「昭和100年」15 古都のイメージ戦略

「昭和100年問題」は、日本のコンピュータシステムをコントロールする基本となるデジタル時刻が昭和の元号の2桁表示をベースに構築されていることから、スムーズに2025年を迎えることができるのかという重大な解決課題を指しています。

正確に更新して3桁に移行できるのか、それとも3桁目の1が切り捨てられて00になるようなことが起こるのかは、そのときになってみないとわからないというのが、「昭和100年問題」であり、恐れを感じて対応が急がれている所以です。

もしも日本のデジタル時刻が期待通りに更新されなかった場合には、デジタル社会がストップしてしまうようなことにもなり、無事に2025年(昭和100年)を迎えることができたとしても、公にされないまま不具合を抱えて過ごしているだけという不安がつきまといます。

明治時代のような状態に戻るようなことはないとしても、コンピュータが存在していなかった時代と同じようなことになってしまったら、そのような便利なものに頼らなくてもよいようにする、使用したとしても必要不可欠なところだけ限るという選択肢もあります。

そのような選択をしたのが、前回(「昭和100年」14)で紹介した東京に遷都された後の京都でした。禁門の変によって古都の中心部が焼失した京都は、一からの作り直しをする機会でもありました。

第二次世界大戦の大空襲によって焼け野原になった東京、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島などは都市計画によって、近代化を進めました。それに対して、京都は大空襲がなかったという幸いもあり、明治時代になってから復興させた古都が、そのまま受け継がれることになりました。

明治時代の京都の復興は、千年の都の京都のイメージそのままの文化都市として進められました。この基本を守りつつも、景観を変えない範囲で新たな産業や技術を取り入れ、新たな京都のイメージが作り上げられていきました。

すべてを近代化するのではなく、伝統とのバランスを取りながら、さまざまなものを取り入れていく、その思想が突然の出来事にも対応できる日本人の知恵であるとの考えで、「昭和100年問題」への対処法を取りまとめているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