投稿者「JMDS」のアーカイブ

「ミルクキャラメルの日」森永製菓が、1913年6月10日に初めてミルクキャラメルが発売されたことにちなんで制定。

「リボンシトロンの日」ポッカサッポロフード&ビバレッジが、リボンシトロンの前身のシトロンの発売日の1909年6月10日にちなんで制定。

「ところてんの日」伊豆ところてん倶楽部が、ところ(6)てん(10)の語呂合わせで制定。

「ローストビーフの日」ローストビーフの通販たわら屋(静岡県菊川市)がロー(6)スト(10)の語呂合わせで制定。

「無糖茶飲料の日」伊藤園が、無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「BLACK無糖の日」UCC上島珈琲が、無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「うどんと和菓子をいっしょに食べる日」ちから(広島県広島市)が、うどんと和菓子を一緒に食べる食文化の普及を目的に、うどんと和菓子の店として同社が創業した1935年6月10日にちなんで制定。

「Doleスムージーの日」ドールが、スム(6)ージー(10)の語呂合わせで制定。

「てっぱん団らんの日」オタフクソースが、食育基本法が成立した2005年6月10日にちなんで制定。

「こどもの目の日」日本眼科啓発学会が、6歳までに視力0.1に成長するのが大事ということから制定。

「ロートの日」ロート製薬が、ロ(6)ート(10)の語呂合わせで制定。

「アイスティーの日」日本紅茶協会が、アメリカのアイスティーの日(6月10日)に合わせて制定。

「無添加の日」ファンケルが、無(6)添(10)加の語呂合わせで制定。

毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合)、「アメリカンフライドポテトの日」(米国ポテト協会)

「三献の茶」については、その由来も知らずに子どものときに寺院でお茶の差し上げ方の三段活用をしていました。その寺院というのは母親の実家(新潟県出雲崎町)で、寺院と茶道は付きもので、祖母は茶道の心得があって家元制度の免状が飾ってあったことを覚えています。

「三献の茶」について前(日々邁進159)より少しだけ詳しく書くと、以下のようになります。

一杯目は、喉が渇いている相手を思い、喉の渇きを鎮めさせるために、たっぷりのぬるめの茶を大きめの茶碗で差し出します。

二杯目は、一杯目を飲み干した相手に、次に少し熱めの茶を、やや小さめの茶碗で差し出します。

三杯目は、相手の気持ちが落ち着いた頃を見計らい、熱く濃い茶を、高価な小振りの茶碗に入れて差し出し、ゆっくりと味わってもらいます。

「三献の茶」には及ばないものの、その要領は習うともなく、子どものときに親元を離れて3歳から3年間、預けられていた寺院で身につけていました。

後になって祖母は、「小坊主さんも、お茶の出し方で出世した」とか「お茶は相手のことを思って差し上げる」という話を伝えたと言っていましたが、幼い記憶では茶道の作用のことなのかと感じていました。

あまりにも濃茶が苦かったので、普通のお茶(煎茶)は甘くて、美味しいと感じるくらいでした。

その飲みやすいお茶は、3つの茶筒に入っていて、見た目は変わらないのですが(来客にはわからないようにしていた)、値段が違っていました。

人に差をつけてはいけないのが仏教であるはずなのに、お客さんによって使う茶筒と中身が違っていました。

4歳の時には間違わずに茶筒を選び、急須から注げるようになっていました。高いお茶ほど、ぬるめのお湯で時間をかけて淹れるということを覚え、温度で味わいも香りも変わってくることを知りました。

これを「三献の茶」の三段活用と同じに論じてよいのかは別に置いておくとして、私にとっての「三献の茶」は出世につながることはなかったものの、お茶を出す相手の気持ちを察することはできるようにはなったと思っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

社会人として初めに手掛けた仕事から、現在までの道のりを説明すると、多くの人は「いろいろと経験してきたのですね」とは言うものの、その必然性まで考えを及ばせる人は極めて少ない状態です。

大学を卒業してから50年近くも経っていますが、わざわざ“初めに手掛けた仕事”と書いたのかというと、ただ就職をしたということではなくて、一般の新入社員のような経験はしたことがないからです。

そもそも今に至るまで会社員などとして給料を得たことがなくて、初めから業務委託を受けて専門の仕事をしていたか、私が加わって設立した団体で自ら仕事を作ってきたので、普通の会社員、公務員、団体職員の感覚で働いた経験はありません。

それも親が裕福だとか、嫌な仕事をしなくても生きてこられたということではなくて、新潟県の片田舎から上京して、東京の大学で親の仕送りで学ぶことができただけです。仕送りだけで生活することはできなかったので、アルバイトをしました。

そのアルバイト先が、郷土選出の国会議員の東京の私邸の錦鯉の世話、クラシック音楽専門誌の編集補助、料亭と割烹の調理補助と続き、大学4年生のときには厨房専門誌の編集を手がけていました。

