投稿者「JMDS」のアーカイブ

地方の商店街の店舗で、昔から言われてきたことの一つに「知っている店で買えば、知っている人が買いにきてくれる」という言葉があります。それに続けて、「デパートは買いに来ない」とも言われていました。

これはWeb1.0の時代(Windows95の登場前)のことだというのがマーケティングの世界の認識ですが、案外と同じ感覚でのままという地域は少なくありません。Onlineで拡散してOffline(実店舗)に誘導するという手法であるのに、OMOを標榜している人もいます。

OMOは「Online Merges with Offline」の略で、「オンラインとオフラインの融合を指しています。

先ほどの手法はO2Oと分類されていて、「Online to Offline」を指しています。“to”を2で示したもので、インターネットの情報やサービスをきっかけにして、実店舗(Offline)に誘導する仕組みです。

目的は実店舗への誘導と購入という一方通行であって、OfflineからOnlineへ誘導するという双方向のサービス(Web2.0以降)は望むことはできません。

O2Oは、Onlineの拡散力が頼りであって、集客した後のこと(どんな人なのか、何を志向しているのかなど)は別に考えようという(旧態依然の)スタイルです。

「知っている人が買いにきてくれる」というのは、何もOfflineとOnlineを持ち出すこともなくて、昔から日本人に定着している古い形の助け合い精神の現れです。

「どうせ買うなら、仕事をしてもらうなら知っている人のところへ」というのは互助会や共同購入の発想で、これを目的とした交流会、勉強会が数多く存在しています。

こういった業界にこそO2OとOMOの根本的な違いを知ってもらって、参加した元々の目的と合致しているのか(立ち止まって)確認してもらうためにもOMOの真理を伝えておきたいのです。
〔小林正人〕

活性酸素とがんとの深い関係性が指摘されています。

日本人の死因の第1位であるがんは死亡率の30%以上を占め、年々増え続ける一方となっています。

がん細胞は、もともとは身体の正常な細胞であったものですが、正常な細胞の遺伝子が傷つけられることによって通常の分裂とは異なる異常な分裂を起こすことから細胞のがん化が始まります。

正常な細胞は、遺伝子に組み込まれた情報によって過剰に増殖しないようにブレーキがかかっています。分裂するのは元の細胞だけで、分裂してできた細胞は分裂することができないようになっています。そのため、分裂するたびに1つずつ細胞が増えていきます。

ところが、遺伝子が傷つけられると抑制のブレーキが効かなくなり、分裂してできた細胞も分裂を始めるようになります。

そして、がん化した細胞は2、4、8、16、32、64、128……というように倍々の増え方をして、一気に増殖していくようになります。
このことが、がん細胞が急激に増えていく理由となっています。

若い人ほど、がん細胞は増殖しやすいことが知られていますが、がん細胞は正常な細胞と同じように成長ホルモンを使って分裂をしていくため、成長ホルモンの分泌量が多い若い人のほうが増殖しやすくなっています。

日本人の死亡原因は、終戦から(第二次世界大戦)2年後の昭和22年(1947年)に発表された統計では第1位は結核で、第2位は肺炎・気管支炎でした。これは戦後の食料難の影響もあるものの、日本人は歴史的に栄養不足であったため、免疫力が低かったことと関係しています。

死亡原因の第1位は、昭和25年(1950年)までは結核でしたが、昭和26年(1951年)には脳血管疾患が第1位となり、昭和56年(1981年)にはがんが逆転して、それ以降は現在まで、がんが第1位となっています。

昭和30年代には栄養状態も改善されましたが、昭和40年代以降は食生活の洋風化が進み、その影響から生活習慣病が増え続け、がん(統計では悪性新生物)、心疾患(心臓病)、脳血管疾患による死亡数が増え続けていきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「いいみょうがの日」高知県農業協同組合が、6月がみょうがの旬で、いい(1)みょうが(3)の語呂合わせで制定。

毎月13日:「一汁一菜の日」(一汁一菜ぷらす・みらいご飯)、「お父さんの日」(ヤクルト本社)、「登山の日」(ICI石井スポーツ)

