投稿者「JMDS」のアーカイブ

発達障害の原因は何であっても、今さら対応することができないのだから、“原因を追求するのは意味がない”という考え方をする人がいます。

実際に発達障害児の毎日の生活、改善支援をしている施設の職員にとっては原因追求をしている時間があるくらいなら、目の前の対応に注力したいという気持ちは当然のように理解できることです。

発達障害の理解を進めるための普及活動では、“発達障害は親のせいではない”ということを保護者だけでなく、一般の方々にも伝えています。

発達障害の発現率が10%という状態では、本人の家族に発達障害児がいないとしても、親戚や周囲の住人に範囲を広げたら少なくとも1人や2人は存在していてもおかしくない状況だからです。

しかし、発達障害の原因の一つとして遺伝があげられています。

遺伝の確率は特性(自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害)によって違っていて、注意欠陥・多動性障害では50〜80%、平均すると70%とされています。これは親が注意欠陥・多動性障害であった場合に子どもに注意欠陥・多動性障害が発現する確率を指しています。

遺伝の確率が高くても、遺伝特性があっても生活環境によっても発現が違ってきます。生活環境が原因となるのでは、やはり親のせいではないかという考えもありますが、遺伝には親から子どもにではなくて祖父母から孫に出現する隔世遺伝もあります。

隔世遺伝のことを考えると、孫が発達障害だといって母親を祖父母が責めるのは間違いです。

祖父母世代の中には、自分にも家族にも発達障害はいないということを主張する例もあるのですが、発達障害が法的に定められたのは2004年で、医学的に診断が的確に実施されるようになったのは1990年代からです。

それまでは発達障害という概念が広がっていないために、発達障害であったとしてもわからなかったのです。

また、少子化によって兄弟が少ないことで、遺伝特性があっても、それが現れないまま過ごしてきたという例も少なくないはずです。

遺伝の問題と考え方は、普及の場で講師をする方でも、受講する方でも違っているので、これについては講習テキストでは遺伝も原因になっていることしか記載されていません。どこまで話すのかについては講師の判断に任せているのが現状です。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「バカは死んでもバカなのだ」は天才バカボンのキャラクターの一人のバカボンのパパの名言の一つで、これは漫画家・赤塚不二夫さんの対談集『バカは死んでもバカなのだ』(毎日新聞社刊)のタイトルに使われています。

お題の「バカは死んでも直らない」をアレンジしただけと思われることもあるのですが、新たな金言として別に数回書いてもよいくらい「バカは死んでもバカなのだ」には学ぶべきところがある言葉です。

「バカは死んでもバカなのだ」は、赤塚不二夫さんの哲学として伝えられている「バカになって純粋に生きる」を象徴する(的確に表した)言葉で、これは赤塚さんの自宅に転がり込んでデビューを目指していたタモリ(森田一義)も機会があるたびに話していたことです。

世間の常識や見栄に縛られることなく、純粋な自分を貫く「バカ」こそが真の自由であるという赤塚流の究極のポジティブシンキングとして伝えられています。

そして、バカボンのパパの名言中の名言の「これでいいのだ」は、“バカ哲学”から生まれた、どんな結果でも受け入れる肯定の言葉です。

自由な生き方を模索している人、自分は自由に生きていると明言する人に、このような話(解釈)を伝えると、賛同するよりも抵抗や反発されることが多くて、中には侮蔑の態度を示されることさえあります。

ここでいう「バカ」は“純粋な自分”であって、打算や計算、演技、そして違っていることに気づいていても自分に言い聞かせて(誤魔化すようにして)行動している人ではないのです。

「バカは死んでもバカなのだ」は、直す(治す)必要がない重要なことに、気づいているのかを問う金言だと考えを伝えたいのです。
〔小林正人〕

一生懸命に学ぶことは尊重すべきことで、その知識はいつまでも活かしてほしいとは思うのですが、学んだ情報が古くなり、しかも間違いとされるほどに古くなってしまったら、それは更新する必要があります。

しかし、学んだ人に最新の情報が届かなかったら、更新するどころか、情報が古くなっていることにも気づかず、間違い情報を引きずってしまうことになります。

さらに困ったことは、学んだ人が教える立場になっていて、古いままの情報を他の人に伝えることです。一生懸命に普及しようと頑張っていることが、間違いを広めることにもなりかねないのです。

特に影響が大きいのは健康に関わる情報で、医学や科学は研究の進み具合も早く、思った以上に鮮度が落ちる(情報が古くなりやすい)ので、情報更新は頻繁に行われなければなりません。健康を考えて伝えたことが、健康を害することにもなりかねないのです。

「そのことを意識して常に学ぶ必要がある」と言われても、教えた側が更新情報を発信しないことには、いくら学ぼうとしても学べないことにもなります。だから、教えた側の責任として、常に最新情報を検索・分析して、情報発信を行う必要があります。

このことを講習で話すときに、印象を残すために諺(ことわざ)をもじった言葉を使っています。それは「信じるものは掬われる」です。これを言葉で言われても、多くの人は「信じるものは救われる」のほうを思い浮かべて、何を言っているのかと疑問符だらけになります。

