投稿者「JMDS」のアーカイブ

よく使う言葉は、その意味を理解して使っているのかとうと、理解せずに(理解しようともしないで)使っているということは普通に起こっていることです。

といっても、意味不明であってもニュアンスで把握していて、それが案外と当たっている(外れていない)ということも少なくありません。

正しい意味合いを知らなくても、生きていくことはできるのでしょうが、知っておいたほうが知らないよりも少なくともプラスになることはあるはずです。

そんな意味不明を解明してみようと考えて始めたのが、タイトルの「意味解明」で、ひらがなのままでは意味不明であっても、漢字にしたら意味がわかりやすくなる言葉もあります。

その第一弾として取り上げたのが「おっちょこちょい」です。

おっちょこちょいは、落ち着きがなくて、軽々しい行動をして失敗しやすい性格のことで、その性格の人を指して使われることもあります。

悪いことばかりなのかというと、不注意でドジを踏みやすいと敬遠されることがある一方で、親しみやすい愛嬌のある面も持ち合わせています。

そのようは人であり、評価もされることから、おっちょこちょいはメリットとなることも多く、これを活かす営業マンや芸人も存在しています。

「おっちょこちょい」の漢字表現はないものの、おっちょこちょいは「そそかっしい」と同義語とされていて、そそっかしいは「粗忽」と書かれます。読み方は「そそこつ」で、粗忽者(そこつもの)という使われ方がされるので「そこつ」と読むのが一般的ではあるものの、そそこつが正しいとの説を支持する人も多いのです。

「ニキビの日」ガルデルマ製薬(スイス・ローザンヌ市)と塩野義製薬が、5(いつも)2(ニキビは)1(皮膚科へ)の語呂合わせで制定。

毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)

「心が折れる」という言葉は女子プロレスラーの神取忍さんの「相手の心を折る」が発祥で、そのことは辞書にも載っています。

神取さんとは共通の知人を通じて、過去の活動を書籍化することで会ったのが初めでした。

壮絶な試合で相手の腕を折るような状況であっても、関節技で「相手の心を折る」ということで止めたという本当のプロ意識の現れということを書きました。

この試合(神取しのぶVS.ジャッキー佐藤)を取材したプロレス記者から、「あれはプロレスではなかった」と聞きました。その記者は東京スポーツの山田隆さんで、全日本プロレスのテレビ中継の解説者としても有名な方でした。

当時の後楽園ホールではテレビ中継がある日は、関係者でもあっても入れてもらえなかったのですが、中継がない日にも山田さんは取材に訪れていたので、その日には、一緒に記者席に並んで見させてもらっていました。

東京スポーツの前身は国民タイムズと言いますが、日本初のプロレス記者(山田さんの先輩)が知り合いで、後楽園ホールまで歩いて5分のところにある出版社の社長であったので、取材の勉強と称して時間さえあれば行っていました。

その日本初のプロレス記者は、厨房業界の機関誌の編集を副業でやっていて、私が厨房業界から栄養業界、健康業界と歩んでいくきっかけを作ってくれた方です。

前出の「あれはプロレスではなかった」という発言は、遺恨があるバチバチのケンカマッチで、“プロレスの常識”が通じない試合だったということを表しています。

“プロレス”はショー的要素があるもので、それがない本当に腕を折る凄惨なシーンを見ることになったかもしれない、という状態でした。これは何度も映像を見てきて、今でも感じることです。

神取さんは、最後には「相手の心を折る」ことで止めました。

それに比べたら、今では「もうダメだ」と心の支えを失わせることを何とも思わずに、平気でやってしまう人が増えてきていると強く感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本肥満学会は、新たな症候群の対策として体重を増やすことを主とした発表を行いました。

それは「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題」で、これまでの体脂肪を減らすメタボリックシンドローム対策とは逆という印象があります。

その発表の中から、新たな症候群の概念の「症候群の概念・定義」を紹介します。

〔症候群の概念・定義〕
◎FUSの定義は、「低体重または低栄養の状態を背景として、それを原因とした疾患。症状・徴候を合併している状態」とする。本ワーキンググループで、低体重や低栄養がもたらす健康障害の全体像を明確にし、診断基準の設定を試みた。
しかし、基準を明確に定めるエビデンスが不足していることもあり、現時点では疾患概念としての枠組みを提示することに留める方針とした。

◎FUSの概念設定の本質的な目的は「明らかな他疾患では説明できない、主に低体重・低栄養が背景となった多彩な健康障害」に着目し、早期発見・予防・介入の枠組みを構築することである。
さらに、原因疾患を持つ患者には適切な治療を優先する必要があることから、摂食障害や二次性の低体重(甲状腺機能亢進症、悪性疾患など)はFUSとして捉えるべきではなく、原疾患に対する治療を優先すべきである。