専門誌といっても、いわゆる業界誌ではなくて、厨房機器の工業会(社団法人)の機関誌で、読者は全国の厨房機器会社の社員という普通なら“狭い世界”の月刊誌でした。それも発行日には会員の各社と関係する役所に自らが封入して発送するという、極めて手作り感が満載の仕事でした。

狭い世界に見えながらも、取材先でもある国のお役所は、当時の名称で書くと、通商産業省、建設省、自治省、厚生省、労働省、文部省、農林水産省、防衛庁と、思った以上に広範囲でした。

ただ、防衛庁(現在の六本木ミッドタウンの位置)を除くと、霞ヶ関や虎ノ門に集中していたので、無理をしなくても回れる範囲でした。

これらのお役所の関係が現在につながってくるわけですが、それについては徐々に明らかにしていくことにします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「OMO」は、マーケティング戦略の世界では以前から使われてきた用語です。

これは「Online Merges with Offline」を略したもので、「オンラインとオフラインの融合」と訳されています。

融合(Merges)という言葉が使われるのは、OnlineとOfflineが結びつかない状態で進化してきたことへの反省があって、それを融合させることによって新たなマーケティングの基幹にしたいという願いがあってのことです。

OMOが重要なキーワードとされるようになったのは、Onlineが広まり、Offlineが低迷していくことは背景としてあったものの、それと同時にOnlineだけでは希望するような発展は望めないという危機感もあってのことです。

Web1.0の時代であれば、店舗の商品を販売するためにインターネットやスマホ(SmartPhone)などの通信機能を使って拡散して、集客をするという一方通行であったので、Onlineと呼んでよいのかわからない状態でした。

それ以前の時代(Windows95の登場前)は、顧客(候補)の情報を得るには、今でいうOfflineでコツコツと情報を蓄積することが重要で、実店舗の蓄積情報を、どのように使うかで売り上げが決まってくるという状況でした。

そこからの改善(飛躍)がWeb1.0では期待されていたものの、集客のためのOnlineは「チラシの配布と、どこが違うのか?」と言われるような状態でした。

チラシよりも拡散力はあるものの、受け取ってくれたのか、見てくれたのか、見た後に気持ちが動いたのか、実際に実店舗に足を運ぼうとするのかという手探り(確証がない)状態での宣伝手法でした。

それはWeb3.0からWeb4.0に移りつつある時代であるのも関わらず、クーポン券をつける、画面提示で割引が受けられるといった、旧態依然の思考から脱却しない(できない)まま、OMOのマーケティング力を望んでいる人が多いという実態もあります。
〔小林正人〕

免疫細胞の白血球は有害物質を破壊するときに活性酸素を発生させています。

粘度が高いタバコのニコチンやタールなどは白血球の中に残りやすく、これを処理するためには一度の活性酸素の発生では足りず、繰り返し活性酸素を発生させています。

そのため、タバコを吸うと体内で活性酸素が大きく増えることになります。

タバコを1本吸うと体内のビタミンCが25mg破壊されるといわれています。ビタミンCは活性酸素によって破壊されやすい抗酸化成分で、白血球の中にはニコチンやタールが残りやすいために活性酸素の発生によってビタミンCが破壊されます。

ビタミンCが体内で不足している場合には、他の抗酸化成分のビタミンAやビタミンEも破壊されていますが、これまでタバコと抗酸化成分の関係については破壊されやすく、結果がわかりやすいビタミンCでの試験がほとんどであったことから、他の抗酸化成分については明らかにされていません。

また、タバコから発生する煙は肺に入ると、免疫細胞のマクロファージによって多くが取り込まれています。マクロファージは白血球の仲間であることから白い色をしていますが、煙を多く取り込むと徐々に色が黒くなっていきます。

それだけタバコの煙の影響を受けやすいわけですが、マクロファージは多くの煙を取り込んだ結果、マクロファージの内部で処理をするために活性酸素を多く発生させ、それが外に漏れ出て身体にも大きな被害を与えることになります。

タバコの煙に含まれるニコチンは自律神経系の交感神経を刺激して副腎からノルアドレナリンやアドレナリンなどのカテコールアミンを分泌させます。カテコールアミンには心拍数と血圧を上昇させるだけでなく、冠動脈を収縮させる作用もあります。

喫煙によって、タバコを吸っているときだけでなく、吸っていないときにも酸素が不足するために、酸素を早く全身に送り届けるために交感神経の働きが盛んになって血圧が上昇します。

体内の酸素が不足すると細胞のミトコンドリアでエネルギーを作り出すときに不完全燃焼になりやすく、そのために活性酸素が多く発生するようになります。

喫煙をするとインスリン感受性が低下して、血液中のブドウ糖が処理しきれなくなり、高インスリン血症となります。そのために膵臓が疲弊してインスリン分泌量が減り、血糖値が上昇していきます。

タバコがインスリン感受性を低下させると、血液中のインスリンが増えてエネルギーを蓄えるようになり、その結果、中性脂肪が増えていきます。

このようにブドウ糖や中性脂肪が増えると、それをエネルギーとして代謝(燃焼)させるときに活性酸素が多く発生するようになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「たまごの日」鈴木養鶏場(愛知県新城市)が、卵が6と9に似て見えることから制定。

