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日本肥満学会は、新たな症候群の対策として体重を増やすことを主とした発表を行いました。

それは「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題」で、これまでの体脂肪を減らすメタボリックシンドローム対策とは逆という印象があります。

その発表の中から、背景の「日本の女性における低体重者の現状とライフコースへの影響」を紹介します。

〔日本の女性における低体重者の現状とライフコースへの影響〕
日本人女性における低体重は、特に20代で顕著となっており、先進国の中でも割合が特に高いことが知られています。

低体重の割合は1980年頃には10%を超える程度でしたが、それ以後は増加して、1990年代以降は20代の20〜25%程度が低体重に該当する状態が続いています。

さまざまな研究から、日本人女性における肥満認知や理想体重の設定が過度に低く、やせ願望を持つ傾向が実際にあることが明らかになっています。

例えば、低体重の若年女性において、肥満だと感じる体格はBMIが20.5kg/㎡と極めて低くなっていて、体重に対する厳格な認知やボディイメージの歪みがあることが示唆されています。

こうした低体重は、意図的な摂取制限によって生じる場合がある一方で、低体重者の約40%にはダイエット経験がなく、体質的にやせている人も多く含まれている可能性も明らかとなっています。

若年期における過度の低体重や低栄養は、骨の成長や生殖機能の発達といった重要な身体機能に加えて、その後のライフコース全体に影響を及ぼす可能性があります。

例えば、最大骨量獲得期における骨形成の阻害は、将来の骨粗鬆症リスク上昇につながります。また、極端な体重減少や低栄養は、月経周期異常や不妊を引き起こす可能性があります。

加えて、栄養欠乏が持続すれば、微量元素やビタミン不足による多様な健康障害や、代謝異常を引き起こします。

さらに、高齢に至らなくとも筋力・筋肉量が減少して、将来のサルコペニアへの進展リスクが増加する恐れもあります。

これらの問題が若年者に生じることは、中長期的な生活の質(QOL)の低下や老年期のフレイルリスク増大を含めて、人生の各ステージにおける健康に影響を及ぼすことに加えて、次世代の健康をも損なう可能性があります。

そのため、早期からの適切なアプローチと予防が不可欠となっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「駒ヶ根ソースかつ丼の日」駒ヶ根ソースかつ丼会が、結成の1993年4月27日にちなんで制定。

毎月27日:「ツナの日」

老舗というと一般には創業・設立から50年から100年を超えた企業や店舗を指しています。ところが、京都人の感覚では100年では、まだまだ老舗とは呼べない、「50年を超えたくらいで老舗と言えるのか」ということが言われます。

これは京都を特集するテレビ番組や雑誌記事では定番のネタで、200年を超えた店舗の名前が次々とあげられていきます。

京都は古い寺院も数多くあり(広隆寺は600年超え)、伝統がある店舗も軒並みで、長い歴史を示す言い回しの「先の戦さ」は太平洋戦争(今から80年前)ではなくて、応仁の乱(1467〜1477年)を指しているとのことです。

応仁の乱では、京都の市街地がほぼ全焼して、京都旅行で訪れる神社仏閣などのほとんどは応仁乱ののちに再建されたものです。

また、「この間の戦争」というと蛤御門の変を指していて、この元治元年(1864年)の大火によって北は丸太町通、南は七条通、東は寺町、西は東堀川までの、現在の中京区と下京区のほとんどが焼失しました。

これを前提とするなら、京都の老舗は160年ほどの歴史ということになります。

ところが、それを超える老舗は数多くあります。

蛤御門の変から4年後には明治元年(1868年)となっていますが、東京に遷都したのは、京都の中心地が新政府の立地に向かないこと、大都市を支えるだけの開発に一から取り組むのは難しいと考えられたこともあります。

平安京から幕末までの約1100年間、政治と文化の中心地だった京都は、明治時代になってから古き良き京都の姿を残す、いわば“巨大なテーマパーク”を目指すことになり、それは今も継続されていると考えられています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害児と発達障害者の支援は、連続しています。法律的には発達障害児は18歳未満、発達障害者は18歳以上で、年齢が続いているだけでなくて、発達障害であることがわかった子どもの特性は、現れ方の強弱はあっても一生涯続きます。

