投稿者「JMDS」のアーカイブ

私たちが資格認定講習として長く続けてきたのは、ダイエット講習とサプリメント講習という一般受けする内容です。

講習を終えて、試験も済んだ後に感想を寄せてくる資格認定者もいますが、その中で多いのは「最近、ダイエットの話題をメディアで目にする機会が増えた」「サプリメントの話題が増えている」といったことです。

ずっと情報収集をして、情報発信と講習をし続けてきて言えることは、少しも情報量は増えていないということです。

情報量は変わっていなくて、むしろ情報の内容が乏しくなっているようにも感じることもあります。

それなのに、学んだことの話題が増えているように感じるのは、これまで素通りしていたことが、講習で学び、資格を取得したことで目にも耳にも飛び込んでくるようになり、記憶にも残るようになったからです。

これこそが私たちが求めていることで、「講習に続く認定試験は大学で言えば卒業試験の位置づけではなくて入学試験の位置づけ」という考え方をしています。

講習で得た基本的な知識を元にして、入学後に学ぶことのほうが多くて、見聞きした情報が正しいのか、自分に適しているのかを判断できるようになってほしいのです。

そのことを強調するくらい、テレビでもネットでも困った情報が多く発信されています。何かおかしいと感じたときには、いつでも相談・質問をしてもらえるように認定者との情報交流は続けています。

そのサービスが行き過ぎてしまい、サービスのつもりが錆(さび)にもなりかねない、でも続けていくということを伝えるために「身から出たサービス」という諺(ことわざ)をもじった言葉を使って伝えているのです。
〔小林正人〕

「なすび記念日」冬春なす主産県協議会が、よ(4)い(1)な(7)すの語呂合わせで制定。

毎月17日:「減塩の日」(日本高血圧学会)、「いなりの日」(みすずコーポレーション)、「国産なす消費拡大の日」(冬春なす主産県協議会)、「森のたまごの日」(イセ食品)

私は寺院の出身で、子どものときから何度も京都の本山に連れて行ってもらい、自分でも出かけていたこともあって、京都の人たちの“歓迎モード”には慣れていたつもりでした。

それが京都の周辺にも行くようになり、県民性(京都の場合は府民性?)が徐々にわかってくると、なんとなく違和感を感じることもありました。

京都で宿泊すると、古式ゆかしきとは言わないものの出迎えてくれる方々、接待してくれる方々の独特の雰囲気が京都人の特性だと感じていたこともあったのですが、それは違っていることを指摘してくれたのは京都の出版社の東京事務所の編集者でした。

ほとんどの編集部員は京都出身で、京都人らしい雰囲気がありました。東京に出てきた大阪人のように大阪丸出し(わざと大阪出身らしく話す)ということはないものの、京都にいるときよりも京都を意識した話し方をしているという雰囲気はありました。

これは京都に限ったことではなくて、観光地では当地を訪れる方々のイメージに合わせて振る舞う(演じる)ところがあります。イメージを崩さないように、あえて県民性丸出しにして接してくる地域もあります。

それは当地の旅館などで働く人が、地元出身ということが多いことから、京都の宿泊施設では京都の人が迎えてくれていると思い込みがちです。それが違っていることを教えてくれたのも京都出身の編集者でした。

経営者や女将、支配人などは京都の人であっても、その下で働く人は実は奈良の人が多いということを聞きました。同じ言葉をかけられても、京都の人と奈良など周辺地域から働きに来ている人とでは意味合いが違っているということも教えてもらいました。

もっと遠いところから京都に来たことを知ったときに、「遠いところから来てはるんですね」と言われたとすると、京都に働きに来ている人の気持ちは「遠くから来てくれてありがとう」という意味合いだということです。

ところが、京都出身の方の中には「田舎者」という気持ちがあるということを聞かされました。本当に遠くから来てくれたことを感謝しているときも、田舎者扱いしているときも、言葉も一緒、態度も一緒ということで、それを受ける“田舎者”としては、どのように思われていても気にしないようにしようと思ったものです。

京都で宿泊して滞在する期間は、人生の中では、それほど長くはないのですから。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

感情は表に出さないのが美徳とされた時代があり、これこそが日本人の特徴とされたことがあります。これはネガティブな感情のことで、ポジティブな感情は、むしろ表に出したほうがよいとの考えもあります。

ポジティブな感情というと、喜び、愛情、安らぎ、気分のよさといった感情で、これを表に出すことによって、よりよい結果に導いていくことは心理的ウェルビーイングと呼ばれています。

ウェルビーイング(well-being)は、「身体的、精神的、社会的に良好で、すべてが満たされた状態」を指しています。この良好の3要素のうち、精神的な部分がピックアップされたのが心理的ウェルビーイングと説明されることが多いものの、身体的な面も社会的な面も心理状態に大きな影響を与えています。

心理的ウェルビーイングは、創造性も生産性も高く、成功率が高まるということが言われます。ポジティブな感情で過ごすことは大切なことであっても、それが表に現れないことには周囲に伝わりにくく、自分にとっても感情を高めにくくなります。

