投稿者「JMDS」のアーカイブ

考えたことが、そのまま文章になるという世界が訪れないかと期待をしていると書いた前回(日々邁進6)に続いて、そうなっても文章書きの仕事ができるかわからない、という話を書いていきます。

それは70歳を超えた今、そのような便利な時代になった時には寿命に達しているのではないか、という話ではなくて、書くのに必要な見る機能が、それまで保たれているかという不安があるからです。

音声文字変換ソフトと生成AIのおかげで、話すだけで文字を打ち込んだのと同じようになり、それを自分で考えたかのように文章が出来上がるという時代であっても、さらに進歩して考えただけでも文章が出来上がるという時代になっても、出来上がった文章を確認するための作業が残っています。

その確認には見て、自分の目で確かめることが必要で、見ることさえできれば可能です。ところが、私には閃輝暗点(せんきあんてん)があり、その状態は年々というよりも、月々(月を超えるごとに)悪化していることを実感しています。

閃輝暗点は、2つの状態を結合した病名で、視界に輝きのようなチカチカが現れる症状が閃輝、視界の一部が暗く感じるようになる症状が暗点です。

主に現れる症状は閃輝のほうで、頭をぶつけると視界に星が飛んでいるように見えるのと同じメカニズムで起こっています。

これが一般的な表現ですが、実際には人によって状態は様々で、どんなに説明をしてもわかってもらえないのがもどかしいところです。というのは、視界で起こっていることが実際に見えているのは本人だけで、他の人は想像するしかないからです。

これは閃輝暗点を経験している医師でも同じことで、なかなかわかってもらえないだけでなく、本人が経験していることを前提として診察・診断をしがちなので、私が見えていることが、見えていない(理解できない)という状態は大きくは変わりません。

閃輝暗点のメカニズムについては次回(日々邁進8)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

坂本九さんの代表曲の一つの『明日があるさ』は、1963年12月のリリースであったので私が8歳の年でした。

そのときには3歳から小学校に入学する直前まで暮らした母親の実家の寺院から出て父母と一緒に暮らすようになってから2年ほどが経っていて、狭いながらも地域環境にも慣れて、新たな居場所も経験していました。

母親の実家(新潟県出雲崎町)は漁師町で、江戸時代のほうが人口が多くて、ずっと減り続けているという地域でした。江戸時代の出雲崎は佐渡島から掘り出された金を受け取って、それを江戸まで運ぶ中継基地の天領でした。

寺院では、祖父母と叔母のおかげで、あまり寂しい思いをしたことはなかった(はず?)のです。父母と暮らすようになったのは山奥の村の警察の駐在所だったので、人と物の出入りが多い寺院と比べたら、寂しいような環境(駐在所は忙しくないほうが平和)でした。

『明日があるさ』(作詞:青島幸男、作曲:中村八大)は、歌詞の内容こそ青春ドラマ風(男子学生の恋心)のコミカルソングでしたが、これから世の中はよくなる、もっと豊かになる、今日は辛くても明日は違う結果が待っているというメッセージソングでもありました。

明日のほうがよい世界であるなら、今を大事にしなくてもよいだろうという考え方がある一方で、今があって明日があるのだから今を大事にしようという考え方もあって、父母は後者の考え方をしていました。

警察官は3年以内に転勤をするのが当たり前で、どうせ引っ越しをすることになるのに、両親は地域の方々の濃密な付き合いをしていました。それが「一期一会」という言葉で表されることは後になって知ったことです。

私の場合は父親の都合で、見知らぬところに転校することになるので、どこまで人間関係を作っても結局は離れていくことになるから、そこそこの付き合いでよいか、という感覚がありました。

それは人の関係というよりも、経験したことを大事にする感覚につながっていって、よい経験をして、それが次につながる人とだけ付き合ってきたところがあります。

「自業苦・業苦楽」の中で、そのことを書くのは、「業苦楽」は楽というよりも“楽しい”という感覚で捉えているからです。ときどきの出会いを自分の糧(かて)にできたのは、その感覚があったからです。

