投稿者「JMDS」のアーカイブ

健康診断を受けて、その結果に合わせて的確な健康づくりのアドバイスを受けることができるなら、健康診断の意味合いもあり、信頼度も高まり、受診したいという人が増えることは普通に想像することができます。

そして、受診した結果が自分の望んだことであっても、望まなかった悪い結果であっても、その後の行動を起こす人が増えていきます。望んだ結果であった人は、その状態を維持しようとして健康を気づかった生活をしようとします。望まなかった結果であった人は、改善しようと努力をします。

そのような人が多いこと、多くなっていくことを願ってはみるものの、実際には健康面でプラスになることを始めるのではなくて、医師への受診をしない、高血圧、糖尿病、脂質異常症といった放置しておくと、症状が悪化するばかり、時間が経過するうちに手遅れになるということであっても、受診をしない人も少なくありません。

初期段階では自覚症状がない(ほとんど、というよりも、まったくない)生活習慣病では、健診で糖尿病が指摘されて医療機関で受診するのは35%ほどでしかないという調査結果もあります。気づいて慌てて受診をするのでは合併症が現れて、手遅れになってからということが多いのです。

健康診断でリスクが指摘されたときに、医療機関を受診する人を増やすためには、健康診断の結果が出てからでは遅いので、もっと早く、できれば健康診断の前に生活習慣病のリスクを伝えておくことが大切になります。

自分の健康状態を維持するためには、いかに自分に適した健康法が必要であるかを知って、それを阻害するのが生活習慣病であることを知っておくことが重要です。そういった意味から始めるのが、自分の健康を自分でデザインする「健康デザイン」の考え方です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「防災の日」関東大震災が発生した1923年9月1日から制定。

「えいようかんの日」井村屋グループが、防災の日に備蓄保存期間5年の羊羹などを備蓄食品の定期点検を目的として制定。

「望菜の日」カゴメが、被災時に保存できる野菜は望菜(ぼうさい)と読むことから防災の日に合わせて制定。

「キウイの日」ゼスプリインターナショナルジャパンが、キウ(9)イ (1)の語呂合わせで制定。

「大腸がん検診の日」ブレイブサークル運営委員会が、がん征圧月間の9月の初日を制定。

「マテ茶の日」日本マテ茶協会が、アルゼンチンで収穫祭が行われる9月1日を制定。

「こいまろ茶の日」宇治田原製茶場(京都府宇治田原町)が、急(9)須で淹れるお茶で一(1)番親しまれるの語呂合わせと2003年9月1日に、こいまろ茶が発売されたことにちなんで制定。

「ギリシャヨーグルトの日」森永乳業が、日本初の濃厚ギリシャヨーグルト・パルテノが発売された2011年9月1日にちなんで制定。

毎月1日:「あずきの日」(井村屋グループ)、「釜めしの日」(前田家)、「Myハミガキの日」(ライオン)、「もったいないフルーツの日」(ドール)

日々修行の連載コラムは最後の366回を書き終えました。これで最後と思っていたのですが、連載の途中で何度か「年表がないと関連性がわからない」という声がありました。

自分でも混乱しそうなことがあり、年表は100回目を数えるあたりで作成していましたが、これを載せると、さまざまな関係性がわかりすぎて迷惑をかけるかもしれない人がいることも考えられるので、年表は表に出さないできました。

ただ、あまりに混乱させたままでは、ここまで読んできてくれた方に申し訳ないという気持ちもあって、一部を、年表に従って書いておくことにしました。年表の縦軸にあたるのは西暦でも和暦(昭和〜)でもなくて自分の年齢です。

今年(2025年)は昭和100年で、終戦後80年です。私が生まれたのが昭和30年なので、今年で70歳です。

1000文字ほどの中で全部を書くのは不可能なので、最後の番外のお題である「ずっと学んで書いてきた」に関わることだけになります。先に“一部”と書いたのは、そのような意味があります。

