投稿者「JMDS」のアーカイブ

「地ビールの日」日本地ビール協会を中心とした地ビールの日選考委員会が、ドイツ・バイエルンのヴィルヘルム4世が1516年4月23日にビール純粋令を発令したことにちなんで制定。

「クラフトビールの日」日本クラフトビール業界団体連絡協議会が、ドイツ・バイエルンのヴィルヘルム4世が1516年4月23日にビール純粋令を発令したことにちなんで制定。

「シジミの日」日本シジミ研究所(島根県松江市)が、シ(4)ジ(2)ミ(3)の語呂合わせで制定。

「明治おいしい牛乳の日」明治が、明治おいしい牛乳の発売日の2001年4月23日にちなんで制定。

毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)

京都に限らず、観光客が多いところでは、ホテルにチェックインするときや店舗に入ったときに、一緒の女性に対して「お連れ様」と言われることがあります。

どう見ても夫婦と見えるときには「奥様」と呼ばれることもありますが、夫婦かわからない、ひょっとすると夫婦でないのに一緒に泊まるのかもしれないというようなときは、安全を期した呼び方が使われます。

それが「お連れ様」です。

初めに訪れたときには「お連れ様」と呼ばれることがあっても、以前に訪れたことがわかると「奥様」という呼び方に変わります。何度も訪れているのに「お連れ様」と使われたことがあります。

これは常連と思われていないのか、何度も足を運んでいるのに常連と呼べるほどの金づかいではないからなのか、それとも「お連れ様」と呼ぶように教育(しつけ)をされているのか、そんなことを考えさせられるようなこともあります(というよりも、ありました)。

そのことを京都在住の知人に聞いたら、「お連れ様と呼ばれたくなかったら、一緒にフロントに行くといい」という即答がありました。

遠慮ぎみで離れたところに立って、チェックインが済むのを待っていると、夫婦に似つかわしい年齢、服装(ペアルックではないのにしても)であっても、これも安全を期して「お連れ様」と呼ばれてしまうということです。

では、歳の離れた夫婦はどうなのだろうと、京都の老舗ホテルのマネージャーと話をする機会に聞いてみたら、「お連れ様」と呼んでいるとのこと。

以前に歳の離れた夫婦と判断して、「奥様」と呼んだら、言われた女性が、すごく嬉しそうな顔をして、腕を組んで客室に向かうエレベータに向かって行ったということがあり、それからは、できるだけ「お連れ様」を使うようにしていると話していました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本肥満学会の「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題」の発表を理解するために、専門用語や意味合いを示していきます。

その1回目(メディカルダイエット7のフォロー)は、「やせの基準」です。

やせの基準は、厚生労働省の「国民健康・栄養調査」で採用されているもので、BMIで示されています。

BMIは、Body Mass Indexを略したもので、日本語では体格指数と訳されています。

BMIは体重と身長の関係から算出されるヒトの肥満度を表す指数で、標準体格指数は22とされています。

標準体格指数の22は、日本人において最も疾患が少ない状態の平均値です。

現在の体重からBMIを知るためには、「体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)」で計算します。体重が53kg、身長が155cmを例にすると、「53÷1.55÷1.55」で約22となります。

やせのBMIは、「<18.5kg/㎡」です。

BMIによる判定基準として日本肥満学会では、以下の基準を示しています。

やせ     18.5kg/㎡未満
普通     18.5kg/㎡以上 25kg/㎡未満
肥満(1度) 25kg/㎡以上 30kg/㎡未満
肥満(2度) 30kg/㎡以上 35kg/㎡未満
肥満(3度) 35kg/㎡以上 40kg/㎡未満
肥満(4度) 40kg/㎡以上
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

テーマとしてあげている「微表情」とは何かということがわからないと、表情の変化に隠された感情の変化も理解しにくくなるということで、表情を3つに分けて紹介します。

1つ目は「マクロ表情」(macro expressions)で、日常的なことで目にする表情を指しています。この表情が現れる時間は、0.5〜4秒ほどとされています。マクロ表情は、ほとんどの人が見抜くことができます。

expressionsは感情や考えを表現する方法や手段のことで、顔に現れる感情は「facial expressions」とも呼ばれます。

わかりやすいところでは、怒りの感情は眉が中央に寄る、上まぶたが引き上げられる、下まぶたに力が入る、閉じられた唇が上下につぶされるといった大きな変化が組み合わさって起こります。

2つ目は「微表情」(micro expressions)で、意識する(意識的)意識しない(無意識的)に関わらず感情を隠したり、抑制しようとするときに表れる表情で、感情に関わる、すべての表情筋が同時に、そして瞬時に表れるという特徴があります。

その時間は0.2秒以下とされます。0.2秒というと、かなり短いように感じますが、まばたきの時間は0.1〜0.2秒であるので、瞬間といっても絶対に見抜けない時間ではありません。

