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悟りを開いて仏陀となったお釈迦様(インドのシャカ族の部族長の王子のゴータマ・シッダールタ)は、生まれた直後に発した「天上天下唯我独尊」のとおりに、「ただ一人、誰とも代わることがない尊い存在」となったことを2回にわたって書いてきました。

天上天下唯我独尊の考えは、別の連載コラムの「正念」でも書いていますが、正念(しょうねん)はマインドフルネス(mindfulness)と同等の意味があって、心と体を客観的によく観察する意識的な行為で、「この瞬間に意識を集中させる念」を意味しています。

そのための瞑想も静寂の先の悟りを得るための実践と考えられています。

悟りは煩悩や迷いが取り払われ、永遠の真理を会得することです。悟りの境地に達すると、雑念がなくなり、執着心から解放された感覚に至ることができます。

そして、悟りを開くことによって、すべてに満たされた感覚となり、物事の真理を自然と知ることができるようになります。

悟りを開くためにする行動が修行であって、坐禅をすればよい、質素な生活をして余計なものを食べなければよい、他人に感謝されることをすればよい、ということではありません。

悟りを開くのは修行の最終的な目的地点であって、初めから悟りを開くことを求めるのではなく、さまざまなことを修行として受け入れ、善い結果となるように努め続けます。

私の場合は、瞑想と同じ領域になることができたのは“物書き”に集中している時間でしたが、書くことによって広く健康に関わるコンテンツが積み重ねられていきました。

これこそが財産との意識もあったものの、これは自らの“二つの目”で見たことだけの積み重ねだったようです。

それとは異なる“第三の目”は自分が意識していないときも、また眠っているときも見開かれていて、その第三の目が捉えた感覚を後に心に語りかけてくれる重要な存在(感覚器)です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

“活性酸素”という言葉が知られるようになったのは、1995年に開催された日本チョコレート・ココア協会の国際シンポジウムでチョコレートとココアの抗酸化作用が発表され、チョコレートの製造会社が機能性をPRしたのが、きっかけだとされています。

チョコレートとココアの抗酸化作用に続いて、赤ワインに含まれるポリフェノールの抗酸化作用の研究成果が国立栄養研究所(現在は国立健康・栄養研究所)の板倉弘重臨床栄養部長などによって1997年に発表されました。

同年に『第三の栄養学』、翌年に『赤ワイン健康法』が出版されてから、テレビや健康雑誌などで赤ワインの動脈硬化予防などの機能性が大きく取り上げられたことによって、広く知られることになりました。

赤ワインはフランスのボルドー大学によって基礎研究が行われていましたが、それに続いて同大学ではフランスの南海岸に自生するフランス海岸松の内部樹皮に含まれるピクノジェノールの研究が始まり、抗酸化機能が確認されました。

しかし、内部樹皮は量が限られることから原材料が多くあるブドウの種が注目され、その抽出成分のグレープシードオイルの抗酸化作用について報告されました。

その後には、緑茶のカテキン、魚介類などの赤い色素のアスタキサンチン、ごまのセサミン、トマトのリコピン、マリーゴールドのルテイン、カシス、ブルーベリーなど、さまざまな抗酸化成分が登場しましたが、2001年に決定的とされるコエンザイムQ10が登場しました。

コエンザイムQ10は同年に医薬品成分から食品成分として用いることが許可され、抗酸化成分の代表としてだけでなく、糖質と脂質を代謝させる補酵素として広く知られるようになりました。

コエンザイムQ10が化粧品に用いられるようになってからは、強力な抗酸化作用は化粧品成分としても注目されるようになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

しっちゃかめっちゃかと聞いて、NHK(Eテレ)の子ども向け番組の『u&i』のキャラクターを思い出すのは、2018年〜2023年当時に子どもだったか、子どもと一緒に視聴した親くらいかもしれません。

白いサルの妖精はシッチャカ、ピンクのサルの妖精はメッチャカで、メッチャカの声を演じていたのは“きゃりーぱみゅぱみゅ”だったと記憶しています。

この番組は、身体障害や発達障害などのマイノリティの特性を持つ子どもが夢の中でシッチャカとメッチャカに出会って悩みを話すという内容で、その悩みについて理解を深めるという画期的な内容でした。

この番組を通じて、「しっちゃかめっちゃか」の意味を知ったという親子も少なくはなくて、今では日常会話で使われるようになった“めっちゃ”が広まった一つの要因とも考えられています。

「しっちゃかめっちゃか」は、物事が激しく混乱して、無秩序に入り乱れている様子を指す言葉で、「めちゃくちゃ」の強調表現です。

現在の世界情勢を見ると、まさに「しっちゃかめっちゃか」という状況で、シッチャカとメッチャカなら、どのように応えるのか、気になってしまいます。

「しっちゃかめっちゃか」に漢字表現はないのですが、めちゃくちゃは滅茶苦茶、その類語の「はちゃめちゃ」は破茶滅茶の漢字が当てられています。
〔小林正人〕

「530(ゴミゼロ)の日」530運動環境協議会が、ゴ(5)ミ(3)ゼロ(0)の語呂合わせで制定。

「アーモンドミルクの日」アーモンドミルク研究会が、アーモンドの実が5月下旬から成ることと、実(3)が丸く(0)なるの語呂合わせで制定。

毎月30日:「EPAの日」(日本水産)、「サワーの日」(宝酒造)、「みその日」(全国味噌工業協同組合連合会)

