「ない袖は振れない」が元々の言葉であって、「ない袖は触れない」で打ち込んだらAI判定では間違いと判定されて、修正を求めるマークが出ます。わざと「触れない」と打ち込んだので無視してほしいのですが、最新のソフトは無視してくれません。
「ない袖は振れない」というのは、袖がないのだから振りようがない、条件が整っていないのだから求められても応じようがない、という意味です。だから、求めないでほしいという思いが暗に込められています。「ない袖は触れない」は、求められても答えようがないので、触れないでほしい、講習会では質問もしないでスルーしてほしいという気持ちが込められているのですが、聞きたいことがあって、その質問に答えるというコーナーがあったら、講演者が知っていることであろうと、なかろうと受講者や聴衆は質問をします。
健康に関する講演の場では、テーマが医療であろうと運動であろうと介護であろうと、栄養に関する質問が寄せられます。特に医師が講演者だと病気の予防や改善のための栄養の質問は、必ずと言ってよいほど質問者から投げかけられます。
それは、医師は最も難しい医学を学んできて、国家試験に合格しているのだから、栄養の知識は当たり前に知っていると思われているからです。医師を養成する医学部がある大学は82校ありますが、そのうち栄養学の講座があるのは23校だけです。それ以外の70%の大学では、栄養学を学びたくても講座がないので学べないということです。
ある国立大学の卒業生である医師と仕事をしたときに、栄養学講座があったというので、その内容について話を聞いていたら、栄養素が不足したときに起こる疾病者症状については詳しいものの、栄養素の有効性や機能性については詳しくないどころか、一般レベルの知識から抜け出ていない状態でした。その理由について話をする中で探ってみたら、大学で学んだのは各疾病の栄養素不足で起こる症状であって、栄養学として全体的に学んでいなかったということがわかりました。
詳しくないのだったら、「ない袖は触れない」ということで話さなければよいのに、勢いで話したり、自分の知識と想像だけで話をする方が実際にはいます。医師のあとで話をする私たちが、その後始末をさせられることも何度もありました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)