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会社や団体の行動や判断に影響を与える重要事項が伝えられていなかったら、“自分は聞いていない”と発言するのは当たり前のことです。実際にあったことでは、団体の活動として得ていたはずの収益が、いつの間にか団体の代表者の会社の売上になっていたことを会計書類で初めて知ったことです。

こうなると、「なぜ報告しなかったのか」と詰問するレベルではなくて、団体の存続にも関わることです。そして、誰が団体を辞めるのかという話になり、辞めたのは私でした。

ここまでの大問題ではなくても、会社の出来事を、すべて代表者に報告する必要はなくて、事実を伝えて判断を仰ぐときにだけ話をするというのは普通にあることです。

結果を伝えたときに、その内容が代表者の意向に沿ったものであったときには報告を聞くだけであるのに、意向に沿わないときには「自分は聞いていない!」と言い出す人がいます。

中には、自分がいないときに会議をして進めておくように、と指示をしておきながら、気に入らない結果だったときには、「なぜ自分がいないときに会議をした」と言い出す人もいます。そして、社内の関係者だけでなく、外部の人間にも参加してもらって話をしたことなのに中断になり、外部との関係がおかしくなってしまったという例もありました。

“自分は聞いていない”という状況が、なぜ起こったのか、そのようなことが今後ないようにするには何をすればよいのかということを提示なり提案なりしてくれればよいものの、意向にそぐわないことに怒る、自分の指示したことを忘れたのか、忘れたふりをしているだけなのか、怒るだけで前進しないということもあります。

その外部の人間の一人に私も含まれていて、関係がおかしくなってみると、そして今も改まっていないということを聞くと、早く離れてよかったと感じていることでもあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

宝石の原石を磨けば、その宝石本来の価値を引き出すことができるというのは、人の素質や能力、組織の成長であれば金言(普遍的な言葉)と言うこともできるのですが、実際の宝石の話となると、物理的な性質を知っておかないと、“いくら磨いても本来の価値は得られない”ということにもなります。

その例として、ここで取り上げるのは「非加熱天然石」の存在です。宝石の中には熱に弱いものがあるので、加熱しないのは当たり前という感覚があるかもしれません。しかし、多くの宝石は人工的に加熱処理されています。

それは色や透明度を向上させるための加熱処理で、なぜ加熱処理がされているのかというと、自然な状態で最終製品の宝石と同じ美しさ、輝きがある原石が少ないからです。

そのため、原石が持つ暗さや色むらを高熱処理によって除去して、市場価値を高めるということが行われています。

非加熱天然石は、サンドペーパーや金属ヤスリで研磨されているだけで、原石の状態で品質が高く、自然な状態で美しさが保たれた宝石ということができます。

非加熱(ノンヒート)でも加熱(ヒート)でも見た目は同じような感じで、その違いがわからないと本物の原石であるかを見抜くことができなくなります。実際には光を当てることで反射が異なってくるので、その知識があれば非加熱天然石の判別ができます。その知識も、本物を見ていないと身についていかないことです。

それは原石に例えられる人材でも同じことで、採用や配置などを判断する人の知識と見抜く目(経験や技量)が重要になってくるのです。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

鮭とサーモンは同じものなのか、それとも違う種類なのか、それは本物の専門家であれば間違えることはないはずですが、少なからず間違った発言をする人(専門家?)もいます。

国内の販売店では、北洋で漁獲されたものは鮭、輸入された養殖の鮭はサーモンという使い分けがされています。また、「サーモンは生で食べられる鮭」と認識されることが多いものの、ここに間違いが指摘されています。

サーモンと称されているものの種類名をみるとトラウトサーモンと表示されています。

トラウトサーモンは、淡水魚のニジマスを海水で養殖したものを指します。

鮭は分類ではサケ目サケ科サケ属のサケです。市販されているサーモンはサケ目サケ科サケ属までは一緒なのですが、正式名称は“トラウトサーモン”(trout salmon)で、一般にはマス(鱒)と呼ばれるものです。

この事実を伝えずに、生で食べられるのがサーモンだとPRしている実情があります。

このような混乱が生じた原因は、日本の政府開発援助(海外支援)が背後にはあります。

国際協力機構(JICA)が1969年に、チリに養殖技術を持ち込みました。当時は海外技術協力事業団でしたが、1972年に専門家を派遣して1985年から日本への輸出が始まりました。

そのときの販売促進PRで使われたのが、「生で食べられるのがサーモン」というフレーズでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

貧困のために食べたいものが食べられない、食べさせたいものが与えられないという相対的貧困の子どもの割合は約7人に1人(約14%)にもなっています。また、ひとり親家庭の相対的貧困率は50%を超えています。

貧困のために食べたくても食べられないというのは量の問題があげられがちですが、それ以上に質の問題があります。質というのは、三大エネルギー源(糖質、脂質、たんぱく質)とビタミン、ミネラルの充足を一般には指しています。

