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「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンAの耐容上限量の策定方法の「基本的事項」の続きを紹介します。

〔基本的事項〕
*成人・高齢者(耐容上限量)
成人では肝臓へのビタミンAの過剰蓄積による肝臓障害を指標にして、最低健康障害発現量を13500μgRAE/日としました。不確実性因子を5として耐容上限量は2700μgRAE/日としました。

なお、18〜29歳男性では丸め処理を行うと800μgRAE/日となりますが、前後の年齢区分の値(900μgRAE/日)との連続性を勘案して、850μgRAE/日としました。高齢者は、独自の値を設定できるだけの根拠が得られなかったため、成人と同じとしました。

*妊婦・授乳婦(耐容上限量)
妊婦では、ビタミンA過剰摂取による胎児奇形の報告を基に、健康障害非発現量を4500μgRAE/日、不確実性因子を1.5とすると、付加量も含めた耐容上限量は3000μgRAE/日となりますが、成人と同じ2700μgRAE/日を参考とすることが望ましいとされます。

また、授乳婦については、耐容上限量に関するデータがほとんどないことから、妊婦・授乳婦の耐容上限量について、独自の値は設定しないこととしました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンAの過剰摂取の回避の「摂取状況」、耐容上限量の策定方法の「基本的事項」を紹介します。

〔摂取状況〕
過剰摂取による健康障害が報告されているのは、サプリメントを大量に摂取した場合や動物の肝臓を大量に摂取した場合です。

〔基本的事項〕
プロビタミンA(カロテノイド)からのビタミンA(レチノイド)への変換は厳密に調節されており、必要に応じて体内でビタミンAに変換されます。

つまり、カロテノイドを大量に摂取しても過剰症を生じるレベルまでレチノイドに変換されることはありません。過剰症を起こすのは、ビタミンA(レチノイド)だけです。

したがって、ビタミンA(レチノイド)に対してのみ定め、プロビタミンA(カロテノイド)は含めないこととしました。

ビタミンAの過剰摂取による臨床症状について、肝臓障害、骨密度および骨折、脂質代謝、胎児の奇形、乳児では泉門膨隆および頭蓋内圧亢進があげられます。

ここでは、急性過剰症に該当する肝臓障害を回避する目的で、耐容上限量を定めました。

ビタミンAの過剰摂取により、血中レチノール濃度および血中のレチノイン酸濃度が一過性に上昇します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「きのこの日」日本特用林産振興会が、きのこの健康効果の普及のために10月はきのこが最も多く扱われる季節で、その中日の15日を制定。

「すき焼き通の日」すき焼き愛好家のすき焼き連が、すき焼きに関する書籍『すき焼き通』が2008年10月15日に発行されたことから制定。

「九州あご文化の日」九州あご文化推進委員会が、あご(トビウオ)の漁が10月初旬まで続くことと、五十音の初め(1)があ、ご(5)の語呂合わせで制定。

「広島県民米あきろまんの日」JA全農ひろしまが、広島県民米あきろまんが農林水産省に品種登録された1996年10月15日にちなんで制定。

毎月15日:「お菓子の日」(全国菓子工業組合連合会)、「惣菜の日」(日本惣菜協会)

作曲家の米山正夫先生からいただいた「兵隊の靴」という言葉は、今も心に残っていて、これを金言としていいのかという思いはあったのですが、何度も反芻してみると、これは「処世上の手本とすべき内容を持つ優れた言葉」という意味では立派な金言です。

人生に大きな影響を与えるような言葉ではないとしても、この言葉に巡り合ってからというもの、良きにつけ悪きにつけ振り返ってみると“腑に落ちる”ことが何度もありました。

米山先生は、作曲家としては1000曲以上を世に送り出していいますが、作詞家ではないので、作品の中で金言を発する機会は多くはなかったようです。作詞と作曲を同時に手がけた作品もあって、その作詞した内容は、すべて目にする機会がありました。

中には、心に残る言葉もあったのですが、それにも増して「兵隊の靴」が今も残っているのは、米山先生の自宅に音楽関係の新聞のコラム原稿を受け取りに行ったときに渡された1枚の原稿用紙に書かれた「兵隊の靴」という4文字でした。

受け取るつもりだったのは原稿(800〜1000字)であって、そのタイトルだけでしたが、「根幹の言葉さえできれば、あとは時間がかからない」という言葉を信じて、待たせてもらいました。受け取ったのは45分後のことでした。

それは1981年のことであったので、米山先生が69歳、私が26歳の時でした。

そのコラムの内容は、「兵隊の靴は〜」から始まり、最後は「だから兵隊の靴は窮屈だ」で締めくくられていて、その間に他人に合わせることの窮屈さ、それでも合わせなければならない人の心情が綴られていました。