具体的な話は、これから徐々に書いていければと思っています。
〔小林正人〕

これまでに費やした時間だけでなく、今の時間、そして今後の時間を無駄にされたことで、相手を時間泥棒呼ばわりすることがあります。

どの時間が最も重要かということが語られることは、これまでも何度もあったことではあるものの、それは時間を盗まれた人の立場で判定されるべきことで、少なくても盗んだ側が口にするようなことではありません。

中には、時間泥棒をしたことに気づいていなくて、苦情を言った時に、そのようなことを自分が言われる理由がわからないという反応が返ってくることがあります。

そんな人に対して、どんなことを言えばよいかということを教えてくれるセミナーも存在していて、それなりに人気になっている例も見聞きしています。

自分がやったことをわかっていない人に対して、何を言っても、それこそ時間を無駄にすること、時間泥棒の被害を増やすだけということにもなりかねません。

時間泥棒をされても、その行為を恨むでも怒るでもなく、許してあげるのが大人の態度だという考えがあって、それを理想とする人も少なくありません。私自身も許すことができる人間でありたいと思い、実際に何度となく許してきたところがあります。

許した相手の、その後の行動を見続けていると、許すだけではいけないということもわかってきました。許したら、今後は付き合わないということはなくて、付き合うことは付き合います。そうしなければいけないことも、大人の社会ではあることです。

では、許した後は、どのような付き合い方をするかというと、「二度と信用しない」という決意を持っての接触となります。

「二度と信用しない」という決意があるのに、それを表に出さないまま付き合われたら、それは悲しいことで、私であったら、そんな付き合い方はされたくはありません。それだけに、相手が、どのような感情でいるのか、それを一瞬のうちに見抜くことができる“微表情分析”を学んで身につけました。

微表情分析については他の連載コラムで書いてきました。これを時間塾の立場で披露するのは、もう少し先のことになりそうです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から微量ミネラルの鉄の欠乏回避の「必要量を決めるために考慮すべき事項」を紹介します。

〔必要量を決めるために考慮すべき事項〕
*基本的鉄損失
4集団41人(平均体重68.6kg)測定された基本的鉄損失は、集団間差が小さく、0.9〜1.0mg/日(平均0.96mg/日)です。その後の研究も、この報告を支持しています。

そこで、この平均値を体重比の0.75乗を用いて外挿して、性別および年齢区分ごとの値を算出しました。

*成長に伴う鉄蓄積
小児では、成長に伴って鉄が蓄積されます。

それはヘモグロビン中の鉄蓄積、非貯蔵性組織鉄の増加、貯蔵鉄の増加に大別されます。

1)ヘモグロビン中の鉄蓄積
ヘモグロビン中の鉄蓄積量は、6〜11か月、1〜9歳、10〜17歳について、それぞれアメリカ・カナダの食事摂取基準で採用された以下の式を用いて推定しました。

【6〜11か月】ヘモグロビン中の鉄蓄積量(mg/日)=体重増加量(kg/年)×体重当たり血液量[70mL/kg]×ヘモグロビン濃度[0.12g/mL]×ヘモグロビン中の鉄濃度[3.39mg/g]÷365日

【1〜9歳】ヘモグロビン中の鉄蓄積量(mg/日)=(1つ上の年齢区分のヘモグロビン量(g)−当該年齢区分のヘモグロビン量(g))×ヘモグロビン中の鉄濃度[3.39mg/g]÷1つ上の年齢区分の中間年齢−当該年齢区分の中間年齢)÷365日

【10〜17歳】ヘモグロビン中の鉄蓄積量(mg/日)=(参照体重(kg)×ヘモグロビン濃度増加量(g/L/年)+体重増加量(kg/日)×ヘモグロビン濃度増加量(g/L))×体重当たり血液量[0.075L/kg]×ヘモグロビン中の鉄濃度[3.39mg/g]÷365日

なお、1〜9歳の性別および年齢区分ごとの血液量は、1〜11歳の数値より、体重(kg)と血液量(L)との間の回帰式(男児:0.0753×体重−0.05、女児:0.0753×体重+0.01)を導いて推定しました。

