書字障害の例について、前回に続いて簡単に解説をします。
*考えた内容を書いて表現することが難しい
読んで記憶した文章を、そのまま書くことはできても、自分で考えた内容を書くことに困難さが出ることがあります。考えたことは、思いついたまま文字にすればよいわけでなく、頭の中で文章として組み立てて、それを書くことが必要となります。組み立てができずに、文章として読みにくく、表現したいことがわかりにくいということが起こります。
*板書など書き写しの速度が極端に遅い
黒板・ホワイトボードに書かれた文字や文を書き写すときに、一度に覚えられる文字の数が限られていることから書き写しが遅くなることがあります。見た文を言葉にすれば記憶しやすくて書き写ししやすい場合もありますが、授業中に声が出せないと急に書き写しの速度が遅くなることもあります。教科書のように活字であれば書き写しやすくても、筆記されたものでは理解が遅くなって書き写しが遅くなることもあります。眼球の動きがスムーズにいかないことから、遠くの板書と手元のノートに視線を交互に移すのが苦手で、書き写しが遅くなることもあります。
*早く書くと雑になる
ゆっくりと書けば正確な文字をかけても、早く書くと文字が崩れたり、文字の大きさが変わる、ワクの中に収まらない、最後まで文字を書き終わる前に次の文字を書き出すということがあります。注意欠陥・多動性障害の場合には、短い時間では文字が雑になって、文字が途中で終わるということが多くみられます。そのことを指摘するだけでなく、雑になる理由を理解して指導することも必要となります。
投稿者「JMDS」のアーカイブ
ミニマリストという生き方を選択する人がコロナ禍を経験して増えてきました。ミニマリスト(minimalist)という用語が使われるようになったのは2010年ころからで、持ち物をできるだけ減らして、必要最小限のものだけで暮らす人を指しています。自分にとって本当に必要なものだけを持つことで、かえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の社会から脱却して生きていこうという新しいライフスタイルです。
これだけを見ると、なんだか断捨離のように感じるかもしれませんが、使われるようになったのは同時期であって、混同されることがあるものの本当の意味は違っています。断捨離はヨーガの行法である断行、捨行、離行に対応して、新たに手に入りそうな不要なものは断つ、不要なものは捨てる、物への執着から離れるということを意味しています。
メディアでは整理整頓、片付け上手のことに断捨離を使う向きもありますが、そのようなものではないことは元の意味を知ればわかることです。
ミニマリストを名乗っている人の中には、余計な関わりを断って、必要最小限のことしかしないことだと思っているところもあるようですが、余計なことをしないで、そこで生まれた時間と精神的余裕を他の大切なことに使おうというのは、それこそ本来の意味の断捨離との共通点といえます。
「逃げるが勝ち」とばかりに、何もかもを捨てて逃げ出すのは、「逃げるが勝ち」の本来の意味とも違っています。無駄な戦いの場からは引いて、力を溜め、機会を探って、一気に勝利に向かって突き進むのが本来の意味で、それを「逃げるが価値」という言葉を使って、“勝ち”につなげようとしています。
福祉関係のサポーターというと、障害者を支援する多くの役割があるのですが、その中でも有名なものは認知症サポーターです。これは厚生労働省が主導するもので、認知症に対する正しい知識と理解を持って、地域で認知症の人や、その家族に対して手助けする方を増やすための講習が実施されています。認知症サポーターになったからといって特別なことをするわけではなくて、認知症の人や、その家族を温かく見守る応援者になって、自分のできる範囲での支援をすることが期待されています。
認知症患者は超高齢化が進む一方の状況の中に合致するように増える一方となっています。その数は600万人を超えています。これは社会的な問題とされていますが、それと並ぶくらいに問題となっているのは発達障害児です。15歳未満の人口は、少子化が進む中、1493万人となっていますが、発達障害児の発現率は10%とされています。つまり、149万人ほどもいるということです。
認知症患者は高齢化が進む中で増える一方であるのに対して、発達障害児は少子化によって減っていくものの、認知症とは違って、改善のための支援を行うことで社会を支える大切な人材となり、超高齢社会を支える人材にもなってくれます。
