「昭和100年」6 お気楽な話題で目を逸せる

「昭和100年」は昭和元年から数えて100年目の2025年で、これを記念日として、新たな区切りの年のイベントとして実施することを行政や企業、そこに売り込もうとする広告代理店などによって企画されています。

これと同じことは今から四半世紀前の2000年にも行われました。いわゆるミレニアム・イヤー(千年紀)で、1900年代から2000年代に移る1999年12月31日の年越しは、ミレニアム(イヤー)イブのイベントとして大々的に行われ、イベントとしては大成功でした。

いつもの年越しイベントは都市を代表する場所に結集してカウントダウンすることが通例で、そのときに高揚感の裏側で、不安感との戦いがあったのは、ほとんど知られていないことです。

それは無事にデジタルのカウンターが2000年という年代を正確に認識して、1999年と同じように、システム障害なしに当たり前に翌年の1月1日0時0分1秒を迎えられるかという、これまでにない社会的な大きな不安でした。

それと同じことが起こるのではないかという社会的な不安は、昭和100年でも同じように抱かれていますが、2000年問題と違っているのは日本だけの出来事であって、世界をあげての対策がとられていないということです。

この「昭和100年問題」については、昭和98年(2023年)、昭和99年(2024年)とカウンドダウンが進むにつれて、問題点を気づいている人が発信をしてきました。その一方で、“気づき”をさせないような動き、気づいて行動を起こしても、世間に大した問題ではないと認識させるような“反イベント”が徐々に行われてきました。

それは「昭和100年」というキーワードがインターネットやSNSで取り上げられ、拡散されても、それが重要問題だと認識されないようにする手法です。

単なる区切り、無理やり100年に当てはめたイベントというような報道で、昭和を振り返るメディア報道も相次いでいます。情報番組、バラエティ番組、クイズ番組などでも「昭和」は重要なキーワードとなっています。

元号表示の実際の問題は「昭和100年」の3と4で2回に渡ってシステム障害の元凶であることを紹介しましたが、その事実を隠すために、まだまだメディアなどで“お気楽な話題”としての発信が続きます。

それは大きな問題であることが判明したとしても、つまりシステム障害が報告されても、それが大した問題ではないと認識させるようなメディア対策の実施も含まれています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