「プチクマの日」ブルボンが、プチシリーズのキャラクターのプチクマが登場した2011年6月24日にちなんで制定。
毎月24日:「ブルボン・プチの日」(ブルボン)、「削り節の日」(東京削節類卸協同組合)
「プチクマの日」ブルボンが、プチシリーズのキャラクターのプチクマが登場した2011年6月24日にちなんで制定。
毎月24日:「ブルボン・プチの日」(ブルボン)、「削り節の日」(東京削節類卸協同組合)
公益活動といえば、阪神・淡路大震災(1995年)をきっかけにして発足したNPO法人(正式には特定非営利活動法人)制度が主なものという時代がありました。
阪神・淡路大震災の緊急対応から、その後の復興まで全国から多数のボランティアが駆けつけ、自治体などによる支援に加えて、それぞれが得意とする分野での市民活動を始めていました。
ところが、当時はボランティア団体などの市民活動グループが法人格を取得するのは非常にハードルが高くて、公的活動のための銀行口座の開設や物件の賃貸契約などに大きな支障が出ていました。
この状況を改善するために市民団体のみならず、経済界などからも市民活動の法整備を求める声が高まり、特定非営利活動促進法(通称:NPO法)が1998年12月1日に施行されました。
これによって、市民が社会貢献活動を円滑に行いやすい環境が整っていきました。
NPO法人の本丸(活動支援の中心)は内閣府でした。
当時の内閣府には正面入口から見えるところに「NPO室」があり、内閣府認証のNPO法人は、このNPO室が窓口となっていました。
これを所管する部署の担当(審議官)が厚生労働省でお世話になった方の一人であったことから、NPO法人に関わる仕事もさせてもらいました。また、新たにNPO法人を設立したいという方々の支援もしてきました。
そのために、私が代表を務めるNPO法人の設立は遅れに遅れて2008年12月になってしまいました。これはNPO法人の認証が内閣府から都道府県に移るタイミングの少し前でした。
これを境に、事務所が県境をまたぐ2か所以上にあるNPO法人は都道府県の認証となり、1か所だけのNPO法人は市町村という身近な自治体の認証となっています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕
無知という話とは最も遠い存在と一般に認識されているのは医師です。あえて“一般に”と書いたのは、そうでもない存在もいれば、むしろ“無知”そのものと指摘されても仕方がないこともあるからです。
医師になるための教育機関(大学の医学部)の中で栄養学講座があるのは3分の1以下で、講座があっても選択科目(必修ではない)で、その内容は栄養不足によって発症する疾患についての講義がほとんどです。
このことは、これまでにも日々邁進や、その前の日々修行の中でも触れてきましたが、私たちが知りたい栄養摂取による健康増進については学ぶ機会がないのが事実です。
これは栄養指導に関する保険点数の条件が影響しているからで、保険点数がつくのは医療機関の管理栄養士による栄養指導が行われた場合に限られています。
医師が栄養指導をしても保険点数がつかないことが医師の学習意欲を低下させ、それが医学教育の中でも重視されていない原因になっていることが指摘されています。
この制度の設立に動いたのは国立病院出身の管理栄養士で、私が主任研究員として身近に臨床栄養について学ばせてもらった病院栄養管理の研究所の所長でした。
治療食に詳しい管理栄養士が栄養指導を行うのは栄養管理の専門家には、よい制度であったものの、栄養学の基本を知らない医師がいること、食と健康に関する情報が溢れかえっていて、何を信じればよいのかわからなくなりつつある今の時代に合っているのかというと、疑問のほうが大きくなっています。
医師の中には、卒業後に本当に勉強をしてきて、栄養と医療を合致させて的確なアドバイスをしてくれる方もいます。東京にいたときには、そのような臨床栄養や予防医学などの学会のトップランクにいる医師とも付き合ってきました。
それとは対局の医師もいて、知らないことを患者に知られると医療行為そのものの信頼にも関わるということから、「知らないのに知っているふり」する医師も少なからずいます。
そんな医師のアドバイスを端から(はなから=初めから)信じていたら、どのような結果になるのか、その想像がつけば、見知っている医師の見抜き方が健康維持の重要ポイントであることはわかることです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
食が細くなったために充分な栄養が摂れなくなったとき、食事の好き嫌いや感覚過敏によって食べられない食品があるために栄養素不足になっているときに、サポート役として活用できるものとして栄養補助食品をすすめることがあります。
栄養補助食品は通常の食事で不足する栄養素を補うものを指していますが、これはアメリカではダイエタリー・サプリメントと呼ばれています。ダイエタリー(dietary)は食事や栄養に関連したことを意味する形容詞で、「食事上の」「食事による」と訳されています。サプリメント(supplement)は補助、補充、補給を意味しています。
