投稿者「JMDS」のアーカイブ

「和菓子の日」日本和菓子協会が、848年6月16日に仁明天皇が16個の菓子や餅を神前に供えて厄除けと健康招福を祈った嘉祥の儀式にちなんで制定。

「麦とろの日」はくばく(山梨県中央市)が、麦(6)とろ(16)の語呂合わせで制定。

「手羽トロの日」マザーフーズ(大阪府大阪市)が、6が手羽元の形に似ていることとトロ(16)の語呂合わせで制定。

「堂島ロールの日」堂島ロールを販売するモンシェール(大阪府大阪市)が、6が一巻きロールの形をあらわし、いいロール(16)の語呂合わせで制定。

毎月16日:「十六茶の日」(アサヒ飲料)、「トロの日」(カッパ・クリエイト)

後方支援という言葉は、多くの世界に存在していて、メインの(直接的な)活動ではないものの、重要な役割を務めている人や部門などを指して使われることが多くなっています。

後方支援を受けているときには、本体の人たちは気づかないこともあり、後になってから評価されるというのが、後方支援に携わっている立場では当たり前となっています。

気づかれないように活動するのが後方支援の“芸”のようなものと言われることはあるものの、どこかで気づかれるのが通常のことです。

ところが、まったく気づかれない後方支援があって、それが広報による支援(つまり広報支援)です。

私にとっての“広報支援”は、2001年から始まりました。この年は国の行政改革で厚生省と労働省が統合されて厚生労働省が始まった年で、今も続く健康関連の施策が次々に打ち出されていきました。

通常の霞が関のお役所の年度は4月1日からですが、中央省庁再編は年明けの仕事始め(お役所的には“御用始め”)の日(1月6日)からスタートしました。

通常の年度の3月31日までは、新組織になったとはいっても過渡期の扱いのようなもので、不足する人材は本省(霞が関の本丸)以外の出先から集められたり、関係先からの出向の形が取られました。

今では当たり前のようになっている業界出向も、まだ明確にはされていなくて、私は2つの団体からの出向の形で、霞が関に通うことになりました。

業界出向として送り込まれることになった背景については、先に2回に渡って「病院給食の敵」のお題で書きました(OMO 継続の仕組み20・21)。

ただ、業界の利益のために送り込まれたというよりも受け入れ側との合意というか、最終的には国民の健康づくりの支援になるとの感覚があってのことでした。

その具体的な背景については、次回(OMO 継続の仕組み23)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

糖尿病は、血液中のブドウ糖が高濃度になる病気です。高濃度になっても初期段階では特に自覚症状はなく、もちろん痛みを感じることもなく、息切れが起こるといった気づきやすいことは何もありません。

しかし、血糖値(血液中のブドウ糖の値)が高い状態が長期間続くと、血管細胞の新陳代謝が低下して、徐々に血管が硬くなり、弾力性も弱くなっていきます。

これは古くなったゴム管がボロボロになっていくのと似たような状態で、もろくなった血管は元には戻りにくく、細胞に新鮮な酸素と栄養素が充分に送られなくなります。

また、細胞から排出された二酸化炭素と老廃物の処理も遅れるようになって、全身の細胞に影響を与えることになります。

糖尿病の三大合併症である網膜症、腎症、神経障害は、網膜、腎臓、神経細胞という細くてもろい細小血管が密集している器官で起こります。これらの弱い血管は高血糖の影響を受けやすく、障害も出やすくなっています。

血糖値を低下させるホルモンのインスリンは膵臓から分泌されていますが、膵臓は活性酸素に侵されやすい器官であるため、高血糖によって機能が低下していきます。

膵臓の機能が低下すると、インスリンの分泌量が減るために、ますます血糖値が上昇しやすくなり、活性酸素の発生量が増えるというように悪循環になっていきます。

糖尿病患者の尿を検査すると、一般の人よりも抗酸化成分のビタミンやミネラルなどの量が少なくなっています。これは抗酸化成分が使われて減少した結果といえます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ボロは着てても心の錦」は、水前寺清子が歌う「いっぽんどっこの唄」のキーワードにして歌い出しの印象的な歌詞です。

