投稿者「JMDS」のアーカイブ

野村克也さんの書籍のタイトルにも講演のテーマにもよく使われていた「敵は我に在り」は、真の敵は外にいるのではなくて、自分自身の中にあるという意味で、困難や失敗の原因を他人のせいにするのではなく、自分の弱さや怠惰、準備不足など、内面に原因を求めるべきだという戒めの言葉です。

このことは前々回(金言の真理2)で紹介しましたが、野球の世界ではプロに限らずアマチュアでも何かのせい、誰かのせいにするのは当たり前に見聞きすることです。

ヒットを打てなかったのは、相手のピッチャーが凄すぎたからというのは理解できないことではなくて、言い訳とは決めつけられないところがあります。

ところが、打ちにくい雰囲気だったと球場や観客のせいにしたり、監督の指示がわかりにくかったと口にするようになると、これは言い訳です。

エラーをしたのは、グラウンドが荒れていた、グラウンド整備がよくなかった、太陽や照明の光が目に入った、球審が邪魔になった、というようなことを言い出すのは自分のせいではないと言いたいからです。

これは日常的なことでも同じようなことはあって、ただ歩くだけなのに転んだとすると、道が凸凹(デコボコ)していた、坂道だった、路面が柔らかかった、石があったなどと、まず道のせいにしようとします。

そうでないことがわかると、靴が合わなかった、紐が強く結べなかった、靴と靴下が合っていなかった、履き慣れた靴ではなかったと、次は履き物のせいにします。それも言い訳に使えないと、まだ考えます。

歩き慣れていない道だった、仕事で疲れていた、寝不足になるようなことがあった、一緒に歩いている人がいたのでペースが合わなかった、ということを言い出して、年齢のせい、運動不足のせいとは、なかなか認めないのが常です。

そんな人にこそ伝えたいのが「敵は我に在り」という金言です。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

どのような食品であっても、絶対に安全ということは言えないところがあります。それは無添加・無農薬の完全オーガニック状態の食品でも同じことで、例えば醤油であっても過剰に飲めば健康被害が起こったり、場合によっては死ぬことがないとは言えないからです。

このことはサプリメントを推進する制度を構築している段階で、厚生労働省の委員会などでも安全性の課題として発言があったことです。

通常の食品であれば、どれだけ多くの量を摂ろうと考えても限界があります。それに対してサプリメントは食品の成分が濃縮・凝縮されているので、限界を超えた量を摂ることも可能です。

それだけに、安全性を考えた摂取の基準は、有効性が確認されているサプリメントについては特に慎重に取り組むことが求められています。

脂肪代謝促進成分であるL–カルニチンは、日本人の平均的な食生活による食品からの1日の摂取量は50〜80mgと推定されています。正常な脂肪代謝のためにはL–カルニチンは1日に200mgは必要とされており、安全な摂取量は体重1kgについて20mgとされています。体重が50kgなら1日に1000mgを摂っても安全だと報告されています。

食品の成分は、どれだけ摂取してもよいわけではなく、上限量が定められています。これを上回る摂取は健康被害が発生するために、ビタミンやミネラルであっても上限量を超えないことが重要になります。健康食品に用いられる素材は、薬学的には医薬品の成分と似た働きをすることから、特に過剰摂取には注意が必要です。

これに対してL–カルニチンは体内で合成される成分であり、サプリメント成分としての製造も体内の生化学反応と同様の過程を経て、必須アミノ酸のリシンとメチオニンから合成されていることから安全性が高い成分となっています。

また、多く摂取した場合には、体内の代謝メカニズムに従って、ミトコンドリアへの脂肪酸の取り込みに使われることから過剰になることもありません。取り込みに使われるよりも多くの量が体内にあっても、生理分解されるために安全度が高い成分となっています。

