「昭和100年」4 急激な変化の時代の裏で続いていること

「昭和100年」というタイトルを掲げていると、記念日の広報を得意としている私のことだけに、楽しげな感じを期待するかもしれませんが、「昭和100年」は記念日イベントのような楽しい話ではありません。

デジタル社会はインターネットの普及からパソコンと通信機器、通信ソフトがあれば楽に情報を受け取れることから始まりました。それ以前も通信を用いて情報を発信する方法はあったものの、専門家だけが使えるもので、インターネットにしても初期段階では研究機関の情報交換の手段としての普及でした。

同じ業界の研究者が、どんな研究を、どこまで進めているのかを知ることによって、無駄なことをすることなく、また無理をすることなく、効率的に仕事を進めていくための情報交換の機会でした。

その段階では一方通行の情報発信であり、キャッチボールに例えると、投げられたボールの中から気に入ったものを選んで受け取るだけでした。そのあとボールを、どのように扱うかは受け取った側の自由で、ボールを投げた側(情報発信者)は受け取ってくれたのかもわからないという状態でした。

それが大きく変化したのはWindows95の登場後で、パソコン通信ができる環境があれば、情報を自由に受け取ることができるようになり、相互通信も可能となりました。現在のインターネット環境との違いを表すために、前の一方通行の時代をWeb1.0、今の状態をWeb2.0と呼ぶようになりました。

相互通信が進むにつれて確立されたのは中央集権体制です。便利なサービスを扱うことができるのは特定の大手企業のおかげであって、サービスを自由に使えるようになった反面、大手企業が独占したサービス(情報網)の中でしか動けない状態となりました。
それはGoogle、Apple、Meta(旧Facebook)、Microsoft、Amazonで、パソコンやスマホのOSは、これらの企業の製品を搭載していて、そのシステムの中だけで自由にやり取りをしているという状態です。

これらは世界企業であって、世界共通の西暦の年表示が使われていますが、それを使ってユーザーが受け取るサービスが日本のものである場合には、日本特有の元号の年表示システムとなっています。

元号表示の問題点については前回(「昭和100年」3)紹介しましたが、最新機器やサービスが提供されるたびに急激な変化と進歩を遂げているのに、いまだに日本のデジタル時計は元号が基本となっています。

しかも、その元号が令和でもなく平成でもなく、99年前から始まった昭和のままであることが、昭和100年問題を懸念させる要因となっているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