ポジティブな感情で過ごしているときには、表情を豊かにすることで、ポジティブ感が高まります。

「嬉しいから笑顔になるのではなく、笑顔だから嬉しくなる」と言われることがあり、生き方や考え方を改めることを目的として掲げる集まりなどでは、よく耳にすることです。“嬉しい”の部分は“楽しい”に言い換えられることもありますが、笑顔は波のように伝播していきます。

ここで感情について書くのは、表情に現れないように隠すことではなく、事実を忘れるようにすることによって、感情を表に出さないようにしている人がいて、感情が見抜けないために失敗することがあり、それを伝えたいという気持ちがあるからです。

笑顔は大きな表情であって、笑顔の裏にある“微表情”が見抜きにくくなることはありますが、隠れた表情(実は隠れていない、見抜くことができる表情)を知ることによって、笑顔の真実を知ることができるようになります。

その真実は、「微表情の瞬間」を見抜く方法として徐々に明らかにしていきます。
〔小林正人〕

「エスプレッソの日」デロンギ・ジャパンが、イタリア国際カフェテイスティング協会のイタリアエスプレッソデーを日本で行った日にちなんで制定。

「女子マラソンの日」1978年4月16日に東京・多摩湖畔で日本で初めて女子フルマラソン大会の第1回女子タートルマラソン全国大会が開催されたことにちなんで制定。

毎月16日:「十六茶の日」(アサヒ飲料)、「トロの日」(カッパ・クリエイト)

京都の方に「考えとくわ」と言われて、これを真に受けて、考えがまとまるまで待ち続けていたら、何も考えられていなかった、初めから考えるつもりもなかったというのは、京都人の気質を知っている人には当たり前にも思えることです。

「考えとくわ=お断り」という独特の言い回しが理解できていれば、間違った対応をすることはなくなるところですが、京都人の全員が同じ反応をするわけではありません。そのため、「考えておく」と言って、本当に考えていた場合には、そのチャンスを逃すことにもなります。

このようなことは、特に間違いやすい言葉づかいには注意に注意を重ねて対応しておかないと、とんだ間違いをしかねません。

こういった間違いやすい言葉づかいの実態を明らかにしている媒体といえば文化庁の「国語に関する世論調査」が最も有名です。

この調査で浮かび上がってきた言葉づかいの中で、京都の方々との付き合いで失敗談が多く報告されているのが「やぶさかではない」です。

「やぶさかではない」は「やぶさか」と「ではない」の2つの言葉で構成される表現です。「やぶさか」(吝か)は、ケチ、物惜しみをする、やりたくない、気が進まない、ためらうといった思い切りの悪い状態を表す言葉です。

物事に対して、消極的で後ろ向きの様子を意味する「やぶさか」を「ではない」と否定している「やぶさかではない」は前向きに対処する、喜んで対処するという積極的に行うという意味になります。

ところが、「やぶさかではない」を仕方なくする、納得していないが承諾するというように本来の意味とは異なる(間違った)使い方をしている人が多く存在しています。

「やぶさかではない」が「国語に関する世論調査」で初めに取り上げられたのは2013年のことで、正しい意味(喜んでする)で捉えているのは33.8%であるのに対して、間違った意味(仕方なくする)で捉えていたのは43.7%にもなっていました。

全国平均でも、この多さであるので、本音を出さない気質がある人については、どのような感覚であるのかを確認しておかないと、思いもしないような読み間違いをすることになりかねないということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害がある人のための支援については、複数の法律(発達障害者支援法、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律など)が定められていて、それに基づいて改善のための支援が実施されています。

法律に定めに従った支援は重要であり、的確な支援が実施されていれば、それで発達障害がある人の困難さが解決されるのかというと、そうではないことは発達障害者(18歳未満は発達障害児)本人、その家族、そして実際に支援に携わっている人(児童発達支援事業所や放課後等デイサービスの担当者、支援に関わる自治体や地域の団体の方々など)は認識していることです。

どんなの改善の効果があったとしても、完全に定型発達(発達障害ではない状態)と同じようになるわけではないことは、発達障害の特性を知れば理解できることです。発達障害の特性は、生涯にわたって継続するものであり、程度の差はあっても本人の困難さは必ず続いています。

そこが理解されていないと、本人や家族の悩みは、いつまでも解決されないままです。生活に関わる場所に出かけないわけにはいかず、そこにいる方々と接しないわけにはいかないだけに、その接する方々の理解と対応は重要です。

その対応が的確でないことは、本人や家族を苦しめることであり、その加害者にもなりかねません。しかし、加害者であることに気づかず、普通に接しているつもりの行為が、実は発達障害がある人を苦しめていて、さらに発達障害の状態を強めることにもなります。

そのような状態の改善を目指して、発達障害のサポーターの活動を進めていますが、この接する側の改善が、発達障害がある人の改善にもつながる可能性があるということで、改善のための理解が進み、優しい地域となることを望んでいます。

発達障害がある人と接する方々の状況に合わせて、注意すべき点は異なってきます。発達障害やハンディキャップがある人に限らず、多くの人と接する立場の人の理解と行動が、優しい街づくりの基本である強く認識しています。
〔発達の伴歩:小林正人〕