3つ目は「微細表情」(subtle expressions)で、微表情よりも感情の反応が弱いときに見られるもので、時間の長さは限られているものではなく、微表情のように一瞬のこともあれば長めの時間となることもあります。

怒りの感情を例にすると、眉が中央に寄る、上まぶたが引き上げられる、下まぶたに力が入る、閉じられた唇が上下につぶされるといったことの一つだけ、もしくは二つが表れることがあります。

これらの表情は、それぞれの特徴を学ぶのではなく、微表情を知ることで、すべてが判断できるようになるとされています。
〔小林正人〕

「清掃デー」1954年4月22日に清掃法が制定されたことにちなんで制定。

「よい夫婦の日」講談社が、よ(4)い夫婦(22)の語呂合わせで制定。

「肩コリを労わる日」ピップが、夏目漱石の朝日新聞連載の『門』の1910年4月22日に肩コリに関する記述があり、しんどい(4)コリつらい(2)つらい(2)の語呂合わせで制定。

毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

訪れてくるのは一人だけだと聞いていたのに、もう一人が加わると、迎える側に迷惑をかけることがあります。料理を用意していて、予定していた人数よりも一人でも増えてしまうと、準備ができていないので断るということは、伝統を重んじる老舗ではあることです。

多くの人が訪れる店で、同じ料理を出すというのなら、また作り立てを出すのでなければ、一人どころか何人が急に来ても対応できないということはありません。

ところが、同じような献立であっても、それぞれに工夫をしていて、予定した数を超えることは対応が不可能ということもあります。

そのような店で断られたとしても腹を立てるのは筋違いで、そこが伝統を重んじる地域、中でも京都では了解ごと(お約束)ということです。

そのような店でなくても、京都では「お一人ですか?」と聞かれることがあります。それは一人であったら、ちゃんと扉を閉めて入ってくれという意思表示の言葉です。

一人ではなくて複数で店に入ったときに言われるのは、「後から誰か来はりますの?」で、「これも扉を閉めろ!」という意味が込められています。

一人だと思っていたら実際は一人ではなかった、複数の客の場合は初めに入った人のほかに後から入ってくるということもあるので、「扉を閉めて」と言った直後に続いて入ってくる人がいたら気まずいことにもなります。

そういったことに対する保険というか、心づかいがある(?)言葉が、それに慣れていない人には“いけず”に感じてしまうことにもなっているのです。

「お一人ですか?」と聞かれて、実際に一人であって、ちゃんと扉も閉めたというなら、いけずの感覚で言われているわけではないと承知して、したり顔で「はい」と答えるようにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

箸の持ち方は正しいのに、茶碗の持ち方が正しくないために箸を使って上手に食べられないという子どもも少なくありません。

これは発達障害児に限ったことではないものの、箸と茶碗をうまく使って食べられないと、余計なストレスをかけて、子どもの発育にも影響を与えます。

中でも発達障害がある子どもの場合には、これがプレッシャーを強めて、改善にマイナスになることにもなります。

茶碗は和食の作法というよりも、合理的な使い方ができる持ち方が、実は美しい持ち方となっています。右利きの場合を例示すると、茶碗を左手で持ち、左手の人差し指から小指を揃えて下から支えます。左手の親指を茶碗の縁に添えて持ち上げます。

持ち上げ方は一つではなくて、手のひらの上に茶碗をのせて持つ、茶碗の側面を支えて持つ、人差し指を茶碗に引っかけて持つなどの方法があります。

茶碗の持ち方がうまくいかないのは茶碗の大きさとも関係しています。持ち方がよくないという子どもを食事時間に見せてもらうと茶碗が大きすぎる例が多くなっています。

食器を持って食べるのは日本人の特徴的な習慣です。それ以外の国は、皿での食事だけでなく茶碗のような食器を用いていても食卓に置いたままで食べています。食べる量の違いで食器の大小の差はあっても、手に持って、つまり宙に浮かせたままで食べるのは日本人だけです。

そのために手の大きさに合った茶碗を選び、成長につれて徐々に大きくしていきます。成長や体格に合わせて大きくしていくということでは箸も同じことがいえます。

手に持って食べるというのは、ただ持ち上げて口に近づけて食べているだけではなくて、食器を傾かせたり、向きを変えています。食べるときに動かすのは箸だけでなくて茶碗も汁椀も動かしています。この食べ方をするために、茶碗からスプーンで食べるようなときでも食器を動かしています。

手に持った食器を食べやすいように動かすためには左手(右利きの場合)を自由に動かすための訓練が必要です。

訓練といっても、茶碗に飴玉を入れて、その中でクルクルと回すだけのことですが、これが上手にできないと、年齢を重ねてからも茶碗を置いたまま箸で食べるというアジアの他の国の食べ方と同じことをするようにもなりがちです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

