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「ビフィズス菌の日」江崎グリコがビフィズス菌の発見が発表された1899年12月2日にちなんで制定。

「デーツの日」オタフクソースがナツメヤシのドライフルーツのデーツの認知のために12月(December)と数字の2の組み合わせでデー(D)ツ(2)と読むことから制定。

歩くことは、ほとんどの人が可能な最も挑戦しやすい運動で、自由に始めることができるものの、一定の距離や時間を目的にするためには、日本ウオーキング協会が主管するウオーキング大会は意義があるものでした。

大規模な大会や市町村内などの例会は、自治体の住民だけでなく、医療関係者にとっても大切な場でした。検査によって血圧、血糖値、中性脂肪値などで異常が認められると、生活習慣の改善として医師から歩くことがすすめられます。

どのような歩き方をすればよいかは医師から示されることは少なく、リハビリなどの運動スタッフからも的確な歩き方を示されることは極めて少ないという実態があります。その代わりに、医師などからウオーキング大会への参加がすすめられることもあります。

しかし、大会はお祭りの意味合いがあることから正しい歩き方を指導する場ではなく、例会においても生活習慣病の対策のための正しい歩き方が示されることはありません。

日本ウオーキング協会は健康ウオーキング指導士などの資格認定教育を行っていますが、その内容はウオーキングイベントの実践のための知識が中心で、健康面の項目も安全にイベントを開催するための全体的な話であって、それぞれの生活習慣病に適した歩き方を学べる場とはなっていませんでした。

参加する各人の状態や目標などに合わせた的確なウォーキングスタイル、適した歩き方を身につけることができる新たなウォーキングの場が求められていることから、その実践の場として健康をテーマとしたウォーキングの活動を岡山県内で始めてみました。

実践してみてわかったのは、ウォーキングに参加したいと願っている方々は、歩く技術だけでなくて、医学、医療、介護、運動科学、栄養学など求める範囲は広く、個人によって特に知りたいことが異なっています。

イベントとしてのウォーキングは、団体や自治体などに任せることにして、個人の希望に合わせた歩き方として生活習慣病の予防と改善、ダイエット目的など、狭い範囲の目的に合わせたウォーキングの普及を始めました。

その狭い範囲の活動は、私の体調もあって充分とはいえないものの、メディカルダイエットを補う程度であれば、自分が歩ける限りは続けられそうということで、毎日、違った歩き方の研究を続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

人間の能力は、誕生したときから徐々に高まっていって、ピークに達した後は徐々に低下していくというのが通常のパターンです。これは筋肉や臓器などの成長でも機能においても同じような曲線を描いて変化しているのですが、一つだけ例外といえること(能力)があります。

それは脳の能力であり、同じ呼び名(脳と能)が続くので、混乱がないように「脳力」と表記しています。

脳力は脳が発揮する力のことで、頭脳の力と言い換えられてもいます。一般には記憶力、集中力、判断力といった能力を指していて、これらは脳細胞の回路のつながりが大きく影響を与えています。

脳の記憶容量は神経細胞の数が第一条件で、信号を受け取って別の神経細胞に伝えていく能力の掛け算で最大能力が推定されます。コンピュータにたとえると、記憶容量と記憶の出し入れの速度ですが、優れた神経細胞が数多くあっても、神経細胞がバラバラになっていて、つながりがない状態では、せっかくの能力が活かされないことになります。

脳の神経細胞は脳を使うほど神経細胞がつながっていって、脳のネットワークが高度(高密度)になっていきます。神経細胞の回路がつながることによって、情報の伝達が速くなり、記憶力も高まっていきます。

また、計算や記憶、思考などばかりではなくて、無意識のうちに身体を動かすときにも脳が働いていて、身体を動かすことによっても脳力(脳の機能)は高まっていきます。若いときから身体を動かすこと、年齢を重ねてからも身体を動かすことは、脳力を高めるため、脳力を保つためにも必要なことです。

