投稿者「JMDS」のアーカイブ

「ミツバチの日」日本養蜂協会が、みつ(3)はち(8)の語呂合わせで制定。

「レモンサワーの日」サントリースピリッツが、レモンの酸(3)味と炭酸のパチパチ(8)の語呂合わせで制定。

「サバの日」鯖や(大阪府豊中市)が、サ(3)バ(8)の語呂合わせで制定。

「鯖すしの日」すし慶(滋賀県長浜市)が、サ(3)バ(8)の語呂合わせで制定。

「サヴァ缶の日」東の食の会、岩手缶詰、岩手県産が、サ(3)ヴァ(8)の語呂合わせで制定。

「さやえんどうの日」和歌山県農業協同組合連合会が、3月はさやえんどうのハウス栽培が最盛期で、さ(3)や(8)の語呂合わせで制定。

「サワークリームの日」中沢乳業(東京都港区)が、サ(3)ワー(8)の語呂合わせで制定。

「日本列島たこせんべいの日」スギ製菓(愛知県碧南市)が、創業の月や幸(3)、たこの足が8本であることから制定。

「ギョーザの日」味の素冷凍食品が、同社の冷凍ギョーザが発売された1972年3月8日と、み(3)んなでハ(8)ッピーキョーザの日の語呂合わせで制定。

毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

京都以外の地方では“先の戦”といえば第二次世界大戦を指していますが、京都だけは応仁の乱(1467〜1477年)を指すというくらい歴史があります。

京都で「戦後」と言われたら、それは今から80年前の第二次世界大戦の後のことなのか、それとも550年ほど前のことなのかを確認しておかないと、話が進まないということも聞かされていました。

京都の感覚である戦後を生き残ったのが老舗中の老舗で、500年を越えているということなので、応仁の乱は大きな区切りとされています。ここが100年を越えたら老舗という全国的な感覚とは大きく違っているところです。

応仁の乱では京都全域が戦場となった戦いが11年間も続いたために、洛中と洛外のほぼ全域、北の船岡山から南の二条通りまでの一帯が延焼しました。焼け残ったのは大報恩寺(千本釈迦堂)本堂、蓮華王院(三十三間堂)本堂、教王護国寺(東寺)五重塔だけであったと伝えられています。

まさに大戦によって焼け野原になって、そこから復興した京都の街が今も続いているというのが世界から人を集める原点ともなっています。

確かに、京都は第二次世界大戦では大空襲がなく、それは焼け野原になった東京、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島などが都市計画によって、一気に近代化を進めたのとは大きく違っています。

このような話が喧伝される中、これとは違ったことが伝えられることがあります。

それは現在の京都の街としてイメージされるところは、明治時代になってから復興させた古都が、そのまま受け継がれることになったという話です。

明治維新のきっかけは、京都を都として継続させることが難しくなったからだということで、そのきっかけについては次回に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

判断に迷ったときには、何を頼りにしてよいのか、それすら迷うことがあります。

絶大なリーダーが存在していて、その考えと行動に従えば解決するのは簡単だ、という発想があります。

それは絶大なリーダーが常に正しい判断をするということが大前提であり、もしも正しい判断でなかったとしても、それを否定できるような立場でないとしたら、本心であろうと嫌々であろうと“神の声”に従うのが、そのときの正しい判断ということができます。

そのような意識をすることなく、付き従うのが正しい判断であるとするなら、判断に迷うこともないことになり、思い悩むこともないはずです。

しかし、多くの人が人生の岐路に立ったときに、何かに頼ろうとします。それだけ自信がなく、自分の意思で決定したとしても、後々に悔いることがないような明るい未来を思い描くことができないという漠然とした不安感が漂っているからです。

このような悩みを解決する手段として、脳科学が説明に使われることがあります。

脳科学の世界では、右脳が支配する無意識が、左脳が支配する意識をコントロールしていることが明らかになってきたことから、無意識に従うのが大きな脳を持った人間の宿命だという考え方もされています。