L–カルニチンは水溶性であるため、サプリメントとして摂取した場合には、体内の保持時間が短いという特徴があります。

しかし、食事の内容によっては一時的に過剰になる可能性もあることから、L–カルニチンの摂取量を増やした試験が行われています。そこで明らかにされた量は、成人の場合には1000mgで、この量を超えなければ問題がないことが確認されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

学校教育は4月1日から翌年の3月31日までが学習期間の区切りとなっています。そこで学ぶ生徒も、通常の1年の区切りの1月1日から12月31日までではなくて、学習の年度に合わせています。

誕生日が4月1日から翌年の3月31日までなのかというと、そうではないことは広く知られています。“早生まれ”と呼ばれる4月1日が誕生日の子どもは翌年の年度に組み込まれています。早生まれは正式には1月1日から4月1日の間に生まれた子どもを指しています。

このような区切りになっているのは、教育基本法で、小学校に就学できる年齢が「満6歳に達した翌日以後の最初の4月1日」と定められているからです。これに従って、各学年は4月2日から翌年の4月1日生まれの子どもで構成されることになります。そして、1月1日から4月1日に生まれた子どもは一つ上の学年に入ります。

これは国が定めた区切りであるので、国の制度に従った学校で学ぶためには受け入れるしかないことですが、区切りがいつであったとしても、早く学ばなければならないことになった子どもの負担は大きなものがあります。

子どもの発育は個人差が大きく、暦年齢が6歳に達したら、誰もが同じ能力であるわけではありません。発達障害は周囲に馴染めないところがあり、学習にも差が現れやすく、同じくらいの誕生日の子どもと比べても、学習能力に遅れが見られることがあります。

それに加えて、国が定めた区切りのために1年間分の違いがあったら、大きな遅れがあり、同じスタートラインに立っているはずの新学年が、実はスタート位置が違っていて、それも発達障害、学習障害がある子どもにとっては大きな差があるところからスタートしなければならないという状況です。

本来なら、試験結果にハンデを与えて、差を調整して、見た目の成績と実際の成績との両方を記録するということがあってもよいはずです。パラリンピックでは同じレースに参加しても障害の度合いによってトップ3に入れなかった選手が、実はカテゴリーによってメダリストになることも目にしました。

こういった教育を学校に求めても現実は無理であるので、それをカバーするために生物年齢(心身の年齢)、認知機能に合った教育をする場が必要となってくるのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中からn–6系脂肪酸の「生活習慣病の重症化予防」を紹介します。

〔生活習慣病の重症化予防〕
n–6系脂肪酸摂取と循環器疾患予防との関連を検討した介入試験をまとめたメタ・アナリシスでは、発症予防と同様に重症化予防においても、両者の間に意味のある関連を認めていません。

別の介入試験のメタ・アナリシスの感度解析では、循環器疾患の既往のある人を対象とした場合で総死亡率や循環器疾患発症に関連がなく、循環器疾患死亡率の上昇を認めています。

しかし、同じメタ・アナリシスで、n–6系脂肪酸摂取は血中コレステロール値の低下と関連しているほか、n–6系脂肪酸特有の作用よりも、飽和脂肪酸を多価不飽和脂肪酸(現実的にn–3系脂肪酸よりもn–6系脂肪酸が大部分を占める)に置き換えた場合の効果も期待されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中からn–6系脂肪酸の「生活習慣病の発症予防」を紹介します。

〔生活習慣病の発症予防〕
コホート研究をまとめたメタ・アナリシスで、リノール酸摂取が肝動脈疾患を予防する可能性が示唆されています。

また、コホート研究をまとめた別のメタ・アナリシスでは、リノール酸摂取と総死亡率、循環器疾患死亡率が負の関連が示されています。

一方で、n–6系脂肪酸摂取と循環器疾患予防との関連を検討した介入試験をまとめたメタ・アナリシスでは、両者の間に意味のある関連を認めていません。

一方、飽和脂肪酸を多価不飽和脂肪酸(現実的にn–3系脂肪酸よりもn–6系脂肪酸が大部分を占める)に置き換えた場合の冠動脈疾患発症率への影響をコホート研究で検討した結果を統合したメタ・アナリシスでは、発症率の有意な減少を報告しています。