年齢を重ねるにつれて身体活動が減ってくることも、脳機能の低下の原因の一つと考えられているのです。そして、運動習慣を欠かさなければ、年齢を重ねても脳力が高まる可能性があるということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「いのちの日」厚生労働省が自殺予防活動の一環として、いのちの電話の普及のために制定。

「カイロの日」日本カイロ工業会が使い捨てカイロの需要が高くなる12月の最初の日を制定。

「ワッフルの日」新保哲也アトリエ(兵庫県神戸市)がワッフル(ワン=1、フル=2)の語呂合わせで制定。

「市田柿の日」市田柿発祥の里活用推進協議会(長野県高森町)と市田柿ブランド推進協議会(長野県飯田市)が市田柿は12月が出荷月で市田(いちだ=1)の語呂合わせで制定。

「カレー南蛮の日」朝松庵(東京都目黒区)がカレー南蛮を広めた2代目店主の角田酉之介の誕生日にちなんで制定。

「明治プロビオヨーグルトR−1の日」明治が明治プロビオヨーグルトR−1が発売された2009年12月1日にちなんで制定。

「沖縄産コーヒーの日」沖縄コーヒーアイランドが沖縄で初めてコーヒーの木が植えられたのが1875年12月であったことと、沖縄産コーヒーは12月から実の収穫シーズンになることから12月1日を制定。

毎月1日:「あずきの日」(井村屋グループ)、「釜めしの日」(前田家)、「Myハミガキの日」(ライオン)、「もったいないフルーツの日」(ドール)

ウォーキングには特別に意識することもなく、健康づくりの一環として付き合ってきましたが、本格的に仕事として取り組むようになったのは、私が日本健康スポーツ連盟になったときからでした。

日本健康スポーツ連盟は健康づくりの環境構築に取り組む公益財団法人で、多くの健康スポーツ団体と連携をしていました。私と同時期に理事になったのが、当時は日本ウオーキング協会の常務理事であったことから、同協会のサポートもするようになりました。

外から見ていたときと、中に入って見た印象には違いがあって、その中でも気になったのは日本ウオーキング協会が強く打ち出していた歩行距離を競うイベントのあり方でした。目標距離は地球1周分の4万kmで、日本ウオーキング協会が主管するウオーキング大会で歩いた公式の距離だけがカウントされていました。

これでは新たに参加した人は、前から参加している人を追い抜くことがほぼできません。ウォーキングは早く歩いたから、先に到着したからといって優劣がつけられるものではなく、あくまで記録されるのは距離だけです。

そして、最終目的の4万kmを目指して、一定の距離を歩いた人が段階的に表彰される制度を設けていて、これが参加者を離さない集客システムとなっていました。

ウォーキングは、さまざまな手法がある中で、日本ウオーキング協会が採用しているのはマーチングリーグというオランダを発祥とする集団で長距離の完歩を目指すタイプのウォーキングスタイルでした。

多くの人が同じ目的地に向かってリーダーに従って行動する方式で、ウオーキング大会では、できるだけ長い距離を歩くことから、まるで行軍のようだと言われることもありますが、由来から考えたら当たり前のことでした。

全国でイベントを開催するために、日本ウオーキング協会を頂点として全国に都道府県協会、各都道府県の市区町村協会の地域団体が組織化されています。全都道府県では日本ウオーキング協会の主管のもとに、各自治体が主催者となって大規模なウオーキング大会が開催され、都道府県協会の協力のもとに実施されてきました。

この組織的な活動は、日本人の健康度を歩くことによって高めることには一定の貢献をしてきました。しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって自治体主催のウオーキング大会は軒並み中止となり、市区町村協会の例会としての活動も縮小となりました。

その猖獗の3年が過ぎて、ウオーキング大会が徐々に再開されていきましたが、以前のように1年間に全国で延べ220万人以上が参加するという状態に戻ることはありませんでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

出身地で身につけた対人関係のテクニックは、生涯にわたって影響を与えるものです。特に初対面の人に対しての触れ合い方については、出身地を把握しておくことで、比較的うまい付き合いができるようになります。