無意識に従うというのは自らの内なる声に従うということであるのか、それとも“神の声”に従うことなのか、その区分けをつけることも難しいところがあるのですが、巨大な脳にたとえられるネット社会では、ありとあらゆる選択肢が示されています。

その中から自分で選び、自分で行動を起こしているように感じていても、そうではないことが多々あります。ネット検索で目にするものが素材だけであれば、より多くの素材から自分に適したものを選択して、オリジナルのものを組み立て、オリジナルの考えを推し進めていくことも可能でしょう。

しかし、ネット検索の情報は、誰かの意見を、誰かが意図を持って選択して掲載していることが多いのも事実です。自分で選び、自分で考え、それをベースに発信しているつもりであっても、実は誰かの意図を拡散しているだけということも少なくありません。

また、的確なアドバイスをしてくれるとの評判の人も、実は周囲の声に突き動かされて、その声を発信しているだけだったということも経験しました。

こういったことに対して的確な判断をするためには、人を見抜く目をつけるための経験も必要になるのでしょうが、さらに的確に判断するためのインプット(勉強)も継続させていかなければならないと考えています。
〔小林正人〕

定年退職年齢は、平均寿命と高齢者の増加、少子化の状況に合わせるように60歳から65歳までに延長され、さらに65歳以上であっても企業や団体などで働くことができるようになっています。

定年退職年齢は、日本人の平均寿命の上昇につれて延長されてきました。

1947年(昭和22年)の平均寿命は、男性が50.06歳、女性が53.96歳でした。この当時の定年退職年齢は50歳が一般的で、それが55歳になったのは1970年代のことです。1998年(平成10年)に60歳に引き上げられましたが、当時の平均寿命は男性が77.16歳、女性が84.01歳でした。

日本の年金制度は平均寿命の延伸、定年退職年齢の変遷と関わって受給開始年齢が高められてきました。年金制度が始まった当時の平均寿命は50歳に達していなくて、男女ともに平均寿命が50歳を超えたのは終戦から2年後の1947年のことでした。

定年から平均寿命までが年金を受給できる期間と考えると、随分と受給期間は非常に短く、平均寿命(受給期間)は延びることは計算に入れられていたものの、それを大きく越える受給期間であるので、受給金額が増えないのは仕方がないという状況であることがわかります。

年金の受給開始年齢の変遷を見ると、年金制度が始まった1942年(昭和17年)の受給開始年齢は男性が55歳で、女性も受給できるようになったのは1944年(昭和19年)のことです。

1954年(昭和29年)には男性が60歳になり、女性は55歳のままでした。続いて、1985年(昭和60年)には男性は65歳に、女性は60歳になりました。そして、1994年(平成6年)に男女ともに65歳が年金受給年齢となりました。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、生活習慣病とエネルギー・栄養素との関連について説明しています。その中の骨粗鬆症と特に関連の深いエネルギー・栄養素の「カルシウム」の続きを紹介します。

〔カルシウム〕
食事による介入に加えて、サプリメントによるカルシウム補給の骨密度上昇効果を検討した研究も多く存在しますが、効果は有効でもわずかなものが多く、食事によるカルシウム摂取量の増加の介入効果と比較しても、大きな差があるとはいえません。

骨量の維持によって骨折の予防が期待されますが、実際に骨折をアウトカムとした研究については。その結果にばらつきが見られます。

我が国において、40〜69歳の男女約3万人を対象としたコホート研究では、女性において食事由来のカルシウム摂取量と、10年間の追跡期間中の骨折発生との間に負の関連を認めています。

40〜74歳の日本人男女約1万3千人を5年間追跡した別のコホート研究でも、女性において主要骨粗鬆症性骨折との関連に同様の結果が得られています。

中国のコホート研究では、中高年男性でも、カルシウム摂取量と約9.5年間の追跡期間中の脆弱性骨折に関連が認められています。

一方で、国内外のコホート研究のレビューでは、カルシウム摂取量と骨折の発生率の間に意味のある関連は認められていません。

また、主に中高年を対象としたカルシウム摂取量の付加と骨折に関する介入研究のメタ・アナリシスでは、おおむね臨床的な意味を認めていません。

特に食事による介入は限られており、十分な知見はありません。

サプリメントによる補給の研究については、主に中高年を対象とした無作為化比較試験が多く行われているものの、メタ・アナリシスにおいて有意な骨折抑制効果を認めていません。

