投稿者「JMDS」のアーカイブ

〔2026/5/23〕
微表情を読んで、分析する能力は決して喜ばれるものではない、ということを前回、自分自身の環境と経験も踏まえて書かせてもらいました。
それが微表情分析を封印することにもなっていきました。

微表情分析の研究はアメリカで始まり、日本でも複数の研究者が存在しています。心の中が表情に現れるのは表情筋と脳神経の関係から説明されています。
顔の表情筋は30種類ほどあるといわれます。
表情筋の数は誰しも変わらないとしても、主に使われている表情筋の数には個人差があって、すべての表情筋が使われていたとしても、100%の稼働があるわけでもありません。

表情筋は感情を司る脳の神経と密接に関係していることから、感情は表情に現れやすくなっています。
嬉しい気持ちのときには嬉しい表情になり、嬉しい表情をすることで脳も嬉しい気持ちになっていくという説明がされています。

笑顔は子どもの特徴的な表情で、一般的には1日に400回は笑っているといいます。
それに対して、大人の平均は15回ほどです。
それだけ笑わなくなる、笑えるような気持ちにはならないということではなくて、笑えるような感情の動きがあっても、それを笑顔と認識できるような表情をしなくなるということが言えそうです。

笑える条件が整えられていても、そういった条件にあることを忘れてしまっていると、笑うことができなくなります。これは脳には忘れる能力があり、これが高まってくると、だんだんと笑えなくなってきます。
そのときには、複雑な表情を作り出すことができる表情筋が充分には働かなくなり、笑顔だけでなく、さまざまな表情を豊かに出すことが徐々にできなくなっていく恐れがあります。

表情筋も筋肉であるので、普段から使わないと徐々に衰えていくこともあり、逆に言うと表情筋を積極的に使うことで、つまり感情を表に出すようにすることで、表情が豊かになっていくということです。
子どもは周りの人の表情の変化を見て、感情を表していくとともに、自分の感情の変化に対して周りの人が、どんな表情をするのかを経験しながら成長していきます。
ところが、コロナ禍が続く中で、このトレーニングができなかったために、子どもが表情を表さなくなっていると指摘されています。

中には表情筋を、あえて使わないようにして、感情を表に出さないようにしている人もいます。
表情から感情、脳の変化を読まれないようにしたいとの思いから、感情が表に出ないように、感情が表に出るようなことを忘れるように心がけている人もいるのです。

しかし、表情筋は感情の変化があると必ず特徴的な動き方をするので、微表情の特性を知ることによって隠されている真実を知ることができるようにもなるのです。
こういった総論的なことから、微表情分析では何を読んでいるのかというと、基本となるのは喜び、悲しみ 怒り、驚き、恐れ、嫌悪、軽蔑の7つです。

仕事にも人間関係の構築・別離にも役立てることができる微表情分析を、岡山に移住してからは封印していました。そして、解除することになるのですが、そのことについては次回に続きます。
〔小林正人〕

〔2026/5/23〕
「微表情」は、意識する(意識的)意識しない(無意識的)に関わらず感情を隠したり、抑制しようとするときに表れる表情のことで、感情に関わる、すべての表情筋が同時に、そして瞬時に表れるという特徴があります。
その時間は0.2秒以下とされています。0.2秒というと、かなり短いと感じるかもしれませんが、まばたきの時間は0.1〜0.2秒なので、瞬間といっても絶対に見抜けない時間ではありません。

微表情は随分と知られるようになってきていて、その講習や資格認定なども行われていますが、学べば誰もがわかるというものではありません。
表情の変化に注目しているのか、気づくことができるのかは訓練で習得することも可能性ではあるものの、その才能があって、才能を活かせる環境があって初めて身につくものと考えています。

これまで、さまざまな環境や経験の変化について書いてきましたが、環境が微表情分析を身につけさせ、それが経験できる範囲を広げてきたところがあります。
環境ということでは、私は3歳から親元を離れて母親の実家の寺院で暮らしていたことが多くの人の微表情を読む能力(と言っていいのか?)を身につけさせるきっかけになりました。

