新型コロナウイルス感染症がなかった平穏無事の時代には、同じ才能だけでは発展性がないということで突出した才能が求められ、移住してくる人も、その地域にいない人材が期待されていました。期待をされて移住したのに、地域の閉鎖性もあって、思ったように受け入れてくれないということはありましたが、それは「出すぎた杭は打たれない」といわれるほどの突出した状態ではなかったということが指摘されていました。
今まで地域で、出すぎた杭の存在で、それなりに稼いでいた人にとっては、自分よりも出すぎた杭が移住してくると注目度が低下する、稼ぎが減るという不安や場合によっては恐怖心もあって、邪魔をしてくるようなことがありました。私たちも地域活動の場を関東から地方に移したときには、こちらとしては取って代わろうという“意思”はまったくなくて、自分たちの“意志”を貫ければよいという感覚でしかありませんでした。
そんなつまらないことをしても、出すぎた杭が他と並んだり、他の杭よりも地面に沈むようなことはないのに、攻撃をしてくるようなことをする地域を離れるほうが余計な心配をしないでよい、ということで他の地域に杭を打ってみたら、そこは出すぎた杭への期待があり、他にも出すぎた杭がたくさんあることがわかり、ここなら安心して活動できるという判断もしました。
しかし、これも平穏無事の時代の中でのことで、コロナ禍に突入してからは、出すぎた杭が稼ぎの邪魔になると見なされた瞬間に、そこを目がけて打ち込んでくるような人が出てきました。それは同業者、競業者と見ている人の行為ですが、こちらとしては仕事を奪うつもりはまったくなくて、むしろ周囲の方々に活躍してもらい、もっと稼げるようになってほしいという大らかな気持ちでの活動なのですが、それが理解できない人にとっては味方であるはずの存在も敵に見えてしまうようです。
地域の人の仕事を奪うようなことは絶対しないというスタンスを貫いているのは、東京を中心に動いていたときに、他にない存在でいないと、どうしても足を引っ張ろうとする人が出てきたからです。自分が出る杭になっていないのに、他の出る杭のせいで仕事がうまくいかない、と考えるような人が、まだまだ多いのです。そして、そんな考えの人はコロナ禍で急増しました。むしろ、コロナ禍を経験して、逆の発想をするべきなのですが。