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三波春夫さんの「チャンチキおけさ」は、故郷を離れて都会で働く若者の郷愁を誘った歌詞の内容であったことが大ヒットの大きな要因だと伝えられていました。

「チャンチキおけさ」のおけさは佐渡おけさにちなんだもので、佐渡島に伝わる民謡です。

佐渡島は、3歳から小学校入学直前まで暮らした母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)の遠景に見えていて、佐渡おけさのことも聞いていたのですが、楽曲として聞いたのは小学生になってからなので、私にとっての“おけさ”は「チャンチキおけさ」でした。

「チャンチキおけさ」の賑やかな曲調からのイメージだったので、佐渡おけさも随分と賑やかな民謡なのかと思っていたら、まったく違っていました。

「チャンチキおけさ」は明るい雰囲気を感じても、歌詞を見ると哀愁を帯びていて、集団就職で上京して都会で暮らすようになった方々が歌った気持ちも、よくわかります。

1番
月がわびしい 路地裏の
屋台の酒の ほろにがさ
知らぬ同志が 小皿たたいて
チャンチキおけさ
おけさ切なや やるせなや

2番
一人のこした あの娘
達者でいてか おふくろは
すまぬすまぬと 詫びて今夜も
チャンチキおけさ
おけさおけさで 身をせめる

3番
故郷を出るとき 持って来た
大きな夢を さかずきに
そっと浮かべて もらすためいき
チャンチキおけさ
おけさ涙で くもる月
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

2002年から2004年は健康ブームの真っ只中で、テレビ各局も競うように健康をテーマにした番組を制作していました。大人気番組の「発掘!あるある大事典」の最終回は2004年の3月でした。

2001年は国の行政改革で厚生省と労働省が統合されて厚生労働省となり、今も続く施策が次々に打ち出されていきました。保健機能食品等のアドバイザリースタッフの通知が厚生労働省から発表されたのは2002年で、これは2001年から始まった医薬品成分を食品成分として販売できる食薬区分の変更と重なる時期でもありました。

2001年はコエンザイムQ10が許可され、2002年はL–カルニチン、2004年はα–リポ酸と、代謝促進成分が3種類とも食品・サプリメントの成分として販売することになりました。

その一方で、食品そのものの健康効果への関心も高まり、テレビ局(全国キー局)から新たな切り口での高視聴率の獲得の機運が高まっていました。

2002年は納豆、2003年は豆腐、2004年は豆乳とメディアを活用した全国PRが始まりました。それと時期が完全に重なったことから、いかにテレビ番組の企画として入れ込むかが全国PRの成功を左右する判断基準とされました。

その頃は健康番組で、他の番組との違いを出すために、通常ではあり得ない食品を組み合わせて番組内で調理する、出演者に食べてもらうというのが当たり前のように行われていました。

納豆や豆腐を番組で取り上げるときには、従来の組み合わせとは違っていて、しかも美味しいということが求められていました。

初年度こそ単体の食品でも紹介してくれましたが、納豆に続いて豆腐の全国PRが始まると、納豆は単体ではなく食べ合わせが求められました。それに応じて私が考えたのが“納豆キムチ”です。一般にはキムチ納豆と呼ばれていましたが、納豆の販売数を伸ばすのがミッションであったので、ネーミングも納豆を先に出しました。

納豆で不足している栄養素を補う万能食品とするための組み合わせです。

納豆キムチを広めたのは自分だという人に何人にも出会いましたが、本当のことを知っているのは業界関係者くらいです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

3歩進んで2歩下がるは、「三百六十五日のマーチ」の歌詞では1日1歩、3日で3歩の次のフレーズで、“結局は1歩だけか”というのは、リリースされた1968年から言われてきたことです。

その多くはギャグとして使われてきましたが、“ただ下がっているわけではない”ということも同時に言われてきました。(こちらは記憶に残りにくかったようです)

1日に3歩進んだときに何をするかということで、1日に1歩しか進まないところが3歩進んだというのは、その勢いや背景には何か特筆すべきことがあったはずです。

そのことを気づいて、これを自らの行動にプラスにしようとするのか、それとも“調子がよいときもあれば悪いこともある”という程度の感覚で済ませてしまうのかで、その先が違ってきます。

そして、2歩下がるということが起こったときには、これを何があったのか、これでよいのかと振り返るタイミングで、3歩進んだあとに3歩下がって帳消しにならないように、4歩も下がってマイナスにならないようにという見直しのチャンスともなります。

