「秋のメープルもみじの日」洋菓子のサンエール(広島市)が、1966年9月12日に広島県の県木がモミジに決定したことにちなんで制定。
毎月12日:「パンの日」(パン食普及協議会)、「育児の日」(神戸新聞社)
「秋のメープルもみじの日」洋菓子のサンエール(広島市)が、1966年9月12日に広島県の県木がモミジに決定したことにちなんで制定。
毎月12日:「パンの日」(パン食普及協議会)、「育児の日」(神戸新聞社)
「敵は我にあり」は、一般に言われているのは、真の敵は外にいるのではなくて、自分自身の中にあるという意味で、困難や失敗の原因を他人のせいにするのではなく、自分の弱さや怠惰、準備不足など、内面に原因を求めるべきだという戒めの言葉です。
この戒めの言葉として使われるときには「敵は我にあり」と書かれるのが通常です。タイトルの「敵は我に在り」との違いは、“あり”と“在り”で、漢字になっているかどうかだけです。
あえて漢字を使っているのは、「敵は我に在り」を講演のテーマにあげている野村克也さんに関係したことを書いているからです。
名選手、名監督、そして名解説者としてあまりにも有名で、ID野球という画期的な出来事も野村さんがあってのことです。
今では当たり前のように野球中継で使われるようになっているストライクゾーンを9分割して、コースごとに球種を記録していくスタイルは野村スコープと呼ばれますが、その始まりは1984年にテレビ朝日の中継の解説に持ち込んだのは野村さんです。
書籍の『敵は我に在り』は1980年の現役引退時に上巻が発行され、1982年に下巻が発行されました。そして、野村スコープが始まった1984年には『敵は我に在り』の続編が「危機管理としての人材育成論」のサブタイトルで発行されました。
このサブタイトルが効いて、企業や団体の講演の依頼が急に増えました。
その中でよく言われていたのは「並の選手にとって敵は相手だが、一流選手にとっての敵は自分の中にある」ということでした。
また、人材育成について、「一流選手は勝ちパターンを持っているのに対して、超一流選手は勝ちパターンが多い」と話していました。超一流選手は、常に変化・進化していて、成長に対して壁がないということで、これが危機管理のできる人材だということでした。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕
L–カルニチンは脂肪代謝の有効性が認められて、2002年に医薬品の成分だけでなく食品の成分として使用することが厚生労働省によって許可されたものの、その力が充分に発揮されない状態がありました。
それは、科学的な成果が示されていて、最高レベルのサプリメント成分であることが認められているL–カルニチンであっても、実際に摂取する製品が表示されているデータと異なることがあるからです。
というのは、L–カルニチンのサプリメントとしての原材料は同じ(必須アミノ酸のリシンとメチオニン)であっても製造法によって中身が違ってきます。
従来の製造法は微生物発酵でしたが、私たちが研究しているロンザ社(前回:強み5で紹介)のL–カルニチンは微生物発酵を凌ぐ化学合成法(野依法:ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏の開発した反応法)によって開発され、自社工場で製造されています。
ロンザ社のL–カルニチンは日本国内ではシェア80%を占めています。
良質なL–カルニチンには特有の味があり、多くの量を含有させるのは錠剤形では味の面で摂取しにくいことから、多くの販売会社はロンザ社のL–カルニチンの含有量を少なくして他の成分を組み合わせるか、含有量を増やすために他社の旧来の製造法によるL–カルニチンを使っているのが実情です。
味の問題なしに多くの量を使用する場合にはカプセルを使用する方法があります。カプセルに充填すれば味の問題はなく、胃で溶けることから小腸で吸収させることができます。しかし、価格面でカプセルは使いにくいというのが健康食品業界の現状です。
ロンザ社はL–カルニチンの原材料製造会社であり、自社では商品のサプリメントは販売していませんが、研究用としてL–カルニチン100%の液状のカプセル充填型を開発しています。
使用されているカプセルは、植物由来の医療用カプセルで、これは世界のトップメーカーがロンザ社の親会社である医薬品原材料製造会社(Lonza)の傘下に加わったことから国内工場で好条件で製剤化できるようになりました。