血液中のヘモグロビン濃度は、カナダの研究で示された年齢とヘモグロビン濃度との回帰式によって推定しました。ヘモグロビン中の鉄濃度は3.39mg/gを用いました。

2)非貯蔵性組織鉄の増加
非貯蔵性組織鉄の増加は以下の式から推定しました。

「体重当たり組織鉄重量(0.7mg/kg)×年間体重増加量(kg/年)÷365(日)」

3)貯蔵鉄の増加
貯蔵鉄の増加分について、1〜2歳では総鉄蓄積量の12%という報告があります。

そこで、6か月から2歳までは、貯蔵鉄の増加分が総鉄蓄積量(2要因を含めた合計3要因)の12%になるように2要因の値から推定しました。

そして、3歳以後は、直線的に徐々に減少して、9歳で0(ゼロ)になると仮定しました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から微量ミネラルの鉄の「指標設定の基本的な考え方」を紹介します。

〔指標設定の基本的な考え方〕
赤血球等に含まれる鉄の大半は再利用されますが、ごく一部は基本的鉄損失として、小腸の腸管上皮細胞の剥離等によって体外に排出されます。

また、基本的鉄損失とは別に、月経による損失および成長や妊娠・授乳中の需要増大が必要量に及ぼす影響は大きくなっています。

鉄の推定平均必要量と推奨量は、0〜5か月児を除き、出納試験や要因加算法等を用いて算定できます。

しかし、吸収率が摂取量に応じて変動して、低摂取量でも平衡状態が維持されるため、出納試験を用いると必要量を過小評価する危険性があります。

そこで鉄の必要量は、アメリカ・カナダの食事摂取基準に従って要因加算法によって算定しました。
一方、満期産で正常な子宮内発育を遂げた新生児は、およそ生後4か月までは体内に貯蔵された鉄を利用して正常な鉄代謝を営みます。

このことから、0〜5か月児に関しては、母乳からの鉄摂取で十分であると考え、母乳中の鉄濃度に基準哺乳量(0.78L/日)を乗じて目安量を算定しました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達という言葉は、以前であれば「身体や精神が成長すること」を指していて、「より複雑で高度な機能を持つようになる過程」を意味するために使われていました。

そこから歩く、話すといった運動、言語、認知などの成長に加えて、「脳の特性によるコミュニケーションや対人関係の困難さ」も含まれるようになりました。

その発達に大きな影響を与えているのは脳の機能です。その脳機能の発達の偏りによって、学習や社会生活、コミュニケーションに困難さが生じることが医学的に明らかにされていきました。

これがアメリカを中心にして発達障害(Developmental Disabilities)として認識され、法律用語(1960年代前半)から医学用語(1960年代後半)としても使われるようになりました。

発達障害が日本でも知られるようになったのは1970年のことです。

そのときには医学分野の新たな研究テーマという感覚もあって、どれくらいの“患者”がいるのかを調べるというところから始まりました。

それが今では子どもの10人に1人が該当する時代となり、その特性は生涯にわたって継続することがわかってきました。

通常の医学の考え方(早期発見、早期治療)では対応できないことから、多くの分野の専門家の知識と経験の結集、各方面からの対応策の検討と実施が不可欠であると認識されるようになりました。
〔発達の伴歩:小林正人〕

「ケーキの日」上野風月堂が、日本で初めてケーキを宣伝した1879年1月6日にちなんで制定。

「まくらの日」まくら(千葉県柏市)が、枕を英語でピロー(pillow)といい1をピンのピ、6をローと読むことから制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

書くことから打つことに移ってきたのは、ワードプロセッサーのおかげで、初めは右手だけ、指3本だけというところから、左手も3本が使えるようになり、最終的には小指以外は左右ともに使えるようになっていました。

これは書くのと変わらない速度での原稿作成が求められていたので、必死になって挑戦した結果です。その当時は「書くこと=生活すること」で、それが打つことに変わっても生活していくための仕事であることには変わりはなかったことでした。

