投稿者「JMDS」のアーカイブ

1995年のWindows95の発売は大きなエポックメイキングでした。

この新たなパソコンソフト(OS)の登場が、今のネット社会の始まりとなったのは異論がないところです。当時の情報容量はガラケーよりも少なくて、今にして思うと期待のかけすぎだったかもしれません。

それもあって、インターネットの世界では情報を収集するツールで、今ほど情報発信が多くはない時代だったので、選択をして、これを仕事や生活に活かすことに、それほど苦労はしなかったものです。

ただ、発信される情報が正しいのか、偏っていないのか、陰謀論で出てくるような情報操作がされていないのかを疑うことなく、送られてくる情報を受け入れている時代でもありました。

この段階の利用者は情報の消費者で、これはWeb1.0の時代とされています。テレビの内容がインターネットになっただけの段階と考えることができるような、一方通行の時代でした。

これが双方向のWeb2.0の時代になったのは2004年からのことで、SNSやブログ、facebookなどでアップロードする時代となりました。

自分で情報発信しているような気になることもあるのですが、IT企業が用意した仕組みを使っているだけで、アップロードしている情報の所有者はアップしている人ではなくてIT企業側です。

今はWeb3.0の時代で、ネット環境を使って自分が所有者となって発信する時代です。発信するのは情報だけではなくて、実際の経済に関わることも含まれています。

Web2.0の時代からWeb3.0の現在まで、自分が所有者となって発信して、人脈と情報を構築して、これを他のリアルな活動でも活かすことをしてきましたが、これもネット環境が継続していればこそのことです。

その次のWeb4.0の時代は、すでに始まっています。
〔小林正人〕

1995年はWindows95の登場を受けて、パソコンの認識と使い方が大きく変わった年であり、そのことを事あるごとに話をしてきたのですが、その当時も以後も私が主に使っていたのはMac(アップルコンピュータのMacintosh)です。

その当時に主に付き合っていた研究、医療、出版などの業界がMac中心だったからです。Windowsは機種によって情報容量が限られていましたが、Macは容量が増やせるので、便利に使われていました。

私もMacで仕事に支障はなかったものの、これからはWindowsシリーズが広まり、原稿を送る先も送ってくる人もWindowsになることはわかっていたので、それに対応するための導入でした。

複数の異なるパソコンを使っていた不便な時代は、MacでWindowsのソフトが使える互換ソフトの登場で終わりました。

ということで、今でもWindowsユーザーにしたら理解しにくいMacで普通に仕事をしています。

1995年は、インターネット総合研究所の設立の前年であることから、日本のインターネットの本格スタートの年ともされています。

インターネット総合研究所は1999年に発足した東証マザーズ上場第1号の会社で、代表は親戚の藤原洋さんです。

藤原さんは私よりも1歳年上で、今も代表を務めていますが、上場前の段階には関連会社で私も役員に名を連ねたことがあります。

その当時は、日本人はキーボードの操作が苦手という認識があり、キーボードではない別の入力方法も考えていたくらいです。

それが余計な心配であったと思うくらいに、インターネット業界の旗振り役も想像をしていなかった勢いで、生活や仕事に欠かせない当たり前の存在になりました。

私は、勢いに乗り遅れないようにすることよりも、これからの社会の変化への対応に力を注ぐことにして、その時からネット業界の“素人”になることを決めました。
〔小林正人〕

第二次世界大戦後の昭和20~30年代は食料などで物価が高く、肥料や飼料が少ないことから、野菜、果物、卵などのサイズが小さくなり、魚や肉の一切れの量も少なくなっていました。

こういった実態を受けて、昭和29年(1954年)に開催された第1回日本栄養改善学会で、「現時点での食生活では食品の目安量は100kcalより80kcalに近い」との発表がありました。そして、食事療法が特に重要である糖尿病などで80kcalを目安とする食事指導が検討されました。