これはロンザ社の顧問(元ニュートリション部長)の王堂哲さん(工学博士)が、日本メディカルダイエット支援機構の副理事長である関係から使用することが可能となったものです。それもあって、研究用のL–カルニチン100%液状カプセル充填型をメディカルダイエットの研究のために、原価で提供を受けています。
その内容ですが、原材料はL–カルニチン、溶剤のグリセリン、植物由来カプセル素材のHPMC(ヒドロキシプロピルメチルセルロース)の3つだけです。
これを私たちのエネルギー代謝科学研究の強みとして活かしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
“兵隊の靴”という言葉があります。文字通り兵隊が履いている靴という意味もありますが、たとえとして使われることが多く、その意味するところはサイズが大・中・小くらいにしか別れていない既製品(レディーメイド)を指しています。
既製品に足が合えばよいものの、合わない靴でも履かないわけにはいかず、きつくても我慢する、大きくても我慢するしかないということで、個人の条件を無視した教育のことを揶揄(やゆ)するときに使われています。
決してオーダーメイドではない、自分に合っていないものに合わせるのは、初めのうちはなんとか対応できても、それがずっと続くと我慢も限界に達します。現在の自衛隊なら除隊して他の職業に就けばよいところですが、昔の強制的に入隊させられた軍隊では、我慢できないことを、ずっと我慢し続けることになります。
“ならぬ堪忍するが堪忍”という諺(ことわざ)は、ただ堪忍(我慢、耐え忍ぶ)すればよいという意味ではなくて、「誰でも我慢できることが我慢のうちには入らず、とても我慢できないことを辛抱することが大切」という意味で使われています。
その“とてもがまんできないことを辛抱させられている”のが発達障害の学習障害がある子どもで、中でも厳しい視覚障害である鏡文字として見えてしまう子どもにとっては、“堪忍袋の緒が切れる”状態で学び続けているということを理解してほしくて、わざわざ“兵隊の靴”などという言葉を使って書いてきました。
鏡文字に見えるのは、目で見たものを画像化する後頭葉の機能が障害を受けているか、発達段階でズレが生じて、それが改善されないまま成長したのが原因と考えられています。
右の眼球から入った情報は左の大脳皮質、左の眼球から入った情報は右の大脳皮質に送られ、画像処理をする後頭葉で交差している画像を逆転させて正常に見えています。その機能が障害を受けているか、機能の発達にズレが生じて、最後の修正前の画像が脳に認識されているのが原因と考えられています。
なぜ、そうなるのかについては明らかにはされていませんが、明らかになったとしても改善法がない状態では、子どもの状態に合わせて、普通の子どもが見ているように見える逆さメガネのようなテクノロジーが必要になります。
文字が逆転して見えても生きていけないわけではないかもしれませんが、普通に見えて、普通に書けるというのが生活の基本とされている中で、困難さを抱えて学び、生活をしていくためには、鏡文字に限らず、多くの学習障害の悩まされている子どもには必要なものだということです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
臨床栄養の世界で広報活動をしていたことから厚生労働省、農林水産省や農協が取材先であったこともあって、他の人よりも詳しい情報を得る機会がありました。
中でも当時の全国農業協同組合中央会(現在のJA全中)の広報部長が、知人(子どものときに住んでいた家の隣のお兄ちゃん)であったことから、食品に関わる膨大な情報をもらうことができて、多くの関係者も紹介してもらいました。
その情報の中には、「業界の人には常識的なことであっても、それは業界内だけのこと」「一般には知られてはいけないこと」があまりに多くて、情報が入ってくれば入ってくるほど、それを伝えられないことが精神的なプレッシャーになっていきました。
かといって、このことを伝えるべき人に情報として発信することには、私自身の抵抗感がありました。というのは、ゴーストライターの立場であっても、1981年から大手出版社で書く機会を与えられていて、それを失うことになるかもしれないという不安があったからです。
