投稿者「JMDS」のアーカイブ

〔あう〕
「会う」主に人と人が顔を合わせる。
客と会う時刻。人に会いに行く。駅でばったりと友人と会った。投票に立ち会う。二人が出会った場所。

「合う」一致する。調和する。互いにする。
意見が合う。答えが合う。計算が合う。目が合う。好みに合う。部屋に合った家具。割に合わない仕事。会議で話し合う。幸運に巡り合う。

「遭う」思わぬことや好ましくない出来事に出くわす。
思いがけない反対に遭う。災難に遭う。にわか雨に遭う。

〔あからむ〕
「赤らむ」赤くなる。
顔が赤らむ。夕焼けで西の空が赤らむ。

「明らむ」明るくなる。
日が差して部屋の中が明らむ。次第に東の空が明らんでくる。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

書き間違いをしやすい用語として異字同訓があげられます。

異字は漢字の形が異なること、同訓は漢字の訓読みが同じことで、「異字同訓」は漢字の形は異なるものの、訓読みが同じ用語ということになります。

辞書を引くと(今どきはネット検索でも)、同じ訓読みの用語が複数出てくるのですが、異なる漢字と意味が一致していて、明らかに意味が違っていればわかりやすいものの、一つの意味で複数の漢字が使われていると、どちらを選択すればよいのかがわからなくなってしまいます。

「やわらかい」という訓読みは、どのようなものかイメージが湧きやすいとしても、「柔らかい」と「軟らかい」の、どちらが合っているのか、どちらが相応しいのかの判断がつかないことも少なくありません。

新聞社や出版社では、意味によって的確に使い分けているところが多く、書き分けや文字変換がしやすくなっています。とはいっても、多少の違和感があっても、著者の癖を修正することなく使うということもあります。

パソコンやスマなどに使われている変換ソフトによっては、優先されて表示される訓読みに対して表示される文字(異字)の順番が違っています。使用頻度が多い漢字が先に表示されることもあって、適した文字が先に表示されるわけではありません。

この文字の使い分けができるかどうかが執筆者の腕であり、間違いがない表現ができる人ということになります。

学習の場では、使い分けが的確にできるようにすることが大切なポイントであり、どのような文字(異字)が使われるのかを知っておくことが重要となります。

それを身につけることを目的として、この連載を始めることにしました。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「小鉢の日」フジッコが小(5)鉢(8)の語呂合わせで制定。

「声の日」声総研が、こ(5)え(8=エイト)の語呂合わせで制定。

「ごはんパンの日」高原のパンやさん(長野県小海町)が、ご(5)はんパ(8)ンの語呂合わせで制定。

毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

財団法人というと、以前は格調が高い団体という印象があって、設立するためには最低でも1億円は用意しないといけないという事実が大きく関係していました。

1億円というと、それほどの金額ではないという人がいないではなくて、その金額を用意するから財団法人を設立してほしいという依頼を受けたことが何度かあります。

その依頼は、今の特定非営利活動法人(NPO法人)の設立くらいの軽い感じでしてくる人が多かったのですが、1億円は基本財産であって、資本金のように取り崩して使うことができるものではないことを説明すると、多くは設立を諦めてくれました。

基本財産を使うことができるのは解散をしたときだけであって、それまでは“1円も動かすことができない”という性格のものです。調査が入って、基本財産を預け入れている銀行などの口座の金額が基本財産の額を下回っていたら、財団法人は取り消しになるという条件がつけられていました。

金利が高かった時代なら、利息を活動資金にすることも考えられたものの、低金利の時代には、それも望むことはできません。多くの財団法人が低金利で、資金不足になっていることも数多く見てきました。

それでも設立したいという人がいて、そんなに金が余っているのかと思って聞いてみたら、財団法人の設立の目的が民間資格を国家資格にするためで、私が知っている政治家の政策秘書のアドバイスで株式会社を財団法人にするということでした。