◎現時点のFUSは、主として18歳以上〜閉経前女性を対象に検討された概念であり、この概念には閉経後の女性や男性は含まれない。
これは、閉経後女性ではホルモン環境や加齢要因が大きくなる可能性があり、疾患・症状・徴候の原因について議論を要するからである。
また、男性においても低体重や低栄養に伴う健康障害が生じ得ると考えられるが、現時点では女性における有病率や影響の大きさが顕著であり、今回の概念に含めなかった。

ただし、将来的に、これらの集団における病態や健康障害に関するエビデンスが蓄積されれば、FUSの適用範囲の拡張や疾患概念の再定義が検討される可能性がある。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

自分がやってきた自業を変えられないために苦しむ「自業苦」については前回書きましたが、これは決して悪いものではなくて、次の良い状態のための通過点として着実に進んでいくべき道と考えることができます。

現在の苦しみの「自業苦」を、楽に変える生活ができれば、業の苦が楽になるということで「業苦楽」(ごくらく)となります。自業苦がなければ業苦楽もない、つまり苦しみを感じて自分を変えることができた人は、すべてが極楽に行けるという極楽往生を説いたのは浄土真宗の開祖の親鸞聖人です。

しかし、誰でも極楽に行ける、念仏を唱えるだけで極楽に行けるというような簡単なことではありません。阿弥陀如来に信心をすることで極楽に行くことができるということです。

たとえ仏であっても頼るだけでよいのかという発想もあるかと思いますが、浄土真宗では阿弥陀如来を信心する他力本願が重要となります。

現世で業苦楽(極楽)を感じることができれば、亡くなったときに即座に自動的に極楽浄土に行けるわけで、閻魔大王のお裁きを受けることもない、そもそも裁判が行われる冥土に行くこともないわけです。

自業苦を経験しなければ業苦楽もないということであれば、「苦しむことは修行のうち」と考えられることもあります。しかし、これにも異論があって、浄土真宗では苦行も坐禅もありません。

「自業苦」を経験しなければ絶対に極楽に行くことがないということではなくて、「自業苦」を感じた人であっても極楽に行くことができるということですが、この説明は他宗の方々には理解しにくいことかもしれません。
〔小林正人〕

「笑う門には福来る」とはいうものの、笑っていれば福が来るとは限らないというのが今の世の中で、笑いが起こるような講習を心がけていれば受講者が満足するということではありません。

もちろん、難しい話を、話す側が難しい顔をして話していれば緊張感が高まり、緊張感が真剣に聞くといくことにつながればよいものの、緊張しすぎて話がよくわからなかった、充分に理解できなかったということにもなります。

自分が聞く側に回ってみると、こんな話し方をしていたら、せっかくの内容が活かされないと感じることもあるのですが、自分が話す立場になってみると、案外と受講者として自分が感じていたことを実はやっていたということに気づかされることもあります。

「笑う門には福来る」は、いつも笑いが絶えない家には自然と幸福がやってくる、いつも明るく朗らかでいれば自ずと幸せがやってくるという意味です。また、悲しいことや苦しいことがあっても、希望を失わずに朗らかに生きていれば幸せが訪れる、という意味でも使われています。

今さら説明はいらないでしょうが、「門」(かど)は家や家族のことで、「福」は幸福、幸せを意味しています。

あるセミナーで講師が「笑う門(もん)には〜」と言っていて、参加者も司会者も指摘しなかったことがありました。別のセミナーで講師が「笑うカドには〜」と言っていたので安心していたら、講習テキストに「笑う角には〜」と書かれていました。

隅み(すみ)っこで笑うのではなくて、世間に向けて大笑いしなければ、と思い浮かべたことがあり、そのときに感じたことが今回の「笑う門には福は内」という諺(ことわざ)のもじりの言葉を使うようになったきっかけとなっています。
〔小林正人〕

「こんにゃく麺の日」ヨコオデイリーフーズ(群馬県甘楽町)が、生麺風こんにゃく麺が誕生した2013年5月20日にちなんで制定。

毎月20日:「ワインの日」(日本ソムリエ協会)、「信州ワインブレッドの日」(信州ワインブレッド研究会)、「シチューライスの日」(ハウス食品)、「発芽野菜の日」(村上農園)

名言は古くから使われてきた言葉であったり、歴史的な著名人の言葉であることが多いのですが、ここで取り上げる「心が折れる」は比較的新しくて、この言葉を初めて使った人も現役として健在です。

新しい名言は、辞書に載ることは少なくて、ピックアップされても「新語・流行語大賞」くらいなのですが、この「心が折れる」は辞書に掲載されています。その意味として「心の支えを失い、意欲がなくなる」「障害にぶつかって挫ける」と説明されています。