そのゴーストライターとしての仕事は1995年の後半に150冊目を書き上げて、これを最後の仕事にするつもりだったのですが、情報発信をしたいという気持ちが高まってきたのは、その1年ほど前のことでした。
1995年の11月にはWindows95が発売されて、誰もが情報発信ができる時代の先駆けになりましたが、その1年前の1994年は、まだ個人が広く情報発信をするというのは想像がつきにくいことでした。
そこで知人の弱小出版社に交渉をして、『安全な食べもの事典』をグループ名(安全食生活研究会)として発行させてもらいました。
今から30年も前のことなので、情報が大きく変わっていると思われがちですが、法規制が変わったくらいで、安全性の実態はほとんど変わっていません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「たんぱく質の日」明治が、アミノ酸のうち9種類が必須アミノ酸、11種類が非必須アミノ酸であることから制定。
毎月11日:「果物の日」(全国柑橘宣伝協議会、落葉果実宣伝協議会)、「めんの日」(全国製麺協同組合連合会)、「ダブルソフトの日」(山崎製パン)、「ロールちゃんの日」(山崎製パン)
大手出版社でゴーストライターを務めていたときに、多くの金言(きんげん)を知り、それを原稿の作成でも使ってきました。金言は、処世への戒めや教えとして手本とすべき言葉で、模範とすべき内容が含まれています。
そこが諺(ことわざ)とは違っているところで、金言を残した人が何気なく話したことが、本人の考えを超えて、不滅の真理を表すことにもなっています。
タイトルの「金言の真理」は、そんな意味合いもあってつけました。
本来なら、私の150冊のゴーストライター歴(大手出版社のみ)の初めの1冊の“経営の神様”について書くべきかもしれないのですが、あえて野村克也さんの金言から始めさせてもらいます。
野村克也さんはプロ野球選手として、また監督として数多くの名言を残していますが、お題の「敵は我に在り」を頻繁に使う前には「失敗と書いて成長と読む」という言葉をよく話されていました。
これは失敗を失敗のまま終わらせず、成功につなげるためのステップを考えることを意味しています。その通りのことを名選手、名監督として実践してきましたが、野村さんは何回か現役を離れて解説者になった期間があります。
そのときに、講演のテーマでも雑誌記事のタイトルでも、そして書籍の題名にも使っていたのが「敵は我に在り」でした。敵は外にいるのではなく、自分の中にいるという意味で、金言として残されるべき言葉でした。
この話は次回(金言の真理2)に続きます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕
今から40年前の1985年はアイドル大豊作の年ということで、その年から5年間は原宿のタレントショップの全盛期でもありました。
まだ30歳という年齢でもあって、業界の機関誌編集、書籍の原稿書き、スポーツ誌の編集という比較的堅い仕事をしてきたのですが、27歳から原宿の“ど真ん中”に住んでいたこともあって、柔らかい仕事の方から私に近づいてきたところがあります。
具体的には大手出版社の情報誌や女性誌などの情報提供ですが、竹下通りの不動産屋を叔父(大学教授)が経営していて、教え子が実務をしていたこともあって、原宿界隈の新規出店の情報は毎週のように知ることができました。
タレントショップは最盛期の1989年には竹下通りだけでも42店あって、原宿地域全体で52店ということで、いかに集中していたかがわかります。わずか350mの竹下通りに130店の店舗があり、そのうち42店というのは今とは街の景色が大きく違っていました。
1985年に歌手デビューした女性アイドルは、浅香唯、石野陽子、井森美幸、大西結花、河合その子、斉藤由貴、佐野量子、本田美奈子、松本典子、南野陽子、森口博子、吉本美代子などがいて、さらにおニャン子クラブも同時期のデビューでした。
今の名前が残っているのは新田恵利、国生さおり、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子などですが、会員番号52番まで存在していて、おニャン子クラブは数で勝負する今の女性グループの走りみたいなものでした。