以上を踏まえると、十分なカルシウム摂取量は骨量の維持に必要であり、カルシウム摂取量が少ないことは低骨量のリスク因子になるといえますが、中高年においてカルシウム摂取量を増やしても、骨密度の低下や骨折を予防する効果は小さいと考えられます。

また、主にサプリメントを用いた介入研究は多く、特に1000mg/日以上のカルシウムサプリメントを用いた場合に心筋梗塞のリスク上昇が報告されています。

これに否定的な見解もあるものの、特に1000mg/日以上のカルシウムサプリメントの使用には慎重になるべきです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、生活習慣病とエネルギー・栄養素との関連について説明しています。その中の骨粗鬆症と特に関連の深いエネルギー・栄養素の「カルシウム」を紹介します。

〔カルシウム〕
カルシウムは骨ミネラルの最も重要な構成要素であり、コラーゲンを主成分とする骨たんぱく基質にリン酸カルシウムとして沈着して、骨を形成します。

カルシウムの不足は副甲状腺ホルモンの分泌増加を招き、骨吸収を亢進させ、骨密度を低下させます。

疫学研究のメタ・アナリシスでは、カルシウム摂取量と骨量、骨密度との間には有意な関連が認められており、骨量の維持には十分なカルシウム摂取が必要です。

食事摂取基準においては、骨量を維持するために必要な量として、カルシウムの推定平均摂取量および推奨量が設定されています。

カルシウムの付加による骨密度の増加については、乳製品を用いた介入やカルシウム強化食品を用いた介入が行われています。

閉経女性における乳製品(主に牛乳)を用いた6つの無作為化比較試験のメタ・アナリシスでは、腰椎および大腿骨近位部骨密度増加の効果がみられています。

さらに、サブ解析では介入前の食事由来のカルシウム摂取量が低い国における研究で、その効果がより顕著でした。

一方で、50歳以上を対象とした15の無作為化比較試験をまとめたメタ・アナリシスでは、250〜3320mg/日の補給で、1年の介入では大腿骨近位部および全身の骨密度が0.6〜1.0%、2〜5年の介入で大腿骨近位部および全身に加えて、腰椎、大腿骨頸部の骨密度が0.6〜1.8%、対照群よりも高かったと報告しています。

しかしながら、特に閉経後の女性においては、平均的に1年で約1%の骨密度の低下が見られることから、数年で1〜2%の抑制は、骨密度の低下を抑えるほどの効果にはならないとしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、生活習慣病とエネルギー・栄養素との関連について説明しています。その中の骨粗鬆症と食事の関連の「骨粗鬆症、骨折の危険因子」を紹介します。

〔骨粗鬆症、骨折の危険因子〕
骨粗鬆症の主要な危険因子は、女性、高齢、低体重、閉経です。

特に骨折には、栄養、食事に関するもの以外に、多くの危険因子が存在します。

また、大腿骨近位部骨折は、転倒して起こることが多くなっています。

また、骨折リスク評価ツール(fracture risk assessment tool):FRAXも国際的に広く用いられており、年齢、性、大腿骨頸部骨密度(骨密度が測定できない場合はBMI)、既存骨折、両親の大腿骨近位部骨折歴、喫煙、飲酒、ステロイド薬使用、関節リウマチ、続発性骨粗鬆症といった危険因子の有無を基に、骨折高リスク者を判別することができます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害がある子どもの支援を考えるときに、その家族への支援も同時に考えるべきだと提案しているのは、発達障害の発現に遺伝が関わっていることがあるからです。