この起源(発祥)となったのは女子プロレスラーの神取忍さんが1990年に発言した「相手の心を折る」です。

そのきっかけは今もって伝説の試合と称される1987年7月18日のジャパン女子プロレスの最後の興行でのこと。神取しのぶ(当時は本名を名乗っていた)とジャッキー佐藤の一戦について後に、神取さんが関節技での勝利を振り返って言った言葉です。

関節技が決まると痛みに我慢ができなくなり、限界に達したらタップして「参った!」(ギブアップ)をします。腕が折れる前に、相手の心を折るという発言でした。

壮絶なケンカマッチとなり、腕の骨を折ることはできたが、選手生命を奪うようなことはできないからと、関節技で精神的なダメージを与える「心を折る」選択をしたということです。

柔道の世界選手権3位、全日本選抜体重別選手権3連覇の実績があり、後に男性レスラー顔負けの圧倒的な強さで、「ミスター女子プロレス」「女の中の男」と称された神取さんですが、この「相手の心を折る」という話は本人から直接聞きました。

それは2004年の参議院議員選挙に出馬(比例区、自民党公認)したときにPR戦略チームに加わったときのことです。次点で落選したのですが、2006年に参議院議員の竹中平蔵氏が辞職したことによって繰り上げ当選となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「需要があるところに新たに創設する」のが初めに着手することで、それが継続できるようにバトンタッチしていくのが私の役割でした。

それは2001年に霞が関の再編によって厚生労働省が誕生したときから、今では当たり前になっている制度を内部に入る形で作ってきました。

公益社団法人、公益財団法人の制度が始まった2008年からは、広く健康に関わる関係先の公益法人への移行をサポートしながら、自らの活動の場として特定非営利活動法人(NPO法人)を設立して、他の法人がやってこなかった“小さなこと”にこだわって情報提供をしてきました。

東京から岡山に移住したのは2017年のことで、「過去と未来の融合」をテーマにして、東京人脈と研究成果を岡山で活かすことを考えていました。

発達障害児の支援では、移住後に地方創生プログラムの健康ツーリズム(内閣府交付金事業)の企画を担当する中で知り合った病院のリハビリテーション部長に協力して、発達障害支援施設を運営する団体として特定非営利活動法人Pro Bono Rehabilitation Services(通称:プロリハ)の設立を支援しました。

2020年にプロリハの発達障害児支援施設は岡山市東区瀬戸町(瀬戸駅近く)に設立されて、その後に監事に就任。医療スタッフの理学療法士と作業療法士が主導する数少ない支援施設で、2021年には2号施設を岡山市北区東古松(岡山大学病院近く)に開設。3号施設は岡山市北区牟佐に2022年6月に、4号施設は備前市伊部に2023年9月に開設しました。

それと並行して、発達障害の中でも大きな社会課題となっている学習障害の支援にも取り組んでいきました。
(これについては次回に続きます)
〔発達の伴歩:小林正人〕

浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えの中に「地獄」という言葉は出てこない、というよりも地獄の概念が存在していなくて、別の文字で表現されています。それは「自業苦」(じごく)です。

自業は自業自得の前の部分のことで、自分が行ってきたことによって苦しむのは「自業苦」だとされています。

他の人よりもよい生活をしている人が今の生活を崩したくない、もっとよい生活をしたい、他の人よりも上に立ちたいと望み、それがかなえられないこと、思ったよりも歩みが鈍いことを苦しみのように感じることがあります。これも自業苦となります。

地獄という概念がないので、一生懸命に信心しないと「地獄に落ちる」ということもありません。地獄に落ちたくなければ善行を積めばよい、と言って苦行や、苦行がわりの金品を求めるということもありません。

浄土真宗には苦行もなければ、宗教行為でも葬式も含めて堅苦しいことも本来はありません。“本来は”と書いたのは、今の時代では開祖が定めた通りに受け継がれていないところもみられるからです。

時代を経て他の宗派が当たり前にやっていていることを徐々に受け入れて変化してきた部分もあります。門徒(浄土真宗の信者)だけでなく、葬式に参加する方々がイメージする宗教行為との違いを薄めてきたところもあります。

詳しいことは別の機会に書くとして、このようなことを地獄のような思いをして学ぶこともありません。

「足るを知る」という言葉があります。元は中国古代の思想家・老子によって説かれたことで、その後には「富む」という言葉が続きます。老子が説いたのは「知足者富」で何事に対しても満足するという意識を持つことによって精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていくことができるということを表しています。

満足するといっても「身分相応に」という附則はつくかと思いますが、あれこれと求めることは、その人と関わる人、周囲にいる人にも影響を与えます。

本人だけの「自業苦」だけではなく、関わる人たちにとっても、その人の自業の結果が「自得」で済まずに、「自業」でもないのに「自業苦」へと導くことにもなります。
〔小林正人〕