だから、支援も連続させる必要があるのですが、発達障害の支援というと、どうしても子どもが中心になりがちです。

支援施設も発達障害児のためのもので、成人以降は同年代からの支援も期待されます。

さすがに発達障害児の支援を同年代に求めるのは無理があるとしても、30代、40代と進み、高齢者になっても継続するので、高齢者の気持ちがわかる同世代の支援というのはあってよいはずです。

気持ちだけでなく、高齢者は心身の特性があり、認知的にも低下が起こりやすくなっています。それに発達障害が加わっていると、今よりも多くの支援が必要です。

とはいえ、これまでは高齢者に対して高齢者の支援を求めることは、まるで老老介護の支援版というイメージがあって、あまり語られることはありませんでした。

しかし、高齢者の定義への見直しの気運が高まっていることから、65歳以上でも元気な人であれば支える側の人材となってきています。

これは日本老年学会と日本老年医学会が共同で「高齢者は75歳以上、74歳までは支えられる側ではなく支える側」といった提言をしたのが始まりです。今の定義では65〜74歳は前期高齢者と分類されていますが、提言では75歳以上が高齢者で、65〜74歳は准高齢者と位置づけています。

提言当時の両学会の理事長は、私が支援していた別の学会の初代理事長でもあった関係から、いち早く提言の内容を知り、それを他の医学系学会でも活かす方法を探ってきました。

東京から岡山に移住して、高齢者の支援から発達障害児・発達障害者の支援に活動を移してきて、自分が支える側の年齢になってみて、元気な“准高齢者”の経験と知識を社会に活かしてほしいとの思いから、児童発達サポーターの育成に加わってほしいとの願いをもっての活動をしています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

資格認定を進めるために、連携先を探し、よいパートナーとなってもらうために、その企業や団体の仕事を手伝うことがあるのですが、実際には「腐った鯛」だったということもあり、今後はそのようなことがないように、との自戒を含めて「腐ってもタイアップ」を講習の機会で使うこともあります。

日本メディカルダイエット支援機構は、メディカルダイエットを冠した資格認定ができる団体という利点を活かした講習を実施してきました。

基本的にはダイエットに関わる講習での認定としているのですが、中にはメディカルダイエット美容インストラクターとかメディカルダイエット若返り指導士という名称での依頼をされたこともあります。

せめてメディカルダイエットサプリメントアドバイザーとかメディカルダイエットスポーツインストラクターというメディカルダイエットの知識が活かせるものであればよかったのですが。

これまでメディカルダイエットを冠した資格認定講習で300人以上に認定をしてきましたが、これはタイアップの意味合いで始めたものです。

東京のエステ関係の商材を扱う会社が取引先のエステティシャンに正しいダイエット知識を広めたい、そして正しい知識のもとによい商品を選んで使ってほしいという要望があって、お互いに普及につながるということでスタートしました。

日本メディカルダイエット支援機構の資格認定講習は3段階方式(初級、中級、上級)を特徴としていて、上位資格者が下位講習を主催して講師を務められる仕組みを採用しています。それを実施する予定でしたが、中級で終わりました。

というのは、中級資格者が初級講習で教えられるということで、1社から1人だけが受講して他のエステティシャンには中級認定者が初級講習をすれば、時間も講習費も節約できます。

講習費としては経費を除いた半分が講師の収益で、残りをタイアップ先と当方での折半という形だったので、講習費は安くて済みます。

その代わり中級認定者は講習をしなければならないわけですが、講習テキストを使って教えること、資格認定試験を実施して合格することが条件であったので、テキストを渡して読ませるだけ、試験問題は複数で考えて合格点が得られればよいということもできました。

実際には、知識の普及ができたのかもわからないまま、取引先のすべてに資格認定ができたということで、急に受講者が減ってしまいました。

受講者の募集も、試験の採点も任せてほしいというタイアップは、結局は「腐ってもタイアップ」ではなくて、「腐ったタイアップ」と言われても仕方がない状況になってしまいました。

その反省と、これからは素敵なタイアップをしていくという覚悟をもって、あえて「腐ってもタイアップ」という言葉を使い、そうならないことを望んでいる意志を伝えています。
〔小林正人〕

「よい風呂の日」日本入浴協会が、よい(4)ふ(2)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「わらびもちの日」井村屋グループが、ワラビの旬が始まる4月、ぷるぷる感のぷ(2)る(6)の語呂合わせで制定。

