「二度あることは三度ある」という諺(ことわざ)があります。物事は繰り返し起こる傾向があることから、同じようなことが二度続けてあったときは、必ずもう一度繰り返されるので、失敗を重ねないようにしなければならないという戒めです。
感染症でいうなら、新型コロナウイルス感染は収束したかと思われても、収束せずに繰り返されるという意味になるかもしれませんが、実際には収束していないのに“何か理由があって”緊急事態宣言を解除したら、「二度あることは三度ある」となるのは当たり前のことです。特に新型コロナウイルスは変異しやすく、変異するたびに感染力が高まり、治療しにくくなるという特徴があると、三度どころか四度も五度も起こっても不思議でもありません。
新型コロナウイルス感染が終息(収束ではなく完全に終わる)したとしても、3〜5年ごとに新たな感染症が登場すると考えられています。環境の急激な変化や世界的な人流のグローバル化、先進国で進んでいる国民全体の免疫が低下する高齢化といったことが、その理由で、ウイルスを研究で作り出した、ばら撒いたというような陰謀論のことを言っているわけではありません。新たな感染症が1年で終息せずに、3年も4年も拡大が続いていたら、ずっとコロナ禍のような感染症蔓延状態にあるといった、いつまで繰り返し起こるかわからないという状況にもなりかねません。
今の霞が関の対応を見ていると、先々に備えて、デジタル庁よりも先に“感染防止庁”を設立すべきではないか、という議論が湧き上がってくるのも当然のことかもしれません。
「三度目の正直」というのは、一度や二度は当てにならないものの、三度目は確実であるということで、物事は三度目には期待どおりの結果になるということを示しています。となると、今回のテーマの「二度あることは三度目の正直」は矛盾があるように聞こえても、三度も四度も困ったことが起こるような状況であっても三度目で終わってほしいという願いのようなことです。ただし、コロナ禍を指すとしたら、もう三度目の正直にはならなかったということです。