糖質は炭水化物から食物繊維を除いたものを指します。食物繊維は胃で消化されず、小腸、大腸で吸収もされない性質があります。糖質は小腸から吸収されて、エネルギー源となります。糖質のエネルギー量は1gあたり約4kcalとなっています。糖質の種類としては、でんぷん、糖アルコール、オリゴ糖などがありますが、ご飯やイモなどにふくまれるでんぷんは主にエネルギー源となります。オリゴは少ないを意味する言葉で、オリゴ糖は消化されず、大腸で分解されて、腸内細菌のビフィズス菌の栄養源となります。
糖類は糖質の一部で、単糖類、二糖類、少糖類、多糖類に分けられます。単糖類はブドウ糖、果糖などの1分子の糖で、ブドウ糖は血液中では血糖となります。血糖値は血液中のブドウ糖を指しています。果糖は果物やはちみつに含まれています。
二糖類は砂糖(ブドウ糖1分子と果糖1分子が結合したものでショ糖とも呼ばれる)、乳糖(ブドウ糖1分子とガラクトース1分子が結合したものでラクトースとも呼ばれる)、麦芽糖(ブドウ糖が2個結合したものでマルトースとも呼ばれる)があります。少糖類は3〜10個の糖が結合したもので、これに当たるのがオリゴ糖です。これよりも多くの糖が結びついたものが多糖類で、デキストリン、でんぷん、グリコーゲンなどの種類があります。グリコーゲンは体内では筋肉や肝臓に蓄積される貯蔵型多糖類です。
食品として摂取したでんぷんは、膵臓から分泌される消化酵素のアミラーゼによって麦芽糖に分解され、続いて単糖のブドウ糖にまで分解されます。ブドウ糖は小腸から吸収されて、血液中に入り、肝臓や筋肉などの組織にグリコーゲンとして蓄えられます。それ以外のブドウ糖は全身の細胞に取り込まれてエネルギー源として使われます。
ブドウ糖をエネルギー源としてエネルギー産生させるのは細胞の中にあるミトコンドリアです。ミトコンドリアは細胞内の小器官で、一つの細胞に100〜3000個ほど存在しています。ミトコンドリアの数が多いのは筋肉細胞で、筋肉が動くことによってミトコンドリアの数が増えていくことから数が多くなっています。
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健康誌の編集者から「四十肩」の予防法を知りたいという問い合わせがありました。予防法は、今どきはWEBサイトで、いくらでも調べられるのに、わざわざ聞いてきた理由を尋ねると、「四十肩と五十肩の違いと、なぜ10年後に起こるか、という切り口の記事にしたい」という話でした。これには的確に答えておいたのですが、情報を伝えているときに気になったことがあります。それは、そもそも“四十肩”という言葉があるのか、ということです。
東洋医学の世界では、四十腰という言葉は使われていても、四十肩という言葉は使われていません。腰に負担がかかるような生活を続けていると40年ほどで強い痛みが出てくるということで、これは痛みというよりも炎症などを起こしていて、傷みが起こっている状態です。痛みは痛いことで、傷みは原因となる変化があって痛みが起こっていることを指しています。最近のメディアでは、この痛みと傷みが混同して使われているので、どちらの意味で使っているのかわかりにくくなっています。
五十肩は西洋医学的には肩関節周囲炎で、加齢に伴って肩の関節や筋肉、肩周辺の組織が硬くなって、炎症や痛みが起こるものを指しています。最近の座りっぱなしの生活、肩や首に負担をかけるパソコン作業、運動不足が肩関節周囲炎を10年も前に起こすようになっていることから、四十肩は現代用語と言えそうです。
ネット検索で“四十腰”と引いても、“四十肩”が先に出てくるほど四十肩が多く使われているのか、逆に四十腰が使われなくなっています。「四十腰、五十肩が正しい使い方ですよ」と話をすると、それへの反応として「では、六十は何か」という言葉が飛び出してきます。四十肩、五十肩と続いて、六十肩という言葉は使われていないのかと調べてみると、そのような言葉はないのですが、60代の痛みの話題でグルコサミンとコンドロイチンが必ずといって出てくるのは膝痛があるからです。このことからいうと、四十腰、五十肩に続くのは“六十膝”となりそうです。