これから先のことは、すでに日々修行の中で書いてきたことだけで、新たなこと(事実や出来事)は出てきません。書き方が少し違っているくらいで、ただまとめただけです。

新潟県の柏崎高校を卒業して、東洋大学の法学部で学ぶために上京したのは18歳のときでしたが、誕生日が4月8日なので、入学のときには19歳になっていました。

18歳のときに地元選出の国会議員(田中角栄)が総理大臣になり、19歳のときに同級生の父親が後援会の方だったことから東京・目白台の私邸に行きました。道案内程度のはずが、いつの間にか私邸に出入りするようになり、錦鯉の世話のアルバイトをすることになりました。

通学ルートの途中に目白駅があったので、定期券で通えていました。田中邸では、さまざまな文書(政治家や後援会の書類など)の手伝いをさせてもらったことが、後々の仕事に役立ちました。

錦鯉の世話を続けながら、20歳のときにはクラシック音楽雑誌のアルバイトを始めました。これは大学の近く(文京区白山)に居宅があった作家の先生のところに知人の紹介で通っていたのですが、先生の息子さんが「音楽の友」の編集長であった縁でのことです。

レコード会社を回って、新譜の情報(レコード盤や説明資料)をもらって、誌面に載る紹介記事などを書いていました。

21歳のときには中野新橋の割烹でアルバイトを始めました。中野新橋は神田川沿いで、新宿西口高層ビル群が遠景に臨めるところで、割烹は私の高校時代の同級生の親戚が経営していました。

相撲部屋の力士が谷町(ひいき筋)に連れてこられるところで、調理や食器洗いの手伝いということになっていましたが、実際には接客がメインでした。話題を途切れさせないために、対話の雑学を集めて、メモにして板さん(板前、料理人)、女将さん(同級生の叔母さん)に渡すのが日課でした。

この3つを続けながら、22歳のときには日本厨房機器工業会の「月刊厨房」の編集のアルバイトを始めました。これは作家の先生のところで知り合った小説雑誌の編集長の副業で、初めて業界の取材やお役所の文書をまとめるという経験をさせてもらいました。

この間にも他の学部(法学部法律学科に所属しながら文学部の東洋哲学講座、社会学部の福祉講座で偽学生?)、図書館での仏教のお勉強、そしてサークル活動(合唱団)ということも続けていて、それこそ就職活動をする暇もないくらいに忙しいまま4年間が過ぎました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

腸の体質というと一般には便秘ぎみか下痢ぎみかと分けられることが多いのですが、便秘と下痢を繰り返すという人も少なくありません。

便秘と下痢を繰り返す原因としては、自律神経の乱れ、潰瘍性炎、大腸ポリープ、大腸がん、クローン病などがあげられていますが、最近、増えているのは過敏性腸症候群によるものです。

過敏性腸症候群は、ストレスや精神的な要因、腸内環境の影響が考えられています。過敏性腸症候群が軽度な状態であった場合には、体調の変化で改善されることがあるのですが、それを邪魔したり、悪化させること要因として食物繊維の摂取があげられています。

腸内細菌の悪玉菌が増えると便通が悪くなり、便秘の傾向になりやすくなります。便秘になると悪玉菌によって毒素(有害物質)が多く発生するようになります。毒素は大腸から吸収されて、血液中に入って、全身に影響を与えるようになります。

そのため、毒素を早く排出するために、自律神経の状態が切り替わり、また大腸内の水分量が増えて下痢を起こすようになります。下痢を起こすと腸内細菌の善玉菌も悪玉菌も多く排出されます。

腸内細菌が減った大腸内では、悪玉菌のほうが増えやすいことから悪玉菌が急速に増えていきます。そのために、下痢の後に便利になりやすい腸内環境となっていくことになるのです。

これを止めるためには、悪玉菌が増えすぎないようにすることですが、その方法として一つには善玉菌の栄養源(エサ)である糖質、食物繊維、乳製品(乳糖)を増やして、悪玉菌の栄養源である動物性たんぱく質と脂肪を減らすようにします。