新潟県出身の私は、大学の入学のために東京に出るときに、県民性について親からも親戚からも、くどいくらいに言われたものです。その県民性は「忍耐強く頑張り屋で、仲間意識が強い」とか、「頼まれれば、どこまでも」という気質でした。

その気質を大事にして自分らしく生きていく、というのは過去の時代のことで、今から50年以上前のことではあっても「新潟県民への印象どおりに振る舞うことはない」ということも言われていました。

県民性は周囲の勝手なイメージという感覚もあったのですが、イメージどおりの人だらけということを感じたのは、仕事で京都に長めに(といっても1か月ほど)過ごしたときのことでした。

京都出身の方とは、東京では大学内でも仕事関係でも、かなりの数の人と触れ合ってきました。特に多かったのがPHP研究所の方々で、書籍の出版部門は東京にあっても編集部員のほとんどは京都出身の方々で、この方々と1995年までの15年間、合計150冊のゴーストライターをさせてもらい、週に2〜3回は通っていました。

また、ゴーストライティングのために会う方も、京都出身の経営者が多かったのですが、一般的なイメージの京都人とは違っていました。

ところが、わずかな期間の滞在であったといえども、京都で暮らしている京都出身の方々と交流をする中で、イメージどおりの対応をしてくることに、県民性、地域性は当地に居続けてこそ継続されるものなのかと感じたものです。

ここまではタイトルの「京都の言い回し」の前振りのようなことで、今回のテーマにある“強印象”は好印象の間違いとして例示されることが多いようです。

京都の好印象といえば、はんなり(優美な)とか伝統を大切にするということですが、それとは逆の強印象として「プライドが高くて、いけず」、「冷静な現実主義者で、したたか」などと言われることがあり、それを実感することもありました。

PHP研究所で仕事をしていたときに、出版の企画会議で、よく題材として出ていたのは「伝統と進取の気風」でした。それは京都企業の心意気でもあったのですが、この進取の気風は、実は“いけず”、つまり言いづらいことを遠回しに伝える表現と関係していることを強く感じるシーンがありました。

いけずの実際のシーンは、これから徐々に書いていくことにします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

12月1日
「いのちの日」厚生労働省が自殺予防活動の一環として、いのちの電話の普及のために制定。
「カイロの日」日本カイロ工業会が使い捨てカイロの需要が高くなる12月の最初の日を制定。
「ワッフルの日」新保哲也アトリエ(兵庫県神戸市)がワッフル(ワン=1、フル=2)の語呂合わせで制定。
「市田柿の日」市田柿発祥の里活用推進協議会(長野県高森町)と市田柿ブランド推進協議会(長野県飯田市)が市田柿は12月が出荷月で市田(いちだ=1)の語呂合わせで制定。
「カレー南蛮の日」朝松庵(東京都目黒区)がカレー南蛮を広めた2代目店主の角田酉之介の誕生日にちなんで制定。
「明治プロビオヨーグルトR−1の日」明治が明治プロビオヨーグルトR−1が発売された2009年12月1日にちなんで制定。
「沖縄産コーヒーの日」沖縄コーヒーアイランドが沖縄で初めてコーヒーの木が植えられたのが1875年12月であったことと、沖縄産コーヒーは12月から実の収穫シーズンになることから12月1日を制定。
毎月1日:「あずきの日」(井村屋グループ)、「釜めしの日」(前田家)、「Myハミガキの日」(ライオン)、「もったいないフルーツの日」(ドール)

12月2日
「ビフィズス菌の日」江崎グリコがビフィズス菌の発見が発表された1899年12月2日にちなんで制定。
「デーツの日」オタフクソースがナツメヤシのドライフルーツのデーツの認知のために12月(December)と数字の2の組み合わせでデー(D)ツ(2)と読むことから制定。

