“風流”と書かれていたら、「ふうりゅう」と読む人が多い(ほとんど?)かと思います。風流(ふうりゅう)は、日本人の美意識を表す言葉として、インバウンドのおかげ(せい?)もあって、海外の方々にも知られるようになっています。
茶道や華道などの観光客向けの体験会では、「侘び・寂び」を説明するときに風流(ふうりゅう)が使われることもあります。
そんなお遊びのような体験会で、日本文化を学んだと発言するなんて“以ての外”という声もある中で、気になって仕方がないのは、「風流(ふうりゅう)と風流(ふりゅう)の勘違い」です。勘違いというよりも、認識違い、大間違いと言い切ってもよいことです。
侘び(わび)、寂び(さび)は、貧粗・不足の中に心の充足を見出そうとする意識を指しています。もう少し踏み込んで、慎ましく、質素なものの中に奥深さや豊かさなどの趣(おもむき)を感じる日本の美意識と表現されることもあります。
これに対して、風流と書いて「ふりゅう」という読み方もあって、「ふうりゅう」とは意味が全く違っています。
日本文化を学ぼうとする人(国内外)に対して、正しく説明する役割が課せられている専門家が、どちらも一緒くた(ごちゃまぜ)にして、「ふうりゅう」と言っているのを見て、腹立たしい気持ちになるのは、私だけではないはずです。
風流(ふりゅう)は、中世以後に日本で高揚した美意識の一つで、人々を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指していて、京都の祇園祭の山鉾巡行(行列)を賑やかな踊りや音曲で囃して、美しい装飾が施された山鉾が往来する様相は、沿道の観衆を熱狂させるもので、これこそが風流の象徴ともされています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