「三百六十五日のマーチ」の1番の歌詞
しあわせは歩いてこないだから歩いてゆくんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩さがる
人生はワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき歩こうよ
あなたのつけた足あとにゃ きれいな花が咲くでしょう
腕を振って足をあげて ワン・ツー ワン・ツー
休まないで歩け それワン・ツー ワン・ツー
〔小林正人〕

生きている限りは、体内で活性酸素は発生し続けます。

それならば身体に悪影響を与えるほど活性酸素が多量に発生しないようにすればよい、と考えるかもしれませんが、それは不可能なことです。

活性酸素が体内で多量に発生する要因としては、過剰な運動、農薬、食品添加物、薬剤、化学物質、排気ガス、タバコ、アルコール、紫外線、電磁波、放射線、身体の傷や炎症、水道水の塩素、病原菌の侵入、酸化した食品、ストレスなどがあげられます。

現代人は活性酸素の多量発生を抑えることができない環境の中で暮らしているわけです。

吸い込んだ酸素のうち2〜3%が活性酸素になるということは、吸い込む酸素の量が多くなるほど活性酸素の発生量が多くなります。

活性酸素の発生量が特に多くなるのは運動をして大量の酸素を取り込み、大量のエネルギーを消費しているときで、身体を動かすほど吸い込む酸素が多くなり、エネルギーを多く発生させるほど活性酸素の発生量は増えていくことになります。

活性酸素は歩くだけでも平常時(安静時)に比べると1.5倍以上が発生して、軽いジョギング程度の運動をしたときには平常時の5倍以上の活性酸素が発生するといいます。

ある教育系大学の卒業生の健康度を長期間にわたって追跡した調査で、文科系学部の卒業生と運動系学部の卒業生の寿命を比べたところ、運動系の卒業生のほうが平均で約6年も寿命が短くなっていた、という報告があります。

運動をする人は一般には健康度が高いと考えられています。運動系の卒業生は体育の教師が多く、スポーツ選手ほど身体に負担はかからず、むしろ適度に身体を動かすことで健康的な生活をしていると考えられています。

ところが、印象とは異なった結果になったわけですが、その大きな理由としてあげられているのが活性酸素による身体への影響です。

運動の機会が多く、活性酸素の発生量が多い人は、活性酸素を消去するケアをしないと身体にダメージが蓄積されて、寿命にも関わる結果となるというわけです。

運動量が増えるにつれて体内で酸素から活性酸素に変化する量は増えるものの、活性酸素を消去する働きがあるSODなどの抗酸化酵素が作用するためには酸素が必要となります。

運動をしても最大酸素摂取量(運動によって測定された酸素消費量の最大値)の75%ほどに達するまでは酸素を利用して抗酸化酵素の働きが高まるので、活性酸素は、それほど多くはなりません。

しかし、75%のラインを超えると、活性酸素の発生量は急激に高まっていくことになります。この75%のラインを超えたときが過剰な運動となるわけです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「飲み水の日」東京都薬剤師会公衆衛生委員会が、世界環境デー(日本では「環境の日」)の翌日を制定。

「らっきょうの日」岩下食品(栃木県栃木市)が、6月はらっきょうの旬で、漢字の六は根菜のらっきょうが土の中で成長するのをイメージさせ、数字の6がらっきょうの形に似ていることから制定。

「山形さくらんぼの日」全国農業組合連合会山形県本部が、6月がさくらんぼの収穫の最盛期で、6がさくらんぼのシルエットに見えることから制定。

「大麦の日」大麦工房ロア(栃木県足利市)が、麦秋の季節の6月と大麦をO(オー)6(麦)と読むことから制定。

「梅の日」紀州梅の会が、室町時代の天文14年4月17日(現在の6月6日)に京都の賀茂神社の例祭で梅が献上された故事から制定。

「麻婆豆腐の素の日」丸美屋食品工業が、麻婆豆腐の素の発売日で、6が麻婆豆腐を食べるレンゲをイメージさせること、6+6=12(とうふ)となることから制定。

「ローカロリーな食生活の日」アイケイ(愛知県名古屋市)が、ロー(6)カロ(6)リーの語呂合わせと、無理(6)をしない無駄(6)にカロリーを摂取しないの意味を込めて制定。

「補聴器の日」日本補聴器工業会が、6が補聴器を耳の装着している姿に似ていることから左右の耳の66で制定。

「ロールケーキの日」ロールケーキの日実行委員会(福岡県北九州市)が、ロ(6)ールケーキの語呂とロールケーキの形が6の字が巻いているように見えることから制定。

「アンガーマネジメントの日」日本アンガーマネジメント協会が、怒りの感情のピークが6秒であること、怒りをムカムカと表現することからム(6)カム(6)カの語呂合わせで制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