「天上大風」(てんじょうおおかぜ)の書を遺した良寛和尚のことを良寛さんと“さん付け”で呼んでいます。

それは私が母親の実家の寺院で生まれて、それから3年後に親元を離れて小学校に入学する直前の期間に暮らしていた新潟県出雲崎町が、良寛さんの生まれ在所だということがあります。

地元(出雲崎町)では今でも親しみを込めて「良寛さん」と呼ばれていますが、新潟県内に広げると「良寛和尚」と普通に呼ばれています。呼び捨てで「良寛」と呼ぶことは御法度で、固有名詞の良寛記念館も「良寛和尚記念館」と2文字を加えて呼ばれています。

新潟県から離れた人にも「良寛和尚」は刻まれていて、地元出身で総理大臣となった政治家の私邸に通っていた時に、母親の実家の話の中で出雲崎町(選挙区の一つ)のことを話題にしたら、「良寛和尚の!」と言われました。

それがきっかけになったわけではないのですが、一般には良寛禅師と呼ばれている中で、私は「良寛和尚」と口を突いて出てきます。

良寛和尚が修業した場として有名な岡山県では、「良寛さん」「良寛和尚」「良寛様」とも呼ばれていました。これだけ多彩な呼び方をされるのは、逸話の多さもあるのかもしれませんが、生涯を托鉢で仏道に励んだことが評価されてのことと考えています。

「良寛和尚」は江戸時代後期の曹洞宗の禅僧で、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺まで歩いて行ったと、私は住職の祖父から聞きました。

それは安永8年(1779年)、22歳の時のことだったということですが、その当時は約700kmの距離を歩いて行くしかなくて、12年の修業の後にも歩いて諸国巡りをして越後に戻っています。

生涯を修行僧として励んだ評価と「天上大風」の真理と一致しているのではないか、と考えて、これを銘言として抱いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

“門前の小僧習わぬ経を読む”という言葉がありますが、私が手掛けた臨床栄養の機関誌の編集は、それがピッタリの状況でした。

日本臨床栄養協会は、臨床医と病院栄養士が学び合う学術団体であって、機関誌の原稿は病院栄養士や医師が書いていました。また、協会の学術集会での講演内容を記事にして、参加できなかった会員に講演で示された画面とともに伝える(学んでもらう)のも大きな目的でもありました。

初めのうちは講演を聞いても、何を言っているのかわからない状態で、臨床栄養学の教科書を借りて、それでもわからないことは医師や管理栄養士の方々に聞くということで、なんとか季刊誌(年4回発行)の編集をこなしていました。

講演の内容のテープ起こしも専門用語で引っかかって、前に進まないということがあったものの、慣れというのは恐ろしいもので、いつしか専門用語が聞き取れるようになって、内容も理解できるようになりました。

専門家ほど専門用語が早口になるという特徴があって、こればかりは聞き慣れていないと、どうにもならないということでした。

慣れることができたのは、学術集会で話されたことを、すべて聞いて文字にしていたからです。学術集会は、同時に複数の講演が行われるために、1人が参加できるのは限られています。

だから、すべての講演が掲載されている機関誌は重要になるということですが、全講演を聞いたのは、文字化を担当していた私だけなので、短期間で充分過ぎるほど学ばせてもらいました。

その経験が、その後に続く、栄養士や医師などの複数の団体の機関誌の編集などに役立つことになりました。

その関わった団体は、公益社団法人日本メディカル給食協会、公益財団法人日本健康スポーツ連盟、一般社団法人日本臨床栄養協会、一般社団法人日本臨床栄養学会、一般社団法人日本未病学会、一般社団法人日本病院調理師協会、一般社団法人日本健康倶楽部などでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

血液中には、活動のためのエネルギー源になるブドウ糖が流れています。ブドウ糖は、食事で摂った糖質が分解されたもので、活動をしたときに細胞に取り込まれて、効率よくエネルギーとして使われています。

血液中のブドウ糖は血糖と呼ばれます。糖尿病やダイエットで耳にすることがある血糖値というのは、血液中のブドウ糖の割合を示しています。血糖値が高ければブドウ糖の量が多く、低ければブドウ糖の量が少ないことになります。

