「何をしたかではなく」に続く言葉

「何をしたかではなく」に続く言葉は「何のためにしたか」で、これは山本周五郎の短編小説を映画化した「雨あがり」で主人公の武士の妻が口にしたことです。
ある藩が剣術指南として召し抱えようとしたものの、掛け試合(剣術道場で金を掛けた試合)をしたことがわかって武士にあるまじき行為と断りにきた家老に対して、「人は何をしたかではなく、何のためにしたかです。あなた方のような木偶の坊にはわからないでしょう」と言い放った言葉が胸に刺さりました。
妻も掛け試合を嫌っていましたが、このたびの掛け試合は、困っている人を助けるためであったということで、それがわからない人たちに対しての言葉です。
結果だけを見て、何のためにしたのかが判断できない人、この場合や上司や上役のことですが、これは江戸時代に限ったことではありません。結果を見て、自分勝手に判断して、それを周囲の人たちが否定もしなければ意見を言うわけでもない、ただ上に従うという会社を数多く見てきました。その会社が後に、どんな結末になったかということも。
そのような判断しかできない経営者と組織からは、社員や取引先に裏切られたということを口にすることがあるのも数多く見てきました。そのほとんどは、社員が何を考え、どんな判断をして行動を起こしたかを判断できずに、売り上げの上下や営業先を回った件数、働いた時間しか注目していないと、社員が感じているプレッシャーやモチベーションなどの重要な気持ちが理解できなくなります。
自分が理解できないのは、誰のせいでもなくて自分のせいであることも気づかず、自分の判断基準が社員や取引先を傷つけていたことに、社員がライバル会社に移籍したり、重要な取引先がライバル会社に切り替えたということがあっても、まだ気づいていないという例もあるのです。これ以上書くと、どこのことだかわかってしまうので、これくらいで止めておくことにします。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)