さらに、2年以上の介入研究を統合したメタ・アナリシスで、飽和脂肪酸を多価不飽和脂肪酸に置き換えた場合、循環器疾患発症率の優位な減少が観察されています。

これらは全体として、n–6系脂肪酸が冠動脈疾患の予防に役立つ可能性を示唆しているものの、これらの研究報告に基づいて目標量を算定するのは難しいと考えられます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「明治ミルクチョコレートの日」明治が、ミルクチョコレートが発売された1926年9月13日にちなんで制定。

毎月13日:「一汁一菜の日」(一汁一菜ぷらす・みらいご飯)、「お父さんの日」(ヤクルト本社)、「登山の日」(ICI石井スポーツ)

タイトルの「金言」の金は、金(きん)と読むのか金(かね)と読むのかというと、もちろん金(きん)ですが、私が長く続けてきたのは書くことと話すことで、言葉を金(かね)にすることをやってきたと言えます。

言葉を金(かね)にする機会としては、書籍と講演がありますが、野村克也さんがプロ野球の現役選手を引退して、評論家や解説者を続けながら監督を目指していたときに、私の仕事先の一つの厨房機器の工業会の会合に招いて、「敵は我にあり」のタイトルで講演をしてもらったことがあります。

小さな団体であったのに招くことができたのは、「敵は我にあり」をタイトルにした書籍を通じて知り合っていたからです。といっても、ゴーストライターとしてではなくて、PRに参画した縁があってのことです。

講演の中身としては、前回(金言の真理2)に触れたとおりのことで、プロ野球界の情勢や噂話の真相などの話がメインで、その前後に「敵は我にあり」というフレーズを使った話が少しだけあって、合計で1時間ほどになるという流れは、そのままでした。

そのようなワンパターンとも言われかねない内容であっても、これを良くするのも悪くすのもマッチングの腕であって、「敵は我にあり」のタイトルを“言い得て妙”と感じる人の集まりと組み合わせることができれば勝ちという感じでした。

金言は、誰もが納得する言葉であるのが理想ですが、マッチさせることができれば、話を聞いた人の多くに金言と感じてもらうことができるということです。

そのためには、自己満足するのではなくて、これでよいのかと常に考える「敵は我にあり」の発想が重要だと気付かされる機会ともなりました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

40年前の1985年は、いちご大福が初登場した年でした。今や当たり前のスイーツで、翌年には「日本のトラディショナル・スイーツ」(伝統的甘味)と海外で紹介されたくらいヒットしました。

“元祖いちご大福”を名乗るのは東京・曙橋の商店街の大角玉屋で、当時は曙橋駅から徒歩圏内にあったフジテレビに行く途中にあったので、初登場のときから(少し前の店頭チラシで)知っていました。ただ、いちご大福として一般にイメージされるものと少し違っていて、“いちご豆大福”でした。

伝統的な甘味といえば小豆を使った和菓子ですが、東京・原宿に住んでいたこともあって、ブームになったスイーツといえば洋風のものがほとんどでした。

当時は情報誌や女性誌に情報提供をしていたものの、その多くはファッションやタレントショップの情報でしたが、スイーツ情報を発信するようになったのは1984年11月のハーゲンダッツの出店でした。

知り合いの広告代理店からハーゲンダッツの青山の1号店のPRの話が持ち込まれて、行列ができるスイーツの仕掛けをしました。これが「行列ブームの始まり」と記されることに関わらせてもらいました。

今とは違って、並ぶ人にギャラを払うというようなことはなくて、原宿のスイーツの代名詞になっていたクレープの店にチラシを置いて、青山のアイスクリーム店から逆に原宿に誘導するというアナログなことをしていました。

