「石の日」狛犬や地蔵などの石のものにお参りすると願いがかなうとされることから、い(1)し(4)の語呂合わせで制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
「石の日」狛犬や地蔵などの石のものにお参りすると願いがかなうとされることから、い(1)し(4)の語呂合わせで制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
精進(しょうじん)については、邁進(まいしん)の意味合いを説明するために書いたので、一般的な解釈とは少し違っているところもあります。
邁進は、恐れることなく前に突き進むことを指す言葉で、学問に邁進する、勇往邁進するなど、ポジティブに前進することを表す場面で使われます。
この意味を、1年ほど前の「日々修行」のテーマで366回書くことを決めた自分に、過去に戻って伝えたいくらいです。
「日々精進」は、毎日の努力を示す言葉としてはよいのかもしれないものの、努力の結果をもって心配せずに進むことを表したいことから「日々邁進」を選択しました。それだけ真剣な意欲と勢いを持って取り組むという意思表示の気持ちです。
目標に向かって、ひるむことなく全力で突き進んでいく邁進を、毎日欠かさず続けていくことは、若いうちなら全力発揮は可能かもしれませんが、そんな無理を強いるようなことを高齢者に向かって求めることは酷なことです。
それは自らが高齢者になって、さらに古希となり、できることなら10年後、20年後に邁進した姿を見てみたいと考えるときには、原点に戻ることが必要と感じています。
その原点というのは、特定非営利活動法人日本メディカルダイエット支援機構が内閣府から認証された2008年のことで、そのときに掲げたのは「無理なく、無駄なく」でした。
それ以前に、日本メディカルダイエット支援機構の前身組織の健康科学情報センターのときには、外向きにはアピールしなかったものの、私たちが伝える健康科学情報は無理もなく、しかも無駄もないという理想を目指して内部では言い続けてきたことです。
初めてメンバーに発表したのは、忘れもしない1995年の年末で、Windows95が発売された時でした。といっても、私が個人でも事務所でも使っていたのはMicrosoftではなくて、Macintoshでした。
1995年は、インターネットが一般に広まるきっかけとなった年で、この時から日々邁進の世の中が始まったと認識しています。
30年を経て、その結果が出ているのか、その検証も「日々邁進」を書き進めていく目的と考えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「三献の茶」は、豊臣秀吉と石田三成の出会いから生まれた言葉で、金言としても文句が出ない物語性があります。
石田三成は安土桃山時代の武将で、豊臣秀吉に仕えて、豊臣政権の中核を担った五奉行の一人として知られています。
秀吉が近江国の鷹狩りの帰りに喉の渇きを感じて、寺院に立ち寄り、寺小姓に茶を所望します。そのときに寺小姓は、最初に大きめの茶碗でぬるめの茶を出し、次に一杯目よりやや小さい茶碗で熱めの茶を出し、最後に小振りの茶碗で熱い茶を出しました。
ぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後に熱い茶を充分に味わってもらうという寺小姓の細やかな心遣いに感服した秀吉は寺小姓を家来として召し抱えました。これが後の石田三成だ、という逸話です。
この逸話の舞台は観音寺(滋賀県米原市)と伝えられていて、これが三献の茶(または三杯の茶)と呼ばれています。
この逸話を見習って、後に同じことをして出世を願う人が相次いだとも伝えられていますが、その通りにすれば同じ結果になるとは限りません。同じ結果にならないほうが多いはずです。
逸話が広く知られていれば「真似をしているだけか」と言われることになります。逸話を知っていなくても、お茶を飲む人の気持ちがわかっていなければ、余計なことをしたと言われかねません。
「小さな親切、大きなお世話」と言われるか、言われないかの差は、相手を思いやる心の持ちようであり、ワンパターンではなく、臨機応変の対応にかかっています。
三献の茶(さんけんのちゃ)は、相手の思いをつかんで対応したからこそが金言とされているのです。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕
注意欠陥・多動性障害を理解するために、幼児期の特性について列記していきます。このことから保護者が気づいて、専門医に相談することで発見されることも多くなっています。
注意欠陥・多動性障害(ADHD:Attention-deficit hyperactivity disorder)は、「不注意」「多動性」「衝動性」の3つが特徴的で、身の回りの特定のものに意識を集中させる脳の働きである注意力に問題があり、衝動的で落ち着きのない行動によって生活上の困難に直面している状態を指します。
発達年齢に見合わない多動・衝動性、あるいは不注意、その両方の症状が7歳までに現れ、その対応別の症状の程度によって、多動・衝動性優勢型、不注意優勢型、混合型に分類されます。
学童期の子どもには3〜7%存在していて、男性は女性より数倍多いと報告されています。男性の発現率は青年期には低くなるのに対して、女性の発現率は年齢を重ねても変化しないと報告されています。