発達障害児に限らず、成長過程にある子どもの栄養摂取は身体を作るための栄養成分(三大エネルギー源と同じ成分)が多く必要であるのと同時に、発育や活動のために多くのエネルギーが必要になります。そのエネルギーを作り出すために必要になるのがビタミンとミネラルです。

発達障害児は、極端な偏食が起こりやすく、その対応として不足する栄養素を食べられる食品の中から見つけて、補うようにすることが必要になります。それができていないと、発達・発育のための栄養不足になり、貧困で食べられないのと結果として同じようなことにもなりかねません。

極端な偏食のために食べられないものがあると、なんとかして食事から栄養補給ができるようにしようと考える保護者がいる一方で、子どもが食べたがらないものを無理強いさせるようなことをして嫌われたくない、子どもとの関係を壊したくないと考えて、栄養摂取に力を注がない保護者もいます。

後者のような考え方をする方が出てくるのも、食事の重要性の知識が不足しているフードリテラシーの低さがあるからです。子どもが離乳食のときから食べたがらなかった野菜を食べさせてこなかったという保護者と話をしているときに、最後のほうで「野菜は食べなければならないものですか」と聞かれたことがありました。

30分も時間があれば、講習テキストを用いて必要性を伝えることはできるのですが、そもそもフードリテラシーが低いために一生懸命に学ぼうとするのではなくて、サプリメントや代替食品を求めようとします。親のフードリテラシーの低さが、子どもを貧困状態と同じようにしかねないという実態があることを知ってほしいのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

〔2026/3/12〕
SMLは、今でも「Short、Middle、Long」や「Small、Medium、Large」の3つを並べた大小、長短などを表すサイズ表記の略語として広く認識されています。
それとともに重要な用語として使われるようになり、中でも “M”は融合を表す言葉としてマーケティングの世界で使われていることから、SMLは「SとLの融合」という意味合いで使われるようになっています。

“M=融合”の元となっている言葉は「OMO」で、これは「Online Merges with Offline」(オンラインとオフラインの融合)が由来となっています。
本来は、オンライン(ECやアプリ)とオフライン(実店舗)の垣根をなくしたサービスのことでしたが、今では商品販売の世界を飛び越えて、さまざまな世界へと広がっています。
その場合には、「ONとOFFの融合」(On Merges with Off)と表現されています。
一緒に活動するメンバーは、考え方が一致している人、同じ方向を見ている人であることが必要とされます。
あるメンバーにはONであることも、他のメンバーにはOFFであるというのは普通にあることです。そのONとOFFを上手に組みわせて目的・目標を達成させるための力にしようというのが「ONとOFFの融合」の考え方です。
中核となるメンバーは、既存の上下関係(年齢、役職、資金力、情報力など)を超越した、今の持てる力(ON)を提供し合う関係であることによって、“ONとONの融合”という新たなOMOとなり、それが継続する仕組みを作り上げることになると考えています。

そこから発展した「SとLの融合」は、ShortやSmallはLongやLargeの特徴を組み合わせて、活かすことの重要性を示していて、ShortやSmallは弱い、LongやLargeは強いというような前提(単純に決めつけるようなもの)ではありません。

活動の内容や活動の長さに関係なく、それぞれの特徴を認めて、何を目標にして進めていくのか、そこが重要との考えから、SML(SとLの融合)を社会的メッセージとして掲げていこうとしているのです。
〔小林正人〕

「だがしの日」DAGASHIで世界を笑顔にする会(岡山県瀬戸内市)が、お菓子の神様・菓祖として知られる田道間守公の命日を制定。

「サイズの日」ワコールが、自分の体型にフィットする下着を選んでもらうことを目的にサ(3)イズ(12)の語呂合わせで制定。

「マルサン豆乳の日」マルサンアイが、03(マルサン)12(トウニュウ)の語呂合わせで制定。

毎月12日:「パンの日」(パン食普及協議会)、「育児の日」(神戸新聞社)

テレビの音楽番組の対抗戦で、ともによい歌唱をして、どちらに軍配を上げるか困ってしまうようなことになったときに、ゲストコメンテーターの芸能人(といって出身はアナウンサー)が「どんぐりの背比べ」と言ったときにはビックリしました。

ビックリ顔をしていたのは番組のMCも同じで、「ちょっと表現が違うかも」というコメントを返していましたが、そこは「甲乙つけ難い」だろうとツッコミが入るところです。

「甲乙つけ難い」というのは、実力伯仲、拮抗、一歩も譲らない、鍔(つば)迫り合い、互角の勝負、接戦、肩を並べるといった言葉の言い換えがされるので、これなら意味合いが伝わります。

甲と乙は、どっちが上なのかというと、甲と乙は契約書に使われる当事者の略称で、立場が上のほうが甲、下のほうが乙となるのが一般的です。戦前の学校の成績表では「甲、乙、丙、丁」とランク分けされていました。

しかし、由来としては古代中国で考えられた十干の順番で、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類の呼び名です。どちらが上ということが本来はないので、それこそ「甲乙つけ難い」というのが正しいという感覚です。