〔2026/4/21〕
浄土真宗(真宗十派)は他の宗派と違って、お経を読まないと勘違いされることがあります。宗祖の親鸞聖人は、お経の重要性を説いていて、中でも「大無量寿経」はお釈迦様の本心が書かれているものとして最重要としています。
一切経(経典の総称)7000巻もあるお経の中でも一番という位置づけです。

なぜお経がないような勘違いをされるのかというと、葬儀や朝晩の勤行(ごんぎょう:おつとめ)で読まれる親鸞聖人が書かれた「正信念仏偈」(しょうしんねんぶつげ)が有名すぎるからです。
偈は「うた」のことで、うた(歌)のように親鸞聖人が書かれた文言が使われます。「正信念仏偈」は「7文字×120行=840文字」で、仏教の2500年の歴史を伝えています。正信偈と略して呼ばれることもあります。

お経は、お釈迦様の説法の記録で、お釈迦様の言葉を書いたものです。説法を聞いた人の違い、解釈の違いによって、残されたお経の内容も変わってきます。そこで、仏教の歴史の解説書として書かれたものが「正信念仏偈」ということです。

「正信念仏偈」の前半では、お釈迦様がこの世に出たのは「一切の人々は阿弥陀の本願力によって救済されるという教えを解くためだ」ということが書かれています。後半では浄土経を伝えた7人の高僧の徳を賛え、その教えの要点をまとめたものです。

お経ではないとしても、「正信念仏偈」を耳にすることが多いので、親鸞聖人の考えを感じ取ることができます。宗祖を近しく感じられることから、それが浄土真宗のよいところと感じる人が多い所以の一つです。

「正信念仏偈」は、お経ではないものの写経のように書き写して、自らの心の安定させるために私も使っていたことがあります。
写経は“書く瞑想”とも呼ばれていて、仏の教えをそのまま丁寧になぞる(書き写す)ことで無心の状態を作り出し、集中力を高め、雑念を払い、精神を安定させるという、瞑想に似た効果があります。

「正信念仏偈」は、仏教の歴史について親鸞聖人が書いた文字を書き写すということで、誰が何を伝えたくて書いたのかが明確になっています。
写経のように「正信念仏偈」を書き写すことが身体の事情でできにくくなった今、書くのではなく“打ち写す”というか、キーボードに向かって少しずつ打ち込んでいます。
その打ち込んだものと、自分なりに納得している解釈を次回(SML 18)紹介させてもらいます。
〔小林正人〕

「川根茶の日」川根お茶街道推進協議会が、立春から数えて七十七夜になることが多いことから制定。

「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルトの日」小岩井乳業が、小岩井 生乳100%ヨーグルトの発売日(1984年4月21日)にちなんで制定。

毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)

「京都に来るのは何回目ですか?」という質問は、挨拶の慣用句の一つかと思われるくらいに何度となく言われています。30代のときでも東京に居を置きながら20回は訪れていました。

居を岡山に移して9年が過ぎて、古稀を超えた今では60回は訪れています。

それでも同じように何回目かと聞かれるのは、よほど自分が地方出身者(田舎者?)に見えるのではないかと思い悩んでしまうこともありました。

これと同じような感じで、「どちらから来はったの?」と聞かれることもあります。何度も訪れているのは、近郊に住んでいるのか、新幹線を利用して来ているのではないかという意味合いがあるかもしれません。

近郊といっても京都文化圏とも言われる近畿地方であれば、言葉づかいや雰囲気でわかることもあって、交通機関で1時間ほどの移動を指していることが多いようです。

ということは、「どちらから来はったの?」と聞かれたら、これは遠くから上京してきた「田舎者」という気持ちが含まれているということです。

ここでいう上京は、現在の中央の東京に行くことではなくて、昔からの京の都に行くことを指しているということは、今さら説明することもないことです。

このような“京都のいけず”を感じさせる言葉の裏に隠されている言い回しをするのは、京都で触れ合う全員ではありません。

日本のイメージの店舗、そこで働くのは日本人ということではあっても、インバウンド客が押し寄せているところでは、いつしか経営者が外国籍の人になっていて、それもインバウンド客が立ち寄る店は実は、お客さんと経営者が同じ国籍ということが大都市部では増えてきました。

京都は特有の伝統があって、いきなり外国人が経営者ということは少ないとはいえ、別の地域の資本家が経営しているということも増えてきました。

「それでも」と言うべきなのか、「それゆえに」と言うべきなのか、京都は伝統を重視する文化都市というイメージがあって、それを崩さないことが観光で生きていくための基本ともなっているだけに、いけずの感覚を有していない人と触れ合うことが普通となっているようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