小学生では、多動・衝動性の症状には、座っていても手足をもじもじする、席を離れる、おとなしく遊ぶことが難しい、じっとしていられずにいつも活動する、しゃべりすぎる、順番を待つのが難しい、他人の会話やゲームに割り込むなどがみられます。
不注意の症状には、学校の勉強でうっかりミスが多い、課題や遊びなどの活動に集中し続けることができない、話しかけられていても聞いていないように見える、やるべきことを最後までやり遂げない、課題や作業の段取りが下手、整理整頓が苦手、宿題のように集中力が必要なことを避ける、物忘れや紛失が多い、気が散りやすいなどがあります。
多動症状は、一般的には成長とともに軽くなっていく傾向がありますが、不注意や衝動性の症状は半数が青年期まで、半数は成人期まで続くと報告されています。また、思春期以降に、うつ症状や不安症状を合併する人もいます。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
泥棒というのは何らかのアクションを起こされた結果なので、何もしなければ泥棒の被害に遭うことはないというのが普通の感覚かと思います。
時間泥棒が1人もいないような世界では、「○○○してますか?」と防犯を呼びかけるCMは必要ないかと思うところですが、それは金銭的に価値があると考えられているものを守るためのものです。
盗みに入ってこない、身体的な被害を与えようとしないということであれば、防犯そのものを考える必要もないことになりそうですが、これが「時間を盗まれる」ということになると、防犯システムも警備員も存在していなくて、予防的措置も講じにくいところです。
ましてや、何も行動を起こさないとなると、時間泥棒の予防の対象にしてよいのかの疑問も湧いてくるかもしれません。
まったく何も行動していなければ、確かに何も起こらないであろうことは想像できます。ところが、何かアクションのきっかけを作って、その紹介をして、その後の進め方も任せてほしいと言っていた人が、何も行動を起こさなかったとすると、これは時間泥棒の対象と考えて、先に対処をしておくべきことになります。
途中から何もしないことが時間泥棒だと言っているわけではなくて、期待をさせておいて、それに関わる方々にも時間を取らせるようなことをしておいて、いきなりゲートを閉められるようなことをされたら、これは立派な(?)時間泥棒となります。
ゲートを閉めるにしても、予告があったり、万が一のこととしてでも伝えられていれば、泥棒されたと言ってよいのか疑問も湧いてくるところでしょうが、それがないままで締められるのが、よくある話です。
後になって、被害者同盟(?)の調査で、単に忙しかった、伝えるのを忘れていた、伝えたつもりだった、伝わっていたと思っていた、伝わりにくい雰囲気だった、ということを言っているのがわかったら、これでは今後は付き合えない人、付き合ったとしても信用をしていない人、という判断をされても仕方がないことです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのリンの過剰摂取の回避の「耐容上限量の策定方法」の続きを紹介します。
〔耐容上限量の策定方法〕
*成人・高齢者(耐容上限量)
正味のリン吸収量の指標と考えられる1日尿中リン排泄量に基準となる値は設定されていません。
尿中リン排泄量と健康障害との関係についてのデータは少なく、腎結石患者と健康な人を比較した研究では、腎結石患者ではリン摂取量が2670mg/日と、健康な人の1790mg/日に比べて有意に高く、尿中リン排泄量も腎結石患者で617.7mg/日と、健康な人の358.5mg/日に比べて有意に高かったことが報告されています。
このことから、リン摂取量が増加して、尿中リン排泄量は増加することで腎結石の発症リスクが高まることが示唆されますが、症例数は少なく、十分な科学的根拠はありません。
したがって、従来のリン摂取量と血清リン濃度上昇の関係に基づいて、耐容上限量を設定することが現時点では最も妥当な方法と考えられます。
ここで、血清無機リン(mmol/L)、吸収されたリン(mmol/日)については、次の式で示される関係が提案されています。
「血清無機リン=0.00765×吸収されたリン+0.8194×(1−e(−0.2635×吸収されたリン))」
これに、リンの吸収率を60%と見込み、血清無機リンの正常上限4.5mg/dL、リンの原子量(モル質量)30.97を用いると、血清無機リンが基準値上限となる摂取量が4275mg/日となります。
これを健康障害非発現量と考え、性と年齢区分によってはカルシウム/リン比の低い食事によって骨代謝に影響がある可能性を考慮して、不確定因子を1.5として、2850mg/日(丸め処理を行って3000mg/日)を成人の耐容上限量としました。
この値は、リン摂取量と食後の血清リン濃度の関係で示されているように、リン摂取量が3000〜3600mg/日で血清リン濃度が基準値上限を超えていることと比較しても、おおむね妥当な値と考えられます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのリンの過剰摂取の回避の「耐容上限量の策定方法」の続きを紹介します。
〔耐容上限量の策定方法〕
*成人・高齢者(耐容上限量)
近年、リン負荷の指標として注目されているのがFGF23です。