不足している栄養素を的確に知って、それだけを補うものとしては錠剤やカプセルなどの形状をしている“いわゆるサプリメント”があげられます。これに対して、一定の栄養素が全体的に含まれている食品の形状をしているものが栄養補助食品に分けられます。
その栄養補助食品の代表的なものとされているのがカロリーメイトです。なぜ代表的なのかというと、「これだけで数日間は生きていける」と言われるほど栄養バランスが取れているからです。
カロリーメイトは1983年にリキッドタイプ(濃厚な液体)として登場しましたが、これは医療機関で使われていた経口濃厚流動食の栄養内容を半分ほどの濃さにしたものです。経口濃厚流動食の原材料は食品そのもので、6本で1日に必要な栄養素が取れるように設計されています。
リキッドタイプのカロリーメイトは1本が200kcalで、1日の最低限のエネルギー量を摂るためには6本を飲む必要がありました。
ブロックタイプのカロリーメイトは、1ブロックが100kcalで、1箱(4本入り)では400kcalとなっています。価格はリキッドタイプ1本もブロックタイプ1箱も同じなので(販売店によって値下げ率が違っていますが)、ブロックタイプのほうが得だということになります。
どれくらいの栄養量なのかというと、ブロックタイプのバニラ味を例にするとエネルギー量が400kcalで、糖質が165kcal、脂質が200kcal、たんぱく質が35kcalとなっています。この1箱分で、1日に必要なビタミン、ミネラルの3分の1が摂取できる計算となっています。
最近はマーガリンの使用を気にする人が増えていますが、カロリーメイトではバニラ味、メイプル味、チョコレート味にはマーガリンは使用されていません。
〔小林正人〕
「オリンピックデー」国際オリンピック委員会が1894年の6月23日にパリで創立したことを記念して制定。
毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)
“適当”という言葉は、一般には“いいかげん”という意味合いで捉えられていて、おざなり、無責任、投げやりという好ましくない行動の意味で使われています。
これは一つの意味であって、他に、うまく当てはまっている、ちょうどいい程度という意味もあります。「適して当然」という漢字そのものの意味で使われることもあります。
どちらの意味合いで使っているのかがわからないと、会話が噛み合わないだけでなく、間違った認識をされて、うまくいくはずだったことが進まなくなり、それこそいいかげんな結果になりかねません。
“いいかげん”のほうは、加減が大事で、ちょうどよい状態を表しています。今ではさじ加減というと、忖度的な使い方をされることが多くて、本来の配合のバランス、よい結果を生み出す調合というほうの意味で使われる機会が減っています。
“好い加減”というのが正しい意味を表す漢字で、これは“適当”と同じ意味合いで使われてもよいはずですが、初めに書いたように、好ましくない“いいかげん”として認識されることが大勢です。
物事は過不足の塩梅(あんばい)が大事で、効果があるものは(医薬品でも健康食品でも)多く摂ればよいというものではありません。もちろん、効果を得るために最低限の量は必要で、その量が確保されてからは使用する人に合わせた分量を探っていくことが必要となります。
これは食事でも運動でも、学習でも発達障害児などの支援でも同じことで、頑張ればよい、頑張って多くをこなせばよいということではありません。その人の状態、そのときの状況などに合わせて増減させていくのが“適当”であり、“好い加減”となります。
この“適当”で“好い加減”にするには、対象となる人について徹底して観察して、変化に対応する心構えが必要ということで、これに該当する話をするときに例として使っている言葉です。
〔小林正人〕
前回の「無知の知」を題材にした日々邁進に続くのが、今回の「知らないままの発言は嘘になる」というお題です。
「無知の知」の対局に位置するのは“聖人”であり、悟っただけではなくて“悟り”を伝えて導いてくれる存在と一般に認識されています。
世に聖人(せいじん)と呼ばれる人は数多く、東洋医学の根源とも言われるインドからチベット、中国、そして東洋の外れ(極東)の日本に至るまで過去から現在まで、ずっと生まれています。
そんな悟った聖人の中でも、他に存在しないと考えられているのは親鸞聖人だということを伝えさせてもらっています。親鸞聖人の場合は“せいじん”ではなく、“しょうにん”と呼ばれます。
どこが他の聖人と違うのかというと、親鸞聖人の悟りは「悟れないことを悟った」ということです。
修行における自身の限界を自覚して、自力では悟りを開くことはできないと完全に諦めることで、阿弥陀仏の“他力本願”による救いに回心(えしん)しました。
親鸞聖人は20年間にわたる比叡山延暦寺での厳しい修業に打ち込みましたが、煩悩や欲望(貪り、怒り、愚かさ)をなくすことができず、「どんなに頑張っても自分は自力で悟ることができない凡夫である」という事実に行き着きました。
貪り(むさぼり)は際限なく欲しがることや、飽きることなく何かを求める状態を指しています。何も食べ物をガツガツと貪り喰らうことだけでなく、それ以外のものでも同じように見えてしまうのでは、欲望のままに生きているのと同じことになります。