これについては、まずは無理であろうという話をさせてもらいました。

国家資格は政治家に働きかけて、所管する霞が関のお役所を動かせば、かなえられるというものではありません。国家資格には、専門の法律が必要で、法律を作らせるだけで、どれくらいの期間と手間がかかるのか、そのために必要な“活動費”だけでも数億円はかかるとされていることを伝えました。

これは昔話のようなもので、2008年に公益法人制度が改革されて、これまでの財団法人は5年以内(2013年まで)に移行の選択をすることが定められました。

移行の選択の道は2つで、公益財団法人か一般財団法人です。公益財団法人となるためには、厳しい国の審査があって、それまでの財団法人が必ずしも公益財団法人になれるわけではありません。

公益財団法人なら税務上の優遇は続くのですが、一般財団法人となると税金の扱いは株式会社と大きく変わらない状態です。一般財団法人の基本財産は300万円以上なので、従来の有限会社と変わらない金額で、その扱いにも大きな違いがあります。

公益財団法人の移行のための手続きは、あくまで財団法人の役員や職員の仕事ですが、手続きが大変なことから妙なコンサルタントも多く登場して、初めから無理なところが騙されていたこともありました。

私は、あくまで知人のアドバイス程度ということにして、複数の財団法人を公益財団法人に移行するためのサポートをさせてもらいました。実際にサポートしたところの話は次回(日々修行252)にさせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

新たな活躍のステージを考えるとき、これまでの仕事の経験と実績、得意分野や人脈を活かそうとするのは当然のことです。もちろん、これまでとは違ったこと、場合によっては逆のことに挑戦しようとする人がいるのは承知しています。

本人としては大きな変革をするつもりで、周囲が驚くような行動の決断であっても、看板を変えただけと見られることがあります。それでは、せっかくの決断が活かされないことにもなります。

そう思われてしまうことが多いのは、仕組みや組織体制が同じであった場合です。

大きな組織、国や地方自治体などの中の一部で働いてきた人が、独立して活動するのは、よく見られることです。「鶏口となるも牛後となるなかれ」は素晴らしい発想で、過去に縛られていたままでは、せっかくの能力が活かされないということも事実です。

その鶏口を目指していたはずなのに、思いと違う結果になる要因として多く見受けるのは、能力が発揮できなかった仕組みや組織体制を引きずっていた、本人としては変えたつもりであっても、よく見ると同じ仕組みなどを採用していたということです。

初めは違ったことをしていたのに、思ったように進まないことがあると、ついつい過去の実績などに近付いていたということも少なくありません。

他人が決めた仕組みから脱却するという考えを持って、自分の変化が脱却しているのか、それとも前の世界に近づいているのか、それを考え続けること、確認することも「セカンドステージ」を確固たるものにする場合には大切なことだということを伝えるようにしています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

感覚過敏の視覚過敏では、白いものしか食べられないという子どもがいる一方で、逆に白い食べ物や飲み物が嫌いであったり、まったく受けつけない子どもも少数派ではあるものの、存在しています。

これは視覚過敏が原因であるだけでなく、記憶や思い出が関係していることもあります。

牛乳が飲めない理由が、牛が大きくて怖い、牛が臭くて牛乳も飲めない、嫌っている牛乳を無理に飲まされてから拒否反応が起こるようになった、無理に飲ませた人のことを嫌いになって飲めなくなった、牛乳の色と同じ白い色をしているから食べられない、飲めないというように受けつけない原因が重なっていくようになります。

食べ物の色だけでなく、白いものしか食べられない子どもは白い食器で提供される食べ物は平気で食べることができるのに、同じ食べ物を色がついた食器で提供されると食べられなくなるということがあります。

また、白い食器であっても、それに絵柄がついていると食べられない、子ども用の可愛い絵柄の食器では食べられないということがあります。さらに、好きなキャラクターであっても、それが食器に描かれていると食べられないということも起こります。

これとは逆に、白い食器に乗っているだけで食欲が湧かなくなるということもあります。食器の色は食べ物の色とのバランスが考えられていて、それによって季節感を感じたり、おいしさが高まるというのが通常のことです。

