拓したわけではなくて、それぞれの情報をまとめてきただけのことです。
これは脳細胞と同じようなところがあって、それぞれの脳細胞に情報を詰め込むだけ詰め込んでも、それを組み合わせて使える形にできなければ、時代に取り残された情報(存在)になりかねません。
そして、それが発揮される環境があって初めて活用できるものであるので、評価する人が、実はデータベースを活かせる存在である、私は活かされなければ“ゴミ扱い”されかねないと本気で話をさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