毎月26日:「風呂の日」(東京ガス)、「プルーンの日」(サンスウィート・インターナショナル日本支社)

京都の言い回しとして、あまりに有名になっているのは「元気なお子さんやね」という言葉です。

同じ言葉であっても、口調や語気などによって意味が異なることはあるのですが、この「元気なお子さんやね」だけは、どんなイントネーションであっても意味合いは同じです。

少なくとも元気であることを褒めているわけではなくて、元気ということは何を言われているのかを察する気持ち(配慮、能力)がないと、なかなか京都の方と親しく付き合っていくのは難しいだろうなと感じます。

大人が向かい合って話をしていて、そこに近所の子ども、他人の子どもの声が聞こえてきても、それについて「元気なお子さんやね」とは言いません。

ところが、連れてきた子どもが騒いでいたり、話し声が大きいといったときに「元気なお子さんやね」と言われたら、これは「うるさい」「静かにさせろ」という意味です。すぐに対応をしないと、それ以降の会話が成立しない、関係性も崩れるということにもなりかねません。

これは子どもに限ったことではなくて、一緒にきた大人がいるときに「元気な人ですね」と言われたら、これも「やかましい」という意味になります。

「元気な人ですねぇ」と語尾を強調されたら、これは「やかましい」を通り越して、「うっとうしい」という意味になり、注意の対象となった人を退席させるようにしないと、対話の相手が退席することにもなります。

実際に京都で、そのようなシーンを体験した人がいて、「なんで急に出ていったのだろう」と疑問に思ったことを話してくれました。そのときに確認したのが「元気な人ですねぇ」と言われなかったか、ということでした。

まさに「元気な人ですねぇ」と言われたとのことで、その理由を説明させてもらいました。元気な人の対象者は、私から見ても“くどい”話し方をする人で、相手によって連れていく人を代えるように伝えました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

〔2026/4/25〕」
浄土真宗の「正信念仏偈」について写経のように書き写しているものと、自分なりに納得している解釈を記しておきます。

「正信念仏偈」

帰命無量寿如来    無量寿如来に帰命し、
南無不可思議光    不可思議光に南無したてまつる。

法蔵菩薩因位時    法蔵菩薩因位の時、
在世自在王仏所    世自在王仏の所に在して
覩見諸物浄土因    諸物浄土の因、
国土人天之善悪    国土・人天之善悪を覩見し、
建立無上殊勝願    無上殊勝の願を建立し、
超発希有大弘誓    希有の大弘誓を超発せり、
五劫思惟之摂受    五劫に之を思惟して摂受す。

重誓名声聞十方    重ねて誓うらくは「名声十方に聞えん」と。

普放無量無辺光    普く無量・無辺光、
無碍無対光炎王    無碍・無対・光炎王、
清浄歓喜智慧光    清浄・歓喜・智慧光、
不断難思無称光    不断・難思・無称光、
超日月光照塵刹    超日月光を放ちて塵刹を照らす、
一切群生蒙光照    一切の群生、光照を蒙る。

本願名号正定業    本願の名号は正定の業なり、
至心信楽願為因    至心信楽の願を因と為す、
成等覚証大涅槃    等覚を成り大涅槃を証することは、
必至滅度願成就    必至滅度の願、成就すればなり。

如来所以興出世    如来世に興出したまう所以は、
唯説弥陀本願海    唯弥陀の本願海を説かんとなり。

五濁悪時群生海    五濁悪時の群生海、
応信如来如実言    応に如来如実の言を信ずべし。

能発一念喜愛心    能く一念喜愛の心を発せば、
不断煩悩得涅槃    煩悩を断ぜずして涅槃を得、
凡聖逆謗斉廻入    凡・聖・逆・謗斉して廻入すれば、
如衆水入海一味    衆水の海に入りて一味なるが如し。

摂取心光常照護    摂取の心光は常に照護したまう、
巳能雖破無明闇    巳に能く無明の闇を破すと雖も、
貪愛瞋憎之雲霧    貪愛・瞋憎の雲霧、
常覆真実信心天    常に真実信心の天を覆えり、
譬如日光覆雲霧    譬えば日光の雲霧に覆われども、
雲霧之下明無闇    雲霧の下明らかにして闇無きが如し。