もう一つの方法は水溶性食物繊維の摂取量を増やすことですが、多く摂取すればよいというわけではありません。このことについては、次回(食のリテラシー32)に説明します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

バウンドボールに座って、バランスが取れるようになったら、背筋を伸ばし、腹筋に力を入れ、足(脚部)の力を使って上下に弾ませるようにします。

バウンドによって身体が前後左右に大きく揺らさないようにして、できるだけ頭が上に吊り上げられるイメージで動かします。

上下動が大きくなるほど運動量も大きくなり、体内に取り込まれる酸素が多くなります。上下動を始めて5分ほどで呼吸数が多くなります。平常時の呼吸数は1分間に16〜18回であったのが、運動時には24〜30回に増加します。

1分間に発揮することができる心拍数は最大心拍数と呼ばれます。その心拍数は「200−年齢」で求めることができます。50歳の人は170回、60歳の人は160回となります。適度な運動とされる有酸素運動では最大酸素摂取量の60%が目標となります。

50歳の人なら102回、60歳の人なら96回が目安となります。平常時の心拍数は60〜70回であるので、運動時には40%前後の増加となっています。

酸素摂取量は心拍数に比例して増加するため、心拍数から酸素摂取量を計算(推測)することができます。一般に使われている計算方法はカルボーネン法で、以下の式によって計算されます。
「目標心拍数=(最大心拍数-安静時心拍数)×目標運動強度(%)+安静時心拍数」

年齢による最大心拍数は一般に(220-年齢)で求められます。また、使用する安静時心拍数は、呼吸同様に環境(運動、飲食、入浴など)の影響を受けるため、寝起きや場合により就寝前の椅子に座った安静時に測った値を使用します。

例えば、50歳で、1分間あたりの安静時心拍数が60拍/分、目標の運動強度を60%に設定する人の場合では、以下のように求められます。
「目標心拍数 =(170-60)×0.6+60=126(拍/分)」
 *最大心拍数170(拍/分)=220-50(歳)
60歳で、1分間あたりの安静時心拍数が65拍/分、目標の運動強度を40%に設定する人の場合では、以下のように求められます。

「目標心拍数 =(160-65)×0.4+65=103(拍/分)」
 *最大心拍数160(拍/分)=220-60(歳)
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

食事と運動のバランスが特に強く語られるようになったのは2008年に特定健診・特定保健指導の制度が国によって始まってからで、そのバランスはエネルギー量が中心でした。

特定健診・特定保健指導は、いわゆるメタボの予防と改善を目的としたもので、メタボはメタボリックシンドロームを略した言葉です。内臓脂肪が多くなると血管へのダメージや生活習慣病が増えることから、内臓脂肪に着目した健康づくりが始まりました。

食事によるエネルギー源の摂取量が多く、運動による消費量が少ないと内臓脂肪が増えることになり、食べ過ぎ・運動不足の改善が求められました。これとは逆に、食事によるエネルギー摂取量が少なく、運動による消費量が多ければ内臓脂肪が減っていく、やせていくということで、出し入れのバランスという認識がされていました。

メタボであることが指摘されて、運動指導をされたとしても、これまで運動をしたことがない、運動が苦手という人は、食事量を減らすことを優先的に考えがちです。しかし、食事量を減らしても、なかなか内臓脂肪は張らず、空腹に耐えられずに以前と同様に(人によっては以前よりも多く)食べてしまう人がいます。

運動をしないと、やせていくときに脂肪だけでなく筋肉も減ることになります。

脂肪の代謝の多くは筋肉で行われていて、平均的には全エネルギー消費の30%ほどは筋肉で消費されています。もちろん、筋肉が多い人と少ない人では違っていますが、多くの割合を占めていることは違いがありません。

同じ食事量(エネルギー摂取量)、同じ運動量(エネルギー消費量)であれば、天秤(てんびん)やシーソーのバランスが取れているということになりますが、実際には同じ食事量、同じ運動量であっても、実施のタイミング(どちらが先か)によって結果が違ってきます。