発表者の荒井光雄先生は、私が知り合ったときには集団給食の専門家で、後に私が事務局を務めた産業栄養指導者会の初代会長でした。

昭和40年(1965年)には、80kcal単位の食事では理解しにくいことから、十進法を採用して、「80kcal=1単位」もしくは「80kcal=1点」として採用することとなりました。

80kcal単位の目安量は、戦後の食糧難を背景に生まれたものであり、肥料や飼料の不足、1食分の食品の小型化などの影響がありました。それまで採用されてきた100kcal単位の栄養学に対して、戦後の緊急措置として始められたものです。

このことは荒井光雄先生から直接うかがいました。80kcalが広く知られるきっかけとなったのは日本糖尿病学会や栄養専門学校などが採用したからだということです。

戦後が終わってから久しい現在でも80kcalが目安量となっていることに違和感を抱く意見も少なくありません。現在の食品の目安量は100kcalに近く、100kcal単位で考えたほうが食品を身近に感じやすく、理解しやすい単位となっています。

戦後の緊急措置から始まった「80kcal=1単位」の流れは、徐々に100kcalへと移ってきています。

その始まりは案外と早くて、昭和37年(1962年)に肥満食の食事指導に100kcalの主菜食品、100kcalの果物、150kcalの主食を使用することが慶應義塾大学によって提案され、病院での食事(栄養管理)に採用されています。

昭和46年(1971年)には、たんぱく質と100kcal食品を組み合わせた『腎臓病食品交換表』が作成されました。

昭和50年(1975年)には、100kcal食品の『ダイエット・ガイド』が刊行されました。

こういった流れを受けて、昭和64年(1989年)に、100kcal食品を折り紙の大きさ、色彩、枚数で表して、食事をデザインする「ダイエットデザインハウス」(慶應義塾大学刊)が考案されました。

平成13年(2001年)には、『100kcal/100g日本食品成分表』が刊行されました。これによって「1枚=100kcal」を理解する基礎データが完成して、10kcalでも1kcalでも栄養成分の過不足が簡単に把握できる環境が整いました。

平成17年(2005年)に、日本肥満学会によって『肥満症治療ガイドライン2006』が報告され、肥満症治療食を「100kcal=1」を基礎に考えた熱量配分で1日の摂取熱量を1000~1800kcal(200kcal刻みの5段階)とする治療食が提唱されました。

平成18年(2006年)には、100kcal食品の組み合わせで考える『高血圧‐肥満・メタボリックシンドローム‐食事ガイド』が刊行されました。

そして、平成19年(2007年)には、日本動脈硬化学会による『動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007』が刊行されました。この中で、治療食の総熱量を100%として、たんぱく質15〜20%、脂質20〜25%、残りが炭水化物との指針が示されています。

このような流れがあり、以降は100kcalを単位とする考えが定着してきたものの、まだ一般には知られる状態ではありません。いまだに栄養指導では「80kcal=1単位」というわかりにくく、指導された人を迷わせるような状態が続いているのです。
〔小林正人〕

機能性表示食品は、2015年に設けられた制度で、これによって医薬品と一般食品の間にある健康食品・サプリメントは「特定保健用食品(個別許可型)、特定保健用食品(規格基準型)、機能性表示食品(届出制)、栄養機能食品(規格基準型)」に分けられることになりました。

「特定保健用食品(個別許可型)」は医薬品に近く、「栄養機能食品(規格基準型)」は一般食品に近いという認識です。これらに含まれていない“いわゆる健康食品”は一般食品と変わらないというのが法制度の中での考え方です。

機能性表示食品は、販売者の責任において保健の目的が期待できる旨の表示をすることができるものですが、健康の維持・増進に役立つことを表現するものであり、医薬品と誤認される恐れがあるものであってはならないとされています。

(1)可能な機能性表示の範囲
・容易に測定可能な体調の指標の維持に適する、または改善に役立つ旨
・身体の生理機能、組織機能の良好な維持に適する、または改善に役立つ旨
・身体の状況を本人が自覚でき、一時的であっても継続的、慢性的でない体調の変化の改善に役立つ旨