小学生から父母のもとで暮らしたものの、父親の転勤のために小学校3校、中学校2校に通い、そのたびに余所者(よそもの)が溶け込むために表情を読んでいました。
高校と大学は、それぞれ1校でしたが、微表情を読むことは続けていました。
社会人になってからも、東京にいた40年は何人分(何十人分?)の仕事をして、それだけの出会いがあって、いくらでも微表情分析の経験を重ねることができました。

視覚情報を写真のように鮮明に記憶する能力はカメラアイと呼ばれていて、発達障害がある子どもでは発現率が高いとされています。
私が発達障害であったのかどうかは今ではわからないところですが、発達障害児の支援の活動をする中で、この子は自分と同じ経験をしているのではと感じたことは指折りでは数えきれないほどありました。

私が他の人では経験できないような会議の場への参加が求められたのは、行動や発言ではわからない心の中を見ることができたからだと思っています。
微表情を読んで分析することを求められているので、それに集中するために会議で発言しなくてよいと言われたこともありました。
微表情分析が違っているのではないかと見られることもあったのですが、後になって分析した人の本心が出てきて、本当だったと認められることもありました。

微表情を分析して、それを仕事などに活用する側には喜ばれていた反面、分析される側にとっては困った存在であることは明らかなことで、理解してくれる人が増える一方で、離れていく人も比例するように増えていきました。
〔小林正人〕

苦楽一如は、苦しみと楽しみは離れがたい人生のセットであり、両方を受け入れる中道の心が大切だとの教えの言葉でもあります。

苦を避けるのではなく、苦の中に悟りを見出し、欲(執着)を離れることによって本当の安らぎを得ることを目指そうという“心意気”を示す言葉でもあります。

仏教用語はわかりにくいもの、理解しにくいところが、いかにも仏教の書に出てきそうですが、「苦楽一如」(くらくいちにょ)は人気の時代劇ドラマの主題歌を例にあげて説明することが可能です。

人生楽ありゃ苦もあるさ
涙のあとには虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を踏みしめて

「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」との言葉が引き合いに出されることもあります。

人生の中では苦だけがずっと続くことも楽だけがずっと続くこともない、苦の後にはらくが、楽の後には苦が待っていると思って、いつも希望と謙虚さを失わずに、目標に向かって努力を続けることが大切だという教訓だと説明されることもあります。

しかし、時代劇ドラマでは「苦あれば楽あり」は人気があっても、「楽あれば苦あり」は採用されないのが大方の見方です。

ところが、「苦あれば楽あり」が多くあって、その中に「楽あれば苦あり」を差し込むことで、メリハリがあり、バランスが取れることで評価が高まっていきます。

このことを教えてくれたのは、テレビ時代劇『水戸黄門』を仕掛けた大手広告代理店のプロデューサーで、私の仲人さんでもあります。
〔小林正人〕

〔2026/5/23〕
噛むという習慣が健康によいことは昔から知られていました。
江戸時代の儒学者である貝原益軒は『日本歳時記』で、「人は歯をもって命とする故に、歯といふ文字をよわい(齢)ともよむ也」と書いています。
これは、齢という文字に歯が入っているのは人が健康を保って命をつなぐために噛むことが大事である、ということを示しているわけです。

「現代人は早食いだ」とよく言われます。過去の食事に比べて食物繊維が多く含まれる野菜などを食べる機会が減って噛むのに時間がかからなくなった一方で、肉類や脂肪の摂取量が増えて消化に時間がかかるようになりました。
消化力が弱い日本人にとっては、胃液を補う消化液である唾液の分泌は重要で、唾液を多く分泌させる咀嚼は年齢を重ねても消化力を低下させないために大切なことです。

ところが、日本人は仕事や学業、遊び、休憩などに少しでも時間を割こうとして、咀嚼にかける時間をおろそかにしがちです。咀嚼は前歯の切歯と犬歯で粗噛みしたものを奥の臼歯で細かく噛み砕き、磨り潰していくことを指しています。

食べ物が口の中に入ってきたときには、まず粗噛みを7~8回して、それから10回以上は噛むのが通常の咀嚼の状態で、咀嚼をしてから飲み込むことによって消化も進みやすくなります。
3歳児は誰に教わることもなしに一口につき平均17回は噛んでいるといいます。
軟らかなものを食べている子どもでさえ17回なので、硬いものを食べている大人なら30回以上は当たり前のように噛まなければならないはずです。