「岩牡蠣の日」ゼネラル・オイスター(東京都中央区)が、岩=ロック(69)の語呂合わせで制定。

「ロックアイスの日」小久保製氷冷蔵(千葉県八千代市)が、ロック(69)の語呂合わせで制定。

毎月9日:「クレープの日」(モンテール)

豊臣秀吉と石田三成の出会いと、三成が家来から奉行、大名に出世していくきっかけとして伝えられる「三献の茶」の逸話は、正しく伝えられないと誤りを伝えることにもなりかねません。

目上の人が格下の者のところに出向いて、礼を尽くして重要な人物として迎え入れることを願う行為だと思われていることもあるのですが、これは「三顧の礼」です。

三顧の礼(さんこのれい)は、中国の三国時代の武将の劉備玄徳が、諸葛亮孔明を軍師として迎えるために、家を三度も訪ねたという故事に由来した言葉です。

劉備玄徳は三国志(群雄割拠の歴史書)の主人公として語り継がれる英雄で、魏と対立していた蜀の劉備玄徳が戦いに勝ち抜き、蜀漢の初代皇帝となったのは諸葛亮孔明の軍略があればこその結果と伝えられています。

三国志の英雄といえば劉備玄徳、関羽、張飛が三傑(英雄)とされ、桃園の誓いの「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」という名シーンは、他の作品(小説、演劇、アニメまで)でも再現されています。

この誓いを実現させた有名な戦いというと赤壁の戦い、官渡の戦い、長坂の戦いがあげられますが、これらは諸葛亮孔明の軍略である「空城の計」「八陣図」「火攻めの計」などが存分に活かされた結果です。

「三顧の礼」は、人に対して心を尽くして丁重に頼み事をすることを意味しています。この“心を尽くして”というところが「三献の茶」の真理と共通しているところで、形ばかりの継承やマニュアルでは成し得ない重要なことを使える名言といえます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

身体にとって害となる農薬、食品添加物、薬剤、化学物質などは肝臓が分解・解毒を担っています。これらの物質が体内に入ってくると、その害を減らすために肝臓だけでなく、腎臓などにも負担をかけています。

肝臓は有害物質の分解、解毒のために肝細胞が盛んに働いていますが、肝臓以外の各臓器の細胞も活発に代謝を繰り返して分解、解毒を行っています。

そのときに多量の活性酸素が発生します。

有害物質が体内に入ってくると、これらを免疫細胞の白血球が取り込み、白血球は活性酸素を使って破壊、無害化していきます。

破壊したあと白血球は破壊したものを外部に出して、次の有害物質を取り入れていきますが、このときに活性酸素が白血球から外に漏れ出て、体内の活性酸素を増やしていきます。

有害物質が多いほど、白血球が破壊するほど活性酸素が増えていくことになるわけです。

活性酸素の発生原因としてあげられている農薬、食品添加物、薬剤、排気ガス、タバコ、水道水の塩素、酸化した食品などは避けるのが難しいため、原因を遠ざけると同時に、活性酸素を消去する方法も考えなければならないということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ガパオの日」ガパオ食堂のベース(東京都渋谷区)が、設立日の2007年6月8日にちなんで制定。

「ロハスの日」スーパーホテル(大阪府大阪市)が、地球環境と健康を意識した行動様式のLohasの取り組みを知ってもらうためにロ(6)ハ(8)スの語呂合わせで制定。

毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

「三献の茶」は、豊臣秀吉と石田三成の出会いから生まれた言葉で、名言として文句が出ないような物語性があります。

石田三成は安土桃山時代の武将で、豊臣秀吉に仕えて、豊臣政権の中核を担った五奉行の一人として知られています。

秀吉が近江国の鷹狩りの帰りに喉の渇きを感じて、寺院に立ち寄り、寺小姓に茶を所望します。そのときに寺小姓は、最初に大きめの茶碗でぬるめの茶を出し、次に一杯目よりやや小さい茶碗で熱めの茶を出し、最後に小振りの茶碗で熱い茶を出しました。

ぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後に熱い茶を充分に味わってもらうという寺小姓の細やかな心遣いに感服した秀吉は寺小姓を家来として召し抱えました。これが後の石田三成だ、という逸話です。

この逸話の舞台は観音寺(滋賀県米原市)と伝えられていて、これが三献の茶(または三杯の茶)と呼ばれています。

この逸話を見習って、後に同じことをして出世を願う人が相次いだとも伝えられていますが、その通りにすれば同じ結果になるとは限りません。むしろ同じ結果にならないほうが多いはずです。

逸話が広く知られていれば「真似をしているだけか」と言われることになります。逸話を知っていなくても、お茶を飲む人の気持ちがわかっていなければ、余計なことをしたと言われかねません。

「小さな親切、大きなお世話」と言われるか、言われないかの差は、相手を思いやる心の持ちようであり、ワンパターンではなく、臨機応変の対応にかかっています。

三献の茶(さんけんのちゃ)は、相手の思いをつかんで対応したからこそが名言として伝えられているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