投稿者「JMDS」のアーカイブ

OMO(Online Merges with Offline:オンラインとオフラインの融合)が意識されるきっかけとなったのは、Web1.0の時代から今(Web3.0)も続く、実店舗の苦しみから解放されたいという切実な願望があったからです。

Onlineで発見した商品を、実店舗(Offline)で実際に手に取って、品質や自分に合う(似合う)ものなのかを確認して、その場で購入してもらうということを希望するのは当たり前の感覚です。

ところが、商品を確認した後に、実際に購入するときには、Onlineを活用して、より条件のよいところ(安い、早い、ポイントの付与など)で買いたいという消費者心理が発揮しやすい状況が当たり前になりつつあります。

Web2.0の時代からは情報を発信する側が、発信した先からの情報を受け取る相互通信の時代になり、同じ商品を比較するだけでなくて、旧バージョンとの比較、品質と価格のバランスといった従来とは違った選択肢が数多く提供されるようになっています。

となると、“高くても買いたい”“その店で買ったという高揚感”といったことは、だんだんと通じなくなってきています。

もはやOffline(実店舗)では対抗できないということで、Onlineでの販売(通信販売など)を同時に行う、さらに他のOnline販売にも負けないようにとOnlineでの情報発信に力を入れる会社や店舗が急速に増えていきました。

OnlineかOfflineのどちらかで買ってもらうということなら、実店舗は試着や試供品を提供する場所となっても、結果的に販売が伸びるということになります。そのためには、顧客情報を蓄積して、的確なタイミングでの案内(おすすめ商品、セール情報)が可能になり、これがマーケティングとしてのOMOとなっていきます。

しかし、これも余計に手間がかかり、少なくとも中小や個人商店で完全に対応できるものではありません。そこに力を注ぐのか、それとも他のところに力を注ぐのかを選択するようでは、新たな時代の展開とは言えません。
〔小林正人〕

ストレスが高まると、興奮ホルモンのアドレナリンが分泌され、呼吸数と心拍数が増え、血圧が上がり、末梢血管が収縮する、といった身体の変化が起こります。

ストレス状態は自律神経の交感神経の働きを活発にさせます。

交感神経の働きが活発になって、興奮状態になったときには全身の働きが活発になることで細胞でのエネルギーの発生量も多くなり、活性酸素が多く発生するようになるのですが、中でも特に活性酸素を発生させるのは末梢血管が収縮するときとなっています。

ストレスによって血管が収縮すると血液の流れが一時的に低下します。そのあとに元の状態に戻って血流が急に高まるときに、細胞に多くの酸素とエネルギー源が送り込まれることによって活性酸素が多量に発生します。

ストレスには身体的なストレスと精神的なストレスがあります。身体的なストレスは身体を休めることで低下させることができるために、休養を取ることでストレスによる活性酸素の発生量を抑えることができます。

それに対して精神的なストレスは、身体を休めても原因が続く限りはストレス状態が続くことから活性酸素は発生し続けることになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「傘の日」日本洋傘振興協議会が、入梅の日を制定。

「梅酒の日」チョーヤ梅酒が、入梅の日を制定。

毎月11日:「果物の日」(全国柑橘宣伝協議会、落葉果実宣伝協議会)、「めんの日」(全国製麺協同組合連合会)、「ダブルソフトの日」(山崎製パン)、「ロールちゃんの日」(山崎製パン)

「天上大風」の4文字の書は、物心がついた頃から、身近なところにありました。

この書が飾られていたのは、母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で、親元を離れて3歳から未就学の間、暮らしていたところです。

「天上大風」の書は本堂ではなくて居宅のほうであったので、仏教の言葉ではないのかと子ども心にも感じていました。宗派は浄土真宗だったのですが、開祖の親鸞聖人の書(言葉)でもなさそうということも、何となくわかっていました。

「天上大風」の書の左下側には「良寛」と書かれていて、この人が書いた人の名前だと聞きました。

良寛和尚は、江戸時代後期(宝暦から天保)の曹洞宗の禅僧で、出雲崎町出身であったことから地元の英雄のような感じで、門徒(他宗では檀家)の家に行くと、必ずといっていいほど「天上大風」の書が飾られていました。

このコピーしたかのような同じ書が、原本の印刷物だと知ったのは、寺院で暮らして半年ほどしてからのことだと記憶しています。

「天上大風」の読み方は、「てんじょうおおかぜ」で、そのように町内の方々は読んでいました。それが「てんじょうたいふう」という読み方もあって、そのほうが知られているということを知ったのは後(大学生になってから)のことでした。

「天上大風」の意味は住職(祖父)から、「天の下は風がなくても天の上は大風が吹いているので注意が必要だ」と聞かされていました。

これが正しいことだったのかを知るのは、上京して学んだ東洋大学の図書館の仏教関連の書籍からでした。

良寛和尚の心情に気づいた時から、「天上大風」は私にとっての大切な言葉の候補になり、今では重要な銘言にもなっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