お釈迦様は誕生したときに、いきなり立ち上がって歩き、右手を天に、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」との言葉を発したとの逸話を前回紹介しました。

これには仏教宗派によって説明に違いもあって、立ち上がって歩いたのは7歩であったという説や、東西南北の四方に7歩ずつ歩いたという説もあるのですが、その後の右手を天に、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」と言ったということは共通しています。

「この世で自分より尊い者はいない」という意味は間違いということも書きましたが、“我”は私ということでなくて、“我々人間”を指しています。

誕生の逸話ということは、それ以降のお釈迦様の偉業へとつながっていきます。

仏教では修行が重視されています。修行は「真実の自己を実現するために、自らの行いを正し、修めること」を意味しています。

修行(しゅぎょう)は、それ以外の日本語としての読み方はありません。精神や人格の向上を目的として終わりのない実践をすることを指しています。

勘違いされがちなのは修業で、これは「しゅぎょう」のほかに「しゅうぎょう」とも読まれます。修業(しゅぎょう)は学術や技芸などを習い修めることです。修業(しゅうぎょう)は習得して資格を取ることで、その際に受け取ることができるのが修業(しゅうぎょう)証書です。

話を戻すと、修行の最終目的は「悟りを開くこと」です。仏教で最も尊敬される立場が言わずと知れた仏陀(ぶっだ)です。仏陀が悟りを開いたということではなくて、悟りを開いたゴータマ・シッダールタ(インドのシャカ族の部族の長の王子)が仏陀となったということです。

一般にはゴータマ・シッダールタも仏陀も、お釈迦様と呼ばれていますが、仏陀には「悟った者」「真理に目覚めた人」という意味があります。

「天上天下唯我独尊」と誕生直後に発したのは前者の時です。生まれながらにして悟っていたわけではないのですが、さすがに仏陀となる人(聖人)は他とは違っていたという、これは逸話そのものといえます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

抗酸化成分は、身体に悪影響を与える活性酸素を消去する作用があるということは、随分と知られるようになってきました。抗酸化成分は数多くの種類があり、それぞれの成分によって抗酸化力(活性酸素を消去する作用)は異なっています。

食品やサプリメントに含まれている抗酸化成分は、研究が進んでいて、ランキングが発表されています。それは商品選びに役立つことは間違いないことではあっても、それでも実際の選択の場面では間違いも起こっています。

それは含まれている抗酸化成分の同じ分量による強弱であって、同じだけの食品を摂れば、強い抗酸化作用が得られるわけではないということです。

もう一つ間違ってほしくないのは、抗酸化成分の性質で、このことを理解していないと、本人は健康によいことを実践しているつもりでも、逆のことをしていることにもなりかねないのです。

今回のお題として取り上げている抗酸化は“高酸化”が、その理解してほしい事実で、抗酸化力が高いほど、酸化させる力が強いということです。正しく使えば、健康被害をもたらす活性酸素を消去することができるのに対して、使い方を間違うと身体を酸化させることにもなってしまうのです。

具体的なことは、健康リテラシーの基本的な情報として、徐々に明らかにしていくことにしますが、こういったことを発言しても、メディアに取り上げられない、取り上げられたとしてもマイナスイメージで伝えられてしまうということが起こっています。

活性酸素と抗酸化作用についての正しい情報の基礎を教えてくれたのは、赤ワインポリフェノール研究で著名な板倉弘重先生(医学博士)と、活性酸素についてテレビの健康番組で初めて紹介した久郷晴彦先生(薬学博士)です。

そのエッセンスの一部だけになるかもしれませんが、健康リテラシーのテーマで発信し続けていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

言葉を交わさなくても意思が通じることを意味する「阿吽の呼吸」は、本来なら息を合わせる(呼吸を一緒にする)ことをしなくてもよいはずです。

とは言いながらも、力を合わせて同じ結果に導くためには、息を合わせることは有効となります。

その言葉として、よく使われるのは「せいの」(せーの)です。同時に発言したり、同じタイミングで同じことをする前に、息を合わせるといったシーンで使われます。

地域や年代などによって最も浸透している言葉は違っていて、「いっせいのせ」や「いっせーのーで」、「せーの、で」といったものもあります。

どこで始めるのか、力を入れるのかは、それぞれの地域の人でないと感覚的にわからないことがあり、別に掛け声でなくて、同じ掛け声であってもタイミングが合わないことがあります。

