小学生のときのこと、父親の影響で剣道と柔道を同時にやっていました。同時といってもまったく一緒にしていたわけではなくて、家の近くの道場が剣道と柔道を交互にやっていたので、今日は剣道、翌日は柔道、その次は剣道というような組み合わせです。
父親の転勤先には柔道の道場がなかったので剣道だけかと思っていたら、足が早かったために中学校では剣道部に所属しながら陸上部の練習にも参加して、県大会では剣道の団体戦と陸上の4×200mリレーのメンバーとして同じ日に別会場で選手をしていました。
剣道の予選、リレーの予選、剣道の準決勝、リレーの決勝と間を置かずに出ていたので、今流行りの“二刀流”と呼ばれていました。そんな呼び方をしたのは、本当に二刀流(大刀と小刀)で大会に出ていた剣道のメンバーの父親でした。
スポーツ栄養学は今では当たり前のことでしたが、当時は何を食べれば、どんな結果が望めるのかということがわかっていなかった時代で、競技の当日の食事に関しては偏食があったので、きっと能力を発揮できないような食事のまま望んでいたのだと思います。
高校になると運動部の掛け持ちということはできなくて、剣道部に所属しながら写真部にも入り、バンド活動もしていました。バンドのリーダーは、後にプロのミュージシャンになって、全国ツアーのときに取材する立場で再開しました。この二刀流、三刀流では他のものは趣味みたいなものでしたが、高校3年からは知人の住職のすすめで空手と少林寺拳法の道場に通っていました。
こんな三刀流だったので、どれも段位は2段階で終わったのですが、そのときに指導者から言われた食事のアドバイスが、それぞれ違っていました。どの方法がよいのか知りたくて、病院の栄養士の紹介で、その方の出身の大学の先生(確か講師だったような)を訪ねて、スポーツ栄養学があることを知りました。それが後の臨床栄養とスポーツ栄養、さらに発達栄養のきっかけになりました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)