大学4年生のときに始めた社団法人日本厨房機器工業会(現在は一般社団法人日本厨房工業会)の「月刊厨房」の編集アルバイトは、形を変えて卒業後にも継続することになりました。

工業会に就職したわけではなくて、アルバイトの延長の業務委託として編集を担当することになりました。

当時は就職難の時代ではあったものの、編集の仕事はいくつか出てきていました。親戚の者が勤めていた業界紙(電線・電纜の専門新聞)の編集長(兼社長)に気に入られて、今でいう内定が得られました。

電纜(でんらん)は導線を束ねたケーブルのことで、就職前の研修代わりということで業界紙を読ませてもらっていました。その知識はインターネットの時代になってから大いに役立ちました。

親戚の者から、他の会社の就活はしないように言われていて、業界は違っても厨房業界の連携先(お役所や企業など)には役立つだろうと卒業近くまでアルバイトを続けていました。

いくら内定が決まっていても、3月になって何も連絡がなかったので社長に電話を入れたら、驚かれてしまいました。

というのは、私を紹介した親戚の者は、すでに会社を辞めていて、私の就職はどうするのかと聞かれて、自分が他の仕事に就けさせると話していた、ということを初めて聞いたからです。

他に心当たりがなかったので、工業会にアルバイトが続けられないかと話したら、そこでも驚きの話をされました。それは、機関誌の編集を業務委託していた編集者が会社に黙って副業をしていたことがバレて、手を引いてしまったということでした。

そのために、私が業務委託を受けることとなったのですが、たった1年間のアルバイト経験で月刊機関誌を作成するのは大変なことでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

紫外線、電磁波、放射線、X線は身体の中に浸透する特徴をもった波長で、細胞へと直接届き、細胞を傷つけていく作用があります。

細胞が傷つけられるときには活性酸素が発生しますが、細胞が破壊されるようになると活性酸素の発生量は大きく高まるようになります。

活性酸素が発生すると、体内の細胞が次々に破壊されていくようになります。電磁波などの波長によって細胞が破壊されることに加えて、さらに活性酸素による破壊が起こることから、多くの細胞を修復しなければならなくなります。

細胞を修復するためには細胞の材料となるタンパク質が多く必要になりますが、体内でタンパク質を作り出している肝臓に負担がかかることになります。

そのため、肝臓の働きが高まることで活性酸素が多く発生するようになります。このことによって二重の作用で身体は活性酸素の害を受けるようになります。

電磁波や放射線などは当たった部分にだけ活性酸素が発生するような印象がありますが、実際には浸透性があるために、当たった部分の奥にまで影響を与えます。

さらに当たった部分で多くの活性酸素が発生すると、活性酸素は血流に乗って周囲にも広がっていくことになるため、被害の範囲は全身に及ぶことも考えられます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ミルクキャラメルの日」森永製菓が、1913年6月10日に初めてミルクキャラメルが発売されたことにちなんで制定。

「リボンシトロンの日」ポッカサッポロフード&ビバレッジが、リボンシトロンの前身のシトロンの発売日の1909年6月10日にちなんで制定。

「ところてんの日」伊豆ところてん倶楽部が、ところ(6)てん(10)の語呂合わせで制定。

「ローストビーフの日」ローストビーフの通販たわら屋(静岡県菊川市)がロー(6)スト(10)の語呂合わせで制定。

「無糖茶飲料の日」伊藤園が、無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「BLACK無糖の日」UCC上島珈琲が、無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「うどんと和菓子をいっしょに食べる日」ちから(広島県広島市)が、うどんと和菓子を一緒に食べる食文化の普及を目的に、うどんと和菓子の店として同社が創業した1935年6月10日にちなんで制定。

「Doleスムージーの日」ドールが、スム(6)ージー(10)の語呂合わせで制定。

「てっぱん団らんの日」オタフクソースが、食育基本法が成立した2005年6月10日にちなんで制定。

「こどもの目の日」日本眼科啓発学会が、6歳までに視力0.1に成長するのが大事ということから制定。

「ロートの日」ロート製薬が、ロ(6)ート(10)の語呂合わせで制定。

「アイスティーの日」日本紅茶協会が、アメリカのアイスティーの日(6月10日)に合わせて制定。

「無添加の日」ファンケルが、無(6)添(10)加の語呂合わせで制定。

毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合)、「アメリカンフライドポテトの日」(米国ポテト協会)

「三献の茶」については、その由来も知らずに子どものときに寺院でお茶の差し上げ方の三段活用をしていました。その寺院というのは母親の実家(新潟県出雲崎町)で、寺院と茶道は付きもので、祖母は茶道の心得があって家元制度の免状が飾ってあったことを覚えています。