しかしながら、血清FGF23濃度の測定方法が試験によって異なることや、日本人でのリン摂取量と血清FGF23との関係、さらには血清FGF23の健康の保持・増進における意義については、いまだ十分な科学的根拠が得られておらず、FGF23を指標にした耐容上限量の設定も現時点で困難と考えられています。
リン摂取量と骨以外の有害事象との関係も報告されています。
これらの健康障害発現量を耐容上限量と考えることも可能ですが、評価指標によって健康障害を示すリン摂取量は1347〜3600mg/日と幅が広い上に、データが十分ではなく、閾値を設定することは困難です。
そこで、血清リン濃度の変動あるいは尿中リン排泄量を指標とした検討を行いました。
リン摂取量ごとの血清リン濃度の日内変動を検討した試験では、1500mg/日では正常上限を超えることはありませんが、3000mg/日では食後に正常上限を超えるレベルに達するとされています。
日本人男性を対象とした研究でも800mg/食(1日に換算すると2400mg)では正常上限を超えることはないものの、1200mg/食(1日に換算すると3600mg)では正常上限を超えることが示されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「ひとみの日」眼鏡・コンタクトレンズ業界が、ひ(1)とみ(3)の語呂合わせで制定。
毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
「日々修行」の連載コラムに続くタイトルは、日々努力とか日々挑戦にしようかと考え、「日々精進」に決めようかとも思ったのですが、どうもしっくりとこない感じがしていました。
結果としては「日々邁進」となったのですが、語源から紐解いて、検討をしました。
先に精進(しょうじん)について説明すると、「一つのことに精神を集中して懸命に励むこと」のほかに、「一定期間、行いを謹んで身を清めること」、「肉食を断って、菜食にすること」といった意味もあります。
三番目は、精進料理が意味するところと同じです。
この中で、ここで言う(私の場合の)精進は一番目の意味です。
精進は仏教用語として使われてきて、「雑念を取り払って、仏道修行にひたすら励むこと、正しい目標に向かって勇気を持って努力すること」を指しています。単に頑張るということではないのに、「頑張ります」と言う代わりとして「精進します」と言うのは、ちょっと違うのではないかと感じます。
漢字単体では精は、米などを白くすること、混じり気がなく清らかなこと、細かく詳しい様子という意味があります。進は、前に進む、上の段階に昇る、向上するといった意味合いがあるので、精進は内向きで終わりかねないと感じることがあります。
「結果も大事だが、そのために頑張ったことはもっと大事だ」ということを言われても、それは結果を出した人が言ってよいことで、そうでもない人も使っています(案外と多い)。
邁進(まいしん)との違いについては次回(日々邁進4)、書くことにしますが、不安を感じながらも頑張っているのではなく、心配せずに進むことを表したくて「日々邁進」としました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
正念は、正しい念(正+念)を意味するだけでなく、正しい今の心(正+今+心)を示す言葉としても認識されています。正は、どんな組み合わせかというと一と止の上下の組み合わせというのが一般の認識です。
一と止という文字が使われた言葉としては、今回のお題の「一日一止」が一番にあげられます。「一日一止」(いちにちいっし)は、一日に一回は止まることを指していて、仏教用語(特に使われるのは禅宗)の一つとして使われています。
「歩き続けるだけでなく、一日のうちに一回は止まる」という意味合いであるとして、休む時間も大切という働き方改革を示すために使われることがあります。「一日一止」と書かれたものを目にするたびに、これでよいのか、と感じていました。
ただブレイクタイム(休憩時間)を作ればよいということではなくて、立ち止まったときに何をするかが大切になります。
何をするかと聞かれれば、仕事の手を休める、席から離れる、目を休めるということから始まって、一服入れる、深呼吸をする、瞑想をして集中力を高める、ということが普通かと思われます。
一服というのは、本来は薬を服用することを指していましたが、服には飲むという意味もあり、そこから茶やタバコで一休みをするという使い方をされるようになりました。
今では、ブレイクタイムにはスマホを取り出して、ゲームをする、SNSを始めるという姿を見るのも珍しくはなくなりましたが、いかに本人がON(仕事)とOFF(仕事以外のこと)の切り替えができるかが重要だということになります。
「一日一止」は止まって何をするかということですが、自分の歩みを振り返る、歩き方を見つめ直すというのが本来の考え方です。本来の「一止」は一旦止まって見つめ直し、新たに進むことを意味しています。
このタイミングで「一日一止」について書いているのは、一回止まってみる期間として、正月(前後の正月休み)が絶好だとの感覚があるからです。
元旦の「旦」は夜明けを意味する文字で、太陽が地平線や水平線から見える日の出を表す象形文字から始まっています。ということで、元日の朝を意味するので、使ってよいのは一月一日の午前中の早い時間となります。
一旦立ち止まってみて、その後に進むべきは正しい道ということで、「一止」は正しい、その今の心を表すのが「念」ということで、正念の意味合いを寄り道しながら、新年の時期のネタとして書いてみました。
〔小林正人〕