日本人の平均寿命(2018年調査)は男性が81.25歳、女性が87.32歳となっていますが、平均寿命が延びるほど高まっていくのが“平均年齢”です。日本人の平均年齢は2020年に48.36歳になると推測されています。平均寿命の半分よりも高くなっているということは、それだけ高齢者が多いということを示しています。現在の高齢化率(65歳以上の割合)は27.7%で、超高齢社会の21%を簡単に越えて、もう一つ“超”を加えたいくらいの勢いで増えています。他の国が追いついてこられないくらいです。
全体的に長生きの女性のほうが平均年齢が高くなるのは当然のことで、2019年には50歳を越えています。平均年齢が50歳になったら、もう次世代を産むことができなくなり、これは少子化の裏付けの一つとされます。また、50歳以降の女性というと親の介護が始まる年代で、社会での働き手が減って、産業の低迷の裏付けにもなります。平均年齢だけでなく、現実に日本に住んでいる女性の半分が50歳以上となっているという調査統計もあります。
10年後の2030年には日本の平均年齢は51.5歳になり、とうとう高齢化に歯止めがきかないところですが、もう一つ平均年齢が急速に高まると推測される国があります。それは韓国です。高齢化問題というと、これまでは中国が注目されていたのですが、2030年の韓国の平均年齢は日本に次ぐ47.5歳となります。アメリカの調査によると、2050年には日本の高齢化率は40.1%にもなり、30年後には、どうにもならない“超超高齢社会”になると予測されているのですが、韓国は日本に次ぐ35.9%の予測です。
日本は早めに超高齢社会に突入したおかげ(?)で、なんとか対応はできている(年金問題は除く?)ものの、急激に高齢化の進む国は、これを支えるための対策を頑張らないと追いつかないことにもなりかねないのです。
一人ぼっちで食事をするよりも、複数で食事をしたほうがおいしく感じるものです。一人暮らしの人が、家族や知人と一緒に食事をすると、同じものを食べてもおいしさが違います。周囲で元気に楽しく食べている人がいると、誘われて食欲が増すというのはよくあることです。しかし、その集団で食べるところが病院となると、話が違ってきます。病院によっては食事を食堂やデイコーナーなどで食べるのが原則となっているところもあります。食堂まで来られない人、治療のためにベッドを離れられない人の場合は病室で食べるというのが食堂方式の例外です。
この例外を原則にしている病院は実は多く、治療の場、場合によっては排泄の場が食事の場ということにもなります。そこで食べて食欲が湧いて、おいしく食べられるかという問題が一つにはあります。食堂で温かいものは温かい状態で、冷たいものは冷たい状態で食べたいというのは当たり前の希望ですが、それがかなえられる環境づくりには金も手間もかかってしまうので、難しいというところもあります。
食欲が湧きにくい治療中には、できれば好きな時間に食べられるように食事を始める時間が選べるならよいのですが、ほとんどの病院は食事をする時間が決まっています。昼食は12時というのはほとんどで共通していても、朝食は8時、夕食は17時などという昭和の時代の病院給食が、平成を過ぎて令和の時代になっても続いているところも少なからずあります。食事の間隔が短いと、食欲が湧きにくいのは当然のことです。それよりも問題なのは夕食から朝食まで14時間もの空腹期間があるということです。
知り合いの医師が自分で入院してみて、こんなに患者は不便な思いをしていたのか、と初めて気づいたと話していましたが、中でも印象に残っていることとして「暗い顔をして食べている人と一緒に食べるのが辛かった」という言葉です。病室のベッドで食べなければならない人の食事環境を改善するのは相当に難しいということです。
病院の栄養管理の学会などの発表の場で、「うちの病院は食事への苦情がない」ということを、胸を張って発言している医師や管理栄養士がいます。苦情がないということは病院給食の内容に満足しているということを言いたいのでしょうが、そうとは限らないことは栄養管理の現場取材をしているとわかっています。