息が合わないと、力を入れるタイミングがわからずに、大事なものを持ち上げられない、落としてしまうことにもなります。

息を合わせるというのは呼吸の吐くか吸うかのタイミングも合わせることで、最も力が入るのは口を開いて息を吐いているときではなく、口を閉じて息を止めるときです。

「阿吽の呼吸」で表現するなら、力が入るのは口を閉じている吽(うん)です。武道の世界では、相手が息を吐く阿(あ)のタイミングで攻めることが重要とされています。逆にいうと、阿で攻められないように、相手の呼吸を読みながら吽で受けて、また吽で攻めるということです。

これは身体での戦いに限らず、言葉での戦い、心理戦などでも重要となることで、「阿吽の呼吸」は味方が呼吸を合わせると同時に、敵(戦う相手)との駆け引きにおいても重要な言葉、つまり金言に値するキーワードと考えられているのです。
〔小林正人〕

「こんにゃくの日」日本こんにゃく協会と全国こんにゃく協同組合連合会が、こん(5)にゃく(29)の語呂合わせで制定。

「シリアルの日」日本ケロッグが、コーンフレーク(529)と幸福(529)の語呂合わせで制定。

「エスニックの日」日本エスニック協会が、エス(S)を5に見立て、ニック(29)の語呂合わせで制定。

「胡麻祥酎の日」紅乙女酒造(福岡県久留米市)が、胡麻祥酎の普及のために口(5)福(29)の語呂合わせで制定。

毎月29日:「ふくの日」(日本アクセス)、「クレープの日」(モンテール)、「Piknikの日」(森永乳業)、「肉の日」(都道府県食肉消費者対策協議会)

「唯我独尊」(ゆいがどくそん)は、仏教の逸話の中では根幹となる言葉であるのに、間違った使い方がされがちで、中には唯我独尊の4文字を見て、暴走族やヤンキーを思い浮かべる人もいます。

実際に、背中に唯我独尊と書かれた(縫い込んだり、染めたり)ジャンパーを着たり、チーム名にしていたグループも存在していました。

そんな負の印象も抱かれる言葉を“金言”とするのは如何なものかとの声も聞こえてきそうですが、間違った使い方を正して、本来の意味を伝えることも意味があります。

負の印象が抱かれるようになったのは、“尊”を偉いという意味だと受け止めた結果で、本人として「無敵」とか「俺が最高」というイメージで、独りよがりのカッコよさを示したとも(新語・現代用語的に)解釈されています。

しかし、唯我独尊は誰の言葉だったのかを知ったら、考えを改めることでしょう。

唯我独尊は、お釈迦様の生誕逸話として語られ続けてきた言葉です。

お釈迦様は誕生したときに、いきなり立ち上がって歩き、右手を天に、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」と言葉を発したと伝えられています。

天上天下(てんじょうてんげ)は、天の上(宇宙)と天の下(地上)と表しています。天下は地下のことではなくて、天上天下で“この世”という意味合いとなります。

天上天下唯我独尊は、「この世で自分より尊い者はいない」と解釈されることがあって、今も独善的な態度を改めない人に対して揶揄(やゆ)するように使われることもあります。

「ただ一人、誰とも代わることがない尊い存在」と解釈されることもあり、お釈迦様が独善的な考えを示されたとは考えにくいことから、後者の意味であると一般には理解されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

子どもたちの第三の居場所について討議されることが増えています。

第一の居場所の家庭、第二の居場所の学校や幼稚園・保育園、それ以外の場所として学習塾や放課後児童クラブ、放課後等デイサービスがあり、家庭や学校などとは違った環境に子どもたちが集って学ぶ場が強く求められるようになっています。

そのような場を設けることは、何も今に始まったことではなくて、昔から存在していました。江戸時代の寺子屋や手習所にまで遡ることはなくて、昭和の時代にはお寺が第三の居場所となっているのは当たり前の感覚でした。

私は、小学校に入学する前の2年間は母親の実家のお寺に預けられていました。

生まれたのはお寺ではあったものの、4歳になって戻ってくるまでは父親の仕事の関係で山奥の地域にいたので、余所者(よそもの)ではないとしても新参者ではありました。

しかし、お寺の孫という立場で、お寺は地域のコミュニティの場だったので、疎外感がなかったとは言わないものの、受け入れてもらえないようなことはありませんでした。

別に学習を教える場ではなかったのですが、漁師町で豊かとはいえない地域だったので、子どもたちの甘いものへの欲求を満たす場所としては、お寺は絶好の場でした。

目的は饅頭やお茶菓子であったとしても、私と遊びに来たという体裁ではあっても、遊んだあとのおやつが楽しみでした。

おやつまでの時間つぶしが、本を読むことであったり、体を動かす遊びであったりして、それがお寺をコミュニティの場としていました。

昔の子どもには家でも地域でも仕事がありました。お寺の行事にも門徒や檀家の子どもたちが集まって来て、親の手伝い、お寺の手伝いをしていました。そのこともあって、お寺は敷居が低い存在で、よい遊び場、よい学びの場にもなっていました。

そんな地域コミュニティの場所が、今、発達障害児のためだけでなく、多くの子どもに必要だと認識しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