投稿者「JMDS」のアーカイブ

「看脚下」は名言や金言ではなくて、標語ではないかと言われることがあります。それはまだよいほうで“注意書き”と思われていることもあります。

というのは、寺院の玄関の下駄箱(靴箱)に、履き物を揃えるように促すように書かれていることで、よく見る紙に書かれた3文字だからです。

看脚下(かんきゃっか)は、寺院では「足元をよく見なさい」という意味で、書かれていることはあるのですが、玄関で足元を見るだけでよいのか、足元をよく見て履き物を揃えてから中に入ればよいのか、という疑問を抱く人は少なくないかと思います。

看脚下は、寺院の中でも、元は禅寺(禅宗の寺院)に掲げられていました。

それは禅宗では“自分自身の現状をしっかりと見つめて、足元から着実に行動すること”の重要性を説く言葉として使われてきました。

看は「みる」と読んで、注意して見る、見守る、目の上に手をかざして見るといった意味があります。文字の成り立ちからいうと、手と目が組み合わされていて、これだけでも、しっかりと見ることが表されています。

看守や看護にも同じ文字が使われていることから、ただ目を開いて見ていればよい、という意味合いではないことがわかります。

脚下は、足元や足の下と辞書的には書かれているものの、脚と足では部位が違っています。

脚は足首から骨盤(レッグ:leg)を指しています。足は足首から下の部分(フット:foot)で、通常の履き物を履くのは足です。

ブーツは脚の一部と足を覆うもので、脚全体を覆うものというと水中作業用の防水カバーも考えられます。

この伝から言うと、足を組む、足を伸ばすというのは違った使い方ということになるのですが、慣用的な使い方ということで許されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

私が監事を務める特定非営利活動法人(NPO法人)が発達障害児支援施設を岡山市東区瀬戸町(瀬戸駅近く)に設けたのは2020年の春のことで、新型コロナウイルス感染症の蔓延、いわゆるコロナ禍の始まりと重なってしまいました。

しかし、これまでの施設にはないスタッフと手法での療育を取り入れたことが注目を集め、好スタートを切ることができました。それから3年間のうちに、岡山市内に2か所、備前市に1か所をオープンさせることができました。

その間に、代表理事と教育施設を運営する一般社団法人の代表とともに学習障害児のための学習塾事業を運営する別の一般社団法人を設立して監事に就任しました。

続いて、瀬戸町に子どもと家族の地域支援を目指す一般社団法人では理事に就任。発達障害児・保護者支援の特定非営利活動法人を2022年3月に設立して、ここでは監事に就任しました。

2023年には、こども家庭庁が内閣府の外局として発足して、発達障害児支援の国の体制が整備されていく中で、発達障害児・保護者支援の施設から(結果として)分離した形で、会社が母体の発達障害児支援施設が瀬戸町に誕生しました。

また、4施設を運営するNPO法人が2026年4月に、学習障害支援に特化した放課後等デイサービスを開設しました。

歩いて行ける範囲に、次々に施設ができたことに、ライバルを増やすことになったことへの懸念の声があったのは事実です。

ところが、瀬戸町にある大学(岡山市東区唯一の大学)の関係者から“不毛の地”とも見られていた地域に、発達障害児の改善に取り組む施設ができたことに称賛の声をいただきました。

目指すところは同じで、それぞれが特徴をもった活動をすることで、むしろ協力して地域の子どもと保護者の幸せにつながると捉えてもらえたことには喜びを感じています。

発達の伴歩のためには、ある程度の子どもたちを受け入れてくれる施設は必要になるからです。
〔発達の伴歩:小林正人〕

阿吽の読み方や意味はわからなくても、「阿吽の呼吸」と書かれていれば、「あうん」と読むことがわかって、その意味も“なんとなく”であっても大外れしない感じでわかってくるはずです。

それくらい聞く機会が多い言葉で、言葉を交わすことがなくても互いの息がピッタリと合い、意思の疎通ができている状態を指すときに使われています。

金言・名言としては、長年の相棒や友人、夫婦、などとの絆を指していて、安心して心を通わせる場面で登場します。

阿吽の語源は仏教用語で、口を開く阿は吐く息を表していて、物事の始まりを指しています。口を閉じる吽は吸う息を表していて、終わりを指しています。

サンスクリット語の最初の文字の「a(ア)」、最後の文字の「hum(フーン)」が由来で、阿吽で最初から最後まで、気持ちや状態が完璧に一致する関係を示すときに用いられます。