獲信見敬大慶喜    信を獲て見て敬い大いに慶喜すれば、
即横超截五悪趣    即ち横に五悪趣を超截す。

一切善悪凡夫人    一切善悪の凡夫人、
聞信如来弘誓願    如来の弘誓願を聞信すれば、
仏言広大勝解者    仏は広大勝解の者と言い、
是人名分陀利華    是の人を分陀利華と名く。

弥陀仏本願念仏    弥陀仏の本願念仏は、
邪見驕慢悪衆生    邪見・驕慢の悪衆生、
信楽受持甚以難    信楽受持すること甚だ以て難し、
難中之難無過斯    難の中の難斯に過ぎたるはなし。

印度西天之論家    印度西天の論家、
中夏日域之高僧    中夏・日域の高僧、
顕大聖興世正意    大聖興世の正意を顕し、
明如来本誓応機    如来の本誓、機に応ずることを明す。

釈迦如来楞伽山    釈迦如来楞伽山にして、
為衆告命南天竺    衆の為に告命したまわく、「南天竺に、
龍樹大士出於世    龍樹大士、世に出でて、
悉能摧破有無見    悉く能く有無の見を摧破し、
宣説大乗無上法    大乗無上の法を宣説し、
証歓喜地生安楽    歓喜地を証して安楽に生ぜん」と。

顕示難行陸路苦    難行の陸路の苦しきことを顕示し、
信楽易行水道楽    易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう。

憶念弥陀仏本願    「弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然即時入必定    自然に即の時必定に入る、
唯能常称如来号    唯能く常に如来の号を称じて、
応報大悲弘誓恩    大悲弘誓の恩を報ず応し」といえり。

天親菩薩造論説    天親菩薩は論を造りて説かく、
帰命無碍光如来    「無碍光如来に帰命したてまつる」と。

依修多羅顕真実    修多羅に依りて真実を顕し、
光闡横超大誓願    横超の大誓願を光闡し、
広由本願力廻向    広く本願力の廻向に由りて、
為度群生彰一心    群生を度せんが為に一心を彰したまう。

帰入功徳大宝海    「功徳の大宝海に帰入すれば、
必獲入大会衆数    必ず大会衆の数に入ることを獲、
得至蓮華蔵世界    蓮華蔵世界に至ることを得れば、
即証真如法性身    即ち真如法性の身を証せしむ、
遊煩悩林現神通    煩悩の林に遊びて神通を現じ、
入生死薗示応化    生死の薗に入りて応化を示す」といえり。

本師曇鸞梁天子    本師曇鸞は梁の天子、
常向鸞処菩薩礼    常に鸞の処に向いて「菩薩」と礼した舞えり。

三蔵流支授浄教    三蔵流支、浄教を授けしかば、
梵焼仙経帰楽邦    仙経を梵焼して楽邦に帰したまいき。

天親菩薩論註解    天親菩薩の論を註解して、
報土因果顕誓願    「報土の因果は誓願なり」と顕したまう。

往還廻向由他力    「往還の廻向は他力に由る、
正定之因唯信心    正定之因は唯信心なり。

惑染凡夫信心発    惑染の凡夫、信心を発しぬれば、
証知生死即涅槃    生死即ち涅槃なりと証知せしむ、
必至無量光明土    必ず無量光明土に至れば、
諸有衆生皆普化    諸有の衆生、皆普く化す」といえり。

道綽決聖道難証    道綽は聖道の証し難しきことを決し、
唯明浄土可通入    唯浄土の通入す可きことを明す。

万善自力貶懃修    万善の自力、懃修を貶し、
円満徳号勧専称    円満の徳号、専称を勧む。

三不三信誨慇懃    「三不・三信の誨、慇懃にして、
像末法滅同悲引    像・末・法滅同じく悲引したまう、
一生造悪値弘誓    一生悪を造れども弘誓に値いぬれば、
至安養界証妙果    安養界に至りて妙果を証せしむ」といえり。

善導独明仏正意    善導独、仏の正意を明かにし、
矜哀定散与逆悪    定散と逆悪とを矜持して、
光明名号顕因縁    光明・名号の因縁を顕したまう。

開入本願大智海    「本願の大智海に開入すれば、
行者正受金剛心    行者正しく金剛心を受け、
慶喜一念相応後    慶喜一念相応の後、
与韋提等獲三忍    韋提と等しく三忍を獲、
即証法性之常楽    即ち法性之常楽を証せしむ」といえり。

