昭和100年にあたる2025年は、明治で数えると158年となります。
「明治100年」は1968年(昭和43年)で、そのとき私は中学1年生で、学校でも「明治は遠くなりにけり」と盛んに言われたものです。
これは俳人・中村草田男の1931年(昭和6年)の句で、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の一節です。この句は港区立青南小学校正門内の後者前庭の句碑に記されていて、東京に住むようになってから現物を見に行ったことがあります。創立70周年(昭和52年)の記念として建立されたもので、中村草田男が除幕をしたと聞きました。
昭和の初期は今から比べると、随分と昔のような感じですが、明治と比べると大きな変化があり、「遠くなりにけり」と感じるのも当たり前のような感覚です。
明治時代は江戸時代最後の慶應に続いて1868年から始まりました。それまで京都に置かれていた都が東京に遷都されたわけですが、実際の遷都は明治元年ではなくて明治2年のことです。
東京への遷都は政治体制の移行が最大の理由とされていますが、実際には元治元年(1864年)に京都で起こった禁門の変(蛤門の変)が大きく影響をしていました。京都から追放されていた長州藩の一軍が京都守護職の排除を目指して挙兵して市街戦を繰り広げたもので、戦火によって約3万戸が焼失する被害となりました。
焼失範囲は、北は丸太町通(京都御所の南)から南は七条通り(東本願寺)、東は寺町、西は東堀川という約5平方キロメートル、今の中京区、下京区のほとんどの地域に及んでいます。
現在の京都の市街地の大半でもあり、観光客が町巡りをする範囲です。これを再建するのは不可能という判断もあって、東京への遷都が戦災から4年後に行われ、京都は独自の復興を目指すこととなりました。
この足元が消えてしまった状況から大復活を果たした京都の姿には、「昭和100年問題」が最悪の状態になったときの解決のヒントが隠されている、というのが対策チームの検討項目の一つとなっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