クレープがヒットしたのは1977年のことで、アイスクリームの店に行列ができるようになってから、「新たなスイーツ=行列=メディア取材」という仕掛けが本格化しました。

その流れを一覧にしてみました。私が関わってきたことだけで、私が雑誌に情報提供をした年のことなので、皆さんの記憶とはズレていることもあるかと思います。

1990年 ティラミス
1991年 クレーム・ブリュレ
1992年 タピオカ
1993年 ナタ・デ・ココ
1994年 パンナ・コッタ
1995年 カヌレ
1997年 ベルギーワッフル
1998年 クイニーアマン
1999年 生チョコ エッグタルト

このあと、2004年にマカロン、2006年には生キャラメルやクリスピー・クリーム・ドーナツといったブームが来るのですが、そのPRは少し手伝っただけです。

というのは、2002年から納豆(全国納豆協同組合連合会)、2003年から豆腐(日本豆腐協会)、2004年から豆乳(日本豆乳協会)と食品の全国PRを手掛けるようになって、3つが重なっていた期間は3年もあったので、“甘いものには手が伸びない状態”になっていました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「死ぬに死ねない」と言われると、死にたいのに死ぬことができないという意味になってしまいます。そんなにも死にたいのか、死にたいと思うくらいの苦しいことが今も続いているのかということを感じてしまいます。

「死ぬに死ねない」をネット検索すると、「この世の人生に、まだやるべきことがある」「悔いがあること」といった説明文が出てきます。

しかし、これを同じネット検索であっても、有名な辞書のサイトに入って見てみると、誤用だと切り捨てられています。そして、「死んでも死にきれない」が正しい使い方であることが表示されます。

そこで先ほどの「この世の人生に、まだやるべきことがある」「悔いがあること」の意味から逆引きしてみると、「死んでも死にきれない」が表示されます。

ネット検索では間違いと正しい使われ方の両方が出てくる状態だということです。

「死んでも死にきれない」は、たとえ死んだとしても残される未練であって、その未練を断ち切れないほど悔しい思いをしたことを指しています。

これを引き合いに出して、危機的状況を乗り切るために「死んでも死にきれないというつもりでやらなければならない」と言ったのは松下幸之助さんです。これは松下語録にも載っています。

失敗したときに責任転嫁をする気持ちがあると、うまくいかない、だから「死んでも死にきれない」という気持ちでの行動が大切であると説いているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

運動をすれば脂肪をエネルギー化する脂肪代謝が高まりますが、運動の程度によって、その結果には大きな差が現れます。有酸素運動は負荷が高まるほど脂肪代謝の効果は高まっていくのですが、有酸素運動であっても負荷が高まると無酸素領域となります。

効果的な運動をするには、有酸素運動と無酸素運動の境界線のレベルを継続させることが重要となります。

その境界線はATポイントと呼ばれます。AT(Anaerobic Threshold)は嫌気性代謝閾値といって、乳酸が産生される直線の運動段階を指しています。乳酸は無酸素状態で発生する老廃物で、体内で増えるほど筋肉の動きが低下して、疲労が蓄積するようになります。

ATポイントは体格や体力、運動経験などによって変化していきますが、20分割したスケールのうち11〜13がATポイントとされています。最大酸素摂取量(全力で運動したときの負荷)でいうと60〜70%になります。60%が11、70%が13に相当します。

13というのは、ややきついと感じる負荷で、長くは続けられない状態です。それよりも少しだけ負荷が弱い、なんとか会話をしながら続けられる運動強度の60%が目標運動強度となります。

心拍数はスケールの10倍というのが一般的な理解で、1分間の心拍数が110回以上になると有酸素運動による60%の最大酸素摂取量となります。

最も脂肪代謝が高まる13(ややきつい)の運動は1分間の心拍数が130とされているものの、年齢によって違いが現れます。

ややきついという段階の心拍数は、20代は150回、30代は145回、40代は140回、50代は135回、60代は120回とされています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