空腹時に運動をすると、血液中のブドウ糖が不足しているので、筋肉に蓄積されているグリコーゲンが分解されて、ブドウ糖として血液中に放出されます。その後に食事をすると肝臓でグリコーゲンに合成される量が増えて、血糖値を上昇させるブドウ糖が少なくなります。

血糖値が高いほど膵臓からインスリンが多く分泌されますが、インスリンには肝臓で脂肪を合成する作用があり、それが脂肪細胞に蓄えられる脂肪を増やすことになります。この仕組みがわかれば、運動をする意味への理解が進むはずです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

9月1日
「防災の日」関東大震災が発生した1923年9月1日から制定。
「えいようかんの日」井村屋グループが、防災の日に備蓄保存期間5年の羊羹などを備蓄食品の定期点検を目的として制定。
「望菜の日」カゴメが、被災時に保存できる野菜は望菜(ぼうさい)と読むことから防災の日に合わせて制定。
「キウイの日」ゼスプリインターナショナルジャパンが、キウ(9)イ (1)の語呂合わせで制定。
「大腸がん検診の日」ブレイブサークル運営委員会が、がん征圧月間の9月の初日を制定。
「マテ茶の日」日本マテ茶協会が、アルゼンチンで収穫祭が行われる9月1日を制定。
「こいまろ茶の日」宇治田原製茶場(京都府宇治田原町)が、急(9)須で淹れるお茶で一(1)番親しまれるの語呂合わせと2003年9月1日に、こいまろ茶が発売されたことにちなんで制定。
「ギリシャヨーグルトの日」森永乳業が、日本初の濃厚ギリシャヨーグルト・パルテノが発売された2011年9月1日にちなんで制定。
毎月1日:「あずきの日」(井村屋グループ)、「釜めしの日」(前田家)、「Myハミガキの日」(ライオン)、「もったいないフルーツの日」(ドール)

9月2日
「くつの日」ダイアナ(東京都中央区)が、く(9)つ(2)の語呂合わせで制定。
「くず餅の日」船橋屋(東京都江東区)が、く(9)ず(2)の語呂合わせで制定。
「那須塩原市牛乳の日」那須塩原市畜産振興会が、本州一の生乳生産地のPRのために牛(9)乳(2)の語呂合わせで制定。
「おおきにの日」おおきにコーヒー(大阪府大阪市)が、お(0)お(0)き(9)に(2)の語呂合わせで制定。

9月3日
「クエン酸の日」ポッカが、クエン(9)酸(3)の語呂合わせで制定。
「琉球もろみ酢の日」もろみ酢公正取引協議会(沖縄県那覇市)が、クエン(9)酸(3)の語呂合わせで制定。
「くるみパンの日」カリフォルニアくるみ協会が、く(9)るみ(3)の語呂合わせで制定。
「グミの日」UHA味覚糖が、グ(9)ミ(3)の語呂合わせで制定。
「秋の睡眠の日」日本睡眠学会と精神・神経科科学振興財団が設立した睡眠健康推進機構が、ぐっ(9)すり(3)の語呂合わせで制定。
「ベッドの日」全日本ベッド工業会が、グッドスリープをグッスリと読み、グッ(9)スリ(3)の語呂合わせで制定。
毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

9月4日
「串の日」味のちぬや(香川県三豊市)が、く(9)し(4)の語呂合わせで制定。
「串カツ記念日」日本串カツ協会(大阪府大阪市)が、く(9)し(4)と、串カツを食って(9)幸せ(4)に、の語呂合わせで制定。
「くじらの日」日本鯨類研究所が、く(9)じ(4)らの語呂合わせで制定。
「おおいた和牛の日」大分県豊後牛流通促進対策協議会が、豊後牛100年を記念する2018年9月4日に県内統一ブランド・おおいた和牛を発表した日にちなんで制定。
「供養の日」供養の日普及推進協会が、供(9)養(4)の語呂合わせで制定。
「マッサージクッションの日」アテックス(大阪府大阪市)が、マッサージクッションの普及を目的にクッ(9)ション(4)の語呂合わせで制定。
「目覚めスッキリの日」アサヒグループ食品が、秋の睡眠の日の9月3日の翌日を制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