そのインパクトのおかげで、3秒だけ聞けば曲名がわかるというテレビ番組の絶好のネタとなっています。

「いっぽんどっこの唄」は、1966年にリリースされて、累計売り上げが100万枚を記録するミリオンセラーです。作詞は星野哲郎さん、作曲は富侑栄さんで、お二人には日本コロムビアとクラウンで何度かお会いしています。

星野哲郎さんは戦後歌謡界を代表する作詞家の一人で、水前寺清子の楽曲は9曲を手がけていますが、その2年後にリリースされた「三百六十五歩のマーチ」の作詞家でもあります。

「三百六十五歩のマーチ」の作曲家は、私の恩人の一人の米山正夫先生です。

「いっぽんどっこの唄」の作曲家の富侑栄さんは、水前寺清子(9曲)のほかに、三波春夫、村田英雄、美空ひばり、こまどり姉妹、北島三郎、舟木一夫、笹みどり、都はるみ、天童よしみなど、懐かしの名曲特集などでは何度も目にしている名作曲家です。

「いっぽんどっこの唄」の歌詞では「ぼろは着てても こころの錦」となっています。

ここでは「ボロ」と書いていますが、これは読みやすさでカタカナを選んだだけで、特段の意味もなしに初めは書きました。しかし、この連載コラムでボロの意味合いを考えていくうちに、「ボロは着てても心の錦」として、よかったと感じるはずです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「生姜の日」永谷園が、奈良時代から神様に生姜の感謝を捧げるのが6月15日であったことから制定。

「オウムとインコの日」オウムやインコと愛情を持って接することをすすめるTSUBASA(埼玉県新座市)が、供養と鳥の幸せを願う日としてオウム(06)インコ(15)の語呂合わせで制定。

「ポスチャーウォーキングの日」POSTURE WALKING協会が、ポスチャースタイリストのKIMIKOがTHE POSTUREを設立した2006年6月15日にちなんで制定。

毎月15日:「お菓子の日」(全国菓子工業組合連合会)、「惣菜の日」(日本惣菜協会)

“そうめん”と“ひやむぎ”の違いを説明するというのはテレビ番組の「○○に叱られる!」のネタになりそうなテーマですが、“そうめん”と“ひやむぎ”が同じものであって、地域で呼び名が違うと思っている人も少なくありません。

“そうめん”(素麺)は小麦粉を塩水でこねて生地を作り、油を塗りながら細く延ばす製法で作った麺で、“ひやむぎ”(冷麦)は生地を麺棒を使って薄く延ばして細く切る製法で作った麺です。製法が違うので、違うものであるのは明らかです。

今では“手延べ”と表示されていないものは機械で製造されていて、JAS(日本農林規格)によって分類されています。“そうめん”は直径1.3mm未満、“ひやむぎ”は直径1.3mm以上1.7mm未満と定められています。

太さによって分類できるなら、製法がわからなくても見分けがつきそうな感じがします。ところが、この違いは機械製法の場合で、手延べの場合には“そうめん”も“ひやむぎ”も直径1.7mm未満とされています。

ちなみに、機械製造でも手延べでも直径1.7mm以上のものは“うどん”と分類されています。うどんの伝統的な製法は、ひやむぎと同じ生地を麺棒を使って薄く延ばして細く切るという作り方になります。

こういった説明ではなくて、別の説明をした有名な料理評論家がいました。「上品なものが“そうめん”、そうでないものが“ひやむぎ”」ということで、“そうめん”は「おそうめん」と呼ばれるのに“ひやむぎ”は「おひやむぎ」とは呼ばれないという“味がある”説明で、“お”がつくものは上品な食べ物とされていたというのです。