しかし、実際には多くても7~8回でしかなくて、軟らかなファストフードやハンバーグ、カレーライスなどでは4~5回くらいと粗噛みの段階で飲み込んでいる人も多くいます。
このような食べ方では胃液の少なさを唾液で補うことができずに、食品に含まれる栄養素が分解されにくくなるために吸収も悪くなりかねません。
よく噛んだ場合に比べると10%ほども栄養吸収率が低下するとの報告もあります。

噛む回数の推移については、さまざまな報告がありますが、弥生時代の日本人は1回の食事で約4000回は噛んでいたといいます。
鎌倉時代には約2500回、江戸時代には約2000回になり、第二次世界大戦前には約1400回、食べるものが大きく変化した戦後には600回くらいになり、今では300回を下回る人も少なくないのです。

私たちが伝える栄養学は、食べるものの大切さ以上に、食べ方の重要性を話しているだけに、この噛むことは最重要課題として講習の大きなテーマとしています。
〔小林正人〕

「難病の日」日本難病・疾病団体協議会が、難病の患者に対する医療等に関する法律が2014年5月23日に成立したことにちなんで制定。

「骨密度ケアの日」アサヒグループ食品が、骨密度=こ(5)つ(2)み(3)つどの語呂合わせで制定。

「チョコチップクッキーの日」ダブルツリーbyヒルトンが、チェックインのときにチョコチップクッキーをプレゼントするダブルツリーbyヒルトン那覇の開業日の2012年5月23日にちなんで制定。

毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)

「足るを知る」は、中国の思想家・老子が書いた『道徳教』の一説の「知足者富」(足るを知る者は富む)が原型です。

この“富む”というのは、物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさや幸福感を得られることを指しています。そして、自分の置かれている現状に満足して、周りへの感謝を忘れない内面の豊かさを表す言葉といえます。

「知足者富」は、仏教の経典に登場する「知足」をもとに、道家思想の影響を受けて生み出した名言の一つとされていますが、紀元前6世紀の老子の時代には、仏教の経典はインドから中国には伝わっていないというのが歴史研究の見解です。

「知足者富」は老子のオリジナル発想なのか、それとも仏教の経典が伝わってきてから誰かが書いたのか(もしくは付け加えた)のか、そこは謎のまま残しておいて、「知足者富」の意味するところを理解することが一つです。

そして、名言として今に伝わる「足るを知る」の意味を知って、自分に合わない豊かさ、身分に合わない満足を求めて誰かに卑屈になるのではなく、身分相応の倹しい(つつましい)生活をすることの大切さを、身をもって実践していくという生き方そのものといえます。

人間の欲望や欲求は際限がなくて、どこまでも湧いてくるものです。

それがあるからこそ成長も発展もできるという考え方がある一方で、現在よりも上を求め続けることは、いつまでたっても幸せになれない、幸せを感じることができないということを老子は言い表しています。

欲によって人を振り回すことになり、自分自身の人生を振り回すことにもなるという考えから、人と争わないためにも今の状態に満足することが重要との教えです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

これまで「一如」(いちにょ)について、物心一如、迷悟一如、心身一如、生死一如といった仏教の書に現れる用語を引き合いに、仏教思想の根元を少しでも見たいという気持ちもあって書いてきました。

一如は、仏教用語に由来していて、「二つのものが区別なく、一つの真実の姿であること」を指しています。今回のお題の「苦楽一如」は、もう一段階上を目指そうとしている方々に対して、呼びかけるような用語といえます。

苦と楽は対比・対別する関係だと思われがちです。“苦楽を共にする”という言葉はベストなパートナー(夫婦に限らず、一緒に行動する人)に対して使われています。

辛い時も楽しい時も、すべての経験を一緒に体験すること、それを分かち合うことを意味しています。単に生活や仕事などを共にするだけでなく、感情や運命を共有する信頼関係や深い絆を表す言葉として、喜怒哀楽のシーンで何度となく耳にしているはずです。