源信広開一代教    源信広く一代の教を開きて、
偏帰安養勧一切    偏に安養に帰して一切を勧む。

専雑執心判浅深    専・雑の執心に浅・深を判じ、
報化二土正弁立    報・化二土正しく弁立したまう。

極重悪人唯称仏    「極重の悪人は唯仏を称すべし、
我亦在彼摂取中    我も亦の彼の摂取の中に在れども、
煩悩障眼雖不見    煩悩、眼を障えて見たてまつらずと雖も、
大悲無倦常照我    大悲倦きこと無くして常に我を照したまう」といえり。

本師源空明仏教    本師源空は仏教に明かにして、
憐愍善悪凡夫人    善・悪の凡夫人を憐愍し、
真宗教証興片州    真宗の教・証を片州に興し、
選択本願弘悪世    選択本願を悪世に弘めたまう。

還来生死輪転家    「生死輪転の家に還来することは、
決以疑情為所止    決するに疑情を以て所止と為す、
速入寂静無為楽    速に寂静無為の楽に入ることは、
必以信心為能入    必ず信心を以て能入と為す」といえり。

弘経大士師師等    弘経の大士・宗師等、
拯済無辺極濁悪    無辺の極濁悪を拯済したまう。

道俗時衆共同心    道・俗・時衆、共に同心に、
唯可信斯高僧説    唯斯の高僧の説を信ず可し。

「正信念仏偈」は、「7文字×120行=840文字」なので、いつもより長く書くことになっています。

仏教の2500年の歴史の理解のために親鸞聖人が書かれ、今も伝えられる文字(漢字)であることから、より親鸞聖人を近くに感じられるものとして、記録として残る形でアップしました。

左側は、いつも打っていて慣れているものの(「正信念仏偈」の漢字)だったので、それほど時間はかからなかったのですが、右側の文は今回初めて打ち込んでみたので、思いの外、時間がかかりました。

時間がかかるほど、集中し続けることの困難さ、というべきか、集中し続けることの大切さを改めて実感するよい機会となりました。
〔小林正人〕

「失語症の日」日本失語症協議会が、し(4)つ(2)ご(5)の語呂合わせで制定。

「しあわせニッコリ食で健康長寿の日」キューサイが、100歳まで楽しく歩こうプロジェクトを推進して、しあわせ(4)ニッコリ(25)の語呂合わせで制定。

「小児がんゴールドリボンの日」ゴールドリボンネットワークが、しょう(4)に(2)ゴールドリボン(5)の語呂合わせで制定。

毎月25日:「プリンの日」(オハヨー乳業)、「歯茎の日」(佐藤製薬)、「いたわり肌の日」(ライオン)

京都の“いけず”を疑い始めたら、「まったく逆の意味で言っていることも頭に置いておかないと付き合っていけない」と言われることがあります。

それは言い過ぎではないかと思われる反面、確かに当たっていると感じることもあります。

逆の意味で使われると思われてしまうのは、京都特有の歴史背景があり、とにかく敵を作らないように曖昧な表現をすることが一つにはあります。

曖昧であれば、その言葉を聞いた人の感覚で済ませることもあるのでしょうが、褒めているような表現であると、曖昧が通じないことがあります。

ファッションや趣味、恋人選びまで、さまざまなシーンで使われる「お似合いですね」は、もの凄く似合っているということはなくても、少なくとも似合っていないとは思っていないというように受け取るのが普通の感覚です。

ところが、本音で京都の方と付き合えるようになると、「お似合いですね」と言った相手について、「似合っていない」との評価の言葉を聞くことがあります。

「お似合いですね」と「似合いますなあ」は同じ感覚で使われている言葉なのかと思っていたら、「似合いますなあ」は「はずかしい格好」という意味で使われていたこともありました。

その似合っていると感じさせるような言葉づかいに、「いい時計してますね」があります。これは似合っていない派手な腕時計をしているとか、身分に不相応な高級腕時計という意味だけではありません。

いい時計だと言われたら、思わず腕時計に目が行くはずで、腕時計に目が行けば時間の経過もわかります。

ということで、「いい時計してますね」は「話が長い」「もう帰ったらどうか」というときに使われるということを聞いたときには、裏を読むことの大変さを感じたものです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