そこで先に“足元を掬われる”ということを話しておいてから、「信じるものは掬われる」を繰り出します。

足元だけでなく身体ごと掬われるようなことになるので、学んで身につけたことを、ただただ信じるのではなく、常に間違っているのではないかと疑いながら情報更新をしていくことの重要性を伝えるようにしています。
〔小林正人〕

「ココナッツの日」キリン・トロピカーナが、コ(5)コナッ(7)ツの語呂合わせで制定。

「ブラックモンブランの日」竹下製菓(佐賀県小城市)が、アイスクリームのブラックモンブランが発売された1969年5月7日にちなんで制定。

毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

今でこそデザートの雄といえばケーキとアイスクリームをあげる人が多いかと思いますが、田舎育ちで、しかも小学生になる直前まで寺院で暮らしていたことから、ケーキは無縁の存在でした。

「お寺ではクリスマスでもケーキは食べないというのは本当か」ということは、幼い時期から成人になってからも聞かれ続けてきました。

私が母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)に、私が高校1年生の12月25日に、同級生の菓子屋の売れ残りのクリスマスケーキを安く分けてもらって祖母と叔母のところに持っていったときに言われたのが「初めてクリスマスケーキを食べる」という驚き(?)の言葉でした。

寺院では和菓子が定番で、ほぼ毎日、食べていたと記憶していますが、食べ放題というわけにはいきません。年に2回だけ“食べ放題の日”があって、その一つは誕生日でした。

4月8日は私の誕生日、というよりもお釈迦様が誕生した日とされていて、その祝いの灌仏会(花まつり)は、門徒の方々からも差し入れ(?)があって、頑張って食べないと捨てることになるので、“食べる供養”をしていました。

もう一つは12月24日と25日で、仏教的には特別な日ではありません。ケーキを食べる習慣はなかったものの、生まれた年が高度成長期の始まりであって、一般家庭でもケーキを食べるようになっていて、その日は寺院では子どもは和菓子が食べ放題の日でした。

ケーキが食べられない家庭は菓子パン、それも贅沢という家庭では食パンにジャム(当時は高価格だった)を塗って食べるという状況でした。寺院ではジャムはなくて、甘く煮たあずき(小豆)のつぶあんをつける小倉トーストのようなものを食べていた記憶があります。

しかし、いつもということではなくて、両親の実家が米屋(父)と寺院(母)というパン食とは縁がない生活であったので、これも特別な日のおやつでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本肥満学会は、新たな症候群の対策として体重を増やすことを主とした発表を行いました。

それは「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題」で、これまでの体脂肪を減らすメタボリックシンドローム対策とは逆という印象があります。

その発表の中から、「低体重および低栄養による健康リスクや症状」の続きを紹介します。

〔低体重および低栄養による健康リスクや症状〕
◎代謝異常
低体重は糖尿病発症リスクとして知られ、日本人若年女性の低体重では耐糖能異常のリスクが高いことが最近の研究で明らかとなっています。

また、エネルギー制限により、体の代謝を調整する甲状腺ホルモンの一種であるトリヨードサイロニン(T3)が減少します。
低T3症候群や脂質異常症(LDLコレステロール上昇)を引き起こします。

◎サルコペニア様状態
加齢に伴う筋肉量や筋力の低下はサルコペニアと定義されますが、若年女性の低体重や低栄養状態においても、筋肉量低下との関連が指摘されています。

筋肉量や筋力の低下は将来的なロコモティブシンドロームやフレイルにつながる懸念もあり、ライフコースや老年期の健康維持の観点からも、若年期のサルコペニア予防は重要です。

◎摂食障害
痩身願望が内面化しやすい社会的風潮の中で、摂食制限行動が行き過ぎると摂食障害に移行することがあります。

心理的ストレスや自己肯定感の低下と相まって、重症化する例も少なくありません。

特に若年女性では、理想的なやせボディイメージの内面化が食行動の異常を促進して、メディアを含む社会からの痩身への圧力と相まって、摂食障害の発症リスクが高まります。

◎精神・神経・全身障害
低体重や低栄養状態は、倦怠感、睡眠障害、低血圧、頭痛、便秘、冷え性、肌質・髪質の低下などの身体症状を引き起こします。

また、神経精神症状としては抑うつ、不安、集中力低下、認知機能の低下や身体活動の低下なども認められます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「バカは死んでも直らない」も「バカは死ななきゃ治らない」も、その出所(でどころ)は“解脱”にあると考えています。

解脱(げだつ)は、仏教用語で、煩悩(ぼんのう)や執着、迷いから解放されて、真理を悟って、心からの自由と安らぎを得ることで、修行の最高目的とされています。最高目的に達するためには、“悟り”が重要となってきます。

インド哲学では、現世の束縛からの解放が重要視されていて、束縛(人間を縛るもの:苦しみ、欲望、執着、生死の恐怖など)から解放されて、絶対的な自由(心が何ものにも縛られず、真理に基づいて清らかになった状態)を得るためには悟りが必要であると説かれています。

究極の悟りは解脱であり、解脱は輪廻転生(生まれ変わり)からの解放とされます。これは悟った仏陀(ぶっだ)が達することができる世界で、通常の人は「死なないと解放されない」と考えられています。