兵隊の靴は、文字通り兵隊が履いている靴という意味があり、たとえとして使われることもあって、その意味するところはサイズが大・中・小くらいにしか分かれていない既製品(レディーメイド)を指しています。

既製品に足が合えばよいものの、合わない靴でも履かないわけにはいかず、きつくても我慢する、大きくても我慢するしかないということで、個人の条件を無視した対応のことを揶揄(やゆ)するときに使われています。

その真理の部分は、次回(金言の真理36)に続きます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

時間をテーマにした文章の中でミニマリズムについて書くと、違和感を抱かれることがあります。ミニマリズム(minimalism)は、「最小限である様子」を意味する「minimal」(ミニマル)と「主義」を意味する「-ism」(イズム)が組み合わされた言葉です。

もともとは1960年代以降の芸術や音楽で「簡素な形や、その反復を用いて、最小限の要素で作品を構成する手法」を指していました。

そこから転じて、「必要最小限のモノしか持たないライフスタイル」を意味するようになりました。

そのようなライフスタイルを実践する人は、ミニマリスト(minimalist)と呼ばれています。

2024年4月1日に一般社団法人全日本ミニマリスト協会が設立されましたが、私は理事を務めています。

ミニマリズムというと、断捨離と混同されることがあります。まったく断捨離と違うということではないものの、無駄なものを捨てればよい、整理すればよいということではありません。

私が全日本ミニマリスト協会の設立を支援して、理事にも加わったのは、余計なものを買わない、持ち込まれても“断る”、最小限もモノ以外は“捨てる”、余計なモノやコトから“離れる”という考えに共感して、その普及に取りかかろうと考えたからです。

断る、捨てる、離れるの漢字を並べると断捨離になるものの、最後の何から離れるかは人によって異なります。

余計なことや集まりなどから離れることで、時間の無駄づかいがなくなります。モノはなくても(少なくても)時間はある、むしろ使える時間を増やしていって、さらに有効に使うことができるようになる、という発想を得ることができました。

ミニマリズムの実践、ミニマリストとしての生き方で得ることができたのは時間でした。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

ビタミンはAから始まってB(B群)、C、D、Eまでは知られた存在ですが、その後はKで、間のF、G、H、I、Jを見ることは少ないはずです。

少ないということは、実際には存在しているということを指す表現として使っています。しかし、この中には初めから存在していないものも入っています。

ビタミンのアルファベットは発見された順に付けられました。発見された当時は化学構造が不明だったために仮の名称として使われていました。

研究が進むにつれて複数のものが発見されて細分類されたものがあり、それがビタミンB群(ビタミンB₁、ビタミンB₂、ビタミンB₆、ビタミンB₁₂)です。

また、研究によってビタミンの定義から外れたものがあり、それが欠番のある理由となっています。

ビタミンFは必須脂肪酸のリノール酸と同じ成分であることがわかり、ビタミンGはビタミンB₂(リボフラビン)であること、ビタミンHはビオチンと同じであることがわかりました。

ビタミンIとビタミンJは、もともと存在していなかったので、これは欠番というよりもビタミンKが登場したことで勘違いされるようになったということです。

というのは、ビタミンKは血液を凝固させる作用がある成分であることから、ドイツ語で凝固を意味する「Koaqulation」の頭文字をとって名付けられました。ビタミンKだけは特別な命名だったのです。

ちなみに、葉酸はビタミンMと呼ばれた時代がありました。ビタミンNはα−リポ酸、ビタミンOはL−カルニチン、ビタミンPはフラボノイド、ビタミンQはユビキノン(コエンザイムQ10)のことであり、これらはビタミンのような働きをするということから、ビタミン様物質と呼ばれています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンAの「目安量の策定方法」を紹介します。

〔目安量の策定方法〕
*乳児(目安量)
日本人の母乳中のレチノール濃度は、液体クロマトグラフィータンデム質量分析(LC-MS/MS)法による精密な法則において、分娩後0〜10日で、1026±398μgRAE/L、11〜30日で418±138μgRAE/L、31〜90日で384±145μgRAE/L、91〜180日で359±219μgRAE/L、180〜270日で267±117μgRAE/Lとなっています。

また、母乳中のβ−カロテン濃度は初乳では高く(分娩後0〜10日目で0.35〜0.70μmol/L(188〜376μg/L))、分娩後約3か月では0.062μmol/L(33μg/L)まで低下していました。

母乳中のビタミンA濃度(初乳を含めた分娩後6か月間の母乳の平均値411μgRAE/L)に基準哺乳量(0.76L/日)を乗じると、母乳栄養児のビタミンA摂取量は320μgRAE/日となるため、300μgRAE/日を0〜5か月児の目安量としました。

