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食品や化学物質によるアレルギーや疾患の増加は、自然環境の回復力を超えた結果だけでなく、人間の自然治癒力、抵抗力の低下にも大きく影響をしています。

その一つの例としてあげられるのは、世界的な免疫力の低下を引き起こした新型コロナウイルス感染症の蔓延です。感染症による直接的な健康被害だけでなく、外出や他人との接触が制限され、運動にも食事にも制限がかかり、経済的にも大きな被害を与えました。

健康診断を受ける人が減り、病院に通う機会も減って、早期発見・早期治療が遅れたことによって、我が国では終戦の2年後(1947年)から75年にわたって延び続けてきた平均寿命が、2022年に初めて前年を下回りました。

その原因として、感染症によって亡くなる高齢者が増えただけでなく、国民的に健康度が低下して、免疫も大きく低下したことが大きく影響を与えています。

わずか3年間であっても、国民的な健康度が低下するという歴史的な出来事から脱却するためには、人間本来の回復力、抵抗力を高めることが必要です。

その事実を知り、健康と強く意識してこそ、大きく低下した健康度を高める行動に着手することができます。コロナ禍の収束(2023年5月8日に5類感染症に移行)から数年が経過しても、まだ意識を変えての本格的なスタートを切ることができていない状態なのです。
〔小林正人〕

自然の中で誕生して、その中で進化してきた人間にとっては自然そのままの中で暮らすことが理想であったとしても、そこから離れて、便利で効率的な社会を進めてきた人類にとっては、元の0(ゼロ)の世界に戻ることは不可能と言えます。

0%か100%かの両極端の選択ではなく、自然が破壊されないようにしながらも、より便利で快適な効率性を追求するという選択をしてきた時代が長く続きました。

その割合は、自然を大切にして残すことが50%を下回ることがあったとしても、自然の力を失わせるようなことはなかったはずです。

それは自然環境による回復力の範囲内での選択であったものの、今では外部からの手が加わりすぎて、その手を止めたとしても、回復ができない、もしくは回復するにしても長い時間がかかるような状態になっています。

その事実を知れば、元の状態に回復させていくことの重要性と緊急性に気づき、すぐにも回復に向けて取り組むことを期待したいところですが、事実を知っても、まだ便利さと効率性を求め続けて同じことを繰り返している人が多いのが現状です。

すでに自然環境の回復力を超えてしまった現状は、そこで暮らす人間の自然治癒力の限界を超えるような状態にもなっています。
〔小林正人〕

食料自給率には食べられずに廃棄された食料も分母(供給熱量)に含まれるため、食品廃棄量が多い日本では必然的に食料自給率が低くなります。

日本国内の食品廃棄量は、年間623万トンと伝えられています。これは食べられるのに廃棄される食品の量で、食品ロスと呼ばれます。

しかし、実際に廃棄されている食品は年間2000万トンに達しています。栽培や流通、調理段階で廃棄されるものも含めた量で、売りやすいもの、食べやすいものを追求したために発生しているものです。

その量は、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食品支援量の4倍以上にもなっています。

もう一つの食料自給率の指標である生産額ベースでの食料自給率を見ると、日本は63%になっています。生産額ベースは食品の重量を、生産額を基準にして割り出したもので、「国内の食料生産額÷国内の消費仕向料×100」という計算式が使われます。

消費仕向料は、国内市場に出回った食料の量を指しています。大規模な農業国と比べると高いとは言えないものの、イギリスの58%よりは高い数字となっています。

食料自給率を高めることは、輸入食料が多く、海外の生産量や輸出国の社会情勢、為替相場の変動(円安)の影響を受けやすい我が国の特徴からしても、食料安全保障のために重要なこととなっています。 

そのため、国内生産に力を注ぐことは重要なことではあっても、それと同時に各段階で廃棄される食品を減らし、飼料と肥料として有効利用することも真剣に考えるべきであることに気づくことが重要になってきます。
〔小林正人〕

宇宙から地球を見ると、日本は特徴的な位置(大陸の右端=極東)と形(長く弓形の龍の形)であることから見つけやすくなっています。その二つの特徴がなければ発見しにくいほど日本は狭い島国です。すべての陸地のうち日本の面積は0.25%でしかありません。

広大な土地があれば廃棄物も汚染したものも多くの人が暮らすところ以外に廃棄する、埋めるといった発想も成り立つところですが、それは求めにくい環境です。

日本は四季があり、季節ごとの植物の成長があることから比較的、食べ物は豊富にあるとはいえ、量的には食べられるものは限られています。

栽培のために多くの農薬を使い、土壌が汚染したからといって、他のところに移動すればよい、他の地域を征服して食料を入手すればよいという考えができない環境にあります。

今でこそ、海洋国であることをメリットとして、海外から食料を輸送することができる環境ですが、食べたいものを、いつでも、どれだけでも食べられる飽食の時代になったのは、終戦から25年以上を経た1970年代になってからのことです。

