投稿者「JMDS」のアーカイブ

徳川家康の遺訓として伝えられている言葉は、後世の創作であったことが研究で明らかにされたという前回(日々邁進22)の話に続いて、後世というのは、いつなのか、ということから始まります。

後世というのは、徳川幕府の15代が終わり、明治維新を迎えてのことです。

幕末期に旧幕臣の池田松之介が徳川光圀作と伝えられる『人の戒め』を元にして書いた『東照宮御遺訓』は、徳川家康の花押をつけた偽文書であることが、これも徳川家康の研究者によって解明されています。

そもそも“徳川光圀作と伝えられる”と書いたように、『人の戒め』も徳川光圀によるものかどうかもわからない状態です。

それなのに徳川家康の遺訓として後生大事に伝えられているのは、幕末の幕臣の高橋泥舟が日光東照宮に奉納して、広く知られることになったからです。

高橋泥舟は山岡鉄舟の義兄で、勝海舟、山岡鉄舟とともに「幕末の三舟」と呼ばれています。

そのことは書籍『そこが知りたい』(ごま書房:刊)の制作にゴーストライターとして加わり、日光東照宮の取材をしたときに聞いて、知っていました。

しかし、あまりに有名な遺訓を「実は違っていた」と書くわけにはいかなかったので、気になりつつも胸に収めてきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「都会の人間は故郷がない」ということを言われて、生まれ在所を旅立つ人が相次いだ時代がありました。

夜汽車に乗って集団就職という時代のことではなくて、これは今から50年前くらいまでは当たり前のように言われていた地域もあります。

その代表とされるのが新潟県で、これは“純県民率”が高くて、都会(東京や大阪など)に大学入学や就職をしても県内にUターンする人が多かったことも関係しています。

「都会の人間は故郷がないので可哀想だ」ということを言いたかったのでしょうが、何も生まれた土地から離れなくても同じであろうし、故郷がないのは可哀想なのかというと疑問が残ります。

「故郷がないので可哀想だ」ということは、私は父親から中学生、高校生の6年間で事あるごとに言われていました。4歳違いの弟がいましたが、「家は長男が継ぐもの」という考えがあったのかもしれません。

そんなことを言いながらも、父親は次男、母親は次女で、家を継ぐ立場ではない上に、そもそも父親は転勤続きの仕事で、家族ごとの引っ越しが当たり前だったので、どんな気持ちで言っているのか、理解するのにかなりの期間がかかりました。

ただ、父親は定年退職の最後の勤務地が出身地で、退職前に生まれ育った地(実家)に家を建てました。叔父(父の兄)が他のところに住んでいたことがあったものの、継ぐべき家業はなかった(米屋は廃業していた)ので、何を継いだのかわからない状態でした。

前回(自業苦・業苦楽11)にも書いたように、私は生まれたところも住んだところも、父親の実家(最終的に住んだ所)ではなくて、新潟県内だけでも点々としていたので、「故郷がないので可哀想だ」というのは、私自身が可哀想だと言われているようなものだったと懐古しています。
〔小林正人〕

半身浴は、自律神経の交感神経の働きが盛んな状態を継続することによって、全身浴と同じような体脂肪の代謝効果を得ることができる簡単で安全な入浴法とされています。

そのために楽に続けられるダイエット法として、多くのメディアにも取り上げられています。

しかし、「半身浴は寒くて続けられない」という人も少なくありません。そのような人は実施法としては間違っていなくても、根底の条件が違っている人がほとんどです。

肩までつかった全身浴では10分間で100kcal程度の消費エネルギー量があるのですが、42℃以上の熱めのお湯に長い時間つかっていると脳が温まり、のぼせる状態になります。これを防ぎながらエネルギー代謝を高めるのが半身浴のメリットです。

熱めのお湯に肩までつかって、交感神経に切り換えてから、ヘソから上を湯面から出して半身浴を行います。交感神経が盛んに働いている状態で半身浴を続けると、血流が盛んになり、全身浴と同じように身体が温まり、体脂肪の分解と代謝が盛んになります。

半身浴は、あくまで身体が充分に温まって、交感神経の働きが盛んになっていることが最低限の条件です。

それを知って、正しい方法で実施していたとしても、半身浴を続けていると、徐々に身体が冷えてきます。冷えた状態では、交感神経から副交感神経に切り換わってきます。

そこで、身体が冷えてきたら、再び肩までつかるか、熱めのシャワーを浴びて交感神経に切り換えることです。これによって、再び体脂肪の分解と代謝を盛んにしていくことができます。

半身浴は寒くて続かないというのは、これは間違ったやり方をしている人の発言ということになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から微量ミネラルの銅の基本的事項の「消化、吸収、代謝」を紹介します。

〔消化、吸収、代謝〕
食事から摂取された銅は胃で可溶化され、生じた2価の銅イオンは小腸において2価から1価に還元されて小腸上皮細胞刷子縁膜に存在するcopper transporter1と特異的に結合して、細胞内に取り込まれます。

そして、側底膜側に存在するATPase7Aによって細胞内から門脈側に排泄されます。

吸収された銅は、肝臓へ取り込まれ、セルロプラスミンとして血中へ放出されます。

体内銅の恒常性は吸収量と排泄量の調節によって維持されています。

食事からの銅の摂取が1.3mg/日の場合、0.7mg/日が吸収されます。

肝臓からは、0.4mg/日の銅が胆汁を介して排泄され、糞への排泄は食事からの未吸収分と合わせて約1.0mg/日となります。尿への排泄は0.06mg/日です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から微量ミネラルの銅の基本的事項の「定義と分類」と「機能」を紹介します。

〔定義と分類〕
銅(copper)は原子番号29、元素記号Cuであり、金、銀と同じ11族の遷移金属元素です。

〔機能〕
銅は、成人の体内に約100mg存在し、約65%が筋肉と骨、約10%が肝臓に分布します。

銅は、約10種類の酵素の活性中心に存在して、エネルギー生成や鉄代謝、細胞外マトリクスの成熟、神経伝達物質の産生、活性酸素除去などに関与しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「発達の伴歩」のタイトルで連載コラムを始めるに当たって初めに考えたことは「伴歩」の読み方でした。「伴歩」の発想から書いていくと、これは伴走の走ることを「歩く」「歩み」に変えて、ゆっくりと着実に進んでいくという意味合いを持たせることでした。

「伴」の読み方は「ばん」と「はん」があります。伴侶や同伴では「はん」と読みますが、元の考えは一緒に寄り添って走る伴走からきているので、すぐに「ばん」に落ち着きました。

「歩」は歩くという意味だけなら、歩行や徒歩の読み方の「ほ」でもよいかもしれないものの、ただ歩くというのでなくて、初めの一歩、進歩、独立独歩といった言葉の「歩」の言い合いもあります。

そこで伴歩は「ばんぽ」という読み方に統一することにしました。

このほかに歩合や歩留まり、歩が悪いというように歩は「ぶ」と読むことがあっても、この意味合いは特には意識していないので、初めから議論に加えることはありませんでした。

「伴」は人偏に半と書くことから、「半人前」ではないかと言われることもあるものの、「ともなう」「つれ」といった意味合いがあります。半は二つに分けられることを指していて、別れていた(半分)もの(人)が一つになることを意味するのが「伴」です。

「歩」は止と少の組み合わせとのことで、止まることを少なくするのが「歩」に込められていると説明されることがあります。これは当て付けのようなもので、旧字体では右側の「ヽ」はなかったのですが、新字体になるときに字のバランスから付けられたもので、「少」とは関係がありません。

伴歩には、一緒になって進んでいくという意味合いがあり、それを掲げて支援の活動に取り組んでいきたいという思いが込められています。
〔発達の伴歩:小林正人〕

「カレーの日」全日本カレー工業協同組合が、1982年1月22日に全国学校栄養士協議会が統一メニューとしてカレーを提供したことにちなんで制定。

毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

徳川家康から学ぶべきこととして、よく例に出されることといえば、「人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くがごとし」という言葉です。

これは遺訓として伝えられていて、いかにも家康の“寡黙な苦労人”というイメージと合致していて、早く到着することではなくて、着実に一歩ずつ進むことの重要性を伝えるのに相応しい内容と感じさせてくれます。

しかし、実際の遺訓は、これよりも長いもので、以下のようなものであったと伝えられています。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし、心に望起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。勝事ばかり知りて、負くる事をしらざれば、害其身にいたる。己を責て人を責むるな。及ばざるは過たるより勝れり」