ところが、普通で考えると食欲が湧かないような色合いである青、紫、灰色、黒などの寒色系の食器で食欲が湧くという子どもがいる一方で、食欲が湧くとされるオレンジ、黄色などの暖色系の食器で食欲が湧かないという子どももいます。

寒色系の食器に暖色系の料理という組み合わせは、料理の色を際立たせておいしく食べさせる効果があり、寒色系の中でも青系は清潔感を与えて食欲が湧きやすくなるとされています。

しかし、料理の色合いが目立ちすぎると食欲が湧きにくいという反応をする場合もあり、料理を提供する側にとっては困った状況もあります。

食器にこだわるようになると色だけでは終わることはなく、丸い食器なら平気であっても角がある食器は嫌い、形が違うと食欲が湧かない、手で持って食べる茶碗や汁椀、カップなども手の感覚に合わないと、これが食欲を低下させることもあります。

この状態はいつも同じではなく、そのときどきによって変化があり、また料理によっても変化することがあります。このような視覚の影響があることを理解して、そのときどきに合わせて対応をして、できるだけ食べられる料理を増やしていくことも重要になります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ココナッツの日」キリン・トロピカーナがコ(5)コナッ(7)ツの語呂合わせで制定。

「ブラックモンブランの日」竹下製菓(佐賀県小城市)がアイスクリームのブラックモンブランが発売された1969年5月7日にちなんで制定。

毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

日本の文字は右利きを原則として作られているので、左利きには不利となるという認識がありました。そこで字を書く機会が増える小学生になる前に矯正されるということは当たり前のように行われていました。

左利きの割合は世界的には10%ほどです。日本人の場合には右利きが88.5%、左利きが9.5%とされています。残りの2%は何かというと両利きです。

自分のことで言うときに“二刀流”は言い過ぎかもしれませんが、私は幼いときには左右ともに同じように使えました。

しかし、3歳から母親の実家の寺院に預けられていたときに、お寺の仕事は右利きでないとやりにくいこともあって、右利きが得意となりました。弟は左利きで生まれ、親元で育ったので、そのまま矯正せずに左利きを貫いています。

利き手(腕)だけでなく、“利き足”というものもあって、足の器用さということでは利き腕と同じほうが利き足になっている例がほとんどです。ところが、身体のバランス感覚ということでは腕の右利きの人は左足のほうが力が強く、これは器用に動かすことができる足の動きを支えるための土台となっています。

武道として剣道、柔道、空手、少林寺拳法を学んでいたので、前に踏み出す足よりも、蹴り出す力があって、踏み出す足を自由に動かすための土台となる利き足の重要性を感じていました。

片足立ちをしたときにもバランスが取りやすいというのが多くなっています。目を開けての片足立ちではバランス能力の違いはわかりにくいかもしれませんが、両目を閉じての閉眼片足立ちでは、持続時間に差があり、どちらが利き足なのかを知ることができます。

利き目というものもあります。どちらが視力がよい、動体視力に優れているということではなくて、左右の目から入ってくる視野情報の優位性を指しています。どちらの目で見た情報を優先させるかという能力で、利き目のほうが視界の幅が広くなっています。

このことは鏡を前にして片目ずつ閉じて、どちらの耳が広い範囲まで見えるかで確認できます。

利き手に関係するのは右脳と左脳のバランスで、右利きは左脳が優位に働き、左利きの人は右脳が優位に働いていると言われます。

右脳の働きは男性ホルモンのテストステロンによって影響を受けることが知られています。また、男性ホルモンのアンドロゲンが左脳の発達を遅れさせるという研究もあり、男性は左利きが現れやすくなっています。

これを右利きに矯正しようと強制することは男性のほうが脳の負担が大きくなることを示しています。

この差は、強制されて、もしくは矯正されて文字が書きにくい状態で書き続けてきた人ということで、脳の機能と使う手の動きが合わないまま苦労をしてきた結果、それが学習の状況にも少なからず影響を与えてきました。