「三献の茶」について前(日々邁進159)より少しだけ詳しく書くと、以下のようになります。

一杯目は、喉が渇いている相手を思い、喉の渇きを鎮めさせるために、たっぷりのぬるめの茶を大きめの茶碗で差し出します。

二杯目は、一杯目を飲み干した相手に、次に少し熱めの茶を、やや小さめの茶碗で差し出します。

三杯目は、相手の気持ちが落ち着いた頃を見計らい、熱く濃い茶を、高価な小振りの茶碗に入れて差し出し、ゆっくりと味わってもらいます。

「三献の茶」には及ばないものの、その要領は習うともなく、子どものときに親元を離れて3歳から3年間、預けられていた寺院で身につけていました。

後になって祖母は、「小坊主さんも、お茶の出し方で出世した」とか「お茶は相手のことを思って差し上げる」という話を伝えたと言っていましたが、幼い記憶では茶道の作用のことなのかと感じていました。

あまりにも濃茶が苦かったので、普通のお茶(煎茶)は甘くて、美味しいと感じるくらいでした。

その飲みやすいお茶は、3つの茶筒に入っていて、見た目は変わらないのですが(来客にはわからないようにしていた)、値段が違っていました。

人に差をつけてはいけないのが仏教であるはずなのに、お客さんによって使う茶筒と中身が違っていました。

4歳の時には間違わずに茶筒を選び、急須から注げるようになっていました。高いお茶ほど、ぬるめのお湯で時間をかけて淹れるということを覚え、温度で味わいも香りも変わってくることを知りました。

これを「三献の茶」の三段活用と同じに論じてよいのかは別に置いておくとして、私にとっての「三献の茶」は出世につながることはなかったものの、お茶を出す相手の気持ちを察することはできるようにはなったと思っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

社会人として初めに手掛けた仕事から、現在までの道のりを説明すると、多くの人は「いろいろと経験してきたのですね」とは言うものの、その必然性まで考えを及ばせる人は極めて少ない状態です。

大学を卒業してから50年近くも経っていますが、わざわざ“初めに手掛けた仕事”と書いたのかというと、ただ就職をしたということではなくて、一般の新入社員のような経験はしたことがないからです。

そもそも今に至るまで会社員などとして給料を得たことがなくて、初めから業務委託を受けて専門の仕事をしていたか、私が加わって設立した団体で自ら仕事を作ってきたので、普通の会社員、公務員、団体職員の感覚で働いた経験はありません。

それも親が裕福だとか、嫌な仕事をしなくても生きてこられたということではなくて、新潟県の片田舎から上京して、東京の大学で親の仕送りで学ぶことができただけです。仕送りだけで生活することはできなかったので、アルバイトをしました。

そのアルバイト先が、郷土選出の国会議員の東京の私邸の錦鯉の世話、クラシック音楽専門誌の編集補助、料亭と割烹の調理補助と続き、大学4年生のときには厨房専門誌の編集を手がけていました。

専門誌といっても、いわゆる業界誌ではなくて、厨房機器の工業会(社団法人)の機関誌で、読者は全国の厨房機器会社の社員という普通なら“狭い世界”の月刊誌でした。それも発行日には会員の各社と関係する役所に自らが封入して発送するという、極めて手作り感が満載の仕事でした。

狭い世界に見えながらも、取材先でもある国のお役所は、当時の名称で書くと、通商産業省、建設省、自治省、厚生省、労働省、文部省、農林水産省、防衛庁と、思った以上に広範囲でした。

ただ、防衛庁(現在の六本木ミッドタウンの位置)を除くと、霞ヶ関や虎ノ門に集中していたので、無理をしなくても回れる範囲でした。

これらのお役所の関係が現在につながってくるわけですが、それについては徐々に明らかにしていくことにします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「OMO」は、マーケティング戦略の世界では以前から使われてきた用語です。

これは「Online Merges with Offline」を略したもので、「オンラインとオフラインの融合」と訳されています。

融合(Merges)という言葉が使われるのは、OnlineとOfflineが結びつかない状態で進化してきたことへの反省があって、それを融合させることによって新たなマーケティングの基幹にしたいという願いがあってのことです。

OMOが重要なキーワードとされるようになったのは、Onlineが広まり、Offlineが低迷していくことは背景としてあったものの、それと同時にOnlineだけでは希望するような発展は望めないという危機感もあってのことです。

Web1.0の時代であれば、店舗の商品を販売するためにインターネットやスマホ(SmartPhone)などの通信機能を使って拡散して、集客をするという一方通行であったので、Onlineと呼んでよいのかわからない状態でした。

それ以前の時代(Windows95の登場前)は、顧客(候補)の情報を得るには、今でいうOfflineでコツコツと情報を蓄積することが重要で、実店舗の蓄積情報を、どのように使うかで売り上げが決まってくるという状況でした。

そこからの改善(飛躍)がWeb1.0では期待されていたものの、集客のためのOnlineは「チラシの配布と、どこが違うのか?」と言われるような状態でした。

チラシよりも拡散力はあるものの、受け取ってくれたのか、見てくれたのか、見た後に気持ちが動いたのか、実際に実店舗に足を運ぼうとするのかという手探り(確証がない)状態での宣伝手法でした。

それはWeb3.0からWeb4.0に移りつつある時代であるのも関わらず、クーポン券をつける、画面提示で割引が受けられるといった、旧態依然の思考から脱却しない(できない)まま、OMOのマーケティング力を望んでいる人が多いという実態もあります。
〔小林正人〕