国民的歌手の三波春夫さんが「お客様は神様です」と舞台から発したのは1961年(昭和36年)のことです。その時に私は6歳でしたが、今のようにメディアが発達していなかった時代に、そのことを知ったのは7歳になってからでした。

3歳から小学校入学直前まで暮らした母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)には、町で3番目という早さでテレビが届いたので、情報は早かったほうです。

しかし、まだ白黒テレビしかなくて、放送時間も朝夕に限られていた時代(新聞のテレビ欄よりもラジオ欄のほうが多くを占めていた)だけに、最新情報は届かない、映画館のニュース映画で最新情報を初めて見るというような時代でした。

親元で暮らすようになってから、これも村で4番目というテレビが家に来たのは小学2年生の時だったので、1年間の情報差があって、このときに「お客様は神様です」が伝わったということを後になって聞きました。

私にとっての三波春夫さんに関する情報は、なんといっても1957年(昭和32年)にリリースされた大ヒット曲「チャンチキおけさ」で、物心ついたときには、ラジオからも蓄音機のレコード(ドーナツ版)からも当たり前のように流れていました。

中でも記憶に強く残っているのは、3年間ほど暮らした寺院の行事の飲食の機会で、酒が入って座が盛り上がってきたときに、「そろそろ」との掛け声で芸達者の門徒(浄土真宗なので檀家とは呼ばなくて)が小皿でリズムをとって、「チャンチキおけさ」を歌うというのが定番でした。

「チャンチキおけさ」の歌詞は「知らぬ同志が小皿たたいてチャンチキおけさ」ですが、顔見知りが小皿を左右に2枚ずつ持って、まるでカスタネットのように鳴らしながら歌い、集った人は手拍子で一緒に歌うという昭和の一つのシーンでした。

寺院は山の中腹にあって、遠景には佐渡おけさの発祥の佐渡島が見えるというところでしたが、佐渡おけさは宴会では歌われることはなくて、佐渡おけさをモチーフにした「チャンチキおけさ」ばかりでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

商品の販売が伸び続けていても、それが長く続かないことは当たり前のように起こることです。

同じ販売スペースの中に、「似たようなもの」と感じさせる商品が複数あったら、他の商品に人気が移っていったときには、これまでの“売れ筋商品”が右肩下がりになっていくことも普通に起こることです。

売れ筋商品を継続させるためには、とにかく売れ続けること、そのための仕組みが重要になっていきます。

安くて、手軽で、うまくて、しかも健康によい食品といえば納豆が代表格で、今でこそ売り上げが大きく変動しない食品と認識されていますが、2002年に全国納豆協同組合連合会の全国PRが始まったときには、低迷期にありました。

1995年(Windows95、阪神・淡路大震災、オウム事件などが記憶に残る年)は、健康ブームが始まっていた時期であったのに、納豆の売り上げは年々下がっていました。

普通に健康によいことを伝える従来の広告代理店的な発想では、多くの人に知られることと売り上げ増が結びついていないということで、踏み込んだ健康効果を伝えることにしました。

そのおかげもあってメディアに取り上げられる機会が増えて、業界として販売数も売り上げも伸びたところまではよかったものの、この仕掛けには苦労しました。

納豆に続いて、豆腐、豆乳と、それぞれの業界団体からの全国PRが1年ずつズレて始まりました。同時期に3つの全国PRが重なったのは3年間も続きました。

記念日を有効に使えば、それぞれの特徴を出すことができるのですが、納豆の日(7月10日)と豆腐の日(10月2日)は適度に離れていますが、豆乳の日(10月12日)は豆腐の日から10日間しか離れていません。

私の表向きの役割は、食品の有効性を伝えることであって、同じ大豆から作られている製品なので、効能効果に大きな違いはありません。

単年の全国PRであれば苦労は少ないものの、納豆の勢いを続けながら、豆腐も負けないようにPRして売り上げを伸ばしていくとなると、素材(大豆)そのものの有効性だけではメディアに取り上げられる機会が減っていきます。

そこで考えたのは、一つは「食べ合わせ」を押し出すこと、もう一つは「販売スペースの拡大」でした。

食べ合わせについては次回以降に説明しますが、納豆も豆腐も冷蔵のケースで販売するものだけに、納豆も豆腐も種類を増やすことによって売り上げが伸びるということを理解してもらうことが重要です。

