村八分という感覚は、都会にいたときだけでなく、生まれてから高校までを過ごした地方においても“死語の世界”(死後の世界ではなくて)でした。生まれ育った地域は知人だらけで、出身地域による差別という人権問題は残っていたものの、排除する側の内々にいたので、歴史の言葉というくらいの感覚しかありませんでした。
東京で44年間過ごして、新たな仕事を呼びかけられて、岡山まで移住したときには、余所者(よそもの)、新参者という感覚はあったものの、移住流行りの世の中で周囲の人も親切で、その死語の世界を感じるようなことはありませんでした。
ところが、私たちを呼んだ本人たちは意識をしていなかったとしても、誰から呼ばれてきたのかを話すと、急に態度が変わり、「○○地域の○○さんか」と口にしてから付き合ってくれなくなってしまいました。そのような地域であること、その前に地域で差別環境が残っていることを少しでも話してくれていたら、心構えが違ったはずです(それでも社会的使命がある仕事だったので移住はしたと思いますが)。
これが村八分の感覚なのか、と排除される側になってみて、初めてわかったことです。
村八分の“八分”とは何かというと、八つの制裁刑罰のことで、冠、婚、出産、病気、建築、水害、年忌、旅行を指しています。十分のうち八つの付き合いをしないということで、まったく無視をする、存在を認めないような陰湿なイジメとは違っています。ちなみに冠は成人式、婚は結婚式、年忌は法要を指しています。
同じ地域に暮らしていても、八分に参加しない人が多くいる今の時代では、これは村八分になるのか疑問もあります。
十分のうち付き合いを断つわけではない二分は何かというと、葬式と火事です。家族がなくなった人を労わる、焼け出された人を助けるという心遣いのことだと説明していた大学の先生がいました。それも専門は民俗学だと聞いてびっくりしたのですが、葬式の手伝いをするのは感染症が村に広がらないため、火事の手伝いは延焼させないためのことで、自分たちに被害が及ばないための行動です。
村八分は制裁的なことなので、何も付き合ってくれないことで生活そのものに支障はなかったものの、呼んだ人との付き合いがあると、地域にも馴染めないことがわかり、村八分の立場を逆転させるために仕事も変え、住まいも少しだけですが移動させました。それだけのことで、また急に周囲の態度が変わったことに、地域感情の根強さを感じたものでした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)