それに続いて、Windows95の時代となった1996年からはパーソナルコンピュータの文章作成ソフトでの文字打ち作業となったのですが、長年の首への負担があって、今度は左の手指がスムーズに動かせなくなりました。

これは中学生の時に空手の試合で相手の蹴りが首に入ってしまって、椎間板の一つが潰れた状態になりました。

これは姿勢をよくするというアナログな手段でなんとかなっていたのですが、負荷の蓄積と年齢の影響で左の手指に痺れと痛みが出るようになり、徐々に画面をタップすることで仕事をこなすことが増えてきました。

タップで仕事をするようになると、右手の指3本への負担が強くなって、これもできにくくなっています。そこで音声文字変換ソフトを使うようになったものの、代わりの方法を選択するたびに頭の回転に手指の動きが追いつかなくなっていきました。

仕事が変化して、今ではスピードは求めなくなったのですが、これからは考えたことが文章になるという夢のような世界があるのではないかと期待したいところです。それまでは我慢を続けるしかないようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

豊臣秀吉と石田三成の出会いと、三成が家来から奉行、大名に出世していくきっかけとして伝えられる「三献の茶」の逸話は、正しく伝えられないと金言どころか誤りを伝えることにもなりかねません。

目上の人が格下の者のところに出向いて、礼を尽くして重要な人物として迎え入れることをお願いすることだと思われていることもあるのですが、これは「三顧の礼」です。

三顧の礼(さんこのれい)は、中国の三国時代の武将の劉備玄徳が、諸葛亮孔明を軍師として迎えるために、家を三度も訪ねたという故事に由来した言葉です。

劉備玄徳は三国志の主人公として語り継がれる英雄で、魏と対立していた蜀の劉備玄徳が戦いに勝ち抜き、蜀漢の初代皇帝となったのは諸葛亮孔明の軍略があればこその結果と伝えられています。

三国志の英雄といえば劉備玄徳、関羽、張飛が三傑(英雄)とされ、桃園の誓いの「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」という名シーンは、他の作品(小説、演劇、アニメまで)でも再現されています。

この誓いを実現させた有名な戦いというと赤壁の戦い、官渡の戦い、長坂の戦いが挙げられますが、これらは諸葛亮孔明の軍略である「空城の計」「八陣図」「火攻めの計」などが存分に活かされた結果です。

「三顧の礼」は、人に対して心を尽くして丁重に頼み事をすることを意味していますが、この“心を尽くして”というところが「三献の茶」の真理と共通しているところで、形ばかりの継承やマニュアルでは成し得ない重要なことを使える金言といえます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

注意欠陥・多動性障害を理解するために、それぞれの状態(不注意、多動性、衝動性)について列記していきます。

今回は不注意と多動性についてです。

◎不注意
*ルールを守ることが難しい

*物忘れが多く、物をなくしやすい

*何回言っても忘れる

*気が散りやすく、集中力が続かない

*興味があるものに集中しすぎて、切り替えが難しい

*ボーッとしていて、話を聞いていないように見える

*事前によく考えて行動できない

*課題や活動を順序立てて行うことが難しい

*指示は理解できても、従うことが難しい

*行動が他の子よりワンテンポ遅れる

*字が乱れる

*不器用(縄跳びなどが苦手)

*片付けられない

*勉強で細かなところに注意を払わなかったり、不注意な間違いをする

*課題や遊びの活動で注意を集中し続けることが難しい

*気持ちを集中させて努力し続けなければならない課題を避ける

*あまり目立たないために注意欠如・多動性障害であることに気づかれにくい

◎多動性
*落ち着きがなく、授業中でも立ち歩く

*身体を動かすことがやめられない

*手足をそわそわ動かしたり、着席していてももじもじする

*一方的にしゃべる、しゃべり出すと止まらないほど過度にしゃべる

*夢中になると周りが見えなくなる

*遊びや余暇活動におとなしく参加することが難しい

*きちんとしていなければならないときに、過度に走り回ったりする
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