日本の食料自給率38%と先進国の中では最低の水準となっています。これはカロリーベースの計算で、食品を販売している店舗で国産の食品が38%しかないわけではありません。

カロリーベースは、それぞれの食品の重量を生きていくのに必要な熱量(カロリー)を基準にして割り出したもので、「国民1人1日当たり国産熱量÷国民1人1日当たり供給熱量×100」という計算式が使われます。

輸入された飼料で育てられた牛や豚、鶏、卵などは国内で育てられたものであっても国産とはされていません。牛や豚などは多くの飼料を食べることから、輸入された飼料が多くなり、その分だけ食料自給率は低下します。

また、カロリーベースであるので、穀類や野菜類などはカロリーが低いために、カロリーが高い肉類などと比較すると、消費量が多くても自給率は低くなります。
〔小林正人〕

持続可能な社会の手本は、我が国では江戸時代に始まりました。

江戸時代の日本は、鎖国政策によって海外との輸出入が極めて限られており、日常生活に必要な食料や生活物資などを国内で賄っていました。

食品は徒歩で行き来ができる地域で収穫されたものを手に入れ、これを加工して食べるのが当たり前のことでした。食品を料理するときには野菜にしても魚にしても、調理ゴミとして出たものは廃棄の対象ではなく、次の食品を作るための肥料に使われました。

農家では廃棄物を、そのまま肥料に回すことができましたが、都市部で出た廃棄物は野菜を運んできた農家が肥料として持ち帰るというリサイクルが普通に行われていました。

野菜を束ねるための藁(わら)も捨てられることなく、これもリサイクルされて肥料となりました。そのために市場では、リサイクルに回されるものを集めるために、綺麗に掃除がされていました。

食品を食べると体内で代謝されて、消化、吸収、蠕動運動、排泄という流れとなっていきますが、排泄されたものも重要な肥料となりました。排泄物は水に流して捨てるものではなく、厠で集められ、小便も大便も重要な肥料として活用されました。

日常的な着物もリサイクルされ、何度も使ってボロボロになった布も繊維にして使っていました。繊維になったものは、煮られて、紙漉きのようにして布にされました。

布の材料の天然繊維は、植物繊維(綿、麻)、動物繊維(絹、羊毛など)だけの時代は、使用した分は、それぞれの成長によって補われてきました。

これを超える使用は、不足させることになるだけに、「足るを知る」という消費が身についていた時代です。

「足るを知る」は、中国の思想家・老子が書いたとされる「道徳教」の一節「知足者富」に登場する言葉です。物質的な豊かさ・満足感だけでなく、自分の置かれている現状に満足して、周りへの感謝を忘れない内面の豊かさを示す言葉といえます。

身分相応で、必要以上のことは求めない生活は、決して貧しいこと、不便なことを受け入れることを強要することではなく、現状を知り、工夫を重ねて、限られた資源を無理なく無駄なく活かし、よりよい環境を次世代に伝えていくことを、ほとんどの人が知っていた時代であったといえます。
〔小林正人〕

自然界には太陽光、風、波といった巨大なエネルギーがあり、これらを活用するだけで大きなエネルギーを作り出すことができます。

その多くは自然界の物理学的な変化を活かしたものであり、目の前にあるエネルギー源を物理学の法則のままに、人間の生活に必要なエネルギーに変える行動といえます。

これらの新たなエネルギーを得るためには、新たな装置と新たな仕組みが必要であり、太陽光発電、風力発電、波力発電には新規導入の費用がかかるものの、大規模なエネルギー入手に比べると少ない費用で実現が可能です。

しかし、現状の自然エネルギーは必ずしも効率的なものとは言えません。

太陽光発電はソーラーパネルを設置するための森林伐採、発電装置の故障、ソーラーパネルの寿命(10年ほど)後の処理施設と処理費用などの問題があります。

風力発電は風車の回転エネルギーを電気エネルギーに変換しますが、その場合の発電効率は最大で45%、平均20〜35%とされています。

以前から指摘されてきた設置場所が限られること、風に勢いよって発電量が安定しないこと、メンテナンスに費用がかかることもあって、これまでと異なる風力発電の仕組みが考えられているところです。
〔小林正人〕

自然の営みによって作り出されたエネルギー源は無限ではなく、今のまま使い続ければ必ず枯渇します。

今後、新たなエネルギー資源が発見されず、また資源を掘り出す技術が開発されなかった場合には、石油と天然ガスで約50年、石炭で約140年と考えられ、原子力発電の燃料のウランであっても130年ほどで使い切ることになると考えられています。

原子力は温室効果ガスによる地球温暖化を抑えることができるクリーンかつ効率的なエネルギー源とされています。

原子力発電は、温室効果ガスの排出を最小化させて大規模に電力を生み出すことができるものとして、経済的にも優れたエネルギー源であるとされてきました。

二酸化炭素に限れば、環境を汚染しないエネルギーであっても、原子力発電所の事故で明らかになったように環境を汚染すること、原子力発電による放射性廃棄物の処理に膨大な費用がかかることが広く知られました。