左利きは右脳の働きが優れているとも言われますが、右利きの95%が左脳で言語系の処理をしているのに対して、左利きでは75%が左脳で処理をしていることが研究によって明らかにされ、あまり違いがないことがわかっています。

右利きは文字を書くときに左脳だけで処理をしています。左利きは左手を動かして右脳を使いながら左脳で言語処理をするため、処理に時間がかかります。

通常では、時間的な問題はほとんど関係ないものの、学習障害があると処理の時間が長くかかるようになり、これが書字に影響を与えることにもなっています。

私が発達障害の中でも学習障害の改善に関心をもって研究に取り組んできたのは、自分の経験が関係してきただけに、まだまだ研究は続きそうです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

文が読めない子どもで、視覚系に課題がある場合には、繰り返し練習をしても文字を一つずつ拾って読む逐次読みが続くことがあります。

聞いて理解する能力は年齢相応か年齢以上であっても、読むことと文字を追うことが精一杯で、意味を理解しながら読むことができない状態が続きます。

これは視覚系に課題がある場合が多く、目と顔全体の動きを分離することが不十分で、目だけを動かして文字を追っていくことに苦労をしています。

目を動かしながら見ていく追視にはエネルギーが必要ですが、視覚系に課題がある子どもの場合には、そのエネルギー量が多く必要で、疲れやすく、そのために文字を追うことに遅れが生じやすくなっています。

文字を目で追っていくときには、文字の全体像を把握して、そのうえで書き順に合わせて目を動かしたり、文字のパーツを覚えるようにしています。

ところが、視覚系に課題があると、広い範囲を視線でとらえる周辺視の能力が弱く、複数の文字をまとめて見ることが難しくなっています。一つの文字であっても視線の中心しか見ることができないということも起こります。

網膜の中心から離れたところも見えるのが周辺視ですが、一点に集中すると視野に入っているものも見えなくなることがあります。そのことが常に起こっているのが視覚系の課題としてあげられます。

学習障害の分類にあげられる識字障害ではなくて、文字を書くことができない書字障害の場合には、読んだ直後には覚えていて文字の意味も理科しているものの、時間が経過すると文字を忘れてしまうということがあります。

これは視覚系の課題がある子どもによくみられることで、単純に繰り返すのではなくて、視覚系のトレーニングが必要になってくるということが言えます。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

共通の敵と戦っているときには、どんなに強敵であったとしても敵の方だけに気を使っていればよい、というのが常識的な判断です。そして、自分と一緒に戦っている味方は、強ければ強いほど安心できる存在です。

敵との戦いに勝ったら、それでよいということではなくて、そこからが本当の戦いが始まります。敵との戦いに勝ったとしても負けたとしても、敵がいなくなった途端に、これまで味方であった人が急に敵に変わることがあります。

共通の敵と戦っているときには強力な味方であった場合には、それが強力な敵になることがあり、そこまでのことを考えて味方とのコミュニケーションをとっておくことが重要になってきます。

これは戦争や企業同士の戦いの話だけではなくて、小さな事業所やコミュニティでもあることで、先頭に立って共通の敵と戦っていた人は、敵に集中しているときには後ろの動き、後ろにいる人の気持ちが見えなくなりがちです。

このことは「後ろから竹槍で刺される」と表現されることがあります。金属の槍であったら刺されたら命が危ういという感覚はあっても、竹槍の存在は忘れがちで、また竹槍の動きが見えなくなってしまうものです。

竹槍は金属の槍と比べたら命の危険は少ないものの、近いところから気づかないときに刺されたら、そして急所(弱点)を刺されたら竹も金属も関係ないことになります。刺されてからでは遅い、手遅れとなってしまいます。

このような話をすると、「そんなことはない」、「自分のところは大丈夫」との反応する人が多いのですが、その裏付けを問うと明確な返事がないということがほとんどです。

自業(じごう)よる自信こそ「竹槍の危機」ということを、追い討ちで話をさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