12月3日
「みかんの日」全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が、昔は蜜柑(みっかん)と呼ばれていたことから、いい(11)みっかん(3日)んの語呂合わせで制定。
「ひっつみの日」岩手県生めん協同組合が123のひいふうみが、ひっつみに語感が似ていることから制定。
「『暮らしに除菌を』の日」プラネット(大阪府和泉市)が1に手洗い、2にうがい、3に除菌で衛生的な生活を心がけてもらうことを目的に「いちにのさんで除菌」の標語から制定。
「妻の日」凸版印刷が1年間の労をねぎらい妻に感謝する日として1年最後の12月のサン(3)クス(Thanks)の語呂合わせで制定。
「プレママの日」日本トイザらスが、いい(1)にん(2)ぷさん(3)の語呂合わせで制定。
毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

12月4日
「血清療法の日」北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法を発表した1890年12月4日にちなんで制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

12月5日
「アルバムの日」ナカバヤシが12月に1年の思い出をアルバムにまとめる機会にしてほしいと、いつか(5日)時間ができたらと後回しにされることなくアルバムづくりをする日として制定。
毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

12月6日
「音の日」日本オーディオ協会がトーマス・エジソンが蓄音機フォノグラフを1877年の12月6日に発明したことから制定。
毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

12月7日
「世界KAMISHIBAIの日」紙芝居文化の会が国際交流を目指して創立日の2001年12月7日にちなんで制定。
毎月7日:「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「Doleバナ活動の日」(ドール)

12月8日
「アルバムセラピーの日」過去の写真や思い出のアルバムを使って自分自身を発見することで本当の自分の幸せを見つけるアルバムセラピーの普及をする日本アルバムセラピー協会が設立記念日の2015年12月8日に合わせて制定。
「有機農業の日」農を変えたい全国運動関西地域ネットワークが有機農業の推進に関する法律が成立した2006年12月8日にちなんで制定。
「ジュニアシェフの日」ベストアメニティ(福岡県久留米市)が食育の一環として子どもの料理教室などを推進するために12と8でジュニアシェフと読む語呂合わせで制定。
毎月8日:「お米の日」、「歯ブラシ交換デー」(ライオン)、「ホールケーキの日」(一柳)、「生パスタの日」(全国製麺協同組合連合会)、「にわとりの日」(トリゼンフーズ)、「スッキリ美腸の日」(日本美腸協会)

12月9日
「障害者の日」国際障害者年に定められた「障害者の日」にちなんで障害者週間(12月3日〜9日)から制定。
毎月9日:「クレープの日」(モンテール)

12月10日
「アロエヨーグルトの日」森永乳業がアロエヨーグルトを1994年12月10日に販売されたことから制定。
毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合)、「アメリカンフライドポテトの日」(米国ポテト協会)

「本みりんの日」全国味醂協会が、いい(11)みりん(30)の語呂合わせで制定。

「きりたんぽみそ鍋の日」きりたんぽみそ鍋協議会(秋田県秋田市)が11が囲炉裏に並ぶきりたんぽの形で、30(三十)がみそと読む語呂合わせで制定。

毎月30日:「EPAの日」(日本水産)、「サワーの日」(宝酒造)、「みその日」(全国味噌工業協同組合連合会)

私が所属していた病院栄養管理HDS研究所は東京・お茶の水駅が最寄りの神田明神の近くにあり、その当時は日本ウオーキング協会の前身団体の日本歩け歩け協会の事務所も神田明神の近くにあって、神田明神を挟んだ位置にあっても普通に歩いていける距離でした。

健康に関わる栄養とウォーキングという関係性から親しみを持って接していて、互いの事務所を行き来していました。

HDS研究所は厚生労働省の仕事もしていて、日本歩け歩け協会は環境省の所管に厚生労働省の共同所管を目指していたこともあって、厚生労働省で役員と会うこともありました。

歩くことを健康づくりの基本とすることは厚生労働省も望んでいたことで、当時の私は厚生労働省に関わる複数の団体の立ち上げや広報なども手掛けていたことから、日本歩け歩け協会にも頻繁に行っていました。