9月5日
「石炭の日(クリーン・コール・デー)」クリーン・コール・デー実行委員会が、ク(9)リーンコ(5)ールの語呂合わせで制定。
毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

9月6日
「黒霧島の日」霧島酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「黒の日」大口酒造(鹿児島県伊佐市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「黒あめの日」春日井製菓販売が、黒(96)の語呂合わせで制定。
「黒酢の日」ミツカンが、黒(96)の語呂合わせで制定。
「黒豆の日」菊池食品工業(東京都板橋区)が、黒(96)の語呂合わせで制定。
「黒にんにくの日」青森県黒にんにく協会が、黒の語呂合わせで制定。
「クロレッツの日」モンデリーズ・ジャパンが、ク(9)ロ(6)レッツの語呂合わせで制定。
「生クリームの日」中沢乳業が、ク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。
「浅田飴の日」浅田飴が、固形浅田飴ク(9)ール(6)Sの語呂合わせで制定。
「飴の日」松本飴プロジェクトが、日本書紀の神武天皇記に9月6日に飴を作ったと推察される記載があることから制定。
「甲斐の銘菓くろ玉の日」澤田屋(山梨県甲府市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「クロレラの日」サン・クロレラが、ク(9)ロ(6)レラの語呂合わせで制定。
「鹿児島黒牛・黒豚の日」鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が、黒(96)の語呂合わせで制定。
「のどぐろ感謝の日」日本海(島根県出雲市)が、9月はのどぐろ漁が始まる時期で、ぐ(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「黒舞茸の日」大平きのこ研究所(埼玉県飯能市)が、黒舞茸のく(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「ブラックサンダーの日」有楽製菓(東京都小平市)が、ブラックサンダーにちなんで黒=く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。
「クロモジの日」養命酒製造のクロモジ研究会が、ク(9)ロ(6)モジの語呂合わせで制定。
「生クリームの日」中沢乳業(東京都港区)が、ク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。
「ぐるぐるグルコサミンの日」世田谷自然食品が、グ(9)ル(6)の語呂合わせで制定。
「キョロちゃんの日(森永チョコボールの日)」森永製菓が、キョ(9)ロ(6)の語呂合わせで制定。
「スポーツボランティアの日」日本スポーツボランティア・アソシエーションが、福島・復興五輪:オリ・パラ後夜祭の開催予定日から制定。
毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

9月7日
「近江ちゃんぽんの日」ちゃんぽん亭総本家などを展開するドリームフーズ(滋賀県彦根市)が、カレンダーで8月31日の野菜の日の真下にくる9月7日を制定。
「クリーナーの日」パール(東京都江東区)が、ク(9)リーナ(7)ーの語呂合わせで制定。
毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

9月8日
「休養の日」日本リカバリー協会が、休(9)養(8)の語呂合わせで制定。
「ハヤシの日」丸善ジュンク堂書店が、丸善の創業者の早矢仕有的が考案したハヤシライスにちなんで早矢仕の誕生日を制定。
「桑の日」お茶村(福岡県八女市)が、桑(98)の語呂合わせで制定。
毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