ということは、「おうどん」も「おそば」も上品な食べ物ということになるのですが、「はたして庶民の感覚はいかに」と疑問も湧いてくるところです。
〔小林正人〕

病院給食の委託会社よりも、もっと強く「病院給食の敵」と言われていたのは、健康食品でした。

臨床栄養の世界では、それぞれの人の状態を把握して栄養摂取の指導をしてきました。入院患者なら、病院側のスタッフで健康食品の摂取をチェックすることは可能でも、通院患者となると不可能な状態です。

栄養指導をしても、「このお茶を飲んでいるから」「この健康食品を飲むと食事制限をしなくても血糖値が下がる」といった患者が多いという話は、健康食品を敵とみなしている現場では、よく耳にしていました。

そのようなことを栄養指導のときに栄養士に話す患者は少数派で、ほとんどは隠れて、こっそりと使っている現状がありました。

治療食で好結果が出ても、栄養指導のおかげなのか、他にも使っているものがあるのかわからない状態では、敵を潰そうとする声が出る(声だけでなくて手も出るようなこと)のもわからないではありませんでした。

ところが、国の規制緩和(海外からの外圧)によって、従来は医薬品だったビタミン、ミネラル、アミノ酸、ハーブが食品としても使うことができるようになりました。

さらに、2001年からは医薬品の成分であったコエンザイムQ10が食品でも使えるようになって、これに続いてL–カルニチン、α–リポ酸も転換されることがわかってきてから、もう敵ではなくて、味方に取り込まなければならない時代となりました。

敵として戦うよりも取り込んでしまえばよい、という発想が湧き上がってくるのは当然のことです。

2002年に厚生労働省から保健機能食品等のアドバイザリースタッフの養成の通知が出されたときに、初めに手をあげたのは日本臨床栄養協会(臨床医と病院栄養士で構成される団体)でした。

サプリメントアドバイザーという資格認定名を、どの団体が取得するのかということはアドバイザリースタッフの検討が始まったときからの関心事でした。

日本臨床栄養協会の当時の副会長(栄養士のトップ)は、私が所属していた病院栄養管理の研究所の所長でした。私は、アドバイザリースタッフの通知の委員会に送り込まれていました。

このことが、私が臨床栄養とサプリメントという両方の業界とバランスを取りながら長く付き合ってくることができた理由(秘密)の一つです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

血液中のLDL(低比重リポ蛋白)の増加と同時に動脈硬化を進める原因となっているのが活性酸素です。

コレステロールは全身の細胞の材料であり、ホルモンや胆汁酸の原料となるなど健康維持に欠かせないものです。それを運ぶLDLも必要なものであるので、血液中にLDLが多くなっても白血球の一種であるマクロファージが取り入れて処理するようなことはありません。

ところが、LDLが活性酸素によって酸化すると変化した酸化(変性)LDLとなり、これをマクロファージは異物と認識します。そのため、マクロファージが内部に取り入れて処理する貪食を始めます。

マクロファージは限界まで酸化LDLを貪食すると活動を止めて、血管の内壁に潜り込みます。これが長く続くと、だんだんと血管壁が硬くなり、内側に盛り上がって血管の内径が狭くなっていきます。

これが動脈硬化の大きな原因とされ、血管が狭くなって血流が低下することになるため、全身に影響が出るようになります。

この狭くなり、硬くなった状態で血栓ができると血管が詰まりやすくなります。血管が詰まると、そこから先には血液が送られなくなり、先の細胞が死んだり、臓器の機能が大きく低下することになります。これが心筋梗塞や脳梗塞の原因となっています。

血栓が詰まったところが脳や心臓の血管であれば、死にもつながりかねません。また、血栓が詰まったところに強い圧力がかかると、血管が破れて大出血が起こり、やはり死につながることにもなります。

動脈硬化はLDLが血液中で多くなりすぎることだけではなく、活性酸素によってLDLが酸化することが問題であり、活性酸素が体内で多く発生しないようにすることが血管を守ることになる、ということです。

また、活性酸素は血液中に多くあることから、活性酸素そのものによっても血管は傷つけられ、弾力性が失われていきます。これだけでも血流が悪くなるのですが、血液中の中性脂肪も活性酸素によって酸化することで血液がベタつくようになり、ますます血流が悪くなっていきます。