身体の状態がよくなくて、食欲が湧かない状態のときには、食欲が湧くような、食べやすい料理、できれば好きな料理を食べたいと思うはずです。医療は“個人対応の時代”とは言われているものの、病院の限られた施設と労力の中で提供される病院給食となると、患者一人ひとりの要望を聞いて、三食の献立を作るわけにはいきません。献立を統一して、個人の禁忌を考慮して調理法や味付けをしていくのが基本となります。個人対応といっても、好き嫌いを配慮するのではなくて、塩分制限、糖質制限、たんぱく制限、脂質制限などの条件、消化吸収などを考慮して変化をさせることを病院給食では指しています。
苦情がないといっても、患者の心理を考えると、まず患者が食事について話をする看護師が、ちゃんと受け入れてくれなかったら、次から苦情や要望を言う気がなくなるということもあります。3回言って反応してくれないと、まず言う気が失せてしまいます。
これとは逆に、患者からよくない評判の声が多い病院もあります。そのすべてが食事を作る側の問題とは限らず、治療に対して文句が言えない代わりに食事に文句を言うという例も多いのです。病院の中には入院中と退院時に患者にアンケートをとっているところがあります。ある大学病院で、入院中のアンケートでは食事への苦情が多く、退院時のアンケートでは苦情が少ないということがあり、その分析チームに加わりました。入院中は食事が楽しみで期待値が大きいだけにギャプを感じてしまいがちであり、退院するときには、これから食事は自由に(?)できるので、苦情をつける必要がなくなったから、というのは大方の意見でした。
しかし、医師や看護師に文句があっても入院中は言いにくく、捌け口を食事にしているという心理があることを長年の取材によって知っています。それが証拠に、退院時には医師や看護師だけでなく、事務にも清掃にまで苦情が書かれていることが多くなっています。病院給食は苦情をつけやすいということも大いに関係しています。
美味しくないものは何かと聞かれて、食べ物や料理をあげるのではなくて、「病院給食」と答える人は少なくありません。料理は少ない量を作るよりも多くの量を作ったほうが美味しくなるという意見もあるのですが、給食のように大量になると食べる個々の人には対応しきれなくなるということも起こります。
病院給食は、患者に合わせた栄養素を指示する医師の食事箋に従って、管理栄養士が献立にして、それを調理師が料理にして、看護師にバトンタッチします。これで一連の仕事は終わりということになるのですが、患者の立場としては、これで終わってしまっては困ります。病院給食は食べ終わるまでが一つの区切りです。もっと言うと、食べ終えた患者の反応や声がスタート地点の医師にまで伝わって初めて区切りがついたということになります。
料理の量は栄養摂取を計算して決められているので、全部を食べたのか、残したのかによって次の対応が違ってきます。残したということは、その分だけ栄養が不足した状態になっているので、不足分を次の食事なり間食なりで補うか、治療の内容を変えることにもなります。
残すには理由があって、量が多すぎて食べられなかったなら、量を減らしても必要な栄養素が摂れるようにするべきです。嫌いな食材が出されていたなら、同じだけの栄養素が摂れるように食材を変更します。苦手な料理もあって、洋食の味付けが食べにくい人には和食にするという方法もとられます。食材の切り方が大きくて食べにくいなら小さくカットします。消化がよくない人には消化しやすい調理法にします。彩りが単純で食欲が湧かないなら、カラフルな食材を使って、彩りが失われないように調理します。煮物が同じ味付けになっていれば、食材ごとに別の味付けにする方法もあります。
ここまでのことをするには手間がかかり、お金もかかることだというのは承知していますが、食べてもらってこその食事療法であるなら、できるところから始めるべきで、そのためには食事をしている患者の声が拾えて、上へと届けられる情報伝達体制が整えられることです。
臨床栄養という世界があります。臨床栄養は、外来・入院の患者の栄養管理、食事療法などを研究領域とする栄養学の分野です。疾病の原因や病態を栄養学的な面から研究して、治療と予防に役立てる学問との認識もあります。臨床栄養に携わるのは主には医師と病院で勤務する管理栄養士となるのですが、団体としては日本臨床栄養学会と日本臨床栄養協会があげられます。
日本臨床栄養協会というと、厚生労働省のサプリメントアドバイザリースタッフの通知に基づいて、先駆けてサプリメントアドバイザー認定制度を設けたことから、サプリメント指導の認定団体と勘違いされることもあるのですが、あくまで臨床栄養に携わる臨床医と病院栄養士の団体です。
