あくまでも噂話62「人間五十年は寿命のことなのか」

子どものころに人間の寿命は50歳だと父親から聞きました。その当時の定年退職は50歳のところも多かったので、定年退職の前後で亡くなってしまうのか、と思ったものです。高度経済成長の時代には「死ぬまで働け」という今では標語自体がパワハラということもあったのですが、まさに死ぬまで働く人もいたということです。
私が生まれた1955年(昭和30年)の平均寿命は男性が63.60歳、女性が67.75歳でした。これから見ると、50歳というのは間違いではないかと感じたものですが、戦後の日本には平均寿命が50歳という時代がありました。それは1947年(昭和22年)のことで、男性が50.06歳と初めて50歳を超えました。そのときに女性は53.96歳でしたが、男女ともに50歳を超えた記念する年とされています。
平均寿命は、その年に生まれた赤ちゃんが今の社会情勢が続いたとして何歳まで生きられるかという推定であって、社会情勢が変われば平均寿命も変わります。1951年(昭和26年)には男性は60.80歳と急に10歳も延びています。
最新データの2020年(令和2年)は男性は81.64歳、女性は87.74歳と、30歳以上、ちょうど一世代分も長生きになったわけです。
なぜ父親が寿命を50歳と言ったのかを考えてみると、織田信長が好んで舞っていた幸若舞の一節に出てくる「人間五十年」が影響していたようです。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と唄われていて、その内容は人間の50年は下天の一昼夜に相当する一瞬の間ということです。下天は、天上界の中で最も劣っている天を指しています。
織田信長の安土桃山時代(1573年〜1603年)の平均寿命は35歳とされます。織田信長は本能寺で討たれたのは48歳(当時は数えだったので49歳)であったので、50歳に届かなかったというので、人間五十年が寿命と考えられたことに関係しています。それにしても、まさに下天と比べたら、もっと短く儚い時代だったということです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)