発達障害に限らず、精神的な特性や生活習慣病なども同じことが言えるのですが、遺伝特性があって、そこに他の要因が重なると発現しやすくなります。

遺伝の要素があっても、他の要因を抑えること、その要因の改善に取り組むことで発現しないようにすること、もしも発現したとしても影響が極力抑えられるようにすることを伝えるようにしています。

発達障害の遺伝特性を考えに入れると、子どもに発達障害が現れて、改善が必要という状態では、保護者も発達障害の遺伝特性がある可能性があり、きょうだい(兄弟姉妹)も発達障害である可能性があります。

このことを知って、保護者との付き合い方も注意しなければならない、という発言をする人もいるのですが、私たちが“注意しなければならない”と考えているのは、遺伝要素がある人が発現しやすくなる他の要因を抑制することです。

そのための栄養や運動、保健などの知識と実践は、長い目でみると将来にわたっての健康づくり、家族の健康の維持・増進につながることです。

それだけに、遺伝特性とともに、どのような健康に関わる要因があるのかを知って、先回しして対策をしておくことも、発達の伴歩の役割だと認識しています。
〔発達の伴歩:小林正人〕

「さかなの日」さかなジャパンプロジェクト推進協議会が、さ(3)とな(7)の日に魚を食べることを提案していることから制定。

「サウナの日」日本サウナ・スパ協会が、サ(3)ウナ(7)の語呂合わせで制定。

「メンチカツの日」味のちぬや(香川県三豊市)が、メンチカツを関西ではミンチカツと呼ぶことからミ(3)ンチ(7)の語呂合わせで制定。

「ななつのしあわせミックスナッツの日」九南サービス(宮崎県都城市)が、7種類のナッツをミックスした、ななつのしあわせミックスナッツの普及を目的にミ(3)ックスナ(7)ッツの語呂合わせで制定。

毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

京都を意識し始めたのは中学生の頃です。それまでは祖父母のお土産でしか感じていなかった京都へ連れていってもらえることになってからのことです。

私の母親の実家の寺院の本山は東本願寺で、宗祖700回忌の1961年と親鸞聖人生誕800年の1973年の間の特に大イベントがない年ではありました。

しかし、私が中学1年生の1968年(昭和43年)は「明治100年」の年と重なっていて、学校でも「明治は遠くなりにけり」と盛んに言われていました。

これは俳人・中村草田男の1931年(昭和6年)の句で、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の一節です。この句は港区立青南小学校正門内の後者前庭の句碑に記されていて、東京に住むようになってから現物を見に行ったことがあります。創立70周年(昭和52年)の記念として建立されたもので、中村草田男が除幕をしたと聞きました。

昭和の初期は今から比べると、随分と昔のような感じですが、明治と比べると大きな変化があり、「遠くなりにけり」と感じるのも当たり前のような感覚です。

明治時代は江戸時代最後の慶應に続いて1868年から始まりました。それまで京都に置かれていた都が東京に遷都されたわけですが、実際の遷都は明治元年ではなくて明治2年のことです。

東京への遷都は政治体制の移行が最大の理由とされていますが、実際には元治元年(1864年)に京都で起こった禁門の変(蛤門の変)が大きく影響をしていました。

そのことを京都の地で知って、それからは機会があるたびに京都の歴史的な背景と、京都人の“進取の気風”に触れ合うことになました。

その一つが、京都発祥の大手出版社(PHP研究所)でゴーストライターを引き受けて、15年間で150冊を手がけたことで、京都出身の編集者の発想と、取材・執筆を通じて知り合った京都の企業や京都出身の経営者の発想を知ることができました。

千年以上の歴史に裏打ちされた伝統を大切にする心と、進取の気風というキーワードは、私の基盤でもあり、古稀を越えた私の新たな活動の原動力にもなっています。

東京で仕事をする中で知り合った企業は、オムロン、島津製作所、京セラ、任天堂、宝酒造、ワコール、高島屋、大丸などです。

新たに京都からグローバル展開をはかっていくサンマルクホールディングスは、岡山発祥の企業であり、今は岡山に住む身としては、その動向には大きな関心を抱いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