読みやすいように句読点を加えましたが、それでも読みにくいかと思います。

この遺訓だと信じられている言葉は、最近の研究で後世の創作であったことが明らかにされています。

その研究の結果については次回(日々邁進23)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

田中角栄さんの目白の私邸に出入りするようになったのは、地元の後援者であった高校の同級生の父親を私邸に案内したのがきっかけでしたが、それが田中邸の錦鯉の世話係をアルバイトで定期的にやらせてもらうようになるのには、もう一人の「井戸を掘った人」が登場します。

それは私の叔父(母親の姉の配偶者)で、新潟県の公務員として錦鯉センターの所長を務めていました。

それは私が高校生のときで、時間さえあれば通って錦鯉について教えてもらっていました。

新潟県の小千谷地域は錦鯉発祥の地で、それについて知っておくことは、いつか東京で役立つこともあるだろう程度の感覚ではあったものの、それがいきなり田中邸で役立つことになるとは思ってもいなかった(というか超ラッキーな)ことでした。

初めて田中邸に行ったときに、庭に出て、錦鯉が泳ぐ池を見せてもらいました。案内したのは秘書で、前回(金言の真理89)書いた総理大臣の中国訪問に同行した秘書と同じ方です。

総理大臣になったお祝いもあって、多くの錦鯉が贈られて、それが混雑と感じるほど数多く泳いでいました。テレビで見たときよりも、明らかに多くなっていました。

「元気がなくなったようだ」との話をされたときに、数が多すぎることを言う人は多いようですが、私が話したのは「水がきれいすぎる」ということでした。

錦鯉は澄んだ水の中を泳いでいるという印象が抱かれがちです。それはイメージであって、他の鯉と同じように泥の中でも棲めるし、少し濁ったくらいの水のほうが元気に活動できます。

錦鯉は鮮やかな色を示す意味もあって、きれいすぎる水になりがちです。そのために水を多くすることから、水道水を使うこともあります。水道水よりも井戸水のほうがよいといっても、井戸を掘っても水が出にくい高台です。

その話を聞いたときに、「そんなのは簡単では」と口から出てしまいました。

毎日のように選挙区から来客があって、クルマで来る人も多いのだから、途中で錦鯉を育てている井戸水を汲んで運んでもらえばよいのでは、という話をさせてもらいました。

そのときのことを後に、「井戸を掘って、よい水を提供してくれる人のことを忘れない」という表現で関係者に伝えました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

やや教育的にはなりますが、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害の対応の基本的なところを記しています。

◎自閉症スペクトラム障害
幼児期に診断された場合には、個別や小さな集団での療育を受けることによってコミュニケーションの発達を促し、適応力を伸ばすことが期待できます。また、療育を経験することによって、新しい場面に対する不安が減り、集団活動に参加する意欲が高まります。

言葉によるコミュニケーションに頼りすぎず、視覚的な手がかりを増やすなどの環境面の工夫をすれば、子どもの不安が減り、気持ちが安定し、パニックが少なくなることが期待できます。

幼児期から成人期を通して、身近にいる親などが本人の特性を理解していることがとても重要です。それによって本人が安心するだけではなく、親から教師、上司などに対して特性を伝えることによって、本人にふさわしい学校や職場環境が整い、支援の輪が広がっていきます。

◎注意欠陥・多動性障害
幼児期や児童期に診断された場合には、行動変動や生活環境の調整が行われることが多くなっています。生活環境の調整としては、勉強などに集中しないといけないときには本人の好きな遊び道具を片づけ、テレビを消すなど、集中を妨げる刺激をできるだけ周囲からなくすことが重要です。

また、集中しないといけない時間は短めに、一度にこなさなければいけない量は少なめに設定して、休憩をとるタイミングをあらかじめ決めておくことも効果的です。

自閉症スペクトラム障害と同様に、親をはじめとする家族が注意欠陥・多動性障害に対する知識や理解を深め、本人の特性を理解することが、本人の自尊心を低下させることを防ぎ、自分を信じ、勉強や作業、社会生活への意欲を高めることにつながります。

◎学習障害
学習障害の子どもに対しては、教育的な支援が重要になります。読むことが困難な場合は大きな文字で書かれた文章を指でなぞりながら読んだり、書くことが困難な場合は大きなマス目のノートを使ったり計算が困難な場合は絵を使って視覚化するなどのそれぞれに応じた工夫が必要です。

親と学校とが、子どもにある困難さを正しく理解し、決して子どもの怠慢さのせいにしないで、適切な支援の方法について情報を共通することが大事です。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