ここで使われる“苦楽”は、「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」とセットで使われることが多くて、苦しいことがあるから楽しいことがあり、楽しいことの後には苦しいこともあるというような、対比・対別の感覚で使われることが多くなっています。

また、苦しみのある状態と苦しみのない状態が提示されて、前者(苦)から後者(楽)へと進むことが示される学びの場も存在しています。

それに対して、「苦楽一如」は苦しみと楽しみは対立する別のものではなく、同じ一つのもの(表裏一体)だという仏教(東洋哲学)的な人生観です。

苦しいことは避けて、楽しいことばかりを求める向きもあるのですが、苦しいことも楽しいことも、どちらも人生の不可欠な要素として、“あるがまま”を受け入れて、その中で前を向いて(見据えて)生きていく姿勢を指しています。
〔小林正人〕

「抹茶新茶の日」丸七製茶(静岡県島田市)が、茶は草冠が十と十、下を八十八とすると百八になることから立春から数えてほぼ108日目になる5月22日を制定。

「たまご料理の日」全日本うまいもん推進協議会が、5月の05でたまご、22日をニワトリ・ニワトリと読む語呂合わせで制定。

毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

人間の欲望には限りがないようで、もっと欲しい、もっと持ちたい、買えるだけ買いたいという願いを話す人は、いくらでもいます。

さすがに食べられるだけ食べたいという人はいないはずですが(大食いタレントは別にして)、もっと美味しいものを食べたい、もっと高いものを食べたいという人には、何人にも会ったことがあります。

「足るを知る」は、自分の置かれた状況や持っているものに満足をして、それ以上のものを求めない心のあり方を指しています。

余計なものは何も持たない、できる限り減らすという、行き過ぎたミニマリズム、断捨離とは違っています。

身分相応に満足を知るということを知るという意味であって、現在の状態で足りているということを知って、それ以上を求めないようにするということを意味しています。

似たような感覚で「分をわきまえる」という言葉が使われることがあるのですが、これとは少し違っています。

分(ぶ)は自分の地位や身の程のことで、それを知って、出過ぎたことをしないようにするということを意味しています。身の程をわきまえると表現されることもあります。

いわゆる“身の程知らず”のことで、自分の能力や限界などをわきまえずに、過度の自信を持ったり、実力に見合わない言動をすることを指しています。分不相応な高望みということですが、この場合の分は「ぶん」と読みます。

これに対して、「足るを知る」は満足することを知るということで、知るべき事柄が異なっています。

「足るを知る」は、中国の思想家・老子が書いた(とされる)『道徳教』の一説の「知足者富」が起源(発祥)として知られています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害者は、今後さらに進んでいく少子高齢社会では貴重な人材とされています。特にIT業界では人材不足は深刻な問題で、現在でも不足しています。それに加えて超高齢化社会で期待される海外の人材が期待できないことから、医療・福祉人材としても発達障害がある人への期待が高まっています。

その人材となってもらうためには、一定の知識と技術は必要です。最先端の技術を身につけている必要はなくて、サブの仕事も今後は数多く生まれてきます。それを見据えた、さまざまな支援活動も始まっているものの、まだパソコンの基礎やタブレットが使えるというレベルであって、その他大勢ではなく、飛び抜けた人材を育成する仕組みも求められています。

これは当然の動きであっても、これまで着手されている支援の仕組みは、コロナ禍の前に考えられたもので、コロナ禍で学習が思うように進まない、支援の成果が充分に出ないということの影響を受けた子どもたちに対しても通用するとは限りません。

また、世界に目を向けると国同士の争いが世界経済に影響を与えることが明確で、その影響を身近に感じているのは親世代だけではありません。子どもも敏感に感じ取っていて、中でも発達障害児で過敏な反応をする子どもたちは、不安を通り越して悲しみや絶望感を抱くことにもなりかねません。

もしも、これまでの社会的な仕組みや常識がひっくり返るようなことがあったときには、最も大きな精神面での影響を受けるであろう発達障害児と発達障害者のことは常に考えに入れて判断をする必要があります。

そのような認識のうえに、発達障害がある人を理解して支えるサポーターの育成を進めていかなければならないと認識しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