6〜11か月児については、0〜5か月児の目安量を体重比の0.75乗で外挿すると、男児が385μgRAE/日、女児が380μgRAE/日となるため、400μgRAE/日を目安量としました。

なお、母乳中のプロビタミンAカロテノイド濃度は、乳児にどのように利用されるか解析されていないので、レチノール活性当量の計算には加えていません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンAの「推定平均必要量、推奨量の策定方法」の続きを紹介します。

〔推定平均必要量、推奨量の策定方法〕
*妊婦の付加量(推定平均必要量、推奨量)
ビタミンAは胎児の発達にとって必須の因子であるものの、体内で合成できず、胎盤を経由して母体から胎児に供給されます。

したがって、妊婦のビタミンA必要量を考えるためには、胎児へのビタミンAの移行蓄積量を付加しなければなりません。

37〜40週の胎児では、肝臓のビタミンA蓄積量は1800μg程度であるので、この時期の体内ビタミンA貯蔵量を肝臓蓄積量の2倍として、3600μgのビタミンAが妊娠期間中に胎児に蓄積されます。

母親のビタミンAの吸収率を70%と仮定して、最後の3か月で、この量のほとんどが蓄積されます。

したがって、初期および中期における付加量を0(ゼロ)として、後期における推定平均必要量の付加量は55.1μgRAE/日を丸め処理を行った60μgRAE/日としました。

後期における推奨量の付加量は個人間の変動係数を20%と見積もり、推定平均必要量の付加量に推奨量算定係数1.4を乗じると77.1μgRAE/日となるため、丸め処理を行って80μgRAE/日としました。

*授乳婦の付加量(推定平均必要量、推奨量)
母乳中に分泌される量(320μgRAE/日)を付加することとして、丸め処理を行って300μgRAE/日を推定平均必要量の付加量としました。

推奨量の付加量は、個人間の変動係数を20%と見積もり、推定平均必要量の付加量に推奨量算定係数1.4を乗じると449μgRAE/日となるため、丸め処理を行って450μgRAE/日としました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「焼うどんの日」焼うどん発祥地の小倉焼うどん研究所(福岡県北九州市)が、2002年10月14日に焼うどんバトルを実施したことにちなんで制定。

「塩美容の日」ドクター・プラーナビー(神奈川県横浜市)が、いい(1)お(0)塩いい(1)し(4)おの語呂合わせで制定。

「フルタ生クリームチョコの日」フルタ製菓(大阪府大阪市)が、いちばん(1)お(0)い(1)しい(4)の語呂合わせで制定。

「美味しいすっぽんの日」大東ライフ(東京都中央区)と井寺すっぽん養殖場(熊本県山鹿市)が、いちばん(1)おいしい(014)の語呂合わせで制定。

「プラレールの日」タカラトミーが鉄道の日にちなんで制定。

毎月14日:「ひよこの日」(ひよ子本舗吉野堂)、「丸大燻製屋・ジューシーの日」(丸大食品)

「腐ってもタイアップ」のお題で8回も書くとは思わなかったのですが、これで最後にして、明日からは次のお題に移っていきます。

その最後の話は、前回(金言の真理33)で触れた大きなタイアップについてです。

あまりに大きなことなので、この連載コラムでは全体像は書きにくいところがあるのですが、防衛関係のムードづくりのために沖縄の観光やエンタメ情報を定期的に番組の枠を買い取るような形で入れておくのが第一弾でした。

そして、国民的なムードを変えていかなければならないときにだけ地政学的な話(中国、北朝鮮、ロシアとの地理的・安全面での関係など)に切り替えるということでしたが、そのような仕事が回ってきたのは、大手広告代理店のテレビ局の重鎮(といっても大正2桁生まれの方なので、かなり古い関係)から引き継いだことがあったからです。

幸いなことにして、私が関わっていた5年間には重要局面はなくて、沖縄関連のタイアップに年間10億円近く(民放全国キー局4社)を持ってきてくれる“善い人”に徹することができました。

苦労をしたのは、私から引き継いだ広告代理店の担当で、私が岡山に移住した8年間に、それなりに地政学的な危機を感じさせることが起こったのは多くの人が感じ取っていることです。

東京を離れて、私の役割が終わったわけではなくて、いつ切り替えることがあってもよいように、裏付けとなる情報を収集して、整理をしていくという作業は続いていました。

タイアップを仕掛けるには、それなりの準備が必要ということの現れのようなものですが、その裏付け取りに対してはギャラの発生ではなくて、別のタイアップをもらっていました。

それを活用するのも、もう終わりにして、新たなステージで、これまでのタイアップの手法と成果を活かしていくことを考えています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