そのための仕掛けが、より健康的な食材として活用するための新たな提案でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

細菌は1個の細胞で構成されている単細胞となっています。そのために、活性酸素によって破壊されても、他の細胞に影響が出ることはないのですが、身体の細胞は多くがつながっているために、活性酸素の影響を受け続けることになります。

細胞が破壊されたところが血管であれば血管が傷ついていくことになります。血管が傷つけられると弾力性が徐々に失われていって動脈硬化になりやすく、また血流も低下するようになります。

全身の細胞に新鮮な酸素と栄養素を運び、細胞の二酸化炭素と老廃物を運び去ることによって細胞の新陳代謝を高めているのは血液です。血管が傷んだために起こる血流の低下は全身の細胞の老化を進めていくことになります。

血流が低下すると、全身の細胞に血液を早く送って、酸素と栄養素を補給するために自律神経が反応して血圧が上昇します。血管が傷ついているところに血圧が上昇すると血管が強く刺激されることとなり、動脈硬化が促進されることになります。

動脈硬化は心疾患、脳血管疾患の要因となっています。活性酸素によって細胞が傷つけられると、発がん物質などの有害物質が細胞内に侵入しやすくなります。そのために細胞が、さらに傷みやすくなり、細胞の働きが正常に保たれにくくなっていきます。

活性酸素によって破壊されたのが膵臓や肝臓などの細胞であれば、その器官の機能が低下していくことになります。その中でも膵臓や腎臓などは活性酸素に弱い臓器であり、活性酸素が多く発生するほど、機能も低下しやすくなっています。

さらに、活性酸素による細胞の破壊が続くと機能低下が広がり、がんや糖尿病などの生活習慣病が引き起こされる原因にもなります。また、皮膚の細胞も傷つけられて、体内の老化とともに、見た目の老化も進んでいくようになるのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「環境の日」国連人間環境会議が、人間環境宣言をした1972年6月5日にちなんで制定。

「ロコモ予防の日」ロコモティブ・シンドローム予防推進委員会が、6と5でロコモ、老後と読む語呂合わせで制定。

「ろうごの日」神戸市老人福祉施設連盟が、ろう(6)ご(5)の語呂合わせで制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

国民的歌手と称される三波春夫さんの半生を綴った書籍の“初めの読者”となった関係から、その歴史と芸について深く知ることができましたが、三波春夫さんのことは子どもの頃から父母や祖父母に聞いていて、浅い知識ではあったとしても知っていました。

三波春夫さんの出身地は新潟県の越路町(現在は長岡市塚野山)で、誕生されたのは1923年(大正12年)なので、1955年生まれの私とは30年以上も離れていて、書籍の作成で初めて会っただけです。

ただ、私が3歳から小学校入学直前まで暮らした母親の実家の寺院(出雲崎町)とは比較的近い距離であって、私が2歳の時には「チャンチキおけさ」が大ヒットしていたので(合計200万枚)、地元の英雄でした。

住職の祖父からは、三波春夫さんは13歳でして上京して住み込み奉公をして、16歳で浪曲学校に入り、南條文若の名前で浪曲師となったと聞いていました。

20歳で陸軍に入り、終戦後の22歳から26歳まではロシアで抑留生活を過ごして、帰国後に浪曲の世界に戻り、昭和32年(33歳のとき)に三波春夫として歌謡界デビュー。そのデビュー曲が「チャンチキおけさ」でした。

と、ここまではネット検索をすれば同じようなことが出てくることで、1984年に発行された書籍『歌藝の天地』(PHP研究所刊)にも書かれていることです。それとは違っていない話を祖父からも父親からも聞いていたので、流石に地元の英雄のことはよく知っていると感心したものでした。

当時のレコードはドーナツ版で、今ではカップリングと呼ばれていますが、A面が「チャンチキおけさ」、B面が「船方さんよ」でした。

ラジオでもよく流れてくるので、「知らぬ同志が小皿たたいてチャンチキおけさ」や「おーい船方さん、船方さんよ」と意味もわからず子どもが歌っていた時代でした。

その後も東京オリンピックの前年(1963年)の「東京五輪音頭」(250万枚)の「あの日ローマでながめた月が きょうは都の空照らす」も、日本万国博覧会(大阪万博)の3年前(1967年)の「世界の国からこんにちは」(300万枚)の「1970年の こんにちは」も、今でも記憶に残るフレーズとして伝えられています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