その当時から、超高齢化時代の健康維持にウォーキングをいかに活用するかは大きな研究テーマでした。

外出をして歩くことは健康維持の基本ですが、近年は歩行数が大きく減ったことによって、全年齢層の筋力低下、体力低下、心肺機能低下、生活習慣病の増加が懸念され、さらに高齢者については免疫低下、認知機能低下も叫ばれています。その不安に拍車をかけたのが新型コロナウイルスの感染拡大による外出の自粛でした。

歩く機会が極端に少ない状況では、筋肉の量は1日に1%が減少することが指摘されています。高齢者は特別な筋肉トレーニングをしない限りは、1年ごとに筋肉の量は1%ずつ低下していくとされていて、寝たきりのような状態で1日をいるだけで、1年分の筋肉が落ちていくことになります。

2週間も寝たきり状態だと高齢者は筋肉が23%減少して、若者の場合では28%も減少することが確認されています。外出自粛が3年も続き、この筋肉を元の状態に戻すためには、効果的な筋肉トレーニングであっても3倍以上の期間がかかります。

全身の筋肉量の70%ほどを占める足腰の筋肉量の低下は、さまざまな機能低下をもたらすことは明らかです。新型コロナウイルスの感染拡大による医療崩壊が懸念されましたが、医療機関の崩壊だけでなく、医療を受ける側が歩かないことによって医療崩壊、介護崩壊につながりかねないことも大きな懸念材料となりました。

誰も経験したことがない超高齢社会が進む中、医療と介護の重要性が高まり、従来の医療システム、介護システムでは支えきれないことが新型コロナウイルス感染拡大を通じて肌で感じられるようになりました。

感染拡大が収束して、元の生活に戻れば健康度も回復しするという甘い考えは通用しなくなります。それだけ長い期間の運動不足、歩行不足は身体にも社会にも大きな影響を与えてしまったのです。

その回復のためのアドバイスは、どこまでできるかわからないところがあるものの、できる限りはやりたいという思いです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省の「厚生労働白書」(令和2年版)の中で触れられている超高齢社会における社会の変容の中における働き場については今から4回前(活躍社会推進10)に紹介しました。

そのときから20年後の2040年(令和22年)には、高齢化率は35.3%(高齢者数3921万人)と推計されています。2020年では28.4%(3589万人)、30年前の1989年(平成元年)では12.1%(1489万人)であるので、急速に増えていることがわかります。

これだけの高齢者を支えるためには、そのための人材も増やしていく必要があります。これについては、1989年の医療・福祉の従事者は221万人(総就業者数の3.6%)であったのが30年で843万人(12.5%)に増え、その20年後には1070万人(20%)にもなるとしています。

初めの推計では海外の人材も確保されていることが期待されていました。ところが、新型コロナウイルス感染症の拡大によって減少した海外の人材は、今になっても大きくは回復していません。

海外からの働き手が大きく不足して、国内の人材に頼るしかなくなったことで、5人に1人が医療と福祉で働かないことには、超高齢社会を支えられないという実態が明らかになってきました。

その人材として発達障害がある人が期待をされていますが、その人材としては自閉症スペクトラム障害と注意欠陥・多動性障害がある人が主に考えられてきました。学習障害がある人は、読み・書き・計算で困難さを抱えていることから、戦力として計算に入れられてこなかったのは事実です。

医療と福祉の世界で中心的に働くためには専門の資格が必要で、発達障害の人に、中でも学習障害がある人が、その位置取りで働くことを求めるのは大変なことだと認識されています。しかし、全就業者の20%も必要な時代となると、資格者の仕事の周囲に新たな働き場が着実に増えていきます。

その裏付けとなっているのはIT技術の進展で、IT技術を活用すれば子どもの場合には学習障害を克服することも可能となってきました。まだ社会人に対しては、IT技術が充分に活かされていないところがあるものの、あまりの働き手不足に対応するには、学習障害がある人でも強力な戦力とする社会構造の変化が進まなければならない時代となっているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