発達障害児は発達障害児支援施設などによる改善によって、支えられる側の立場から、社会を支える立場にもなることができます。とはいえ、発達障害児支援施設の稼働率が100%であったとしても、これらの施設で支援を受けられるのは40%ほどでしかありません。残りの60%は、支援が受けられずに、家族によるサポートに頼るしかありません。これは都市部のように支援が充実している地域も含めてのことで、地方では20%ほどしか施設を利用することができません。
そんなにも少ないだけに、発達障害児の支援を進めるために、発達障害児について理解して応援する、認知症サポーターの発達障害児版を立ち上げる必要を強く感じています。そして、講習のための準備をすすめています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)
高齢者のウォーキングの強い味方となっている膝の軟骨の成分であるグルコサミンと、軟骨の潤滑成分であるコンドロイチンですが、効果的な摂取タイミングである空腹時に摂って、その成分が軟骨に届きやすいように痛みを感じない程度に歩くということをしても、すぐに効果を感じるようなことはないというのが、成分の特徴です。
長い期間をかけて徐々にすり減ってきた軟骨が、短期間の摂取で元のとおりに回復するというのは、期待のしすぎです。特に膝関節に強い痛みがある人は、相当に軟骨が減っていることが考えられるので、早くても2〜3か月ほどかかるのは当たり前のことです。
ところが、グルコサミンとコンドロイチンが含まれる健康食品を摂ったら、それほど期間がかからずに膝の痛みの軽減、違和感の軽減を感じる人は少なくありません。その理由は、別に含まれている成分の有効性によるものです。グルコサミンとコンドロイチンが含まれる健康食品の成分表示をみると、キャッツクロー、デビルズクロー、ショウガエキスなどが使われています。
これは痛み軽減の成分で、この成分によって効果が得られていると感じて、続けて摂取しているうちに効果が得られるという考えから、初期段階のグルコサミンとコンドロイチン、コラーゲンなどの膝対策の健康食品から使われ続けています。
長く使っていれば実際の効果が得られるということでしょうが、痛み軽減の成分だけでも有効性が感じられやすいということで、グルコサミンやコンドロイチンなどを減らして、痛み軽減成分を多くしている健康食品も残念ながらあります。商品を手にしたり、比較する機会には、ただ有効性をにおわせる文言に注目するのではなく、メインの成分が、どれくらい含まれているのかを重視して確認することが大切です。
文部科学省の「食に関する指導の手引」では教科ごとの食に関する指導を各論として掲載しています。ここでは体育、保健体育の中学校の食に関連する内容を前回に続いて紹介します。
(ウ)実践事例
①単元名「健康な生活と疾病の予防」 ア(ウ)生活習慣病などの予防
②単元の目標
*生活行動や生活習慣と健康について、基礎的な事項およびそれらと生活との関わりを理解することができるようにする。
*生活行動や生活習慣病と健康について、課題の解決を目指して、科学的に考え、判断できるようにしたり、表現したりすることができるようにする。
*生活行動や生活習慣病と健康について関心をもち、学習活動に意欲的に取り組むことができるようにする。
③食育の視点
*さまざまな食品の栄養的な特徴や栄養バランスのとれた食事の必要性など、心身の成長や健康の保持増進の上で望ましい栄養や食事のとり方を理解し、自ら管理していく能力を身に付ける。
④指導計画(全5時間)
*健康の成り立ち(1時間)
*運動と健康(1時間)
*食生活と健康(1時間)
*休養・睡眠と健康(1時間)
*生活習慣病とその予防(1時間)
⑤展開例(第3/5時)
*本時の目標
生活行動・生活習慣と健康について、不適切な生活習慣による身体への影響を振り返り、自分の食習慣と照らし合わせ、年齢に応じた栄養素のバランスや食事の量など、正しい食生活について考えることができる。
「果報は寝て待て」というのは、ただ寝そべって待っていればラッキーが飛び込んでくるというような意味ではないことは以前に、このコロナ後を考えるコーナーで紹介しました。運というのは自分の力ではどうにもならないものだから、あせらずに時期を待つのがよいという意味ですが、待っている間にもやるべきことがあります。その重要性を伝えたいのですが、それと似たような意味合いの諺(ことわざ)に「逃げるが勝ち」があります。
