「腹八九分目」のすすめ

腹八分目という言葉は、健康のために食べすぎを戒める当たり前すぎることを示す言葉として普通に使われています。この言葉を初めて使ったのは貝原益軒で、江戸時代の健康指南書『養生訓』に出てきます。腹八分目の量は、食べすぎの人には、まあまあ満足がいく程度の量かもしれませんが、普通の量を食べている人が健康を強く意識するあまりに20%分を減らすとなると、空腹に耐えることを強いられることにもなります。
そういうこともあって、医学者の中には「継続するためには腹九分目がよい」と言って、自分の新たな説のように言っている人もいます。わざわざ新たな説のように、と書いたのは、「腹九分目」ということは、決して新しいことではなく、もともと『養生訓』の中に書かれていることです。その中には「腹八九分目」と書かれています。『養生訓』は、私たちが主張する「御加数」(おかず)という、おかずの数を増やすことの重要性について裏付けを探す中で全文を読んだことから、「腹八九分目」を確認しています。
つまり、貝原益軒は健康のために腹八分目と定めたのではなく、腹九分目までの幅をもって目標の量を示していたわけです。それが腹八分目が定説として語られるようになったのは、「腹八分目に医者いらず」という言葉が登場して、腹八分目の食事は病気にならないという効果を示す言葉が広まるにつれて、腹九分目は目立たなくなり、腹八分目オンリーになっていったようです。
ところで、「腹八九分目」という言葉をみて、日本メディカルダイエット支援機構で検討しているときに、「89%のことか」と言い出した人がいました。「八九分目」と読んだわけです。本来なら「腹八、九分目」と書かれなければならないのでしょうが、「、」が略されています。
漢数字で表すと、100%は十割で、10%が一割となります。10%は十分となります。一分は1%です。また、1%が十厘で、0.1%が一厘です。よく確実性があることを「九分九厘」と言いますが、これは99%のことを指しています。しかし、割の感覚で示すと九分九厘は9.9%となり、「一割にも満たないのに確実性はないでしょう」ということになってしまいます。
どうも九分九厘という言葉は、まだ割の概念がないときには分と厘で表していたようで、九分九厘は99%の意味だったわけです。それなら「腹八九分目」は98%となって、「わずか2%を減らすだけでよいのか」と冗談で言った人がいましたが、健康のために10%分を減らすことを目指すか、100%の量を食べたときには10%分のエネルギーを消費する運動をすることを目指すべきということは当然にわかっていての発言でした。