臨床栄養の現場である病院では、医師による食事箋に基づいて、管理栄養士が献立を作り、献立に従って調理師が料理にして、患者に治療食として提供されます。入院中の食事は、治療のための栄養摂取に加えて、教育的な側面もあります。入院中に食べた食事の意味を知って、退院後の食事を注意することによって食生活を改善して、再び同じ病気で入院しないようにする、他の病気の予防にもつなげるという意義があります。そのためには、提供した食事を食べてもらうだけではなくて、食事の意味を教え、正しい食生活の基本を理解してもらうことが大切になります。
この仕事をするのが病院の管理栄養士であり、医師の指示に基づいて管理栄養士が具体的な献立によって指導を行ったときには外来・入院栄養食事指導料が得られる診療報酬制度になっています。この制度を設けたのは厚生労働省ですが、その確立のために強く働きかけたのは栄養士の団体であり、中でも中心となって動いた病院の管理栄養士が存在します。日本メディカルダイエット支援機構の理事長の栄養学の師匠にあたる方で、一緒に活動していたときに本人から教えてもらいました。別の話ですが、全国国立病院管理栄養士協議会の山本学術振興基金の創設者でもあります。
管理栄養士による栄養指導でないと診療報酬が得られない制度は、管理栄養士にとってはよいことだったのは間違いありません。臨床栄養を学び、それを実践の場で活かすことによって資質が高まったのも事実で、患者も的確な栄養指導を受けることによって生活改善ができるようになりました。健康寿命の延伸まで話を持っていくのは行き過ぎかもしれませんが、日本人の健康度を食事で支える結果となりました。
しかし、入院施設がある病院ではなく、外来だけの医療機関では、なかなか管理栄養士に個別の栄養指導を受けることは難しく、その代わりに医師が栄養指導をしてくれればよいのですが、診療報酬が得られないことから積極的ではないという実態もあります。この議論は制度ができたときから続いていて、まだ結論も対策も出ていない途上段階にあります。
トンデモ説というのは、話の表面だけを聞いていると、納得できそうなことであっても、根本を知ると、どうも違うのではないかと指摘されるような説を指しています。これが宝探しや観光地で説明される由来のようなことなら、それほどピリピリと反応することもないのかもしれませんが、トンデモ説が身体のこと、健康や医療のことという命に関わってくる話だと、簡単に見逃すことはできなくなります。
そんな、とんでもないトンデモ説が全国メディアの視聴率が高いテレビ番組で医師が話しているのを見ることが多々あります。根本を理解している方なら、反発も批判もするのでしょうが、一見すると正しいことを言っているように聞こえてしまうことだと、そのまま信じてしまうこともあります。一般論としては正しくても、特定の人には身体を害する結果となることもあります。少なくとも注意すべき人がいること、危険となる人もいるので医師への相談をすすめるというコメントくらいはしてほしいのですが、それもない番組も少なくないのです。
日本メディカルダイエット支援機構の理事長は、メディアにも専門医の学会などにもルートがあるので、番組終了後に、どうしてそんなことになったのかを確認することがあります。視聴率のために、わざわざ言葉足りずの番組にしているのではなく、専門医が提出した資料を元に番組を制作しているということもあります。その資料が問題で、最新情報でないと間違いを起こすことがあります。番組を視聴者の立場で見ていても、これは古い資料を使っているな、と気づくことがあります。
平成時代が終わり、令和時代になったのに昭和時代の情報のままだということもあります。こういったことを少しでも正せることを願って、日本メディカルダイエット支援機構では国や研究機関、大学などの発表をピックアップして、関係先の医師や研究者、団体役員などを対象に「健康情報メール」を毎週1回発信しています。2010年4月から始めて、先週末で488号(令和元年9月14日)になりました。今年中に500号を発信できることになりますが、最新情報を発信しても、相も変わらず以前の情報のままという方もいます。それでも、続けているうちに変化が起こることを願って、毎日検索、週に1回発信は途絶えさせないようにしています。
