「二度あることは三度ある」というのは、コロナ禍でいうと悪いことが繰り返し起こって出口が見えなくなっているようなことを指す諺(ことわざ)のようにも思われがちです。しかし、よい条件があれば二度目にあったことが、もう一度続いて起こるという良い意味にも使われます。
このへんは「柳の下の泥鰌(どじょう)」とは違うところです。今どきの若い世代は、この諺の変化形の「柳の下に二匹目の泥鰌を狙う」と聞くと、成功例を繰り返せば、また成功することができるという良い意味にとらえることもあるようですが、こちらは二匹目の泥鰌を狙っても、うまくはいかないというのが正しい使い方です。
タイトルの「二度あることは三度目の正直」は「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」を組み合わせたもので、もちろん正式な使い方ではありません。良い意味で「二度あることは三度ある」を使う場合には「三度目の正直」と同じ意味になるところですが、悪い意味にとらえるなら“三度目は良いのか悪いのか、どっちだ”というツッコミが入れられることになります。できることなら良いことが二度あって、三度目は最高によいことがあると考えたいところですが、コロナ禍が長く続いて、その後に起こることを想像すると、そうはいかないようです。
良いことがあっても相当に苦労をさせられる、苦労しないことには元の状態に戻れないというのが健康関連では懸念されることで、これまでの常識とされてきた健康づくりの手法が通じないことにもなります。よく例としてあげられるのは、新型コロナウイルス感染症が蔓延して、高齢者は外にも出られない、閉じこもって食べ過ぎ、飲み過ぎになって太っただけでなく、血圧、血糖値、中性脂肪値などが上がってしまった、病院に行く間隔も延びてしまった、健康診断も受けていない、そもそもストレスがたまりすぎて、それが心身にも影響を与えている、という悪いことの四重奏、五重奏になっていることです。
全国的に、こんな状況になっているときに、元の健康状態を取り戻そうとしたら、並みの努力では足りないことになります。かといって、苦労をしたくないというのは当たり前の感覚です。無理をせずに、無駄なく、できることなら無病息災といきたいという願いがあります。その考えが出てきて、やっと私たちのメディカルダイエットが見直されることになりました。