9月9日
「救急の日」厚生労働省が、救(9)急(9)の語呂合わせで制定。
「温泉の日」大分県九重町が、九重九湯(99)にちなんで制定。
「親子でCOOK(くっく)の日」森永製菓が、親子で調理をする楽しさの普及のために、く(9)っく(9)の語呂合わせで制定。
「日本の食文化・燻製(スモーク)の日」ヒラオ(大阪府寝屋川市)が、燻製をモク(9)モク(9)の語呂合わせで制定。
「グーグーの日」みなと子ども食堂とノーペコラボ(電通)が、お腹が空いたときになる音のグー(9)グー(9)から制定。
「ポップコーンの日」ジャパンフリトレー(茨城県古河市)が、POPを左右反転させた鏡文字が909に見えることから制定。
「きゅうりのキューちゃんの日」東海漬物(愛知県豊橋市)が、きゅうりの9とキューちゃんの9の語呂合わせで制定。
「食べ物を大切にする日」ベターホーム協会が、食べ物を捨てないん(9)残さないん(9)の語呂合わせで制定。
「秋のロールケーキの日」モンテールが、クルクル、キュッキュッとロールケーキを手で巻いたイメージとロールケーキが9の字に見えることから制定。
「手巻寿司の日」スギヨ(石川県七尾市)が、クルクルの語呂合わせで制定。
「健康美脚の日」スポーツリパブリック(東京都港区)が、アスリートの健康的な美脚に注目してもらうことを目的として9(キュッ)と99が脚の形に似ていることから制定。
「カーネルズ・デー」日本ケンタッキー・フライド・チキンが、カーネルサンダースの誕生日(1890年9月9日)にちなんで制定。
「薬をただしく飲む日」くすりの窓口が、く(9)すりをただしく(9)と、重陽の節句(9月9日)が健康や長寿を願う日であることから制定。
毎月9日:「クレープの日」(モンテール)

9月10日
「ふとんの日」日本寝具寝装品協会が、10と10が2つで、ふ(2)と(10)んの語呂合わせで制定。
「キューテン(Q10)の日」資生堂が、コエンザイムQ10の普及のために9(キュー)10(テン)の語呂合わせで制定。
「苦汁(にがり)の日」赤穂化成(兵庫県赤穂市)が、苦汁(くじゅう=910)の語呂合わせで制定。
「牛たんの日」仙台牛たん振興会が、牛(9)たん=テン(10)の語呂合わせで制定。
「弓道の日」猪飼弓具店(大阪府大阪市)が、弓(9)道(10)の語呂合わせで制定。
「愛する小倉トーストの日」小倉トースト普及委員会(愛知県名古屋市)が、オグ(9)トー(10)の語呂合わせで制定。
毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合)、「アメリカンフライドポテトの日」(米国ポテト協会)

「野菜の日」食料品流通改善協会が、や(8)さ(3)い(1)の語呂合わせで制定。

「野菜フライの日」カネテツデリカフーズが、「野菜の日」に合わせて制定。

毎月31日:「菜の日」(ファイブ・ア・デイ協会)

日々修行の連載コラムは2025年8月31日で、目標とした366回となりました。

366回というのは、通常の1年の365日に、閏年の日数のプラス1日(2月29日)を加えた数で、閏年は昨年(2024年)で、次回は2028年です。

これは番外編の前置きとして聞き流してもらうとして、最後に番外を加えたのは、366回を書き続けたのは、自分がやってきたことを書いて、そこから次のスタートを切りたいという気持ちがあったからです。

私が44年間を暮らした東京から離れて、岡山に移住したのは2017年の4月でした。「日々修行」の中でも新潟県で高校をまで過ごして、上京して大学で学び始めて(何かと話題になっている東洋大学法学部)から44年間ということですが、移住したときには62歳になる直前でした。

親戚縁者もいない岡山に、妻と妻の妹、その両親とともに移住した目的については、これまでに何度か書いてきました。私たちを招いた方のコンセプト変更で、目的の仕事がなくなったのは移住して2年半後でした。

家族で東京に戻ろうかと考えもしたのですが、私以外は岡山という土地柄を気に入っていて、東京人脈からの強烈な誘いもあったのですが、岡山で暮らすことを選択しました。

岡山での前からの知人といえば、西日本最大の社会福祉法人の当時の副理事長と、人間国宝の子どもであり、孫である陶芸家くらいでした。

その人脈を辿り、半年間をかけて、やっと私がやってきたことが役立つ事業(健康と福祉の融合)を作り上げて、すべての準備を整えて、あとは2020年4月のスタートを待つだけとなったときに、新型コロナウイルス感染症の蔓延が始まり、新たなことは何もできなくなってしまいました。