お釈迦様は、亡くなって身体から解放されたときに真に仏陀(悟った人)になったとも伝えられていて、死なないと変わらない(直らない)という考えにつながっていきます。

では、死ななくても解脱できる方法はあるのかというと、解脱は“個の消滅”であって、活きながらにして“個”をなくすことで究極の悟りに近づく(エントリーの権利を得る)ことができるという教えです。

“個”は執着のことで、自らの執着(仏教では我執)を消し去ることが求められます。

根本的な苦しみ(一切皆苦)を、苦しみのない状態に変えていくことは完全には難しいことかもしれませんが、その第一歩が「我執からの脱却」です。

我執は、自分自身の存在に他にない意義があると考え、自己に執着することを指していて、インド哲学では苦しみの根本原因として排斥されるものです。

用語としては「我執が強い」という使い方がされていて、個人の意見やこだわりを強く押し通す(固執する)といった文脈で使われます。そんなことを言われないように邁進していれば「バカは死んでも直らない」と揶揄されることはないはずなのですが。
〔小林正人〕

微表情は、欧米人を対象として研究が進められ、隠そうとしても表に出てしまう心理状態を見抜く研究として結果が重ねられてきました。また、日本人の場合は、もともと表情が出にくく、単純な判定はしにくいと考えられてきました。

しかし、微表情の研究が最も盛んに行われたアメリカには、数多くの民族が暮らしていて、それぞれの民族の表情の特徴があるものの、それを加味して判定する方法も進化を遂げてきました。

この研究の中には日本人も含まれていることから、その成果をもって日本人の微表情を判定することは難しくないとされてきました。

そのような考えがある一方で、アメリカで暮らす日本人は環境(対人関係)に合わせて表情が豊かになることから、日本で暮らす日本人とは違っているということが言われるようになりました。

同じ日本人であってもコミュニケーションを取る相手によって表情の現れ方が違ってくるというのは普通にあることで、海外で暮らす日本人が外で見せる表情と、家に帰ってきて家族に見せる表情とが違っているというのは、よく経験されていることです。

アメリカでの日本人を対象とした研究と、実際に日本人の微表情を比較するには、日本で暮らす日本人だけを対象とした研究が必要となります。その結果をもって日本人の特性を見ていくことが大切になるということで、複数の研究が行われてきました。

その中でも信頼度が高いのが、京都大学こころの未来研究センターのグループが実施した研究に基づいて発表された「日本人の基本6感情の表情」です。

その内容については次回に続きます。
〔小林正人〕

〔2026/5/6〕
久しぶりに大学時代の同年代の同窓生と会ったときに、自分の話し方を再確認することになりました。
話し方については、これまでも意識はしていたものの、長い年月を一足飛びに縮めて(40年以上も会えていなかった)、大学時代とあまり変わらない(と感じさせる)口調で話してくるのに対して、私はといえば敬語を使って話をしていました。

大学時代の距離感や上下関係を引きずっているというわけではなくて、敬語で話すことが身につくようになったきっかけは、大学4年生のときから始まった厨房機器の全国団体(社団法人)の月刊機関誌の編集でした。
学生時代はアルバイトで、卒業した翌月から業務委託で編集を続けることになったのですが、初めのうちは業界内で付き合うのは年上ばかりでした。

業界の各社を取材などで訪ねると、社長の息子さんが専務や常務であったりして、中には私と同い年、年下ということもあって、年齢に関係なく敬語で話すようになりました。
受付の女性に軽い感じの口調で話したら、その女性が社長の奥さんだったので、仕事がうまくいかなかった、というのは私の体験談ではないのですが、よくある話です。

厨房業界の社団法人から始まって、病院調理師団体、病院栄養士団体、病院給食受託会社団体、巡回健診団体、健康スポーツ団体などと、ずっと全国団体の仕事をしてきました。
多くは社団法人、財団法人で、私の年齢が上がっていくと、私よりも若い役員、職員が増えていく中で、敬語の習慣というか癖というか、それは変わることはありませんでした。

社団法人、財団法人のほとんどは、霞が関のお役人からの紹介で、お役人に対しては、どんなに年齢が下であっても敬語は常識で、今は立場が低くても、すぐに“偉い人”になることがあります。
以前から知っていた方が霞が関で役職を得ることもあり、民間人が公務員になること、軽い付き合いをしてきた人が霞が関の役所を管轄する立場(大臣、副大臣、政務官)になることもあって、敬語を使うのは身についていた、というよりも、生き残るための処世のようなものでした。
〔小林正人〕

「ふりかけの日」国際ふりかけ協議会が、ふりかけの元祖とされる吉丸末吉薬剤師の誕生日の1887年5月6日にちなんで制定。

「コロッケの日」味のちぬや(香川県三豊市)が、コ(5)ロッケ(6)の語呂合わせで制定。

「アクティブシニアの日」タカラベルモント(大阪府大阪市)が、こどもの日の翌日を元気なシニアをイメージして制定。

「コロネの日」山崎製パンが、コ(5)ロ(6)ネの語呂合わせで制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)