ぜんざいとしるこはどこが違うのか

11月はカレンダーには神無月と書かれています。これに対して出雲地方では「神在月」(かみありづき)と呼んでいる、という雑学知識がテレビ番組で取り上げられていました。制作したのは知り合いの会社で、さらに「初めて知った」と素晴らしいリアクションをしていたタレントにも以前に話していたことでしたが、これがテレビというものということで、台本通りに進めようとしても目くじらを立てないようにしています。
神在月のことは一般に言われているだけならまだしも、今では出雲大社の関係者でも「かみありづき」と呼び、その由来として「全国の神社の神様が出雲大社に集まって会議をしているので、神社に行っても神様がいない神無月だが、出雲大社には神様が集合しているので“かみありづき”という」と話しています。これは神在月を前にしたときに、神社の中で聞いてきたことです。
以前に書籍づくりでインタビューしたときに、出雲大社の関係者中の関係者から「今どきの人は神在月と神無月の違いがわかっていない」と言われて、それを書籍の中に盛り込んだものです。違いというのは、両方とも「かんなづき」と読むが、神在月は古くから伝わる表記で、神無月は現在の表記ということです。在は今では「ある」ですが、以前は「なる」と読んでいました。出雲大社に全国の神様が在る(なる)月だから神在月というのは当たり前の表記で、神在月が読めなくなったので神無月と表記されるようになったと教えてもらいました。
そして、今どきの人は……と嘆かれていたのですが、その今どきの人が身内の人になってしまったということで、当時を思って嘆かれているのではないかと思ったりもします。
この神在月(かんなづき)に出雲地方で食べられていたのが神在餅(じんざいもち)でした。小豆を甘く煮て餅を加えたもので、今の“おぜんざい”です。出雲地方は訛りがあるので、「じんざい」が「ずんざい」に聞こえ、それが伝わった京都で「ぜんざい」となり、全国に広まったというのが定説です。日本ぜんざい学会も、それを公式見解としています。
関東では、ぜんざいとは呼ばず、“おしるこ”の一種となっています。小豆が粒のままのものも漉したものも汁粉(しるこ)で、注文をすると、どちらの種類かを聞かれます。ところが、京都を中心とした近畿ではしるこはこしあん、ぜんざいはつぶあんというように完全に区別されています。そうなったことには諸説がありますが、しるこは江戸で誕生した御前汁粉が始まりで、それが京都に伝わってきたので、違うものという認識がされています。いかにも京都風のおしるこが江戸のもので、ぜんざいが出雲のものということです。
その由来が取り上げられるたびに、「出雲大社では神在月(かみありづき)」という話がされると、元来は違うのに、と思ってしまうのは、出雲大社へのお詣りを欠かさない身としては、まだまだ修行・信心が足りないということのようです。