東京から離れるときに、それまでの事業はバトンタッチしてきました。もしも東京に戻ってくることがあれば仕事を返す、新たな仕事を一緒に始めようと言ってくれていた方々に端から連絡をしたものの、誰も返してくれませんでした。

それくらいに、コロナ禍は大きなダメージを私が関わってきた世界に与えてしまったということです。

コロナ禍が明けてから、今は2年と4か月となりました。

私としては、まるで2年ほど前に、何も当てがないところに移住してきたようなもので、ずっと組み立ててきたことを一気に進めていくために、大きな決断をしました。

この“決断”という言葉は、私が「日々修行」を書くきっかけ、その前の2つの連載(200回)のきっかけを作っていただいた“心の師匠”からいただいたものです。

「決断は断つことを決める」ということを再確認して、明日からの再スタートダッシュのために、ここ数日で複数のことを断ってきました。
もう戻ることも、止まることもない前進を70歳と4か月と23日から始めました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日々修行の目標であった366回(閏年の1年の日数と同じ)は、好きなことを書いて連載コラムを締めくくることにしました。

“暗黙のルール”という言葉があって、勝ったとしても負けたことにするとか、その逆に負けたとしても勝ったことにするというのは理不尽であっても、それを善しとするムードが漂っている会社や団体と付き合っている限りは、避けて通ることができません。

暗黙のルールを変えることができるのは、そのルールを認めてきた人たちだけだと思って長らく過ごしてきたところがあるのですが、「そんなの関係ない!」と言いたくなるほど次々と大変革が起こっているのは今年で、さまざまな世界で2025年は「大変革の時代」という言葉が聞かれます。

その多くは法律や制度が変わったことや、誰もが覆すことができない数の変化であって、前者でいえば定年退職年齢が4月から65歳に引き上げられて、70歳までの雇用が努力義務化されました。

そのため60代で引退するということが言いにくくなっています。69歳、70歳まで仕事をするのは当たり前という“暗黙のルール”が、これからの社会、そこで暮らす人の心身の健康問題に大きな影響を与えることになります。

後者で言えば、2025年は団塊の世代の全員が75歳以上になる年で、全国民の5人に1人が75歳以上の後期高齢者になるという、世界の誰もが経験したことがない恐ろしい時代であるので、これまでの常識での大変革は通じなくなってきます。

あまり脅かすようなデータは、ここではヤメにしておいて、ゲームの世界の話を書くことにします。ゲームといっても今のデジタルの世界ではなくて、実にアナログな「黒ひげ危機一発」(タカラトミー)の話です。

樽の中に閉じ込められている海賊を脱出させるために短剣を刺してロープを切っていくという設定の、今さら説明することもない知られた存在です。

この有名なゲームのヒットが“危機一髪”を“危機一発”と間違って覚えられる原因になった、とも言われています。

当時のトミーから初めて登場したのは1975年のことで、今から50年も前のことです。当初は脱出させることが目的なので、飛び出たら勝ちというルールで、それは商品パッケージにも説明書にも書かれていました。

ところが、翌年の1976年にテレビのクイズ番組で、勝った人が最後の挑戦として「黒ひげ危機一発」に短剣を刺して、飛び出たら得点が没収ということを始めました。その影響で飛び出たら勝ち(目的達成)ではなくて、飛び出たら負けというルールが広まっていきました。

これに対応するように、どちらの結果でもよくて、それはゲームを始める前に参加者で決めることが1979年にルールとして書かれました。

このことは2006年にタカラとトミーが合併してタカラトミーとなってからも続いていたのですが、50周年を迎えたことをきっかけに初めのルール(飛び出たら勝ち)という“原点回帰”を行いました。

これは公式ルールということですが、それでも勝ち負けのルールを勝手に決めることができます。

ラストに「黒ひげ危機一発」の話を書いたのは、これまでの常識で仕事をしてきて、最後の最後に常識を否定される、やってきたことがひっくり返されることが大変革の時代の始まりの年(2025年)からはなくなることを願ってのことですが、まだまだ望み薄かもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