自身の限界を認めた親鸞聖人は、自力を捨て去る決断(断つことを決める)をします。
そして、自らの力で迷いから離れられない人、日常の些細な出来事でさえも自己中心的に物事を判断して他者に勝手な期待を押し付けてしまう煩悩にとらわれた人を悪人と呼び、阿弥陀仏が必ず救うと誓った本来の救済の対象であるとする「悪人正機説」に辿り着きました。
悟った人が発する言葉ならよいものの、悟っていない人が悟ったかのように発する言葉を疑いなく受け入れてよいのか、と強く感じることがあり、このようなことを書かせてもらいました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「DHAの日」Umiosが、魚油に含まれるDHAが6つのシス型の二重結合を含む22個の炭素鎖をもつカルボン酸の総称であることから制定。
「かにの日」かに道楽が、かに座の最初の日が6月22日で、かが五十音順の6番目、にが22番目であることから制定。
「ボウリングの日」日本ボウリング場協会が、1861年6月22日の英字新聞にボウリング場が広島にオープンしたとの記事が載ったことにちなんで制定。
毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)
今でこそ一般市民が公益活動を実施するための基盤として、複数の法人の形態があるので、目的や手段によって選択をすることは可能ですが、今から30年ほど前は公益活動をするための法人の選択が極めて限られていました。
その代表的なものは社団法人と財団法人で、そう簡単には設立できない制度上の縛りがありました。社団法人は人を基盤とする制度で、活動内容はもちろんのこと、全国組織であって、会員の数も厳しく定められていました。
財団法人の基盤となるのは活動を推進していくための財産(資金)で、30年前であっても1億円は必要とされていました。これは会社の資本金とは発想が異なっていて、この公益活動のための基本財産は減らすことができないものです。
1円でも下回るようなことがあったら財団法人ではなくなる、取り消されるという制度で、これを知ったら現在の公益財団法人と一般財団法人の制度は、いかに“楽なもの”かということがわかります。
当時は、社団法人も財団法人も選択肢に入らない場合には、収益よりも公益活動を目的とした会社(株式会社、有限会社)を設立するか、もしくは任意団体として活動するという形しかなかった時代でした。
当時は任意団体でも金融機関で口座を開設できたことから、かなりの数の団体が設立されました。社会的意義がある団体であっても、簡単に設立できて簡単に解散できるということで、中途半端な活動で終わってしまう例は、いくらでもありました。
このような状況が一変することになったきっかけは、阪神・淡路大震災(1995年)でした。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕
「無知の知」は古代ギリシャの哲学者ソクラテスが提唱したと伝えられている金言で、「自分は何も知らないということを自覚していることこそが、真の地への第一歩である」という考え方を示しています。
このことは今から50年も前に東洋大学の哲学講座で学んだことです。それを今更ながらという感覚で思い出しているのは、今もって同じことをやっている、それも繰り返している人が多くて、その影響を受けて苦労している人が多すぎるからです。
よく言われることに「バカは死ななきゃ直らない」とか「バカは死んでも直らない」という言葉がありますが、何も知らないことを自覚していないと、たとえ死んだとしても、その影響(ほとんどは悪影響、それを長引く悪影響)を後々まで与えてしまうことになります。
言語学的には「無知の知」ではなく、「不知の知」と表現するのが正しいとの説もあるのですが、これは“不知の知”というよりも“不知の自覚”がしっくりとくる感じです。
どちらを使うにしても、伝えたいのはわかっていないことを認めないことには、思考が停止したままで、邁進は望めないのではないか、ということです。
そんな哲学的なことよりも、心に残って、理解しやすい言葉がテレビドラマの中でキーワードとして使われていました。そのセリフはNHKで放送された法廷ヒューマンドラマ『テミスの不確かな法廷』の中で、松山ケンイチさんが演じる発達障害の特性を抱える裁判官が発しました。
「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」
何がわかっていないのかを自覚しないことには、真相究明のスタートラインにも立てないということで、これは多くの人に意識してもらいたかったことです。
ところが、そのドラマを見て、「面白いことを言うね」で済ませてしまった人がいて、『あなたにこそ理解してほしかった』と心の中で言いたくなりました。
あくまで“心の中”でのことで、それを言っても理解してくれそうもない人が相手では無駄な時間になる(自分にとっても相手にとっても)という感覚で、その場を離れました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