現在の発電は熱エネルギーを電気エネルギーに変換する方式が使われていますが、火力発電は熱エネルギーのうち40%ほどが電気となっています。これに対して原子力発電の熱効率は33〜34%とされています。また、原子力発電では発生した熱の多くが温排水として海に流されています。

原子力発電はウランを発電用に作るのにも、使用後にも多くの工程が必要で、それぞれの段階でエネルギーが使われて二酸化炭素が発生します。
〔小林正人〕

地球環境を維持するための重要な酸素は、植物による光合成によって生み出されています。植物も動物も酸素を用いて内部で多くのエネルギーを作り出し、成長するように変化してきました。

石炭も石油もエネルギーとして使用することによって二酸化炭素(CO₂)が発生します。二酸化炭素は大気中では約0.04%とわずかな量でしかないものの、温暖化への影響が大きく、地球上の温室効果ガスの76%を占めています。また、全体の二酸化炭素の65%が石炭や石油を燃焼させた結果だと考えられています。

温室効果がないと地球の平均気温は−19℃になるとされていて、二酸化炭素のおかげで平均気温は約14℃に保たれています。

温室効果ガスの濃度が上昇し続けると今世紀末(2100年度末)には世界の平均気温も上昇し続けることが予測され、最も少なく抑えられた場合で0.3〜1.7℃の上昇、最悪の場合には4.8℃の上昇と予測されています。

これによって海水温の上昇と氷河の融解などによって、今世紀末までに世界の平均海面水位は0.26〜0.82m上昇すると予測されています。

この地球規模の変化が、限られた資源の陸地を減らし、安全に住むことができる場所や農地を減らす上に、気が遠くなるような時間をかけて変化させてきた自然の循環力を低下させることになることにも思いを馳せるべきです。
〔小林正人〕

地球の有限な資源は、地球が誕生した約46億年前から固定されたものではなく、環境の変化によって蓄積されてきたものです。

重要なエネルギー源となってきた石炭は、数千年前から数億年前の植物が腐敗する前に湖底や海底に埋もれ、長年の地圧や地熱の影響によって石炭化したものです。

最も多いのは石炭期と呼ばれる2億4千万年前から3億年前に湿地帯の森林を構成していたシダ類と考えられていて、その時代の植物化石といえます。

石炭は産業革命(18世紀半ばから19世紀)から20世紀初頭まで最重要のエネルギー源として使われてきました。石炭を掘り、これをエネルギーとして活用できた国や企業が大きな力を握ることができた時代です。

石油は、植物性プランクトンや藻などの死骸が高温・高圧下で油母(ケロジェン)という有機化合物に変わり、液体の炭化水素に変化したものと考えられています。

その時期は恐竜が栄えていた今から約2億年前の中世期・ジュラ紀から約6千万年前の白亜紀にかけてとされています。

石油が石炭に代わってエネルギー源の主流となったのは第一次世界大戦(1914年〜1918年)前後のことで、エネルギー量が石炭の約2倍と効率性で勝っていることから使用量が大きく増えました。

天然ガスは、液体の炭化水素がガス化したもので、これを液体化させた状態の液化天然ガス(LNG)としてタンカーで輸送されます。LNGに製造する際に硫黄などの不純物が取り除かれます。

天然ガスは燃焼する際の二酸化炭素の発生量が少なく、酸性雨や大気汚染の原因とされるNOx(窒素酸化物)の発生量も少なく、SOx(硫黄酸化物)が発生しないことから、クリーンなエネルギーとされています。

これには、液化天然ガスに変換する際のエネルギー、タンカーで遠くから輸送してくるときに使われるエネルギーは計算に含まれていません。
〔小林正人〕

どちらの反応をするかの二者択一ではなく、両方の感情の折り合いをつけて、自然の破壊が進みすぎないようにしながらも便利さと快適さを追求するという選択がなされてきたことは過去の歴史からも明らかなことです。

経済を営む環境が無限なのか有限を考察する用語として、カウボーイ型経済と宇宙飛行士型経済が使われます。

これはアメリカの経済学者のケネス・ボールディングが1966年に用いた言葉で、カウボーイ型経済は、広大な土地にいるカウボーイのように、「あたかも資源や環境の制約がないかのように、好きなだけ自然資源をはかし、消費の最大化を目指す経済」を指します。

これに対して宇宙飛行士型経済は、前出のように地球を宇宙船と考えたもので、宇宙船にいるように「限られた生態系やシステムの内にいることを理解した上で営む経済」と指しています。

経済を支える生態系や使用できる資源、排出できる廃棄物などには限界があると考えて行動する宇宙飛行士型経済は、ブルーエコノミーの思考と合致した、これからの経済活動を考えていく重要なスタートポイントとなることです。
〔小林正人〕