争いを起こさずに逃げるほうがよい、という意味で使っている人がいて、「果報は寝て待て」よりも、もっと怠け心を出しているようなイメージさえあります。しかし、「逃げるが勝ち」は、形勢が不利になったら無駄な抵抗をするよりも逃げるに限るという意味で使われていて、さらに逃げて相手に勝ちを譲るほうが大局的には勝つことができるという意味を含んでいます。
この場合の“逃げる”というのは負けて逃げ出すのではなくて、負けないように逃げるのであって、退却をしたように見えたとしても、実際には弓を引き絞って力をためて、一気に撃ち放つための準備としての行動です。つまり、逃げるように見えることでも意味があり、価値があるということから「逃げるが価値」をテーマとしています。
コロナ禍で、これまでの実績を捨てて撤退する(逃げる)人が続きました。撤退して他の商売に移る人がいる一方で、これを他のことを始めるよい機会とした人もいました。これは元のところに残って頑張っている人には逃げたように見えたとしても、本人は無理をして余計な力を使うのではなく、力を溜める機会にして、次のチャンスに力を注ごうとする、まさに「逃げるが価値」を体現している人も少なくありません。
ピンチをチャンスに変える、という安易な意味ではなくて、方向性や生き方を変えるチャンスとしているのです。本当に言いたい意味合いは、次回に続きます。
必要な栄養素を不足することなく摂れるように、積極的に食べるべき食品が示されています。一般には栄養学で使われる6つの基礎食品群が採用されていますが、もっと簡単にわかるように標語が作られています。それは「まごわやさしい」です。
この言葉は、豆(ま)、ごま(ご)、わかめ(わ)=海藻、野菜(や)、魚(さ)、しいたけ(し)=きのこ、芋(い)を表しています。これらには、糖質(芋)、脂質(魚)、たんぱく質(豆、魚)が含まれ、不溶性食物繊維(野菜、芋)と水溶性食物繊維(海藻、きのこ)も含まれています。さらにビタミン、ミネラルの補給に必要な食品ではあるものの、食卓にのぼりにくいものもあります。
「まごわやさしい」に2文字「たち」を加えた「まごたちわやさしい」も最近使われるようになりました。加えられたのは卵(た)、乳(ち)=乳製品で、骨粗鬆症の予防のために骨に必要なカルシウムとたんぱく質を多く摂ってもらうことを目指しています。「まごわやさしい」では不足しがちな動物性たんぱく質を摂ることで、良質なたんぱく質を複数の食品から摂ることが求められています。
この他に食卓にのぼる料理を色で考える方法もあります。肉類が多い食事では茶色が多くなりがちです。これに緑色の野菜を加えて、さらに野菜も赤(ピーマン、トマト)、黄(ピーマン、とうもろこし)、紫(なす)、白(ねぎ)を加えます。同じ茶色であっても大豆や味噌、きのこを加えます。黒(海藻、ごま)も加えると、さらにバランスがよくなります。白はご飯だけというのではなく、牛乳やヨーグルトを加えることも考えます。
さらにデザートにフルーツ(果物)を加えると、より色鮮やかな食卓になります。色鮮やかな野菜は紫外線を浴びることによって抗酸化成分(ポリフェノールなど)が蓄えられています。フルーツの多くは赤道近くの特に紫外線が強い地域が原産地であることから抗酸化成分が豊富に含まれています。色によって抗酸化成分の違いがあることから、同じ野菜、果物、魚であっても色の種類を増やすことで多くの成分を得て、より健康で美しくなることを目指すことができるようになります。
エネルギー源の脂肪は体内では燃焼していない、という前回の話を受けて、体内の脂肪が減るのは、どのような仕組みなのかということについて説明します。
脂肪は一般には中性脂肪を指しています。中性脂肪は脂肪酸3個がグリセロール1個と結びついた形をしています。動物性の食品に含まれている脂肪も、体内の脂肪細胞の中に蓄積されている脂肪も中性脂肪となっています。このままではエネルギー化することができないので、脂肪酸に分解されてから、全身の細胞の中にあるミトコンドリアに運ばれていきます。ミトコンドリアはエネルギーを作り出す役割をする小器官で、小さなものではあっても数が非常に多く、その重量を合わせると全体重の10%にもなります。それだけ重要な器官だということです。
