「次世代を育てるのは現役世代の大切な役割」という話

「嵐の前の」とくれば、それに続くのは「静けさ」というのは普通の発想で、クイズ番組でも正解となります。ところが、一部の業界では「嵐の前の」に続くのは「Kinki Kids」です。ジャニーズのグループのデビューの順番を指しているのですが、1997年にKinki Kids、1999年に嵐、この後は2002年にタッキー&翼、2003年にNEWSと続きます。ちなみにKinki Kidsの前は1995年のV6です。
嵐の大ヒットに比べたら、Kinki Kidsは「嵐の前の静けさ」のようなものだという意味合いで使われることもあるのですが、これとは別の考えで、メディアなどは「嵐の前のKinki Kids」と言っています。それは大ヒットで活躍しているメンバーが、次の世代を引っ張り上げて育てている、それが継続の強みということを言っています。Kinki Kidsのバックダンサーには、後に嵐としてデビューするメンバーがいました。全員ではないものの、現役で活躍するメンバーを、次のメンバーが盛り上げ、次のメンバーが現役に引き上げられるという良き伝統があり、それは今も続いています。
この話をするときに、もう一つの例としてあげているのが100歳を超えて現役医師として活躍していた日野原重明先生です。日野原先生は、1970年のよど号ハイジャック事件に乗客として巻き込まれ、解放されたときにはボーイング727のタラップから初めに降りてきました。医師として一番前の席に移動していたからですが、その後に受けたお見舞いなどを次の世代のために使おうと、新老人の会を設立しました。
世界で一番早く長寿国となった日本の高齢者が世界のモデルとなるように健康で生きがいを感じられる生き方をすることが目的となっていますが、日野原先生が100歳の年に日本メディカルダイエット支援機構の理事長が直接インタビューしたときに、別の考えがあったことを聞いています。それは「高齢者が次の世代の実験材料になる」ということで、高齢者が健康づくりに果敢に挑戦することによって、次の世代の健康づくりのモデルとなろうという活動です。
高齢者は自分が健康になるために学んだり歩いたりするだけでなく、その結果が自分にとっての次の世代、地域にとっての次の世代のためのモデルとなるために考え、行動することの重要性を日野原先生は示していました。これを全国の地域で、日野原先生のようなリーダーがいない状態で実践するのは大変なことであるのは承知していますが、次につないでこその健康成果という考えをしています。