〔2026/4/15〕
長いものの喩えとして“お経”があげられます。
タイトルのSMLを長さに当てはめると「Short、Middle、Long」となりますが、お経がLならSは、今回のお題の「般若心経と正信念仏偈」となりそうです。

私が寺院(新潟県出雲崎町)の出身だということがわかると、お経を読めるかとまでは聞かれないとしても、般若心経について聞かれることはよくあります。般若心経は寺院関係者でなくても全文が262文字だけなので、入門編として唱えている人も普通にいます。

般若心経が読めるかと初めて聞かれたのは中学2年生に転校した学校で、同級生からでした。そして、彼は全文を読んで、私が一緒に読むのかと思っていたそうですが、私といえばキョトンとして聴いているだけでした。

今どきはネット経由で動画でも見ることができるので、どんなものなのかは簡単にわかります。三蔵法師(玄奘三蔵)が膨大な経典(600巻ともされる)を翻訳して書き上げたもので、この中に大乗仏教のエッセンスが凝縮されています。
般若心経を読めなかったのは、私が育った寺院が浄土真宗だったからです。般若心経を読まないのは他には日蓮宗がありますが、浄土真宗とは理由が違っています。

般若心経は自力で煩悩を断ち切ることを重視していて、自力本願の発想です。それに対して浄土真宗は他力本願で、阿弥陀如来の力によって救われ、亡くなってからは即座に極楽浄土に行くことができるとの教えです。唱えるのは「南無阿弥陀仏」の6文字です。
浄土真宗には宗祖の親鸞聖人の著書『教行信証人』の最後に書かれた七言120句(7字×120行)840文字の正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)があります。お経ではないのですが、勤行(毎日のおつとめ)や葬儀などで読まれています。

阿弥陀如来の徳を讃え、親鸞聖人が阿弥陀如来によって救われたことが述べられていて、すべての人が同じように阿弥陀如来によって救われて幸せになってほしいという願いが綴られています。
〔小林正人〕

「いちご大福の日」早稲田大学いちご大福研究会が、よ(4)いいち(1)ご(5)の語呂合わせで制定。

「良いコラーゲンの日」資生堂ジャパンが、良(4)い(1)コ(5)ラーゲンの語呂合わせで制定。

「よい酵母の日」日健協サービス(埼玉県鴻巣市)が、よ(4)い(1)酵(5)母の語呂合わせで制定。

「からあげクン誕生日」ニチレイフーズとローソンが、からあげクンが誕生した1986年4月15日にちなんで制定。

毎月15日:「お菓子の日」(全国菓子工業組合連合会)、「惣菜の日」(日本惣菜協会)

私の妻は京都生まれで、名前も京都に因んでいます。両親ともに岐阜県の高山地方の出身で、父親が京都大学で学び、教える立場であったときに暮らしたことなので、“京都人”という雰囲気は容姿以外には(?)感じられません。

京都の気質は、京都に居続けている人に脈々と受け継がれているもので、そこを離れて暮らしていると徐々に薄れていくと言われています。

しかし、京都の気質を言い表す「伝統と進取の気風」は京都を離れても続くところがあり、特に京都出身者だけでなく京都で学んだ方々にも強く残っているようです。

京都大学は研究成果では日本第一の実績があり、さらに異能の才能を生み出すことでも知られています。これは今も続く伝統のようなもので、私の義父は京都大学で薬学博士となり、薬を使わないで済む健康づくりの研究を生涯にわたって続けていました。

私と1歳違いの親戚は、京都大学で宇宙工学を学び、のちにインターネット総合研究所を設立して東証マザーズ上場第1号として注目されましたが、今でもネット社会の根幹を担っています。

わずかな身近な例だけでなく、仕事で付き合ってきた京都出身者(京都府というよりも歴史的な京都の中心地出身)、京都大学出身者も「伝統と進取の気風」に溢れた方が数多くいました。

そんな京都の方々と付き合ってきて、独特の言い回しには今でも理解しにくいところがあり、根幹を見誤らないようにすることには気を使ってきました。そこが読めなかったために、京都の方々との交流がうまくいかなかった例も随分と見てきました。

普通であれば「考えておく」と言われたら、それは前向きの姿勢であり、少なくとも興味がないというような意味の言葉ではないはずです。

ところが、京都の方に「考えとくわ」と言われたら、これは「お断り!」を意味します。それも消極的というよりも「!」がつけられるような意思表示です。

これが理解できたところで、次に困惑させられるのが「考えてみてや」です。これを真に受けて、会議の後に反省をして、新たな提案をしても素通りされることにもなります。それは「考えてみてや」が「やめてくれ」の意味だとわかっていないから起こることです。

強めに「考えてみてや!」と言われたら、「やめてくれ!」と!をつけて言われたのと同じなので、これは引き下がるしかありません。

では、よく会話に出てくる「よろしいなあ」は、少しは受け入れてくれる気持ちがあるのかと思いがちですが、京都の方々にしたら「あ、そう」といったくらいのニュアンスです。これも理解していないと、無駄に期待してしまうことにもなりかねないのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