血液中のブドウ糖が多くなったときには、膵臓からインスリンが分泌されて、インスリンの働きによって細胞にブドウ糖が取り込まれるため、通常では血糖値が上昇しすぎないようになっています。

それに対して、食事でのブドウ糖が含まれる糖質が少ないか、運動などによってブドウ糖が多く使われたときには筋肉や肝臓の中に蓄積されているグリコーゲンが分解されてブドウ糖となり、血液中に放出されて一定の割合に血糖値が保たれるようになっています。

ところが、血液中のブドウ糖の量が過剰に多くなり、高血糖状態になったときには処理しきれずにブドウ糖の一部が赤血球と結びつく糖化が起こり、血液中に糖化タンパクができるようになります。

赤血球の酸素を運搬するヘモグロビンはブドウ糖が多い状態ではブドウ糖と結びついて糖化によってヘモグロビンA1cに変化します。この変化するときに活性酸素が多量に発生します。

また、糖尿病では高血糖の影響によって血管の細胞にブドウ糖が浸透するようになり、浸透したブドウ糖は糖アルコールに変化します。細胞は水分量が一定のときに正常な代謝が行われます。

ところが、糖アルコールが多くなった細胞は新陳代謝が正常に行われなくなるため、高血糖状態では血管の再生が遅れて、弾力性が徐々に失われていくようになります。

そのために血流が低下することになり、血流が再び戻るときに活性酸素が多量に発生するようになります。

代謝が低下するということは、エネルギーを作り出す能力に対してエネルギー源の量が多くなりすぎることになり、それが細胞内での不完全燃焼を起こすことになり、さらに活性酸素が多く発生するようになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「恋と革命のインドカリーの日」中村屋が、1927年6月12日の純印度式カリーの発売日にちなんで制定。

「晩餐館焼肉のたれの日」日本食研ホールディングス(愛媛県今治市)が、1989年6月12日の晩餐館焼肉のたれの発売日にちなんで制定。

「ロースイーツの日」Cafe Holo iMua(兵庫県尼崎市)が、ロー(6)スイーツ(12)の語呂合わせで制定。

「ヘルシーソイラテの日」日本豆乳協会が、梅雨に入って熱中症などで体調を崩しやすい6月に水分を補給することと、トウ(10)ニュウ(2)の語呂合わせで制定。

毎月12日:「パンの日」(パン食普及協議会)、「育児の日」(神戸新聞社)、「豆乳の日」(日本豆乳協会)

良寛和尚(禅師)の「天上大風」の書は、書道作品として江戸後期から今に伝えられていて、その解釈も一定のものではありません。受け取る人によって違いがあっても許されるのは、そこが良寛和尚の言葉たるところです。

「天上大風」(てんじょうおおかぜ)は、「空は穏やかに見えても、その上空では激しい風が吹いている」という仏教的な戒めや人生観を表す言葉というのが、一つの解釈です。

「天上大風」の言葉の印象の強さから、「現生の平穏さの裏に人生の試練や真理が隠されている」という悟り(覚醒)の境地として説明されることもあります。

そこから現在のように閉塞感のある時代でも、前向きな気持ちで大きな風を呼び込み、良い方向へ進もうという素朴で力強い(ポジティブな)願いを表現する言葉としても使われています。

もう一つは、素朴な解釈そのものなのですが、これこそが良寛和尚の純粋な心を表す言葉とされています。

「天上大風」は空の上には強い風が吹いているというのが直接的な意味で、子どもの凧揚げがうまくいかないときに、「天上大風」と書いたところ空高くあがったという逸話が残されています。

これは「空高く風よ吹け」という純粋な気持ちを込めた言葉という解釈としても伝えられています。

「天上大風」に強く惹かれるのは、私が3歳から親元を離れて暮らした母親の実家の寺院が新潟県出雲崎町にあり、良寛和尚の出身地も出雲崎町だったことも影響しています。

「天上大風」の書が寺院の門徒(浄土真宗以外では檀家)の家で常に目にすることがあったこと、出雲崎町では良寛和尚の生家の跡の良寛堂、良寛記念館があり、飲んでいたのが良寛牛乳だったなど、良寛和尚の存在(?)が子どもの頃の地元の感覚(?)とつながっていたこともあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害者は18歳以上、発達障害児は18歳未満と年齢によって分けられています。これは一般的な解釈であると同時に、発達障害がある人を支援するための法律である発達障害者支援法にも示されています。

