「発達障害」というのは医学用語であり、法律用語でもあって、公式に使うときには別の表示は原則的には相応しいものではありません。しかし、害には否定的な意味合いがあるということから「発達障がい」という表示も現れていて、「障害なのか障がいなのか」という論議も起こっています。
医学的な発達障害は、知的発達に遅れはないものの、脳の働き方の違いによって物事の捉え方や行動のパターンに違いがあり、そのために日常生活に支障のある状態を指しています。その種類は、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害が三大発達障害とされていて、この他に協調運動障害、チック症、吃音なども含まれています。
医学の世界では、日本精神神経学会などが「障害」から「症」の読み替えを進めていて、現在では「神経発達症」が診断名として採用されています。これはWHO(世界保健機関)の定義を受け入れたものです。
発達障害者支援法では第二条(定義)に発達障害は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と書かれています。
これは発達障害の定義をしたもので、発達障害者の定義ではありません。第二条の2には「発達障害者とは、発達障害がある者であって発達障害及び社会的障壁により日常生活又は社会生活に制限を受けるもの」と書かれています。社会的障壁がなければ、発達障害があっても発達障害者ではないということになります。
社会的障壁というのは、「発達障害がある人が日常生活や社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」を指しています。これも第二条に書かれていることですが、発達障害がある人が暮らしにくいのは、その人にだけ原因があるわけではなくて、社会的障壁がなければ、発達障害として生きにくいような状況にはならない、という考え方が根底にあるのです。
「障がい」という用語は自治体でも採用されつつありますが、メディアでは「障害」を使い続けているところがほとんどです。NHKは、障害は、その人自身ではなく社会の側にある、障害者は社会にある障害と立ち向かっている人ということを示しています。
障害によって車椅子を利用する人が2階に行きたくても行けないのはエレベータなどの移動手段が整えられていないからで、それらがなくても移動できるように支えてくれる人がいないからである、という考え方です。
発達障害者の支援は、発達障害者支援法の第三条で国や地方公共団体の責務であることが明記されています。
また、第四条には「国民は、個々の発達障害の特性その他発達障害に関する理解を深めるとともに、基本理念にのっとり、発達障害者の自立及び社会参加に協力するように努めなければならない」と書かれています。
発達障害の理解は、まだまだ進んでいないことは法律違反とは言わないまでも、法律を定めてまで求められている社会課題が充分に進んでいないことは明らかです。
発達障害という名称に異議を唱える声がある中で、私たちが「発達障害サポーター」の養成を推進して、発達障害の理解を社会的に進めようとしているのは、このような考えが根底にあるからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