ミニマリズムは断捨離とは違うということを前回(日々修行317)書きました。そのお題は「断捨離≠ミニマリズム」で、まったく同じではないが完全に違うわけでもない、という雰囲気を伝えたつもりです。
どこが最も違うのかというと、これは私が理事を務める一般社団法人全日本ミニマリスト協会の定義・見解ということではなくて、私見であって、他に押し付けるようなものではないという基本的なスタンスでの発言ですが、それは“時間を大切にする感覚”です。
ミニマリズムは必要最低限のモノで暮らすことで、不要なものに気を取られず、本当に大切なことに集中できるという考え方、ライフスタイルを指しています。それを実践する人がミニマリストです。
理事を務める前は、ミニマリズムの考え方をすることはあっても、本人としてはミニマリストだという考えはありませんでした。しかし、自分が歩んできた道を振り返ってみると、ミニマリストと呼んでもおかしくないような状況の連続でした。
父親が転勤続きの仕事で、物心がついた3歳のときには、すでに2か所目の住まいでした。生まれたのが母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)であったので、そこから数えると3か所目です。その後は、また母親の実家で未就学の時期の3年間を過ごしました。
これを入れて新潟県内では12か所に住んでいましたが、移動するたびに過去の付き合いはほぼ消えてしまうという自分からは望んでいない「人脈のミニマリズム」となっていました。
東京では大学に通い、その後の仕事も東京が主だったので、44年間に9か所の移動でした。ほとんどが仕事に関わる移動で、長く住んだところもあるものの、「住まいが変わる=仕事が変わる」というのが普通のことでした。
それでも仕事での移動は、転職ではなくて、仕事先が変わる(完全に変わるのではなくて増える)、複数の仕事場に移動が便利な場所に移るという感覚でした。
しかし、移ると仕事の割合が変わってきて、新たな人脈が広がると、過去の人脈が狭まってくるというのは、これも望んではいないものの結果として「人脈のミニマリズム」となっていました。
岡山に移住したのは8年ほど前のことで、まだ岡山市内では2か所目です。それも岡山市内の町名まで一緒の所(合併前は独立した町だったところで、JRの隣の駅)なので、人脈という面では大きく変わることはありませんでした。
すでに古希の年齢となり、もう1回くらいは引っ越すことがあるかもしれないという状態でしたが、急に展開が変わりそうです。というのは、これまでは自分がいて、それぞれの岡山人脈とつながっているという感じであったのが、人脈がつながってきて、気づいたら複数のチームが出来ていました。
それぞれのチームが、さらにつながり始めていて、岡山で目指していた「東京人脈と岡山人脈のネットワーク」ができそうな感じになっています。
この状態はミニマリズムの反対にあるマキシリズムであって、これから意図的に「人脈のミニマリズム」をしていく必要があると考えています。そのためには、個人ではなくて、それぞれにチームで動くことが重要であり、自分の位置取りと役割が大転換する時期になりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕





