ポストコロナ「出すぎた杭は打たれない」3

出すぎた杭は打たれないのではなく、むしろ出すぎていることから周囲から妬(ねた)まれるようなことになるのは、単独で行動している人や団体・企業に見られることです。単独の行動は、自らは強いと思っていても、コロナ禍に限らず予想外のことが起こったり、これまでの客だった人の意識が大きく変わるような出来事があると、実は弱かったということに気づかされることになります。
得手不得手は、どんな人にもあって、平穏無事の時代には得手が強ければ、不得手はさほど気にしなくても済んだものです。ところが、コロナ禍が長引く中で、不得手なことがあると、そこが弱点となり、敵に“蟻の一穴”を攻められると、あっけなく強固な城が崩れてしまうのと同じように、コロナ後に戦おうとしても戦えない状態にもなりかねません。
戦うというのは同じ地域の店や会社と地域の客を取り合うレベルの話ではなくて、敵は周辺地域にも広く国内には、そして海外にもいます。不得手を克服することは面白いことではなくて、手間も金もかかります。ましてや、沈没の危機を感じているような厳しいときに、不得手の克服をして、次の戦いに備えるには強い意志と覚悟が必要です。
不得手を自分だけで克服することができなければ、それは外から持ってくればよいというのは歴史に学ぶことができるものの、ただ欠けている部分を補うだけ、そのときに間に合えばよいということでは、いざというときに力を発揮してくれるとは限りません。ところが、同じ目標、同じ意識を持って、それぞれが得意とすることを持ち合い、寄り合い、組み合わせていけば、危機を乗り越えられる強い力とすることができます。
ただ、ジョイントベンチャーのように力を合わせて、収益が得られたら分配するということではなくて、一緒の目的を掲げた団体を立ち上げ、それぞれのメンバーが集って活動することが重要で、そのことが明らかになったのは、ある意味ではコロナ禍の“おかげ”と言うことができます。