(2)認められない表現例
・疾病の治療効果または予防効果を暗示する表現(糖尿病の人に、高血圧の人に等)
・健康の維持および増進の範囲を超えた意図的な健康の増進を標榜するものと認められる表現(肉体改造、増毛、美白 等)
・科学的根拠に基づき実証されていない機能性に関する表現

ところが、テレビコマーシャルなどをチェックしてみると、認められない表現に踏み込んでいるものも見受けます。それが増えてきているのは、管轄する消費者庁の監視指導が緩くなったということでは決してないことだけは書いておきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「育休を考える日」積水ハウスが、育児休業を促進するために育(19)と休(9)の語呂合わせで制定。

「九十九島せんべいの日」九十九島グループ(長崎県佐世保市)が、く(9)じゅうく(19)=九十九の語呂合わせで制定。

「愛知のいちじくの日」JAあいち経済連が、いちじくの出回り時期(7〜10月)で、いち(1)じく(9)の語呂合わせで制定。

毎月19日:「いいきゅうりの日」(いいきゅうりの日プロジェクト)、「松阪牛の日」(やまとダイニング)、「熟カレーの日」(江崎グリコ)、「シュークリームの日」(モンテール)、「クレープの日」(モンテール)、「食育の日」(食育推進会議)、「イクラの日」(カッパ・クリエイト)

「十年一昔」という言葉が最も響くのは通信社会の大変革の連続です。

1995年は、マイクロソフトのWindows95が登場した年です。

新たなパソコンのソフトが始まったという見方は外れてはいないかもしれないのですが、これまでのインターネットの使い勝手と可能性が大きく転換する、あまりにエポックメイキング(画期的な、というよりも新時代)な転換点でした。

11月23日の日本語版のリリース日に買うことができたのはソフト(OS)だけでした。Windows95は画期的なOSすぎて、これまでの少ない容量のパソコンでは完全に動かすことができないので、対応するパソコンも同時に購入する のが普通の感覚でした。

秋葉原は、あまりの混雑で、ハード(パソコン)まで販売員の手が回らないということで、買いたくても売ってもらえない状態でした。そこで、事前に対応するパソコンを購入していた親戚の方に頼んで融通してもらいました。

当時は東京・原宿に住んでいて、歩いてもいける距離に親戚の会社があったので、秋葉原から帰ってくる30分ほどの間に、パソコンが運ばれてきていて、買ったばかりのWindows95を入れ込んで、その日から使える状態になりました。

通信量が増えるということで、いわゆる銅線のケーブルでは対応ができないことから、今では当たり前になっている光ファイバーケーブルを一般家庭に引いていました。それでも今のようにサクサクと動くということは容量の関係でできなかったものの、その当時にしたら“驚きの速度”でした。

なにしろ通信で表示される画面が、以前の1行ずつ増えていくというようなスピードではなくて、初めに外枠が表示されて、モノクロになり、その後に色がつく、写真はもっと時間がかかるというレベルではあったのですが。

その当時のWindows95パソコンは、ガラケーよりも容量が少なかったと言っても今では信じてもらえないことがあるのですが、それも仕方がないWeb1.0の初期の時代の出来事でした。
〔小林正人〕

「十年一昔」という言葉があります。これは「世の中の移り変わりがとても激しくて、10年という短い期間でも、すっかり昔のようになってしまう」という意味で、多くの検索サイトでも同じような説明がされています。

時代の変化ということでは5年も経たないうちに大きく変わっていくこともあります。しかし、人生の長さから見ると30年くらいが大きな区切りを迎えるのではないか、との考えもあります。

初産年齢は年々上がっていて、現在は31.0歳なので、30年は一世代の区切りの年数とほぼ一致します。

私は1955年(昭和30年)の生まれで、「もはや戦後ではない」と言われた“神武景気”の高度経済成長期の始まりと重なります。1955年は、最小単位の硬貨の1円玉が登場した年です。1万円札の初登場は1958年です。