これに対して、「どんぐりの背比べ」は、どちらも優位とは言えない、抜きん出ていないということで、平凡で変わりばえがしないという意味で使われるのが本来の形です。

他にたとえると、似たり寄ったり、五十歩百歩、大差ない、どっこいどっこい、目くそ鼻くそという、あまり言われたくない表現になってしまいます。少なくとも、公の場面で使うのには相応しくない言葉です。

こういった用語の使い分けは、アナウンサーなら当たり前に教えられているはずなので、ビックリ顔で見られるのも当然のことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

病院における医師と管理栄養士の関係は、医師の約束食事箋(病院食の食品の種類と栄養成分などの決め事)に従って、管理栄養士が献立を作成して食品の発注をします。調理をするのは調理師の役割です。

入院患者に提供される病院食(病院給食)は、管理栄養士がトップのように見えても、診断に基づいた約束食事箋による指示がなければ動くことができないので、医師がトップに立っている形です。

入院患者に対して栄養指導をするのは管理栄養士の仕事です。では、開業医(診療所)では医師しかいないので栄養指導は医師がするのかというと、医師ができることは一般的な治療食を示すくらいで、具体的な食事内容や食べ方の指導をすることはありません。

絶対にないということではないのですが、医師が栄養指導をしても保険点数の対象にはなりません。栄養指導をして保険点数がつくのは、医療機関の管理栄養士だけという医療保険制度になっているからです。

栄養指導をしなくても栄養知識はあるはずという認識は一般にはあるものの、医師の養成校(大学医学部)の82大学のうち栄養学講座があるのは25校ほどです。

講座があっても選択制で、どこも必修ではありません。しかも栄養不足と疾患の関係について学ぶのがほとんどで、積極的な栄養摂取によって健康になる方法について学んでいるわけではありません。

そこで医師になってから学ぶことになるわけですが、管理栄養士がいて約束食事箋を出す病院でないと、栄養学は学びにくくなっています。

それを改善する役割をしているのは、医師が栄養学を学ぶことができる日本臨床栄養学会です。認定臨床栄養医制度が設けられていて、これを取得するには一定の単位を取得して合格する必要があります。

認定臨床栄養医となるには講習会の受講、学会総会の出席、学術論文の発表での指定単位の取得が義務づけられています。5年ごとに更新する必要があり、3つに加えてインターネット学習も行われます。

医師の栄養知識は、大学で学んでいることは大事ではあっても、その後の学びが重要であるので、認定臨床栄養医であるのかを確認することも安心材料の一つとなります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「いのちの日」災害時医療を考える会が、東日本大震災の発生した日に災害時の体制を考える機会にすることを願って制定。

「おくる防災の日(防災用品を贈る日・送る日)」エールマーケット(LINEヤフーが運営)が、東日本大震災の記憶を忘れずに防災用品の備蓄を目指して制定。

毎月11日:「果物の日」(全国柑橘宣伝協議会、落葉果実宣伝協議会)、「めんの日」(全国製麺協同組合連合会)、「ダブルソフトの日」(山崎製パン)、「ロールちゃんの日」(山崎製パン)

臨機応変というのは、何が起こるかわからない時代には最も適した対応法を表す言葉だと思うのですが、この意味を勘違いして、適した対応ができなかったという例はコロナ禍の厳しい経済状況の中で見られたことです。

臨機応変は、機(事態)に臨んで変化に応じて適当な対処をすることを意味しています。型通りの対応ではなく、前例に合わせるだけでなく、時と場合に合わせた柔軟な対応をすることです。

想定外の感染症被害に限らず、想定をしていなかったことや、いつ収まるかわからない状態に直面したときには、生き残りのために何でもやらなければならなかったはずですが、「前例がないからやらない」とか「やっても困難な状況では成果が期待できない」などといって後手後手になった例も数多く見てきました。

危機的な状況を乗り切るために、「臨機応変に行く」と社員に打ち出した経営者もいました。できることは何でもやってみるという発言に、心強さも感じて頑張ったのに、うまくいかなかったと嘆いて、その会社を辞めた方から話を聞く機会がありました。

臨機応変と言いながらも、打ち出した手が、どれもうまくいかず、もう少し頑張ればよいのにと周りが感じているときに、途中で諦めて新たな方法を始めるといった具合です。

これを経営者は臨機応変の対処と思っていたようですが、会社を去った人に言わせると「行き当たりばったり」でしかなかったということでした。

その場の成り行きに任せて無計画に行動を起こすのが行き当たりばったりです。行動を起こすことはよいとしても無計画であってはいけないのであって、本人は計画があると思っていても、会社の強みや実績、周囲の評価など、どんな状況になったとしても変わらないことを重視しない行動は、一時的にはよい結果であったとしても継続しにくいものです。

その経営者は決断力があると業界でも評判だった方だったのですが、“平時の将”でしかなく、“有事の将”ではなかったようです。

まだ何が起こるかわからない時代には、トラブルにもストレスにも強い“有事の将”が求められるということで、それをリーダーは目指して行動を起こすべきだと強く感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