あくまでも噂話6「一を聞いて十を知る」

思いもしなかった酷い目にあったときには、走って逃れるのか、反撃するのか、はたまた受け入れるのか選択が迫られます。受け入れるとしても、ただ受け入れるのではなくて、酷い目の体験を活かして、むしろ良い体験をしたと思えるような結果となるような「発想の逆転」をするようにしています。「発想の転換」ではなくて、逆転と言い切れるほどの決断をしています。
通常の一対一の対決なら、発想を逆転させるほどの決断をしなくても済みます。ところが、こちらの人脈として紹介した人たちが、なぜか敵対する側の味方に回っていることがあります。それも皆で談合をしたわけではなくて、初めて会ったときから意気投合をして、初めから私の味方をするつもりではなくて、敵に回るほどの連合を組むことがあります。
どうして一目会ったときから意気投合できるのか、海外で同胞と出会ったのと同じような反応をするのかと疑問に思い、同じ宗教か、同じ政治信条か、出身地が同じか、と探ってもみたのですが、特に共通点は見つかりませんでした。表にできないつながり、世間には隠しておきたいつながりがあるのか、という次の疑問は、酷い目にあってから教えてくれる人がいて、後追いで知ることになります。
今回のテーマの「一を聞いて十を知る」は、通常では良いことを示すのに使われていますが、集団で敵に回った人たちは、会った瞬間の一の印象が十(すべて)の理解につながっています。特別な仕草や合言葉があるのか、身体的な特徴があるのか、そこのところは今もってわからないのですが、後に知ったのは出身の地域こそ違っていたものの、それぞれの地域にある特殊な地域の出身で、共通の仕草があったようです。
それを知るはずもない自分としては、気づきようもなく、何かあっても知らないところでの連合では対応のしようがなくて、自分も「一を聞いて十を知る」といった対策をするのは不可能だと思いました。それで「発想の逆転」をして、活動する場所を変える、付き合う人間を変える、場合によっては目的を変えるといったことで、自分の活動が役に立つ人のために動こうと決めたのです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)