高度経済成長期の終焉は、変動相場制への移行と第1次石油危機(オイルショック)の1973年のことでした。

1955年生まれの多くは、この年には高校3年生で、翌年に大学進学で上京するときに親がトイレットペーパーを持たせた“貴重な体験”をした世代です。

社会人になって経験したバブル経済期は1986年から1991年のことです。確かに仕事以上の利益が多く得られた時期でした。そして、バブル経済の崩壊の後に生まれた子どもが3〜4歳になった(物心がついた)ときが1995年で、今から30年ほど前のことでした。

1995年は銀行の破綻が当たり前に起こる時代の始まりでもあり、1月17日に阪神・淡路大震災が発生して、世の中が大きく変わる引き金になった機会にもなりました。

1995年は、地下鉄サリン事件から始まる宗教法人の一斉検挙や、Windows95の登場によって情報発信が一変するきっかけの年でもありました。

それらの出来事が重なって、今に続く複数の人脈を絡めた活動が30年前から始まりました。
〔小林正人〕

注意欠陥・多動性障害の不注意には、以下のような特性がみられます。

*ルールを守ることが難しい

*物忘れが多く、物をなくしやすい

*何回言っても忘れる

*気が散りやすく、集中力が続かない

*興味があるものに集中しすぎて、切り替えが難しい

*ボーッとしていて、話を聞いていないように見える

*事前によく考えて行動できない

*課題や活動を順序立てて行うことが難しい

*指示は理解できても、従うことが難しい

*行動が他の子よりワンテンポ遅れる

*字が乱れる

*不器用(縄跳びなどが苦手)

*片付けられない

*勉強で細かなところに注意を払わなかったり、不注意な間違いをする

*課題や遊びの活動で注意を集中し続けることが難しい

*気持ちを集中させて努力し続けなければならない課題を避ける

*あまり目立たないために注意欠陥・多動性障害であることに気づかれにくい
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

同じ成分名であって、同じだけの量が入っていれば、同じだけの有効性があるというのが機能性表示食品制度の根幹部分の一つです。機能性表示食品には有効性の根拠として2つの方式があります。

1つは、販売する製品(もしくは同じ成分内容)を使用して有効性を確認して、その結果をもって機能性表示食品として届出するものです。

もう1つは、有効性が認められた成分のデータが掲載された論文を根拠として提出して届出するもので、これが前出の同じ成分が同じだけ入っていれば同じ有効性という部分の説明です。

このような考え方には制度設計の段階で反対意見もありました。ところが、このことを否定するとジェネリック医薬品を否定することになるのではないかという意見があって、だんだんと反対意見が聞かれなくなったという経緯があります。

論文を根拠にした機能性表示食品の見抜き方ですが、消費者庁の機能性表示食品の届出情報検索(データベース)で届出書類を確認することができます。しかし、これは手間がかかり、慣れていないと何が書かれているのか理解することは難しくなっています。

そこで最も簡単な方法として紹介しているのが、「〜と報告されています」と機能性を示している製品です。この報告というのは論文を指しています。製品そのものを使用して研究をしたものは、その旨が表示されています。

機能性表示食品制度が始まった2015年から2年間、消費者庁の委員を務めていました。といっても、制度に口出しする立場ではなく、抜け穴を狙う事業者の対策として抜け穴を塞ぐためには業界を深く知っている人間が必要ということで招聘されました。

健康食品の表示の規制という極めて狭い法律の専門家としての参加であったのですが、「〜と報告されています」という表示には、常に疑問を抱きながらも、そこに何も意見ができないままの残念な2年間でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「かいわれ大根の日」日本かいわれ協会が、かいわれ大根のPRを始めた9月と、1と8を組み合わせるとかいわれ大根の姿に似ていることから制定。

「医療的ケア児・者支援の日」医療的ケア児・者支援者の会が、医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律が制定された2021年9月18日にちなんで制定。

毎月18日:「防犯の日」(セコム)、「おにぎりの日」(中能登町)、「頭髪の日」(全国理容生活衛生同業組合連合会)