発達障害者というと、発達障害の状態があると診察された人を示していると思われがちですが、発達障害があるだけではなく、それと同時に社会的障壁によって日常生活や社会生活に制限を受けている人のことを指しています。

これは発達障害者支援法の第二条(定義)に示されています。

社会的障壁という用語は、発達障害がある人が日常生活や社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものを指しています。

つまり、発達障害がある人が暮らしにくいのは、その人に原因があるわけではなくて、社会的障壁がなければ、発達障害があっても生きにくいような状況にはならない、という考え方が根底にあるのです。

発達障害にとっての社会的障壁という概念は理解しにくいところがありますが、ここでは理解のために身体障害を例にして説明をします。

車椅子を利用している人が、建物に入ろうとしても自力で車椅子を使って乗り越えられない段差があれば、その人の行動を制限して障害を発生させているのは設備のほうに原因があることになります。

建物の2階に行こうとしてもエレベータがなくて階段を使うしかない構造であった場合には、やはり構造のほうに問題があります。この障害は建物を直すことだけでなくて、設備の代わりをしてくれる補助者がいれば障害ではなくなるとも考えることができます。

しかし、身体に障害がある人が助けを呼ばなければならない状態や、障害がある人が利用することを想定した仕組みやサービスになっていないのでは、障害は障害として残されることになります。

発達障害者は身体の障害とは異なり、外見では判別がつきにくいことが社会的障壁を高いものにしていると同時に、身体の障害ほど社会の理解が進んでいないことが大きな要因となっています。

周囲からわかりにくい状況の中で、生きにくさを抱えて苦しんでいる発達障害がある人たちを支援するには、時間がかかることではあっても、理解を進める機会を増やすことから始めるべきです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

厨房業界の月刊機関誌の業務委託を大学を卒業したばかりで受けるのは大変なことではあったものの、ひょっとすると人脈が使えるかもしれないという希望の光がありました。

厨房業界に関係する通商産業省、建設省、自治省、厚生省、労働省、文部省、農林水産省、防衛庁のうちの多くは、大学1年生のときのアルバイト先だった国会議員が総理大臣を務めていたことから、ほとんどのお役所につながりがありました。

ちょうど社団法人が設立されて10周年で、記念誌を出すことになり、その取材や関係部署の挨拶文やコメントなどをもらうために、お役所を回ることになって、急にお役所、お役人との距離が縮まりました。

お役所と厨房業界との関わりを簡単に説明すると、厨房機器は通商産業省、建物は建設省、安全(消防関係)は自治省、衛生は厚生省、厨房内で働く人は労働省、資格認定などの教育は文部省、食材は農林水産省となります。

営業先は給食関連が多くて、病院と福祉施設は厚生省、産業給食は労働省、学校給食は文部省、自衛隊の給食は防衛庁と、こちらも同じ食事であるのに多岐にわたっていました。

また、業務委託を受けた年に厨房設備士の資格認定が始まり、これはページを埋めるのに絶好のネタとなりました。この資格認定の仕組みを作るのに加わったことは、のちに健康関連の資格認定を手掛けるときに大いに役立ちました。

広報としての厨房で働く人の団体とのつながりから、調理師団体とは深く付き合っていました。調理師の中でも病院の調理師団体とつながり、その先の病院栄養士団体ともつながり、その団体のトップとも言える国立病院の栄養士団体の会長ともつながりました。

厨房業界から離れて、次に進んだのが臨床栄養の世界で、会長が退官して設立した病院栄養管理の研究所で主任研究員となりました。

といっても、臨床栄養は素人同然でしたが、逆に病院の調理師・栄養士は厨房や食器などの安全・衛生には弱いところがあり、補い合うことができる世界でした。

病院栄養管理の研究所では、安全と衛生だけでなく、病院調理の専門誌を編集することになり、さらに日本臨床栄養協会の機関誌の編集も行うことになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