寺院の山門にある仁王像(金剛力士像)も、神社の狛犬も、片方が口を開いた阿形像、もう片方は口を閉じている吽形像で、両方で一対となっています。一対であることで、森羅万象を象徴しています。

一対のどちらが阿形像で、どちらが吽形像かというと、通常は向かって右側が口を開けているので阿形像で、左側が口を閉じているので吽形像です。

通常と書いたということは左右が逆転している(右側が吽形像、左側が阿形像)ところもあるということですが、その代表的なところは東大寺や善光寺です。

古来より日本では左上位の指導があって、左が上位とされる伝統礼法があります。これに従うなら左側が阿形像でよいように感じるかもしれないところですが、上座から見て左側、つまり向かって右側が上位です。

物事の始まり“阿”が重要なので、一般の配置で合っているということです。
〔小林正人〕

「メープルもみじの日」サンエール(広島県広島市)が、5月を表す英語のMay(メイ)とプ(2)ル(6)の語呂合わせで制定。

「風呂カビ予防の日」ライオンが、日本気象協会の調査で5月26日を境に気温と湿度がカビ発生の条件に合致することから制定。

「源泉かけ流し温泉の日」野沢温泉源泉かけ流しの会が、極上(5)な風呂(26)の語呂合わせで制定。

毎月26日:「風呂の日」(東京ガス)、「プルーンの日」(サンスウィート・インターナショナル日本支社)

「人生楽ありゃ苦もあるさ」で始まるテレビ時代劇『水戸黄門』の主題歌は、1番から3番までが放送で流されているので、これで全部かと思われがちですが、“幻の4番”と呼ばれる歌詞があります。

これは作詞家の山上路夫さんが初めに書いた中にもあったのですが、全部を流すと時間が足りないので、3番までにしたことを『水戸黄門』を世に送り出したプロデューサーの逸見稔さんから聞いています。

その歌詞は以下のようなものです。

人生一つの物なのさ
後には戻れぬ物なのさ
明日の日の出をいつの日も
目指して行こう顔上げて

この歌詞が3番の次にくると、しっくりと来ない感じがするとの声は以前からありました。

その理由についても逸見さんから聞いています。

“幻の4番”は実は3番だったということで、よく知られる3番が4番となります。ややこしい感じがあるので、“幻の3番”を加えて、歌詞を書くと以下のようになります。

1番
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙のあとには虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を踏みしめて

2番
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰から先に行く
後から来たのに追い越され
泣くのがいやなら さあ歩け

3番
人生一つの物なのさ
後には戻れぬ物なのさ
明日の日の出をいつの日も
目指して行こう顔上げて

4番
人生涙と笑顔あり
そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより
何かを求めて生きようよ
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

とても凄いという表現をするときに「めっちゃ」というのは、お笑い芸人からテレビの世界に広がり、今では“若者言葉”を超えて、まるで共通語に近い感覚で使われています。お笑い芸人が使っていた言葉ということで、そのルーツは関西(中でも大阪)にあります。

最近の言葉のように扱われることがあるものの、それは関東文化圏の影響を受けている人たちの感覚で、関西地方では江戸時代から「とても」「非常に」の意味で使われてきました。

それが時代を経て、滅多(めった)に強調の「ちゃ」がついた「めっちゃ」が“非常に”を言い表す言葉として、最も使われるようになったということです。

「めっちゃ」を漢字にすると滅茶となりますが、滅茶に語調を整えるために「くちゃ」が付けられたのが「めちゃくちゃ」です。

「くちゃ」は漢字では苦茶と書かれますが、滅茶に合わせて苦茶と書かれるようになり、今では辞書にも載っている合体型の「滅茶苦茶」となりました。

「めちゃくちゃ」は、道理に合わない、順序が乱れている、程度が甚だしいことを表す口語表現です。

他には、どうにもならないほど壊れたり、混乱することを意味するためにも使われます。

そのへんの意味合いも使われ方も、めちゃくちゃな状態になっているのが「めちゃくちゃ」と言えるかもしれません。
〔小林正人〕

「シーチキンの日」はごろもフーズが、創業日の1931年5月25日にちなんで制定。

「とんがりコーンの日」ハウス食品が、とんがりコーンの発売日の1978年5月25日にちなんで制定。

「みやざきマンゴーの日」宮崎県果樹振興協議会亜熱帯果樹部会が、みやざき完熟マンゴーの普及のためにマンゴー(05)ニッコリ(25)の語呂合わせで制定。

「子どもニコニコ笑顔育の日」笑顔育(神奈川県逗子市)が、子(5)どもニコ(25)ニコの語呂合わせで制定。

「主婦休みの日」サンケイリビング新聞社が、1月25日、5月25日、9月25日を主婦が忙しい日の後の日ということで制定。

毎月25日:「プリンの日」(オハヨー乳業)、「歯茎の日」(佐藤製薬)、「いたわり肌の日」(ライオン)