「健康情報メール」は、このWEBサイトから申し込むことができます。
医師から的確な栄養指導、食事指導がないのは教育体制に問題がある、と紹介したことの続きですが、もっと根本的な理由としてあげられるのは「栄養指導をしても診療報酬が得られない」と医師たちが声を合わせる歴史的な背景です。
入院施設がある病院には、栄養管理、栄養指導を担当する管理栄養士がいます。栄養士は栄養の基本を学校(栄養士養成施設)で学んで卒業したことで取得できる国家資格で、主には健康な人を対象としていますが、管理栄養士のもとで病院や福祉施設で働いていることもあります。管理栄養士は高度な専門知識と技能を用いて病人にも対応できる国家資格で、管理栄養士の国家試験に合格する必要がある狭き門を通過してきた専門職です。
しっかりと栄養学を学び、指導できるだけの知識があるので、管理栄養士がいれば、その病院では的確な栄養指導が実施されるはずです。病院給食(という言葉はあまり好きではないのですが)は、医師の食事箋(食事の処方箋)から始まります。食事箋は食事療法を行うために医師による栄養素の指示内容を示した書類で、これに従って管理栄養士が献立を作り、調理師が献立を実際の料理にして、看護師によって患者の元に届けられるという流れになっています。
医療行為には診療報酬が定められていて、栄養指導を行ったときには診療報酬(外来・入院栄養食事指導料)がつくのですが、それは医師ではなく、管理栄養士が行った場合だけです。外来・入院栄養食事指導料は、医師の指示に基づいて管理栄養士が具体的な献立によって指導を行ったときにつくものですが、医療機関における栄養の専門家は管理栄養士であり、医師は専門家ではないという認識から、医師が栄養指導を行っただけでは診療報酬が得られない制度となっています。
このことが医師の卵のときに、大学で栄養学を学ばない、それどころか医師になってからも充分な知識が得られるところまでは学ばないという結果を招く原因となっているのです。
病院やクリニックで医師から食事の指示をされたことがある人なら、「もっと的確な指示をしてほしい」と感じたことが多いかと思います。「指示もしてくれなかった」「食事について書かれたプリントを渡されただけ」という人のほうが多いかもしれません。こんな書き出しをしているのは、日本メディカルダイエット支援機構のメンバーも、栄養指導の内容がわかりにくくて苦労をさせられたことがあるからですが、その理由として一番に指摘されているのは失礼ながら“勉強不足”です。
病気の予防にも改善にも食事の内容は重要で、中でも生活習慣病となると、その生活習慣の多くを占めるのは食事であるので、今の時代には医師なら栄養のことを学んでいて当然と考えるかもしれません。
ところが、医学系大学82校の医師科(医師養成コース)で栄養学を学べるのは20校ほどでしかありません。栄養学を医師の卵が学びたくても、学べない環境の大学のほうが多いのです。栄養学の講座があっても選択制ばかりで、栄養学を学ばなくても卒業して医師国家試験を受けることができます。中には1校だけ、ほとんどの医学生が栄養学を学んでいるといわれる徳島大学のような特例はあるものの、栄養学を学ばないまま卒業して医師になり、医療現場に出てから必要を感じて自ら学んでいるというのが現状です。
非常に知識レベルが高い方々なので、医師になってから学んでも大丈夫では、と考える向きもあるでしょうが、成り立ての医師の忙しさは尋常ではありません。しばらくたった若い時代の医師も忙しさに変わりはありません。その忙しさの合間を縫って、すぐに役立つかわからない栄養学を学ぶというのは大変なことです。学んだにしても、どうしても専門とする分野に偏りがちで、全体像を個人で学ぶのは本当に大変なことです。基礎を学ばずに応用だけを学んでいると間違いを起こしかねないのが世の常です。
大学で栄養学の基礎を学べるようにするために、大学の講座に入れることを呼びかけている医学系の学会もあるのですが、それよりも医師国家試験に栄養学に関わる問題を増やして、その点数を増やせばよいのでは、という意見があるものの、実施は難しいようです。