諸説あるものの初めてのタレントショップは「おニャン子クラブの店」とされています。1985年といえば少年隊がデビューした年で、その前後では1982年(〜1988年)にシブがき隊、1987年に光GENJIと、男性グループでは一大勢力がテレビを中心にメディア制覇していたので、女性アイドルでないと売れないどころかデビューもできない時代を背景にしての出来事だったようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
人材教育の継続性を保つ方法を教えてくれたのは、茶道の世界の重鎮で、その功績が久しぶりにメディアで盛んに取り上げられたのは逝去の報道でした。
終戦80周年のタイミングで、特攻隊員であったという経歴もあって、戦後の人材教育、平和活動が、いかに重要なことであるかという取り上げられ方でしたが、私たちにとっては継続のための仕組みを家元制度を例に紐解いてくれた有り難い存在でした。
家元制度というと、ピラミッド組織が思い浮かべられることが多く、ピラミッドは金字塔という呼ばれることから、「ピラミッド組織=金を産む仕組み」とイメージされることがあります。
すべての家元制度が違うとも、その通りだとも言うことはできないのですが、継続のための資金づくりは重要であり、公益の活動をするためには資金源が明らかになっていることが大切です。
その資金を上からドンと持ってくるのか、それとも下から持ってくるのか(吸い上げるという表現は好きではないのですが)、それは新たな仕組みを作り上げるときには必ず決め込んでおかなければならないことです。
最もよいと考えられるのは、上(仕組みを設けている組織)が初めの資金を出して、それによって作り上げられた仕組みによって得られた知識や資格などに対して、下(受講者)が無理のない金額を出して、それが集まることで継続させることができるというスタイルです。
そのシステムづくりのためには、常に講習内容をアップグレートさせること、組織の継続に必要なサービスを提供し続けることであり、それを実現させるためには、何よりも社会が求める意義に沿ったものであること、ということを学ばせてもらいました。
それを実現させる機会が、いよいよ訪れたと認識しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中からn–6系脂肪酸の「目安量の算定方法」を紹介します。
〔目安量の算定方法〕
*成人・高齢者・小児(目安量)
平成30年・令和元年国民健康・栄養調査から算出されたn–6系脂肪酸摂取量の中央値を1歳以上の目安量(必須脂肪酸としての量)としました。
なお、必要に応じて前後の年齢区分における値を参考にして値を平滑化しました。
*乳児(目安量)
母乳は、乳児にとって理想的な栄養源と考え、母乳脂質成分と基準哺乳量(0.78L/日)から目安量を設定しました。0〜5か月の乳児は母乳(または乳児用調整乳)から栄養を得ていますが、6か月頃の乳児は離乳食への切り替えが始まる時期であり、6〜11か月の乳児は母乳(または乳児用調整乳)と離乳食の両方から栄養を得ています。
この時期は幼児への移行期と考え、0〜5か月の乳児の目安量と1〜2歳児の目安量(中央値)の中間値を用いました。
0〜5か月児の目安量は、母乳中のn–6系脂肪酸濃度(5.16g/L)に基準哺乳量(0.78L/日)を乗じて求めました。
「n–6系脂肪酸:目安量(g/日)=5.16g/L×0.78L/日=4.02L/日」
6〜11か月児の場合は、0〜5か月児の目安量と1〜2歳児の平成30年・令和元年国民健康・栄養調査の摂取量の中央値(男女平均)の中間値として、以下のように求めました。
「n–6系脂肪酸:目安量(g/日)=〔4.0+(4.6+4.3)/2〕2=4.2g/日」
*妊婦・授乳婦(目安量)
平成30年・令和元年国民健康・栄養調査では調査対象となった妊婦の人数が極めて限られていたことから、妊娠可能年齢に該当する妊娠・授乳をしていない女性におけるn–6系脂肪酸摂取量の中央値を用いることとしました。この値は9.33g/日であり、目安量を9g/日としました。
授乳婦についても同様に平成30年・令和元年国民健康・栄養調査では調査対象となった妊婦の人数が極めて限られていたことから、妊娠可能年齢に該当する妊娠・授乳をしていない女性におけるn–6系脂肪酸摂取量の中央値を用いることとしました。このため、目安量を9g/日としました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