テレビ時代劇『水戸黄門』の主題歌の歌い出しの歌詞の「人生楽ありゃ苦もあるさ」は、あまりにも有名で、「人生楽ありゃ苦もあるさ」が曲名だと思っている人が多いくらいです。実際の曲名は「あゝ人生に涙あり」です。

「ゝ」の読み方がわからないという向きに合わせて、「ああ人生に涙あり」や「嗚呼人生に涙あり」と書かれることもあります。

「ゝ」は一の字点(いちのじてん)で、「ゝ」そのものに読みはありません。ひらがなを繰り返すための踊り字(繰り返し符号)という記号です。

前回は、「あゝ人生に涙あり」の1番の歌詞を紹介しましたが、3番までが『水戸黄門』のテーマと合致した内容となっています。

1番
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙のあとには虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を踏みしめて

2番
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
後から来たのに追い越され
泣くのがいやなら さあ歩け

3番
人生涙と笑顔あり
そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより
何かを求めて生きようよ

「人生楽ありゃ苦もあるさ」の呼びかけの結論が「何かを求めて生きようよ」となっているわけです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害は、神経発達症候群とも呼ばれます。

アメリカ精神医学会は発行するDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)「精神疾患の診断・統計マニュアル」には、精神疾患の分類と診断基準が示されています。

DSMは精神疾患の診療・診断基準の一つとして世界中の医療機関で用いられているもので、2013年のDSM–5で新たに神経発達症群(神経発達障害群)のカテゴリーが作られました。

DSMの中にある「Disorder」は精神疾患の英語名につけられている用語で、これまでは“障害”と訳されてきました。

しかし、障害という用語にはマイナスの印象があり、それが社会的障壁を生み出す要因にもなっていることから、日本精神神経学会の精神科病名検討連絡会が児童青年期の疾患と不安関連の疾患では「Disorder」は「症」と訳すことを決定しました。

この事実をもって、「もはや発達障害とは呼ばない」と主張する人もいるのですが、日本精神神経学会では症と障害の両方の訳語を併記して用いています。

神経発達症群は、日常生活、社会生活、学業や職業などにおける機能の障害を引き起こし、発達期に発症する一連の疾患群をいいます。この定義でも“機能の障害”と説明されています。

機能の障害が起こるのは、神経系の発達の不具合があると想定されていることから、発達の不具合が障害であって、これを改善することが求められています。

では、発達神経症群は、従来の発達障害と同じで、呼び名が変わった(というよりも併用されるようになった)のかというと、発達神経症群には自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害だけでなく、知的能力障害群、コミュニケーション症群、発達性強調運動症も分類されています。

そういった事実も認識して、発達障害の理解を進める活動に取り組んでほしいのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「苦楽一如」は、苦しいことと楽しいことには区別なく、一つの真実の姿であることを示していますが、その手法を言い表す言葉として最後に書いておきたいのは「辛に一本足せば幸になる」です。

言葉遊びのように思われることもあるものの、真実に近いところがあり、これを話のネタとして使っている人もいます。

確かに、辛に一を合体させると幸となります。辛いというのは何か一つ足りない結果なので、何をプラスすればよいのかを考え、実行に移すことが大切だという教えとして使われています。

「辛い」と書いて、「つらい」と読む人と「からい」と読む人がいます。

辛い(つらい)のも辛い(からい)のも、同じような感覚だという人がいる一方で、辛い(からい)ものは大好きなので、激辛であっても辛い(つらい)とは感じないという人もいます。

だから、「辛」という漢字を示すときには辛い(つらい)を意味する漢字だと、はっきりと伝えないと、イメージされることに差が生じてしまいます。

「辛に一本足せば幸」という話をされた人は、よい話を聞いたということに満足することはなくて、実際に何が不足しているから辛いのか、何を加えれば辛い状態を幸せな状態に変化させられるのか、そのことがわからないと納得したことにはなりません。

自分が納得して、何をすればよいのかがわからないと、他の人に「辛に一本足せば幸」と話しても、よい結果にはならないはずです。

少なくとも、自分にとってプラスすべき“一”が何かわかった、実際にプラスして、こんなふうに変わったという実例を示してほしいのです。
〔小林正人〕