酸化した中性脂肪はアテロームと呼ばれる粥状の脂肪となって、血管壁に付着することで血管壁の細胞を劣化させていきます。これも動脈硬化の原因の一つとなっています。

血流が低下することは、免疫にも大きな影響を与えます。がんを抑える免疫細胞の白血球とリンパ球は血液中を流れていて、血流が悪くなると必要なところに到着するのが遅くなります。

道路が渋滞していたら、消防車の到着が遅れて、ボヤで消せるはずの火事が全焼にもなりかねません。それと同じようなことが起こって、がん細胞の増殖が進んでいくことになります。

血液中にブドウ糖や中性脂肪が増えすぎると血管内が混雑した状態になります。また、ブドウ糖も中性脂肪も血液中で多くなると赤血球を接着させる作用があり、流れにくくなって、ますます渋滞がひどくなって免疫が低下していくことになります。

活性酸素を消去することは、こういったことを解決するため、健康の維持には欠かせないことがわかります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ボロは着てても心の錦」は、たとえ襤褸を着ていても心の中は錦を着ているように美しいということで、外見よりも中身(内面)が大事だということを意味しています。

正式な用語としては「襤褸を着ても心は錦」となるのでしょうが、水前寺清子が歌唱したヒット曲「いっぽんどっこの唄」のおかげ(せい?)で、「ボロは着てても心の錦」のほうが広く知られています。

襤褸(ぼろ)はボロボロの衣服のことで、錦(にしき)は金糸・銀糸や数々の色糸を用いた織物のことです。

錦は美しい、綺麗だというだけでなく、豪華なもの、鮮やかな糸によって描かれる文様を指しています。

襤褸については「今日の襤褸、明日の錦」という表現があるように、「今はボロを身につけているが、努力を怠らなければ苦労が実って、そのうち美しい衣服を着るほど出世できる」ということを指しています。

つまり、ボロとは苦労の“別称”であって、決して軽蔑するような“蔑称”ではないということです。

よいことが起こるという前向きな意味を「ボロは着てても心の錦」には込められているのですが、その一方で「人生は浮き沈みが激しく、また人の運命も定まりにくく変わりやすい」という意味合いも含んでいます。

努力をすれば苦労は報われるものの、その努力を怠ると、また襤褸を着るような生活に戻りかねないという恐ろしい意味合いもあるのですが、「いっぽんどっこの唄」は、そこまでのメッセージは含まれていないはずです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害者の支援は、発達障害がある人への直接的な支援だけでなく、その人が発達障害者として生きにくい状況を作り出している社会的障壁を取り除くことも同時に行う必要があります。

これについては発達障害者支援法の第二条の二に「基本理念」として示されています。

基本理念の初めには、「発達障害者の支援は、全ての発達障害者が社会参加の機会が確保されること及びどこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないことを旨として、行わなければならない。」と書かれています。

この中で注目されるのは「地域社会において他の人々と共生することを妨げられない」という部分で、共生することが妨げられるようなことがあってはいけないということが述べられています。

これを受けて、「発達障害者の支援は、社会的障壁の除去に資することを旨として、行わなければならない。」と書かれています。

発達障害がある人への支援というと、その状態が明らかになったときに初めて支援として実施される発達障害児支援施設が思い浮かべられることが多くなっています。

その施設での支援が主となっているように思われがちですが、この支援によって状態が改善されたとしても、それは個人の状態の改善にとどまっています。

その支援の内容については、「発達障害者の支援は、個々の発達障害者の性別、年齢、障害の状態及び生活の実態に応じて、かつ、医療、保健、福祉、教育、労働等に関する業務を行う関係機関及び民間団体相互の緊密な連携の下に、その意思決定の支援に配慮しつつ、切れ目なく行われなければならない。」と書かれています。

この支援によって状態の軽減などの改善がみられたとしても、社会的障壁が改善されていなければ、発達障害者支援法が目指している発達障害がある人の本当の意味での支援にはなっていないということが示されているのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