脂肪酸はミトコンドリアに運ばれると、アセチルCoAに変化します。その後にTCA回路というエンジンのような働きをする部位でクエン酸に変化して、そこからは次々に別の酸に変化していって、一回りするとエネルギー物質のATP(アデノシン三リン酸)が36分子発生します。
このATPがエネルギーとなるわけではなくて、ATPからリン(P)が1つはずれてADP(アデノシン二リン酸)になるときにエネルギーが発生します。また、エネルギーが多く必要な状態になると、ADPからリンが1つはずれてAMP(アデノシン一リン酸)になり、そのときにもエネルギーが発生します。生体の中の化学反応でエネルギーが発生しているということです。
ミトコンドリアのTCA回路で酸が次々に変化していくときには4種類のビタミンB群(ビタミンB₁、ビタミンB₂、ビタミンB₆、ビタミンB₁₂)が必要になります。これが不足するとエネルギー産生が低下することになります。
書字障害の例について、前回に続いて簡単に解説をします。
*漢字を使いたがらず、仮名で書くことが多い
漢字で書くことができない場合には、複数文字の一部をひらがなで書くことが許されることもあります。しかし、学年ごとに覚えるべき漢字を学んだ後には、教科書や試験問題に使われるため、文章や問いの意味がわからなくなり、つまずきを多くすることにもなります。
*文字を書く際に余分な点や線を書いてしまう
ひらがな、カタカナ、漢字の形を充分に覚えられない、ひらがなとカタカナの違いが明確にできないといった識字障害によって正確に書けない場合と、読んで覚えることができているものの記憶したとおりに書くことができない場合とがあります。
*句読点などを忘れる
句読点(「、」「。」)は文字の一つですが、その意識が充分でないか、理解をしているのに不注意のために忘れることがあります。接続詞のあとに打つといった句読点のルールが理解できていないこともあります。句読点を打つ位置はわかっていても、読点「、」と句点「。」の使い分けを間違えることもあります。文章を読むときに長い文を記憶できないために細かく区切って読む場合には、書くときに読点を多く打つこともみられます。英語の句読点「,」「.」が混じることもあります。
*文章を書くときに助詞などをうまく使いこなせない
単語につける助詞(に、へ、で、の、が)の使い分けができない、接続助詞(ので、けど、し、が)ができない、もしくは助詞と接続助詞が混同するということがみられます。格助詞(が、の、を、に、へ、と、から、より、で)、並立助詞(の、に、と、や、し、か、やら、なり、だの)、副助詞(ばかり、まで、だけ、ほど、くらい、など、なり、やら)といった多彩な使い方を学ぶと、先に覚えたものの使い分けが混乱することもあります。
新型コロナウイルス感染症対策のワクチン接種は2回で終わることはないだろうと思われていましたが、接種からの期間が長くなるほど免疫が低下することがわかり、案の定、3回目の接種となりました。これが「三度目の正直」で、これ以上のワクチン接種をしなくても感染しない、重症化しないということであれ、副反応があっても受け入れるしかないという反応の人も多くなっています。
3回目の接種も国の負担で行われるのでよいとしても、また免疫が低下して従来の変異株にも対応できない、新たに強力な変異株が登場したらさらに対応できないということになって、「四度目の正直」の接種もあるかもしれないという不安を抱く人も少なくありません。別の不安として、今後も接種は無料なのか、ということもあります。
自前でお金を払うのが困るということではなくて、有料で接種するようなことになると、接種率が低くなって、そのために感染が拡大しやすくなるのではないか、という不安です。
「三度目の正直」は同じようなことをしていて、3回目は成功することを指していますが、これまでと同じコロナ対策をしていて、3回の接種だけで後の憂いがなくなるなら「四度目の正直」は必要のない言葉かもしれません。
しかし、どんなワクチンでも免疫が期間とともに低下してくるので、これまでと同じコロナ対策でよいわけはありません。これまでと同じ対策に加えて、他の対策を始めるべきで、何をすればよいのか、そこを今始めて、コロナ後に備えることが重要との認識です。
コロナ禍で健康度は国民的に低下してしまいました。外出自粛で歩く機会が減っただけでも健康度は大きく下がりました。これをコロナ後に一気に回復させていくことを考えると、2年にわたる行動の自粛は影響が大きすぎます。だからこそ、健康づくりを急ぎ、免疫の向上にも取り組むべきだということを伝えさせてもらっています。





